#21 大家の取り立て〜玉座からの強制退去〜
かつて、大陸全土にその威容を誇った豪壮なる王城。
大理石の床は磨き抜かれ、壁には金銀の装飾が施され、夜であっても魔法石のシャンデリアが昼間のように城内を照らし出していた……というのは、数日前までの話である。
現在の王城は、まるで数百年放置された遺跡のように薄暗く、不気味な静寂に包まれていた。
金目のものは暴徒と化した近衛兵や使用人たちにすべて剥ぎ取られ、壁の絵画も、飾り鎧も、絨毯すらも無惨に引き剥がされている。
その最深部、今や魔法石の灯りも消え、窓から差し込む青白い月光だけが頼りの『王座の間』で、一人の男がガタガタと震えていた。
「ひぃっ……! 風の音か……!? 誰かおらんのか! 余を……偉大なる王を一人にするな!!」
薄汚れた下着姿の上に、かろうじて残っていた寝室の毛布を被った悪逆王である。
彼のもとに残っているのは、逃げ遅れて腰を抜かしている丸々と太った(今はすっかり痩せこけた)財務大臣ただ一人だけだった。
「へ、陛下……もうダメでございます……。城の警備兵は一人残らず逃げ出しました……。厨房にはパンの欠片すら残っておりません……」
「黙れ! 余は王だぞ! この国の絶対者だ!! 『影の天秤』とやらが何者かは知らんが、いざとなれば余のカリスマで民を動員し、必ずや逆襲して……っ!」
その時だった。
――コツン。コツン。
静まり返った王城の回廊に、複数の足音が響き渡った。
それは重武装の軍隊の行進音ではない。どこか余裕に満ちた、散歩でもしているかのような軽やかな足音だ。しかし、今の王にとっては死神の足音に等しかった。
「ひっ!? き、来た! 『影の天秤』の暗殺部隊だ! おい大臣、扉を押さえろ! 開けるな!!」
「む、無理でございますぅぅっ!」
逃げ惑う二人の目の前で、重厚な王座の間の両開き扉が、キィィィッと嫌な音を立ててゆっくりと開かれた。
月光を背にして現れたのは、四つのシルエット。
王は毛布を引き被り、悲鳴を上げながら玉座の裏に身を隠そうとした。
「いやぁ、ひどい有様だね。差し押さえた物件の視察に来てみたら、見事にスッカラカンじゃないか。これなら解体工事の手間が省けていいかもしれないけど」
「アレン様、壁の大理石まで乱暴に剥がされておりますわ。資産価値を著しく損ねる行為……後で修繕費を『滞納者』に請求しなくてはなりませんわね」
「ふむ。かつて私が守っていた城がここまで荒れ果てるとはな。だが、なぜだろう。不思議と悲しさは微塵も湧いてこないぞ」
「わぁ、お城の中って初めて来たけど、なんだか暗くてカビくさいねー。地下のラウンジの方が全然綺麗だよ!」
明るく、そして見覚えのある声。
暗殺者らしからぬその声の響きに、悪逆王は恐る恐る毛布の隙間から顔を出した。
そこに立っていたのは、見えない恐怖の大国でも、魔王軍の尖兵でもなかった。
「……お、お前たちは……」
王は信じられないものを見るように目を剥いた。
先頭に立っているのは、涼しげなカジュアルな装い(アレンがポイントで生成した最新の機能性リゾートウェア)に身を包んだ、平凡な黒髪の青年・アレン。
その隣で楽しそうに周囲を見回しているのは、辺境の村の娘・リリア。彼女が着ているフリル付きのワンピースは、王族のシルクすら霞むほどの滑らかさと光沢を放っている。
そして――。
「オ、オリビア……!? それに、クロエではないか!!」
王は弾かれたように立ち上がった。
かつて自分が追放した元・財務官僚のクロエは、黒を基調とした洗練されたタイトスーツに身を包み、知的な銀縁眼鏡の奥で冷ややかな視線を王に向けている。
行方を眩ませていた王国最強の近衛騎士団長・オリビアは、以前のような重苦しい甲冑ではなく、動きやすさを重視したスタイリッシュな軽装甲を身に纏い、その肌はかつてないほどの健康的なツヤと血色を帯びていた。
「なぜ……なぜ貴様らがここにいる!? オリビア! 貴様、騎士団を捨てて今までどこをほっつき歩いておったのだ! たった今より復職を命ずる! 即座にその不敬な村人どもを斬り捨て、余を安全な場所へ避難させよ!!」
王の身勝手極まりない命令が響き渡る。
しかし、オリビアは呆れたようにため息をつき、腰に帯びた超合金製の大剣の柄に手をかけた。
「相変わらず、自己中心的な物言いだな。私が忠誠を誓うのは、民の安寧を第一に考え、部下の健康と生活を保障してくれる真の主だけだ。兵士に雑草の浮いた塩水を飲ませ、不眠不休の労働を強いるような愚王に、二度と剣を捧げるつもりはない!」
「な、なんだと……!? 貴様、反逆する気か!」
「お黙りなさいな、不法占拠者」
オリビアの言葉を遮るように、クロエが一歩前に出た。
彼女は手にしたバインダーをパチンと弾き、極上の悪役令嬢スマイルを浮かべる。
「状況が全く理解できていないようですわね。貴方が怯えていた『影の天秤』……王国の物流を止め、市場を買い占め、ダミーミスリルで大溶鉱炉を爆破し、そして王国を合法的に乗っ取った闇商会の代表は……この私、クロエですわ」
「……は?」
王の顔から、スゥッと血の気が引いていく。
「そ、そんな馬鹿なことがあるか!! 貴様のような小娘一人に、国家を傾けるほどの財力があるわけが……!」
「ええ、私一人では無理でしたわ。ですが、私の後ろには、貴方がその身勝手な理不尽で怒らせた『最強の大家様』がいらっしゃいますの」
クロエが恭しく道を開けると、アレンが進み出た。
彼は手の中の羊皮紙――魔法契約によって絶対の効力を持つ『王城の権利書』をヒラヒラと揺らした。
「やあ、王様。久しぶりだね。あんたが『死の鉱山でミスリルを百トン掘れ』って命じた、辺境の村の村長……の代理人、アレンだ」
「む、村の……!? 馬鹿な! ただの薄汚い農民が、なぜ王城の権利書など持っている!?」
「あんたがくれたんだよ」
「何……?」
アレンは王を見据え、淡々と事実を告げた。
「あんたが俺たちに押し付けた『理不尽な命令』。一週間でミスリル百トンとか、そういう物理的に不可能なブラック労働の強要はね、俺の持つ特殊なシステムで莫大な『カルマポイント』っていう資産に変換されたんだ」
「か、かるま……?」
「そう。あんたが俺たちを苦しめようとして放った悪意が、そのまま五億とか十億っていう途方もない金に変わった。俺たちはただ、あんたからもらったその金を使って、自分たちの村の地下に快適なリゾート施設を作り、余った小銭でクロエに市場を操作してもらっただけだ」
アレンの言葉が、冷たい刃となって王の胸に突き刺さる。
「ダミーミスリルも、王国の国債も、すべて俺たちの資金でコントロールしていた。……つまり、この国を滅ぼしたのは、俺たちじゃない。あんた自身の『傲慢さ』だ」
「あ、あ、ああ……」
王の膝が震え、床に崩れ落ちた。
自分が無意識に放った理不尽な命令の数々が、巡り巡って己の首を絞める最強の武器として敵に塩を送っていたのだ。
その絶望的な事実に、王のちっぽけなプライドは完全に粉砕された。
「……説明は終わりましたわね。では、事務的な手続きに移らせていただきますわ」
クロエがバインダーから一枚の書類を取り出し、王の目の前に突きつけた。
「現在、この王城の土地、建物、および残されたすべての資産は、我が商会の完全所有物となっております。貴方は現在、他人の所有物件に『無断で居住』している状態ですわ」
「む、無断……」
「しかも、ここ数日間の家賃、ならびに先ほどの暴徒による物件破損の損害賠償……総額でざっと三億ゴールドほど、お支払いが滞っておりますわね。現金での一括返済は可能ですか?」
「さ、三億……!? そ、そんな大金、払えるわけがなかろう!」
「ですよね。では――」
クロエは冷徹な声で、決定的な引導を渡した。
「滞納および不法占拠を理由とし、強制退去を命じますわ。さあ、今すぐこの城から出て行きなさい」
「ふ、ふざけるな!! ここは余の城だ! 余が王だ!! こんな紙切れ一枚で、余が退去するなどと……!」
錯乱した王が、毛布を振り乱してアレンたちに掴みかかろうとした。
だが、その手が彼らに届くよりも早く。
「――無礼だぞ、不法占拠者」
ドンッ!! という鈍い衝撃音。
オリビアの放った鋭い前蹴りが、王の鳩尾にクリーンヒットした。
「グヴェェェッ!?」
カエルのような悲鳴を上げて、王の体が数メートル宙を舞い、玉座の裏側の壁に激突する。
手加減はされているものの、王国最強の騎士の蹴りである。王は白目を剥き、口から泡を吹いて完全に気絶した。
「ひぃぃぃぃぃぃっ!!」
それを見ていた財務大臣が、盛大にお漏らしをしながら土下座した。
「お、お許しをぉぉっ! 私は王に逆らえなかっただけで! これからは皆様に忠誠を誓いますぅぅっ!」
「裏切り者の官僚など、私の会社には不要ですわ。貴方はせいぜい、鉱山で下働きでもしてご自身の借金を返しなさいな」
「そんなぁぁぁっ!」
オリビアは気絶した王の襟首を片手で軽々と掴み上げると、まるでゴミ袋でも運ぶかのように引きずり始めた。
「アレン殿。この粗大ゴミは、王都の城門の外へ放り捨ててくればよいか?」
「うん、お願い。あ、一応、飢え死にしないようにパンの耳と水くらいは持たせてあげて。大家としての情けってやつで」
「承知した」
オリビアに引きずられていく王と、泣き叫びながらその後を這ってついていく財務大臣。
かつて数え切れないほどの民を苦しめてきた悪逆王の治世は、革命軍の刃でもなく、他国の侵略でもなく、「大家からの強制退去」というあまりにも情けない形で、永遠に幕を閉じたのであった。
* * *
「……終わったね。あっけないものだった」
アレンは大きく背伸びをして、もぬけの殻となった王座の間を見回した。
「これで、地上の面倒事はすべて片付きましたわ。あとはこの旧王都を、私たちが管理しやすいように再開発するだけですの」
クロエがバインダーを胸に抱き、ふっと肩の力を抜いて微笑む。
「ねえねえ、アレン!」
リリアがタタタッと駆け寄り、かつて王が座っていた豪奢な玉座にポンッと手を置いた。
「このお城、これからどうするの? すごく広いけど、暗くて怖いし、誰もいないからもったいないよ!」
「ああ、それなんだけどさ」
アレンはニヤリと笑い、クロエとリリアを見た。
「せっかく地上にこんなにデカい物件を手に入れたんだ。ただ放置しておくのはもったいない。だから、この城と王都全体を丸ごと改装して、誰もが遊べる『超巨大テーマパーク』に作り変えようと思ってるんだ」
「てーまぱーく?」
「そう。地下のリゾートだけじゃなくて、地上にも楽しい場所を作るんだよ。遊園地とか、巨大なショッピングモールとかね。もちろん、資金は腐るほどあるから、明日にでも工事を始められる」
「わぁあっ! それすっごく楽しそう! 私、お城の中庭をお菓子のお庭にしたいな!」
目をキラキラと輝かせて跳ね回るリリア。
「ふふっ、最高の経済対策になりますわね。圧政から解放された市民たちも、喜んでアレン様のテーマパークで働き、そして消費に回ることでしょう。これで私たちのスローライフは、より盤石なものになりますわ」
クロエもまた、計算高い笑みを浮かべながら同意した。
理不尽なデスゲームを強要してきた国家は消滅し、残されたのは無限の資金と広大な土地。
アレンたちの規格外な「遊び」は、いよいよ地下から地上へとその規模を拡大させようとしていた。
だが、彼らはまだ知らなかった。
旧王国の異常な崩壊と、突然の軍事力の空白が、隣接する強大な軍事国家『イハカ連邦』の野心を刺激し、新たな火種を生み出しつつあるということを――。
今はただ、完全勝利の余韻に浸りながら、アレンたちは次なる「楽しい計画」に向けて笑い合うのだった。




