#19 王国の崩壊音〜借金まみれの王室〜
王都の空は、数ヶ月ぶりに祝祭の熱気に包まれていた。
飢えと疲労で暴動寸前だった市民や兵士たちに、王家の備蓄から大量の食糧と酒が振る舞われたからだ。
「見よ! これが余の力だ!」
王城のバルコニーから眼下を見下ろし、悪逆王はワイングラスを片手に高らかに笑い声を上げた。
彼の背後にある王座の間には、辺境の村から持ち帰られた『百トンのミスリル原石』が、山のように積まれている。
これだけのミスリルがあれば、最強の武具を量産して他国を威圧できるだけでなく、一部を売り払うだけで王国が抱える莫大な借金を一息に返済できる。そう確信した王は、すぐさま財務大臣を呼び寄せていた。
「おい、大臣。このミスリルを担保にして、裏商会『影の天秤』からありったけの金を借りてこい! まずは兵士たちに未払いだった給金を払い、盛大な宴を開くのだ。余の威光を再び国中に知らしめるためにな!」
「へ、陛下! しかし、まだその鉱石の価値が完全に証明されたわけでは……」
「馬鹿者が! 王宮の筆頭鑑定士が『間違いなく純度百パーセントのミスリル』だと太鼓判を押したのだぞ!? あの輝き、あの質量、あの魔力反射率……どう見ても本物だろうが! いいからさっさと金を引っ張ってこい!」
財務大臣は脂汗を拭いながら頷くしかなかった。
実際、王国の財政は今日明日の運営すら不可能なほどに焦げ付いていた。喉から手が出るほど現金が必要だった大臣は、王の命令通り、秘密裏に『影の天秤』の代理人と接触。
王宮に積まれた百トンのミスリルを「絶対の担保」として差し出し、王国の国家予算十年分にも匹敵する、途方もない額の超高金利ローンを組んでしまったのである。
借り入れた金で、王都には一時のバブルが訪れた。
しかしそれは、崩壊に向かうジェットコースターが、落下前に到達した最後の頂点に過ぎなかった。
* * *
翌日。王都の中心部に位置する『王立大溶鉱炉』。
国家の威信をかけた軍事プロジェクトのために建造されたこの巨大施設に、王国全土から招集された最高峰の鍛冶職人たちが集結していた。
「素晴らしい……。これほどまでのミスリル、わしの人生で拝める日が来るとは」
鍛冶ギルドの長老が、銀色に輝く拳大の原石を撫でながら感涙を流す。
見学用の上層バルコニーには、悪逆王をはじめとする政府高官たちがズラリと並び、世紀の瞬間に立ち会うべく固唾を呑んで見守っていた。
「さあ、始めよ! その奇跡の石を溶かし、我が王国の無敵の剣を鍛え上げるのだ!」
王の号令とともに、巨大な溶鉱炉に火魔法が注ぎ込まれる。
ゴォォォォッ! という轟音とともに、炉内の温度が急激に上昇していく。
ミスリルを融解させるためには、極めて高い温度が必要だ。温度計の代わりとなる魔力水晶が赤く染まり、炉内の温度を知らせる。
「温度、摂氏五百度!」
「まだまだ! もっと魔力を注ぎ込め!」
「摂氏七百度……突破しました!」
「よし、いよいよだ! 摂氏八百度到達……今だ、第一陣の原石十トンを炉に放り込めぇっ!」
職人たちが巨大な鉄のスコップを使い、銀色に輝く原石を次々と煮えたぎる炉の中へと投入していく。
バルコニーから身を乗り出した王は、勝利を確信した笑みを浮かべていた。伝説の金属が溶け出し、赤熱する美しい光景を想像しながら。
だが――異変は、原石が炉に放り込まれた直後に起きた。
「……ん? おい、原石の様子がおかしいぞ」
炉の中を覗き込んでいた職人の一人が、困惑の声を上げた。
超高温の炎に包まれたミスリル原石は、赤く発光して溶けるのではなく、なぜか表面から「ブクブク」と茶色い気泡を立て始めたのだ。
そして次の瞬間、硬い金属の結合が嘘のように崩壊し、原石はドロドロの液状へと変化した。
「な、なんだこれは!? 金属じゃない! ただの泥……いや、ヘドロだ!?」
「馬鹿な! 水分を含んだ泥を、この超高温の炉に入れるとどうなるか――退避ぃぃぃっ!!」
職人長が悲鳴を上げた時には、すでに手遅れだった。
摂氏八百度を超える超高温の密閉空間に、十トンもの「水分をたっぷり含んだ泥」が突如として発生したのである。
引き起こされたのは、極めて大規模な『水蒸気爆発』だった。
ズドガァァァァァァァンッ!!
王都全域を揺るがすような大爆発音とともに、強固な魔力障壁で守られていたはずの溶鉱炉の蓋が、飴細工のように吹き飛んだ。
そして、炉の内部から天高く噴き上がったのは、美しい火花ではなく――大量の「茶色い泥」だった。
「ひぃぃぃっ!?」
「べ、陛下! お逃げくだ――ブモァッ!?」
バルコニーにいた高官たちが悲鳴を上げる間もなく、間欠泉のように噴出した泥の雨が、彼らの頭上へと降り注いだ。
豪華な王の衣装も、大臣たちのシルクの服も、一瞬にしてドロドロの茶色に染まり上がる。
爆発の衝撃と泥の重みでバルコニーの屋根は崩落し、王立大溶鉱炉は文字通り「泥まみれの廃墟」と化した。
「ガハッ! ペッ! な、何だこの泥は……っ!」
全身泥だらけになった悪逆王が、目に入った泥を拭いながら絶叫する。
「ミスリルはどうした!? 余の最強の金属はどこへ消えた!!」
「へ、陛下……」
職人長が、腰を抜かしたまま震える指で廃墟を指差した。
残りの九十トンの原石が積まれていた保管庫にも火の粉が引火し、連鎖的に温度が上昇。
キラキラと輝いていた銀色の山は、プスプスと音を立てながら崩れ落ち、ただの巨大な泥の山へと変貌していくところだった。
(※ちなみに、アレンが手配したこの泥は最高級のエステ用泥パックであるため、王や職人たちの肌は爆発の熱傷を負うどころか、異常なほどツヤツヤのモチモチになっていたが、この非常事態においてそれに気づく者は誰もいなかった)
「う、嘘だ……偽物、だったというのか……? 王宮の鑑定士の目すら欺くほどの、精巧な偽造品……」
王は泥の海に膝から崩れ落ち、虚ろな目で呟いた。
「……あの村だ。あの薄汚い辺境の村人どもめ、余を謀りおったな!!」
怒りで顔を真っ赤(物理的には泥で真っ茶色)にした王は、立ち上がって狂ったようにわめき散らした。
「近衛騎士団を出撃させろ! あの村を今度こそ地図から消し去ってくれる! 女子供の一人たりとも生かしてはおかんぞ!!」
「お、お待ちください、陛下ァァァッ!!」
そこへ、先ほどまで別の場所にいた財務大臣が、顔面を蒼白にして転がり込んできた。
彼の血相の変わりようは、泥爆発の惨状を見た驚きとは別の、もっと根源的な恐怖によるものだった。
「なんだ! 貴様も泥を被りたいのか!」
「そ、それどころではございません! た、大変です! 先ほど『影の天秤』の代理人から、緊急の通達が参りまして……!」
「通達だと?」
「はい……っ。『担保として提示されたミスリル原石が、すべて無価値の泥であることが確認された。よって、事前の契約条項に基づき、貸付金の即時一括返済、および違約金として元本の五百パーセントを請求する』と……!」
王の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
担保価値がゼロになった以上、金貸しが資金の回収に走るのは当然の権利である。
しかし、借りた金はすでに数日間の宴と兵士への給料、そしてこの溶鉱炉の準備費用として完全に使い果たしてしまっていた。
「払えるわけがなかろう! ちょっと待てと言え! あの村を制圧して、本物のミスリルを隠し持っていないか吐かせるのが先だ!」
「ま、待ってはくれません! 契約書にはこうも記されております!『指定時刻までに返済が確認できない場合、担保に代わる王国の全資産――王家直轄領、国営鉱山、関所の徴税権、そして王城の所有権を、影の天秤が合法的に差し押さえる』と!!」
「なっ……」
「すでに、法務省と主要な貴族たちの間には根回しが終わっているようで、誰も陛下に味方する者はおりません! 我々は……王国は、完全に破産いたしました!!」
財務大臣の絶望の叫びが、泥まみれの廃墟に空しく響き渡る。
悪逆王は口をパクパクと開閉させたまま、一歩後ずさった。
軍隊を動かす金すらない。
王都の経済を握られている以上、兵士たちも給料を払えない王の命令など聞くはずがない。
最強の騎士団長は去り、国家の威信をかけた事業は泥に沈み、そして今、王が座る玉座すらも、見知らぬ闇商会の手に渡ってしまった。
王国の崩壊音は、大砲の轟音でも、反乱軍の雄叫びでもなかった。
それは、莫大な借金の契約書に押された、たった一つの判子の音だったのだ。
* * *
同刻。
辺境の村の地下深く、カルマポイントの暴力によって拡張され続ける超巨大地下帝国。
その一角に新設された、大理石とマホガニー材で作られた豪奢な執務室。
「ふふっ……ふふふふふっ! あはははははっ!!」
オーダーメイドの高級スーツ(※ポイントで購入)に身を包んだクロエが、執務机の上で一枚の羊皮紙を手に、腹を抱えて大爆笑していた。
普段のクールな元・財務官僚の面影は微塵もなく、悪役令嬢そのものの邪悪な笑い声が部屋中に響き渡っている。
「どうしたのクロエ。そんなに笑って、ポテトチップスが喉に詰まるよ?」
ソファでくつろぎながら、新作のVRゲームで遊んでいたアレンがゴーグルを外して首を傾げた。
その隣では、オリビアが熱心に腹筋ローラーを転がしている。
「アレン様! たった今、王都に潜ませている私の部下(※高給で雇い入れた元・同僚たち)から報告が入りましたわ!」
クロエは笑い涙を拭いながら、誇らしげに羊皮紙を掲げた。
「ダミーミスリルの爆発、大成功ですわ! 王城の溶鉱炉は完全にスクラップ、王様をはじめとする上層部は全員、最高級の美容泥パックまみれになったそうですの!」
「おお、それは良かった。で、肝心のお金の方は?」
「完璧です。担保の偽造を理由に、超絶ぼったくりの違約金を発動させました。当然、空っぽの国庫に払えるはずもなく、一時間前に王国は公式に債務不履行に陥りましたわ」
クロエは机の上に広げられた、王国全土の巨大な地図を指し示した。
その地図の実に八割以上の領域が、赤いインクで塗りつぶされている。
「現在、王国の主要産業、農地、流通網、そして『王城そのものの土地権利』に至るまで、すべて私たちが運営するダミー商会『影の天秤』の所有物となりました。法律上、あの国はもう私たちの私有地ですわ」
「へえ、すごいね。じゃあ、あの王様は今どういう状況なの?」
「端的に言えば、『私たちの持ち家(王城)に、家賃も払わずに不法占拠している哀れなホームレス』ですわね」
クロエの身も蓋もない例えに、腹筋ローラーを転がしていたオリビアが手を止めて吹き出した。
「くっ……ふふっ。一国の王を捕まえてホームレスとはな。しかし、剣を一度も交えることなく、経済の力だけで国を一つ乗っ取るとは。アレン殿の規格外の力と、クロエの悪魔的な頭脳が合わされば、世界征服すら三日で終わりそうだな」
「いやいや、世界征服なんて面倒くさいことしないよ。俺はただ、誰も俺の睡眠と余暇を邪魔しない、最高のスローライフを送りたいだけだからね」
アレンは笑いながら立ち上がり、冷えたコーラを一口飲んだ。
「でも、せっかく国を買収したんだ。このまま家賃を滞納している不法占拠者を放置しておくのも、大家として気分が悪いよね」
アレンの言葉に、クロエがニヤリと好戦的な笑みを浮かべる。
オリビアもまた、傍らに立てかけてあった愛用の大剣(※ポイントで強化済みの超合金製)を手に取り、嬉しそうに立ち上がった。
「では、いよいよ表舞台に立つ時が来ましたわね、大家様」
「ああ。王様には色々とお世話になったし……最後くらいは、俺たちから直接『退去勧告』を出しに行こうか」
圧倒的なポイントの力と、容赦のない経済封鎖。
見えない敵に怯え、自壊していった悪逆王の元へ、真の黒幕たちがついに姿を現そうとしていた。




