#20 国家買収完了〜さあ、次は城を差し押さえよう〜
王都の象徴であり、数百年間にわたって絶対的な権力の府として君臨してきた王城。
その重厚な回廊には、かつての威厳や気品など微塵も残っていなかった。
「おい! その絵画は俺が先に見つけたんだぞ!」
「やかましい! 俺たちは三ヶ月も給料をもらってないんだ! これくらい持っていかないと干からびて死んじまう!」
廊下のあちこちで、鎧を脱ぎ捨てた近衛兵や給仕たちが、壁に飾られた高価な調度品や銀の食器を奪い合っていた。
崩壊は、内部から一瞬にして進んだ。
『王国破産』の報が駆け巡ると同時に、城を守るべき兵士たちの士気は完全にゼロとなり、暴徒と化した使用人や兵士による掠奪が始まったのだ。彼らにとって、すでにただの「巨大な箱」でしかない王城に留まる理由は存在しなかった。
そんな喧騒から隔離された、暗く静まり返る王座の間。
大溶鉱炉の爆破事故による泥をどうにか洗い流したものの、豪奢な衣装をすべて差し押さえられ、薄汚れた下着の上に毛布を一枚羽織っただけの悪逆王が、玉座の上で小さく丸まっていた。
「ひっ……! 誰だ! 誰かおらんのか! 余を守れ! 近衛騎士団は何をしている!!」
足音が聞こえるたびに、王はビクッと肩を震わせ、血走った目で周囲を警戒した。
玉座をはじめ、壁の飾られた歴代国王の肖像画、さらには王が座る足元の絨毯に至るまで、すべての調度品には『影の天秤・所有物』と記された赤く光る魔法の封印紙が貼り付けられている。
王の視界に入るすべてが、すでに彼の所有物ではなかった。
「へ、陛下……」
影からコソコソと姿を現したのは、全身を震わせた財務大臣だった。彼もまた、着慣れた高級な官服を剥ぎ取られ、貧相な姿晒している。
「大臣か! おい、影の天秤の正体は分かったのか!? 奴らはどこから来た! 東の隣国か!? それとも北の魔王国か!? 一体誰が、どんな軍勢を率いてこの余を追い詰めているのだ!!」
王は大臣の首元に掴みかかり、狂乱状態で叫んだ。
王にとって最大の恐怖は、財産の喪失でも国家の崩壊でもなかった。
自らを追い詰め、経済という見えない刃で王国の首を切り落とした『影の天秤』という存在の正体が、全く見えないことだった。
どれほど精鋭の密偵を放っても、返ってくるのは「街の一般店舗や農地の所有権が、いつの間にか『影の天秤』に書き換わっている」という結果のみ。姿なき巨大な怪物に、自分たちの足場をすべて喰い尽くされたような底知れぬ恐怖。
「わ、わかりません……! 影の天秤の代表者は、常に魔法の仮面と黒文でやり取りをしており、正体は一切不明です……! ですが、彼らが提示した最新の経済データによれば……」
大臣は震える手で、一枚の羊皮紙を差し出した。
「王国の主要農地の九割、鉱山の全権、関所の徴税権、主要銀行の株式……そして、この王都の土地権利に至るまで、全体の【八十二・四パーセント】がすでに『影の天秤』に買収されております……。さらに、王家が発行した国債のほぼ百パーセントが彼らの手に握られており……もはや我が国は、経済的に完全に彼らの『私有地』となっております……」
「は、八十パーセント以上だと……!? バカな……そんな莫大な資金が、一体どこから……!?」
王はがたがたと歯の根を鳴らし、床にへたり込んだ。
彼が死の鉱山へ追いやったあの「薄汚い辺境の村人たち」が、自分たちの無茶振りによって発生した膨大なカルマポイントを換金し、その豊富な資金力で王国をまるごと買い叩いたなどとは、王の貧困な想像力では死んでも思い至らない。
「くそっ……クソッ!! 見えない悪魔め! 姿を見せろ! 余と正面から戦えぇぇっ!!」
誰もいない王座の間に、暗闇への恐怖と絶望に満ちた王の虚しい叫びだけが、どこまでも響き渡っていた。
* * *
地上の王都が絶望と暗闇の底に沈んでいた、まさにその同じ時刻。
地上から遥か一千メートル下――アレンたちが暮らす地下帝国では、地上とは完全に隔離された「常夏の楽園」が広がっていた。
「うわああああっ! 海だ! 本物の海があるぞーっ!!」
「すごい! 地下なのに空が青いよ! 太陽が眩しい!」
広大な地下の大空洞に響き渡るのは、村人たちの地鳴りのような歓声だった。
アレンが「国家買収完了記念」として、溜まりに溜まったカルマポイントを一気に解放し、地下空間をまるごと『超大型メガリゾート』へと再開発したのだ。
《『超大型・常夏南国ビーチ&メガプールリゾート複合施設』を購入。消費ポイント:50,000,000 pt》
《現在のカルマポイント残高:653,648,000 pt》
視界いっぱいに広がるのは、どこまでも透明なエメラルドグリーンの人工海と、サラサラとした純白の砂浜。
天井に埋め込まれた高出力の疑似環境ホログラム装置が、心地よい南国の太陽光と、爽やかな潮風、そして時折流れる白い雲を完璧に再現している。
波の出るプール、滑走距離数百メートルを誇る超大型ウォータースライダー、色とりどりのトロピカルフルーツが実る果樹園、さらには冷えたお酒やジュースがいつでも飲み放題のビーチバーまで完備されていた。
「これ、本当に地下なの……? 夢みたい……!」
「見て見て! このお肉、柔らかくてすごーく美味しい!」
「波に揺られてるだけで、日頃のストレスが全部吹き飛んじゃうわぁ……」
ボロボロの服を脱ぎ捨て、アレンが用意した最新のデザイン水着に身を包んだ村人たちが、砂浜でビーチバレーを楽しんだり、浮き輪に乗ってプールに浮かんだりしながら、最高のバカンスを満喫している。
かつて王国の過酷な年貢に苦しみ、痩せこけていた農民たちの面影は、そこには一切なかった。
そんな賑やかなビーチから少し離れた、特別優先エリア(VIPコテージ)。
波打ち際に設置された白いパラソルの下で、アレンたちは贅沢な時間を過ごしていた。
「あははっ! アレン、みてみて〜! お魚さんが一緒に泳いでるよ〜!」
黄色いフリルがたっぷりついた可愛らしい水着を着たリリアが、アレン特製のドーナツ型浮き輪に胸を乗せ、足をバタバタさせながら波打ち際で遊んでいる。
水しぶきを浴びてキラキラと輝く彼女の笑顔は、まるで南国の妖精のようだった。
「リリア、あんまり遠くまで行っちゃダメだよー。足が届かなくなるからね」
ラッシュガードにハーフパンツ姿のアレンは、高級エアマットの上に寝そべり、サングラスを少しずらしながら優しく声をかけた。手には、ヤシの実を丸ごと使ったキンキンに冷えたトロピカルジュースが握られている。
「ふぅ……最高の心地よさですわね。適度な潮風と、波の音……ポテトチップスの塩気が、より一層引き立ちますわ」
その隣のビーチベッドで、黒のシックで大人っぽい水着に大きなサングラスをかけたクロエが、足を組んでくつろいでいた。
彼女の膝の上には、最新型の魔法情報端末(ポータブルノートPC風)が置かれている。片手でサクサクとした特大ポテトチップス(ガーリックバター味)を口に運びつつ、画面に表示される数値をチェックしていた。
「クロエ、せっかくのバカンスなんだから、仕事の画面は見なくてもいいんじゃない?」
「あら、アレン様。これは仕事ではなく『最高の娯楽』ですわよ」
クロエは悪役令嬢特有の妖艶な笑みを浮かべ、画面をアレンに見せた。そこには、王国経済のパイチャートが綺麗に描かれている。
「ご覧なさい。本日正午の時点で、王国の主要インフラおよび主要資産の【八十二・四パーセント】が、我が『影の天秤』の完全な管理下に置かれました。金融市場も完全に掌握。国債の買い占めも完了し、王国の財政権は一ミリ残らず私たちの手中にありますわ」
「へえ、八十二パーセントか。思ってたより早く買い占めが終わったね」
「ふふっ、悪逆王が自爆してくれたおかげですわ。ミスリルを担保にして無茶な借金をしてくれたものですから、差し押さえの契約が合法的に、かつ完璧に発動いたしましたの。今の王国は、実質的に『アレン様の個人所有地』と言っても過言ではありませんわね」
クロエはトロピカルカクテルのストローを啜り、満足そうに目を細めた。
「むぅ……これは、少々身体のラインが出すぎではないだろうか……?」
コテージの影から、もじもじとした様子で姿を現したのはオリビアだった。
彼女が身に着けているのは、運動性に優れつつも引き締まった腹筋と美しい脚線美を惜しげもなく晒す、濃紺のスポーツタイプ水着だった。
元・近衛騎士団長としての鍛え抜かれた無駄のない肉体美は、並のモデルすら霞むほどの神々しさを放っているが、当の本人は露出度の高さに顔を真っ赤にしていた。
「オリビアさん、すごく似合ってるよ! 健康美って感じでかっこいいじゃないか」
「あ、アレン殿にそう言われると……少々誇らしいような、恥ずかしいような……」
アレンの言葉に、照れくさそうに頬を染めるオリビア。
しかし、すぐに視線をビーチの奥にある「ある施設」へと向けた。
「ところでアレン殿! あそこにある、あの巨大なトカゲの滑り台のようなものは一体何だ!? 人が次々と高い所からチューブの中へ吸い込まれ、猛スピードで水の中に叩きつけられているぞ! あれは最新の拷問器具か何かか!?」
「あ、あれは『メガウォータースライダー』だよ。高い所から水と一緒に滑り降りるアトラクションさ」
「なんと……! あの落下の勢いと重力加速……! 滑り落ちる最中の体幹の維持、そして水面への着地時の受身……! あれは間違いなく、高度な空中戦の訓練施設だな!?」
「いや、ただ遊ぶための滑り台なんだけど……」
「よし、私も挑戦してくるぞ! 騎士たるもの、あの過酷な負荷に耐え切ってみせる!」
勘違いしたまま、やる気満々でスライダーの階段へと駆け出していくオリビア。
数分後、スライダーの出口から「ぬおぉぉぉっ! 素晴らしいG(重力)だぁぁっ!」という騎士団長の雄叫びとともに、綺麗に水面へ着水する彼女の姿が見えた。
「ふふっ、オリビアさんもすっかりこの地下帝国に馴染みましたわね」
クロエがくすりと笑う。
「そうだね。最初はみんなガチガチに緊張してたのに、今じゃすっかり打ち解けてくれて嬉しいよ」
アレンはエアマットの上で伸びをし、澄み切った地下の青空を見上げた。
理不尽な命令で村を追われ、ブラック労働を押し付けられそうになるたびに、ポイントに変換して地下を拡張してきた。
温泉を作り、フィットネスジムを作り、ボウリング場を作り、そしてついにはこの常夏の南国リゾートまで作ってしまった。
気づけば、自分たちを脅かそうとしていた愚かな国家そのものを、経済の力で丸ごと買い取っていたのだから、人生は何が起こるか分からない。
「さて……クロエ様」
クロエがノート端末を閉じ、パラソルの影からアレンを見つめた。その瞳には、知性と悪戯心が交錯する光が宿っている。
「王都の調査部隊からの報告によりますと、王城に居座っているあの悪逆王……未だに我が『影の天秤』の正体が分からず、見えない大国や魔王軍の影に怯えて、暗闇でガタガタと震えているそうですわ」
「へえ、相変わらずだね」
「ええ。自分がドロドロの泥を被せられ、国を失った原因が、自分が見下して殺そうとした『辺境の村人たち』であることなど、夢にも思っていないご様子です。……ですが、いつまでも我が家の土地に、家賃も払わずに不法占拠されているのも困りものになりましてよ?」
クロエは口元に指を当て、くすくすと上品に笑った。
「法律上、あの王城はすでにアレン様の所有物です。つまりあの王様は、ただの『家賃滞納中のたちの悪い居座り犯』に過ぎませんわ。そろそろ、大家としての『正式な手続き』を進めても宜しいのでは?」
「そうだね」
アレンはエアマットから体を起こし、サングラスを胸元に引っ掛けた。
波打ち際で楽しそうに遊ぶリリアと、スライダーから戻ってきて「アレン殿! あれは素晴らしい訓練になるぞ!」と目を輝かせるオリビアが、こちらへと歩み寄ってくる。
「散々、理不尽な無茶振りを突きつけてくれたお返しだ。……プールでひと泳ぎして喉を潤したら、いよいよ王城の『差し押さえ』を始めようか」
「「「異議なし(ですわ/だ!)」」」
澄み渡る南国の風と、寄せては返す心地よい波の音。
冷えたトロピカルジュースのグラスを掲げ、四人は爽やかにカチャンと音を立てて乾杯を交わした。
愚かな王の理不尽から始まった物語は、圧倒的なポイントの暴力と超快適なスローライフによって、国家そのものを呑み込むという前代未聞の結末を迎えた。
見えない敵に怯える悪逆王の元へ、真の大家(黒幕)たちが退去命令を手に立ち上がるその瞬間を前にして――
辺境の地下帝国には、今日も最高の笑顔と歓声がどこまでも響き渡っていたのだった。
(第2章 完)




