#35 最強アレンのスローライフは終わらない〜新たなる来訪者〜
イハカ連邦を完全買収し、巨大な『第2テーマパーク』としてリニューアルしてから数ヶ月が経過した。
世界は今、かつてないほどの平和と経済的安定を享受している。軍事国家の脅威が消滅したことで大陸中の物流が活発化し、アレンの『影の天秤』商会が提供するクリーンな魔導インフラは、人々の生活水準を劇的に向上させていた。
思えば、アレンはここまで剣を一度も振るっていない。
勇者のように魔族と血みどろの死闘を繰り広げたわけでも、覇王と魔法でぶつかり合ったわけでもない。ただひたすらにカルマポイントを稼ぎ、札束と『超絶ホワイトな労働条件』で敵兵を寝返らせ、ブラック国家を経済的に干上がらせて合法的に買収(M&A)しただけである。
そして、そのすべての中心であり、巨万の富を吸い上げ続ける巨大地下帝国――アレンの私有地では、今日も極めて堕落した、平和すぎる日常が流れていた。
「あー……ポテチうめぇ。コーラ最高。やっぱクーラーの効いた部屋でゴロゴロしながら読む異世界漫画は至高だな……」
旧王都の地下深くに建造された、超高級ペントハウス。
アレンは最高級の絹で織られたクッションの海に埋もれながら、ポイントで購入した漫画を片手に、ポテトチップスをパリパリと齧っていた。
彼の傍らでは、白いポメラニアンの姿をした神話級魔獣・シロが、お腹を出して無防備なへそ天状態で爆睡している。時折、寝言のように「くぅ、きゅぅ……」と鳴きながら、空中で短い足をバタバタさせていた。
「アレン様! 先ほど、セレスティアさんから採れたての森のフルーツが届きましたよ! エルフの皆さんが育てた特製の『世界樹メロン』だそうです!」
リビングの扉が勢いよく開き、エプロン姿のリリアが巨大なメロンを抱えて飛び込んできた。
彼女の後ろからは、「ふんっ! ふんっ!」と威勢の良い掛け声と共に、両手に数十キロの純金製ダンベルを持ったままスクワット歩行で進んでくるオリビアの姿がある。
「アレン様、お疲れ様です! 本日のブートキャンプも無事に終了いたしました! 元イハカ兵の連中も、今ではすっかり大胸筋でクルミを粉砕できるまでに成長しましたぞ!」
「……オリビア、純金でトレーニングするのは勝手だけど、床の魔導大理石に傷をつけないでね。修理費がバカにならないから」
「ハッ! 失礼いたしました。では、空中浮遊魔法を展開しながら懸垂を行います!」
相変わらずの脳筋っぷりを発揮するオリビアを横目に、アレンは寝転がったまま「リリア、メロン切ってー」とだらしない声を出す。
誰の血も流さず、圧倒的な財力とポイントの暴力で成し遂げた究極の平和。
かつて社畜として過労死寸前まで働かされていた前世の記憶を持つアレンにとって、この「何もしなくていい時間」こそが、何物にも代えがたい最高の報酬であった。
「……ん? そういえば」
アレンはふと思い立ち、空中に日課の『システムウィンドウ』を呼び出した。
イハカ連邦の解体や、インフラの独占特許、テーマパークの爆発的ヒットにより、連日恐ろしい勢いでカルマポイントが振り込まれているはずだ。最近は桁が多すぎて確認をサボっていたが、そろそろ何か面白い追加機能でも買おうかと考えたのだ。
「えーっと、現在の所持ポイントは……」
半透明のウィンドウに表示された数字を見て、アレンはポテトチップスを持つ手をピタリと止めた。
【所持カルマポイント:999,999,999,999,999,999……】
【※Error:表示上限を突破しました。カウンターがオーバーフローしています。】
「……カンスト(上限突破)しとる」
ポイントの表示が、枠をはみ出して画面の端でバグったように点滅している。
国家予算レベルどころではない。おそらく、この星をいくつか丸ごと買えるほどのポイントが蓄積されてしまったらしい。
さらに、点滅する数字の下には、これまで見たこともない真っ赤な封筒のアイコンが浮かんでいた。
【警告:『カルマの摂理』を著しく逸脱するエネルギー蓄積を検知。】
【システム・アップデートを実行します。――上位次元からのコンタクトを受信中……】
「んん? 上位次元? システムのアップデート?」
アレンが首を傾げたその時だった。
――ピキッ、ピキキキキキキキッ!!
突如として、ペントハウスの空間そのものに亀裂が入った。
ガラスが割れるような甲高い音と共に、何もない空中に「次元の裂け目」が出現する。
裂け目の奥から溢れ出したのは、息が詰まるほどの圧倒的な神聖力。
リリアがメロンを抱えたまま固まり、オリビアが即座にダンベルを構えて戦闘態勢に入る。爆睡していたシロでさえ、片目を開けて面倒くさそうに空中の裂け目を見上げた。
「な、なんですかアレン様! 空間が割れましたよ!?」
「何者だ! 我が大胸筋の盾を抜けられると思うな!」
激しい光の奔流と共に、次元の裂け目から『それ』は降臨した。
純白の法衣を纏い、背中には六枚の光り輝く翼。
透き通るような銀糸の髪に、感情を一切感じさせない冷徹な黄金の双眸。
それは、伝説や神話に語られる『天使』そのものの姿であった。
その身から放たれる威圧感は、かつてアレンがポイントの暴力で買収したイハカ連邦の最終兵器や、冷酷な軍事国家の総統すらも比較にならないほど強大で、周囲の空間そのものが『監査官』の存在を恐れて震えているようだった。
舞い降りた天使は、床に足をつけることなく空中に浮遊したまま、絶対的な上位者としての冷ややかな声で告げた。
『――見つけたぞ。特異点よ』
その声は、鼓膜ではなく脳内に直接響き渡るような、荘厳で重圧のある響きを持っていた。
『我は天界の監査官。神々の定めた世界の理を監視し、調和を保つ者。……まさか、下界のただの人間が、これほどまでに【業】の摂理を乱すとはな』
監査官は、虫けらを見るような目でアレンを見下ろした。
『武力で覇を唱えるならまだしも、貴様は【経済】という盤上の遊戯で、地上の理を完全に捻じ曲げた。貴様の蓄積したカルマは許容量を遥かに超え、天界と魔界のエネルギーバランスすらも崩壊させ始めている。神々のシステムを、これ以上勝手に弄ることは許さん。直ちにその不当な力を手放し、裁きを――』
「ん? なに、天界も経営難なの?」
『…………は?』
神々しい宣告の最中。
アレンは、クッションの上で寝転がったまま、指についたポテトチップスの塩をペロッと舐めながら口を開いた。
「いや、だって監査官とか言ってるけど、要するに俺のポイント稼ぎすぎが原因でそっちのシステムにバグが出たから、直接クレーム言いに来たんでしょ? 天界のシステム管理部も大変だね。人員不足? それともサーバーの老朽化?」
『き、貴様……我を何だと思っている! 我は神の代理人なるぞ!』
「まあまあ、そんなカリカリしないでさ。長旅で疲れたでしょ。とりあえず温泉でも入って落ち着きなよ。はい、これ、イハカ温泉第2テーマパークのVIPルーム無料宿泊チケット」
アレンは次元の裂け目から現れた神の使者に向かって、ペラッとした紙切れ(割引券)をポイッと投げ渡した。
『な……っ! 神聖なる我に向かって、下界の泥水(温泉)に浸かれなどと、愚弄するのも大概にしろ! 貴様のその傲慢な態度、今ここで神の雷霆をもって――』
監査官が怒りに顔を歪め、右手に破壊の光を収束させようとした、まさにその瞬間だった。
「むむむっ!」
突然、監査官の腰に下げられていた黄金のポーチが激しく揺れた。
中から飛び出してきたのは、ただの白い毛玉――シロであった。いつの間にか空中に跳躍し、監査官のポーチに頭を突っ込んでいたらしい。
『なっ!? この下等な獣、いつの間に我の結界を抜けて……離れろ! それは我ら神族しか口にすることを許されない、神聖なる【天界の果実】だぞ!』
シロは監査官の制止を完全に無視し、ポーチの中から黄金に輝く林檎のような果実を咥え出すと、「あむっ」と一口で丸飲みしてしまった。
そして「うぷっ」と小さくゲップをすると、満足そうに尻尾を振りながらアレンの元へトテトテと戻り、再びヘソ天になって寝始めた。
『あぁっ!? 神の果実が……千年の一度しか実らない奇跡の果実が、ただの犬に食われた!?』
「あー、ごめん。うちのシロ、食い意地張ってて。あとそれ犬じゃなくてフェンリルだから、お腹壊さないと思う。大丈夫」
『そういう問題ではないわッ!』
完全にペースを乱され、威厳の欠片もなくなった天界の監査官。
そこへ、さらに追い打ちをかけるように、分厚い書類の束を抱えたクロエが執務室から姿を現した。
「騒がしいですわね、アレン様。……おや、そちらの六枚羽が生えた方は、新規のクライアント様でしょうか?」
クロエは眼鏡をクイッと押し上げ、監査官を上から下まで、まるでオークションの出品物を値踏みするように舐め回した。
「なるほど、天界の存在ですか。アレン様、彼らの纏う神聖力は非常に純度が高く、魔導炉の代替エネルギーとして極めて高い市場価値がありますわ。羽を一枚毟るだけでも、小国が買えるほどの高値で取引されるでしょう。それに、『天界』という未開拓の不動産市場……。神々が住まう絶対安全領域となれば、超富裕層向けの分譲地として莫大な利益を生み出します」
『ふ、不動産……? 羽を毟る……だと?』
「はい。現在、我が『影の天秤』商会は、カンストしたカルマポイントを持て余しております。天界の土地の所有権、あるいは世界のシステム管理権そのものを、我が商会が【M&A(吸収合併)】することは可能でしょうか? まずは天界の財務諸表と、過去一万年分の決算報告書を今すぐ提出していただきたいのですが」
『か、神の領域を買収しようなどと、正気か貴様らァァァッ!?』
監査官は完全にキャパシティを超え、頭を抱えて絶叫した。
雷霆を下して屈服させるはずが、気付けば温泉のチケットを押し付けられ、ペットに貴重な供物を食われ、あろうことか冷徹な秘書に「天界の資産査定」まで始められている。
圧倒的な力を持つ神々の使者ですら、この『規格外の地下帝国』のマイペースな空気(と資本主義の暴力)には、完全に呑み込まれてしまっていた。
「まあ、そういうわけだからさ。アップデートの件は後でゆっくり聞くから、とりあえずそこのソファ座って、メロンでも食べなよ」
アレンは呑気に笑いながら、リリアが切り分けた世界樹メロンを一切れ、監査官に向かって差し出した。
緊迫感など微塵もない。
天界の使者であろうと、世界のシステムのバグであろうと、彼が求める「究極のスローライフ」を根本から揺るがすことはできないのだ。
『……っ、おのれ、特異点! この借りは必ず返すぞ! 天界の法廷にて、貴様らの横暴を必ずや――』
「あ、メロンいらない? じゃあ俺が食うわ」
『人の話を聞けェェェッ!!』
激怒した監査官の悲痛な絶叫が、ペントハウスに虚しく響き渡る。
かくして、一介の元村人による血を流さない国家買収劇は、ついに地上の枠を飛び越え、神々の領域(天界や魔界)のバランスすらも脅かす、新たなステージへと突入しようとしていた。
だが、どんなに世界規模――あるいは次元規模のトラブルが舞い込もうとも。
アレンと愉快な仲間たちの、マイペースで堕落した『ホワイト・スローライフ』が終わることはない。
なぜなら彼は、すべてを経済とポイントで解決し、世界の理すらも合法的に買収してしまう、無敵のアレンなのだから。
(イハカ連邦買収編 堂々完結。
――そして、神域M&A編へ続く!?)




