#31 国家買収完了。さよならブラック総統
イハカ連邦の首都『鉄鋼帝都イハカ』は、建国以来最大のパニックに陥っていた。
空を覆っていた重厚な排気ガスと軍事工場の黒煙は止まり、通りを行き交う魔導車両も動力を失って路肩に放置されている。
中央銀行の前に押し寄せた数万人の市民と兵士たちが、血走った目で硬く閉ざされたシャッターを叩き割ろうと暴動を起こしていた。
「開けろ! 俺たちの預金を引き出させろ!」
「イハカ・マーク(連邦通貨)が紙屑になったって本当か!? パンひとつ買うのに札束がトランク一杯必要なんだぞ!」
「軍の給料も未払いだ! このままじゃ家族が飢え死にする!」
怒号と悲鳴が飛び交う中、暴動を鎮圧するはずの治安維持部隊の姿はない。彼ら自身もまた、無価値となった紙幣の束を握りしめ、制服を脱ぎ捨てて逃亡してしまったからだ。
連邦の命脈であった軍需産業の株価は、一夜にして大暴落を記録。
国債の金利は天文学的な数字に跳ね上がり、連邦政府の信用は文字通り「ゼロ」となった。
完全なる国家破綻。
それは武力による侵略ではなく、緻密に計算された『経済の暴力』による、一国の静かなる死であった。
* * *
帝都の地下深くに建造された、極秘の軍事地下ドーム。
「……おのれ。おのれおのれおのれぇぇぇっ! たかが商人風情が、我が連邦の鉄の歴史を帳簿の上で消し去ろうなどと!」
連邦総統ガルバ・イハカは、血走った目を剥き出しにして、薄暗い地下通路を闊歩していた。
彼の背後には、連邦軍の中でも最強の戦闘力と絶対の忠誠心を持つ『総統直属・特務近衛隊』の兵士五十名が、無言で追従している。
ガルバの義眼が、憎悪で赤く発光していた。
軍隊が機能しなくとも、経済が崩壊しようとも、彼にはまだ「最後の一手」が残されていた。
地下ドームの最奥に鎮座する、全高百メートルに及ぶ漆黒の鋼鉄の巨人。
イハカ連邦が国家予算の半分を注ぎ込み、数万人のエルフから搾取した魔力を圧縮して作られた最終戦略魔導兵器『滅国巨神』である。
「経済で国を乗っ取ったつもりだろうが、甘いわ! あの旧王都ごと、忌まわしいアレンとかいう小僧をこの巨神の主砲で灰塵に帰してやる! すべてを焦土に変え、我らイハカが再び覇権を握るのだ!」
ガルバが狂気的な笑声を上げながら、巨神の起動コンソールへと歩み寄ろうとした、その時だった。
『ポロロロロン♪ ご来店、ありがとうございま〜す!』
薄暗く厳粛な地下ドームに、まるで大衆食堂の入り口のような、間の抜けた電子音が鳴り響いた。
「な、なんだッ!?」
ガルバと近衛兵たちが一斉に武器を構える。
巨神の足元に、突如として眩い光のゲート(※ポイントで購入したどこでも転送門)が出現したのだ。
光の中から現れたのは、場違いにもほどがある一行だった。
「うわ、地下ドームって湿気がすごいね。カビ臭いし、空調設備どうなってるの?」
首からタオルを下げ、温泉上がりのような浴衣姿でフルーツ牛乳の瓶を傾けている黒髪の青年――アレン。
「旧世代の魔導炉を無理やり稼働させていたせいで、排熱処理が追いついていないようですわ。後で我が商会の業者を入れて、全面リフォーム工事が必要ですわね」
その隣で、黒いタイトスーツに身を包んだクロエが、最新型のホログラム端末を操作しながら冷徹にメモを取っている。
「ふむ、これが連邦の切り札か! 的としてはデカすぎるが、私の大剣で両断できるか試してみたいものだな!」
スポーツウェア姿のオリビアが、巨神を見上げて好戦的な笑みを浮かべる。
「あ、アレン様……足元がぬかるんでいて……きゃあっ!?」
「キャンッ!?」
そして一行の最後尾では、ドレスの裾を踏んづけたセレスティアが見事にスッ転び、足元を歩いていたシロを巻き込んで泥水の中にダイブしていた。
シロは「解せぬ」という顔で泥まみれになり、ブルブルと身震いをしてセレスの顔に泥を飛ばし返している。
「き、貴様らぁっ!!」
緊迫感の欠片もないアレンたちの登場に、ガルバ総統は怒りで血管が爆発しそうなほど顔を真っ赤にした。
「よくもノコノコと我が直轄領の最深部へ現れたな! 自ら死にに来るとは愚かな商人どもめ! 近衛隊よ、奴らを蜂の巣にしろ! 一人残らず肉塊に変えてしまえぇぇっ!」
ガルバの絶叫が地下ドームに響き渡る。
しかし――。
チャキッ、と武器を構える音が響いた直後、銃口が向けられたのはアレンたちではなく、なんとガルバ総統自身の背中であった。
「…………は?」
ガルバが呆然と振り返る。
絶対の忠誠を誓っていたはずの特務近衛隊の隊長が、重々しい魔導ライフルをガルバの額に突きつけていた。
「な、何をしている貴様ら! 反逆か!? 私を誰だと――」
「申し訳ありません、元・総統閣下。我々はたった今をもって、イハカ連邦軍を除隊いたしました」
近衛隊長は、鉄仮面の下から申し訳なさそうな、しかしどこか晴れ晴れとした声で告げた。
そして、懐から一枚の分厚い『雇用契約書』を取り出した。
「実は昨日、こちらの『影の天秤』商会様から、再就職のスカウトを受けまして」
「……は?」
「給料は現在の三倍。さらに週休三日制で、残業代は全額支給。有給休暇の消化率は100%を保証され、年末には温泉リゾートへの慰安旅行まで付いているそうです」
隊長は真剣な声で語り続けた。
「私の妻は来月、二人目の子供を出産予定なのです。給料が未払いで、休みもなく、いつ命を落とすか分からないブラック国家のために戦うより……育児休暇が半年間も取れるホワイト企業に転職するのは、父親として当然の義務かと」
「「「我ら一同、アレン社長に一生ついていきます!!」」」
特務近衛隊の五十名が、アレンに向かって一斉に直角の美しいお辞儀(お辞儀の角度まで研修済み)をした。
「うんうん、家族は大事にしないとね。これからよろしく、みんな」
アレンがフルーツ牛乳を飲みながら呑気に手を振る。
「ば、馬鹿な……っ! 金だ! 金で私の最強の兵士たちを唆したというのか! 貴様らには軍人の誇りはないのかぁぁぁっ!」
「誇りで飯は食えませんし、オムツも買えませんので」
近衛隊長が冷酷に言い放つ。
「おのれぇぇぇっ! ならば私一人でも貴様らを消し去ってくれるわ!」
完全に狂乱したガルバは、懐から取り出したマスターキーを起動コンソールに叩き込み、メインレバーを力任せに引き下ろした。
「目覚めよ『滅国巨神』! その腹に溜め込んだ数万のエルフの魔力を解放し、すべての元凶を焼き尽くせぇぇぇっ!」
ガガガガガガガガガガガガッ!!
コンソールが激しく明滅し、百メートルの巨神の目元に禍々しい赤い光が灯る。
地下ドームが震え、莫大な魔力がチャージされ始めた――かに見えた。
――プシュー……ン。
次の瞬間、巨神の赤い光は蛍の光のように弱々しく明滅し、まるで電池の切れたオモチャのように、ガクンと首を垂れて完全に沈黙してしまった。
コンソールの画面には、赤い文字で大きくこう表示されていた。
『警告:魔力供給停止。未払い料金につき、インフラサービスを一時停止しております』
「……な、なんだこれは? 故障か!? なぜ動かんのだ!」
コンソールをバンバンと叩くガルバの背中に、クロエの冷ややかな声が突き刺さった。
「無駄ですわ、元・総統閣下。その兵器を動かすための『帝都魔力供給インフラ』を管理していた国営企業は、三日前に我が商会がM&A(吸収合併)いたしました」
クロエは眼鏡の奥で、氷のような鋭い光を放った。
「その兵器は、莫大な魔力を外部パイプから直接吸い上げる仕様のようですが……我が商会は、電気もガスも魔力も、『料金を滞納している顧客』には容赦なく供給をストップする方針なのです。イハカ連邦政府は、すでに我が商会に対する数千億の支払いを滞納しておりますので、当然の処置ですわね」
「ま、魔力の……電気を止められただと……!? 国家の最終兵器が、公共料金の未払いで動かないというのか!?」
「ええ。ついでに申し上げますと、その兵器のメンテナンスを請け負っていた下請けの整備ギルドもすべて買収済みです。万が一動いたとしても、三歩歩いた時点で膝の関節が外れるように『合法的な手抜き工事』を施してありますわ」
「……………………ッ!!」
資金力。情報力。そしてインフラの完全掌握。
ガルバ総統が絶対の自信を持っていた「軍事力」は、刃を交えることすらなく、完全に無力化されていたのだ。
膝から崩れ落ちるガルバ。
彼はもはや、一国の覇王ではなく、借金に首が回らなくなったただの哀れな老人であった。
「さてと、クロエ。残務処理は任せていい?」
アレンが空になったフルーツ牛乳の瓶をゴミ箱(ポイントで購入した自動分別機能付き)に放り投げながら言った。
「かしこまりました。イハカ連邦の国土、施設、技術、および全労働者は、本日をもって『影の天秤』商会、ひいてはアレン様の私有財産として登記が完了いたします」
クロエは優雅に一礼し、分厚いファイルの束をガルバの足元に叩き落とした。
「そしてこちらが、ガルバ氏個人に対する『戦争賠償金およびテーマパーク無断侵攻の慰謝料』、計二兆ポイントの請求書となります。自己破産は認めませんわよ?」
「に、にちょう……っ!?」
「心配しなくていいよ。ちゃんと働いて返せるように、君の新しい就職先も用意してあるから」
アレンがニッコリと、この世で最も恐ろしい悪魔のような笑みを浮かべた。
「イハカ連邦の跡地は、これから大自然を活かした『イハカ温泉&サファリリゾート(第2テーマパーク)』にリニューアルする予定なんだ。君にはそこで、一番人気のポジションを任せようと思う」
「な……なにをさせる気だ……!」
恐怖に顔を引き攣らせるガルバに、アレンは無慈悲な宣告を下した。
「灼熱の太陽の下で、一日十二時間、子供たちに風船を配る『着ぐるみマスコット』のアルバイトだよ。もちろん、着ぐるみの中にクーラーなんて軟弱な設備はないからね。せいぜい汗水流して、自分の犯した罪の重さと、労働の尊さを噛み締めてよ」
「ヒィィィッ!? わ、私は総統だぞ! あんな屈辱的なクマのぬいぐるみを着て、ガキどもの遊び相手になるなど――」
「連行しなさい」
クロエが冷たく指を鳴らすと、元・特務近衛隊の兵士たちが「社長の命令だ、立て!」とガルバの両脇を抱え上げ、強制的に連行していった。
地下ドームに、かつての覇王の情けない悲鳴が遠ざかっていく。
「あーあ、これでやっと静かになるね」
アレンは大きく背伸びをして、隣で泥だらけになっていたセレスにハンカチを差し出した。
「ほら、セレスさんも顔を拭いて。これで連邦に捕まってたエルフの人たちも、全員無事に帰れるからさ」
「あ、アレン様……っ!」
セレスは泥だらけの顔をくしゃくしゃにして、ポロポロと大粒の涙をこぼした。
「本当に、本当にありがとうございます……! 私、アレン様へのこのご恩は、一生……いえ、来世までかかってもお返ししますっ!」
「ははは、そんな大げさな。俺はただ、平和にスローライフを送りたかっただけだよ」
アレンが苦笑いしながらセレスの頭を撫でると、足元でブルブルと泥を払い落としたシロが「やれやれ」と鼻を鳴らした。
武力と恐怖で民を支配し、他国を侵略し続けてきたブラック軍事国家、イハカ連邦。
その歴史は、一人の規格外の元村人と、冷徹な元財務官による「完全経済買収」という形で、一滴の血も流れることなく幕を閉じた。
こうして、世界で最も平和で、最も破天荒な「究極のホワイト・リゾート国家」の第2支部が、誕生しようとしていたのである。




