#2 ここは天国ですか?〜薄幸の幼馴染に『究極の贅沢』を与えてみた〜
広場には、ただ風の音だけが虚しく吹き抜けていた。
つい先ほどまで威張り散らしていた徴税官ガーリックと、その護衛の屈強な兵士たち。彼らが泥まみれになりながら悲鳴を上げて逃げ去った後には、重い静寂と、呆然と立ち尽くす村人たちだけが残されていた。
「ア、アレン……今のは、一体……」
額から血を流した村長が、震える声で尋ねてくる。無理もない。ただの痩せこけた村の少年が、目に見えない力で王国兵たちを一網打尽にしたのだから。
「村長、詳しい話は後です。もし王都の連中が戻ってきても、『突然見えない魔物に襲われた』とだけ言っておいてください。……リリア、こっちへ」
「あ、うん……」
俺はまだ状況を呑み込めていないリリアの手を引き、広場から歩き出した。
村人たちの戸惑う視線を背に受けながら、村の端にある干からびた古井戸へと向かう。
冷たい風が容赦なく吹き付け、リリアの細い肩がビクッと震えた。
繋いだ彼女の手は氷のように冷たく、ツギハギだらけの麻布の服からは、白く細い素足が覗いている。粗末な藁靴すら履いていないその足には、無数のすり傷とあかぎれができ、うっすらと血が滲んでいた。
数時間前まで、彼女はこの村のために娼館へ売られようとしていたのだ。その恐怖と絶望、そして長年の極貧生活が、わずか十五歳の少女の身体をここまで痛めつけている。
(……ふざけやがって)
胸の奥で再び黒い怒りが湧き上がるのを感じながら、俺は古井戸の前に立ち止まった。
数年前から完全に枯れ果て、今は誰も近寄らない石積みの井戸。ここなら、村の誰の目にも触れない。
「アレン? ここは……」
「リリア、驚かないで聞いてくれ。俺はさっき、不思議な力を手に入れたんだ。この理不尽な国から奪われたものを、何百倍にもして取り返せる力を」
俺は虚空を見つめ、念じるようにシステムウィンドウを呼び出した。
《カルマポイント残高:9,900,000 pt》
《『地下空間拡張(レベル1)』を購入しますか?》
迷わず『はい』を選択する。
《100,000 ptを消費しました。拠点を構築します。残高:9,800,000 pt》
音も、振動もなかった。
だが、枯れ井戸の底にあったはずの土砂が波紋のように揺らぎ、そこへ続く美しく滑らかな石造りの螺旋階段がふっと浮かび上がったのだ。
「え……? 階段……? いつからこんなものが……」
「行こう、リリア」
俺は目を丸くするリリアの手を引き、ゆっくりと階段を下りていく。
十段、二十段と下るにつれて、肌を刺すような地上の冷たい風がピタリと止んだ。代わりに、ふわりとした暖かく清浄な空気が下から流れ込んでくる。
階段の先に重厚な木製の扉が現れた。
真鍮のドアノブを回して扉を開けると、そこには――この異世界には到底存在し得ない、異質な空間が広がっていた。
「…………えっ?」
リリアが息を呑み、その場に釘付けになる。
広さおよそ五十平米。現代日本の高級ホテルのスイートルームをそのまま切り取ってきたかのような、完璧な一室だった。
足元にはふかふかの毛足の長い絨毯が敷き詰められ、壁は汚れ一つない純白。天井からは柔らかなオレンジ色の間接照明が部屋全体を暖かく照らし、空調設備からは設定温度二十五度の、春の陽だまりのような微風が吹き出している。
部屋の中央には、大人三人が寝転がっても余るほどの巨大なキングサイズのベッドが鎮座し、その脇には磨き上げられたガラステーブルと、沈み込むような革張りのソファが置かれていた。
「ア、アレン……? ここは……お城? それとも、私たち、兵士さんに殺されて天国に来ちゃったの……?」
リリアは怯えたように俺の背中に隠れ、泥だらけの自分の足元と、真っ白な絨毯を交互に見比べた。
「だ、だめだよアレン! こんな綺麗な床、私みたいな汚い娘が歩いたら、神様に怒られちゃう……!」
「怒らないさ。ここは俺たちの場所だ。俺がお前のために作った、俺たちだけの拠点なんだから」
俺は躊躇うリリアを抱き上げ、強引に部屋の中へと足を踏み入れた。
靴を脱ぎ、ふかふかの絨毯の上に彼女を下ろす。
「ひゃっ……! や、柔らかい……床が、ふかふかしてる……」
絨毯の感触に驚き、リリアがしゃがみ込んで何度も足元を撫でる。
だが、その手もまた、泥と土埃で真っ黒に汚れていた。彼女はハッとして手を引っ込め、恥ずかしそうに身を縮めた。
「ご、ごめんなさい……やっぱり私、汚いよ。せっかくの綺麗なお部屋を汚しちゃう」
「気にするな。……と言っても、落ち着かないよな。よし、まずはその泥を落とそう」
俺は再びシステムを開き、追加でポイントを消費した。
《『最新式・全自動スパ施設』をインストールしました。消費ポイント:500,000 pt》
《残高:9,300,000 pt》
部屋の奥に現れたガラス張りの扉を開けると、そこは広々としたバスルームになっていた。
大理石の床に、大人数人が入れるほどの真っ白なバスタブ。現代のシステムバスをさらに魔法で進化させたような空間だ。
「ここは『お風呂』だ。王族が浴びる水浴びなんかより、ずっと気持ちいいぞ。使い方がわからなくても大丈夫だ、中に入れば全部自動でやってくれる」
「お、おふろ……?」
「俺は外で待ってるから、服を脱いで入っておいで」
俺は戸惑うリリアをバスルームに押し込み、扉を閉めた。
しばらくすると、中から「ひゃあっ!?」という可愛らしい悲鳴と、続いて「あたたかい……」といううっとりとした吐息が漏れ聞こえてきた。
全自動スパは、入居者の生体情報をスキャンし、最適な温度のシャワーと、肌に優しい極上の泡で全身を洗い上げてくれる。冬場の氷のような水でしか顔を洗ったことのない彼女にとって、それは文字通り天国のような体験だろう。
(さて、着替えも用意しないとな)
ボロボロの麻袋を再び着せるわけにはいかない。
俺はアイテム生成メニューを開き、リリアに似合いそうな服を検索した。
選んだのは、淡いピンクと白のボーダー柄をした、もこもこのルームウェア。現代日本で言うところの『ジェラピケ』風の、見るからに柔らかく暖かそうな生地の服だ。
十五分後。
「あ、あの……アレン……」
ガラス戸が細く開き、湯気をまとったリリアが恐る恐る顔を出した。
その姿を見て、俺は思わず息を呑んだ。
泥と埃にまみれていたアッシュブロンドの髪は、天使の輪ができるほどツヤツヤに輝き、肩口でふわりと揺れている。荒れていた肌はスパの魔法効果で透き通るような白さを取り戻し、ほんのりと桜色に上気していた。
少しオーバーサイズのもこもこウェアに包まれた彼女は、まるで大切に育てられた深窓の令嬢か、絵本から抜け出した妖精のように可憐だった。
洗いたてのフローラルソープの甘い香りが、部屋の中にふわりと漂う。
「ど、どうかな……? 変じゃない……?」
「……いや、めちゃくちゃ可愛い。すごく似合ってるよ」
「っ〜〜〜!」
俺が素直に褒めると、リリアは顔を真っ赤にして、もこもこの袖で顔を隠してしまった。
「さあ、サッパリしたところでお待ちかねの食事にしよう」
俺が指を鳴らすと、ガラステーブルの上に生成されたばかりの料理が次々と並べられた。
「わぁ……っ!」
リリアの瞳が、限界まで見開かれる。
テーブルの中央に置かれた籠には、焼き立てで湯気を立てる、純白の丸パンが山のように積まれている。
その隣には、とろけるような黄金色のコーンポタージュスープが入った大きなボウル。さらに、こんがりと焼き色のついた厚切りのベーコンと、ふわふわのスクランブルエッグ。
この村の住人が一生かかってもお目にかかれない、極上の朝食(時間はすでに夜だが)のフルコースだ。
「た、食べていいの……? これ、全部……?」
「ああ。全部リリアのものだ。好きなだけ食べていい」
俺に促され、リリアは震える手で白いパンを一つ手に取った。
指が沈み込むほどの柔らかさに、彼女はビクッと肩を揺らす。いつも食べている黒パンは、石で叩き割らなければならないほど硬いのだ。こんなに柔らかい食べ物がこの世に存在するなんて、彼女は知らなかっただろう。
リリアは小さな口を開け、白いパンをそっと齧った。
「――――あ」
その瞬間、リリアの目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「おい、どうした? 熱かったか?」
「ううん……違うの……っ」
リリアは首を横に振りながら、パンを両手で包み込むように持ち、ポロポロと涙を流し続けた。
「甘い……。パンが、ふわふわで……噛むと、お日様みたいな味がして……すごく、甘いの……」
次に彼女は、スプーンで黄金色のコーンスープを掬い、口に運んだ。
濃厚なバターと生クリームのコク、そしてトウモロコシの優しい甘さが口いっぱいに広がる。
「美味しい……こんな美味しいもの、夢みたい……っ。私、本当に死んじゃって、天国に来たみたい……」
彼女は泣きながら、それでも食べる手を止めなかった。
一口食べるごとに、彼女の身体に染み付いていた絶望と飢えの記憶が、温かい幸福へと塗り替えられていく。
今まで自分の分を我慢して、不味い黒パンの欠片を俺に差し出し続けてくれた、優しくて不器用な幼馴染。彼女がこんなに幸せそうに、涙を流しながら食事をしてくれている。
その姿を見ているだけで、俺はこのチート能力を手に入れて本当に良かったと、心の底から思えた。
「夢じゃないさ。これからは毎日、こんな風に腹いっぱい食べられる。絶対にだ」
「アレン……っ、ありがとう……本当に、ありがとう……!」
パンを三つとスープを二杯、さらにベーコンまで平らげたリリアは、すっかり満腹になったのか、ソファの上でとろんとした目をしていた。
温かい風呂と美味しい食事。極限の緊張状態から解放された彼女の身体に、強烈な睡魔が襲いかかっているのは明らかだった。
「リリア、ベッドに行こう。今日はもう寝るんだ」
「う、うん……」
俺はふらつく彼女の肩を支え、部屋の中央にあるキングサイズのベッドへと導いた。
最高級のスプリングと、シルクのように滑らかなシーツ、そして羽毛をたっぷりと詰め込んだ掛け布団。
リリアがその上に身を横たえた瞬間、彼女の身体はふんわりとマットレスに沈み込んだ。
「あ……ふふっ」
「どうした?」
「まるで、雲の上に寝転がってるみたい……柔らかくて、あたたかい……」
リリアは幸せそうに微笑みながら、毛布に顔をすりすりとおしつける。
そして、ベッドの端に腰掛けた俺の手を、小さな両手でぎゅっと握りしめた。
「アレンの手、すごくあたたかい……。私、明日目が覚めても……ここにいていいの……?」
「ああ。ずっと一緒だ。俺がお前を、誰にも文句を言わせないくらい幸せにしてやる」
「えへへ……嬉しいな……おやすみ、なさい……アレン……」
すうっ、すうっ……。
数秒も経たないうちに、リリアは穏やかな寝息を立て始めた。
繋いだ手から伝わってくる彼女の体温と、安心しきったその寝顔を見つめながら、俺は静かに決意を固める。
地上は、悪逆王が支配する地獄のままでいい。
あいつらが俺たちから不当に搾取しようとするほど、俺には莫大なエネルギーが供給されるのだから。
地上では徹底的に悲惨な弱者を演じて王国の目を欺き、その裏で、この地下に世界を裏から支配する無敵の帝国を築き上げてやる。
「ゆっくり休め、リリア。明日から、もっと忙しくなるぞ」
俺は彼女のサラサラの髪を優しく撫でると、空中に浮かぶシステムウィンドウへと再び向き直った。
手元に残された九百三十万ポイント。
王国経済を乗っ取るための、痛快極まりない下克上が、今ここから本格的に幕を開ける。




