#15 王国の兵站、完全掌握〜騎士団には草を、我らにはビュッフェを〜
どんっ、と乱暴な音を立てて、木製の器が長机の上に置かれた。
王都の中心にそびえ立つ王城。その一角にある近衛騎士団の食堂は、まるでお通夜のような重苦しい空気に包まれていた。かつては王国の精鋭たちが武勲を語り合い、豪快に肉を食らい酒を煽っていた活気ある場所だったが、今やその面影は微塵もない。
「……おい。なんだ、これは」
長机の端に座っていた第三部隊の小隊長が、目の前に置かれた器を覗き込み、虚ろな声で呟いた。
器の中に入っているのは、水のようにシャバシャバとした濁った灰色の液体。その底に数粒の麦が沈んでおり、表面には見慣れない緑色の葉っぱが数枚、所在なげに浮いていた。
「本日の夕食です、隊長」
配膳を担当した若い兵士が、泣きそうな顔で答える。
「夕食だと……? ただの塩水に、その辺の草を浮かべただけではないか! パンは? 肉はどこへ行った! 我々は王を守護する近衛だぞ!」
「そ、それが……厨房の備蓄が完全に底を突いたそうで。市場に行っても小麦の一粒すら手に入らず、肉や野菜の流通も完全にストップしていると……。先ほど浮いていた葉っぱは、中庭の隅に生えていたスギナだそうです……」
「馬鹿な……っ!」
小隊長は頭を抱えた。
ここ数日、王都は未曾有の混乱の渦中にあった。王国最強の剣士であり、皆の精神的支柱であったオリビア・ヴァルハイト騎士団長の突然の失踪。悪逆王は狂乱し、「地の底まで探して連れ戻せ!」と騎士団に八つ当たり気味の厳命を下した。
しかし、いざ捜索隊を編成し、辺境へ向けて出立しようとした矢先、信じられない事態が発覚したのだ。
軍事物資が、一切届かない。
馬の飼葉すら事欠く有様で、遠征など不可能。それどころか、王都に駐留する兵士たちの日々の食事すら確保できない異常事態に陥っていた。
「団長が消え、飯も食えず、王からは理不尽な罵声ばかり……。もう限界だ。いっそ、剣を捨てて田舎に帰りたい……」
「俺はさっき、空腹のあまり革のブーツを煮込もうかと考えましたよ……」
薄い塩味の麦粥(と呼ぶのもおこがましい何か)を啜りながら、王国の精鋭たちは絶望の底に沈んでいた。彼らの士気は、すでにマイナスを振り切っている。
* * *
「ふっ! はっ! せやぁぁぁっ!」
キュッ、キュッという小気味よいスキール音が、広々とした空間に響き渡る。
王都の兵士たちが飢えと疲労でブーツを煮込もうかと思案しているちょうどその頃。
オリビア・ヴァルハイトは、アレンのポイントによって構築された地下施設の『完全防音・最新鋭AIパーソナルジム』にて、心地よい汗を流していた。
「素晴らしい……! 床の素材が足首への負担を完全に吸収してくれるうえに、この『空調システム』が常に最適な室温と湿度を保ってくれる! 甲冑を着込んで泥だらけの演習場で走り回っていたあの無駄な時間は、一体何だったのだ!」
彼女が着用しているのは、速乾性と伸縮性に優れたハイテク素材のスポーツウェア。かつて身体を締め付けていた重厚な金属鎧とは対極にある、己の肉体を極限まで美しく、そして効率的に鍛え上げるための装備だ。
目の前の壁面ディスプレイには、爽やかな森林のリゾート地の映像が映し出され、マイナスイオンを含む微風が頬を撫でる。
約一時間の有酸素運動と、AIによる綿密なフォーム指導付きのウェイトトレーニングを終えたオリビアは、備え付けのタオルで汗を拭い、満足げなため息をついた。
「ふぅ……良い汗をかいた。任務としての過酷な訓練ではなく、純粋に己の健康と向き合うための運動……。なんと贅沢な時間なのだ。さて、プロテインを飲んでラウンジへ向かうとするか」
完全に『美と健康を追求するフィットネス女子(無職)』へとジョブチェンジを果たしたオリビアは、軽やかな足取りでシャワールームへと向かった。
* * *
一方、ラウンジでは、巨大なホログラムディスプレイ群に囲まれたクロエが、特大サイズのコーラを片手にキーボードを叩きまくっていた。
彼女の目つきは、かつて王国の財政を牛耳っていた冷徹な官僚のものだ。ただし、着ている服は相変わらずだるだるのオーバーサイズジャージであり、傍らには食べかけのポテトチップスの袋が転がっている。
「ふふふ……あっけなさすぎますわね。チェックメイト、ですわ」
エンターキーをターンッ! と心地よく叩き、クロエはソファの背もたれに深く体重を預けた。
シャワーを浴び終え、濡れた髪をタオルで拭きながらラウンジにやってきたオリビアが、興味深そうにディスプレイを覗き込む。
「随分と機嫌がいいな、クロエ。工作の進捗はどうだ?」
「あら、オリビアさん。お疲れ様ですわ。ええ、完璧です。あなたが提供してくれた『王国の暗部情報』のおかげで、予定よりも遥かに早く、そして致命的な打撃を与えることができましたわ」
クロエはディスプレイの一つのグラフを指差した。
「ご覧なさい。これが現在の王都の食糧備蓄量を示す推移グラフです。見事なまでの右肩下がり、もはや底辺を這いずり回っていますわ」
「……見事だな。だが、具体的にどうやったのだ? いくら悪政とはいえ、国中の物資の流通を止めるなど容易ではないはずだが」
「簡単なことですわ。オリビアさんの情報で、西部の穀倉地帯から兵糧を運ぶ『グリフィス商会』の会頭が、重度の脱税と違法カジノ通いをしていることが判明しましたでしょう?」
「ああ。私が直々に内偵を進めていた案件だからな。忙しすぎて摘発する暇がなかったが」
「私はかつてのコネクションと、ちょっとした『偽造文書』を駆使して、その会頭に接触しました。そして、『脱税の証拠を握っている。王家にバラされたくなければ、兵糧の納入先を、私が指定するダミー商会の倉庫へ変更しなさい。もちろん、王国が提示する金額の倍の価格で買い取ってあげますわよ』と囁いただけです」
クロエは悪びれる様子もなく、ポテトチップスを一枚かじった。
「会頭からすれば、破滅を免れるどころか大儲けできる話。二つ返事で了承しましたわ。王国側には『盗賊団の襲撃に遭って馬車が全焼した』とでも虚偽の報告をさせています。もちろん、他の輸送ルートに関しても、関所の役人の弱みにつけ込み、帳簿を改ざんさせて物理的に流通を遮断しました」
「なるほど……。王国は空っぽの倉庫に予算を支払い続け、実際の物資はすべてお前が用意した隠し倉庫に吸い込まれているというわけか」
オリビアは感嘆の息を漏らした。
騎士としての正面突破しか知らなかった彼女にとって、ペンと帳簿だけで国の首根っこを締め上げるクロエの手腕は、ある種の芸術のようにすら見えた。
「これで、王国の兵站は完全に崩壊しましたわ。腹が減っては戦はできぬ。悪逆王がいかにわめこうとも、兵士たちは立ち上がる力すら残っていないはず。この辺境の村へ捜索隊を派遣するなど、夢のまた夢ですわね」
「素晴らしい手際だ、クロエ。これで我々の『健康的なスローライフ』は守られたというわけだな」
元・近衛騎士団長と元・財務官僚。
かつて国を支えた最強の盾と最高の頭脳は、今や完全に結託し、祖国を内側から干上がらせる最凶のテロリストコンビと化していた。
「おーい、二人ともお疲れ様ー!」
そこに、呑気な声を上げながらアレンとリリアがやってきた。
「アレン殿。報告します。王国軍の機能は事実上停止しました。当分の間、我々の平穏が脅かされることはありません」
「オリビアさんの情報と私の経済工作の賜物ですわ。ふふん、もっと褒めてもよろしくてよ?」
得意げに胸を張る二人に、アレンはニコニコと頷いた。
「うんうん、本当に助かるよ。俺、面倒な交渉とか戦闘とか嫌いだからさ。二人とも、この地下での生活を守るために頑張ってくれたんだね」
(注:二人は自分の安寧と欲望のために国を売っただけである)
「というわけで、今日は二人の慰労会をしようと思ってさ。豪華な食事を用意したよ」
アレンは虚空に向かって指を走らせた。
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直後、ラウンジの奥の壁がスライドして開き、隠されていた巨大なダイニングルームが姿を現した。
「なっ……!?」
「これは……凄まじいですわね……」
オリビアとクロエは、目の前の光景に言葉を失った。
天井には煌びやかなクリスタルのシャンデリアが輝き、大理石の長いカウンターには、無数の銀のドーム型カバーがズラリと並んでいる。中央には氷の彫刻が飾られ、周囲には色鮮やかな花々が添えられていた。
アレンがパチン、と指を鳴らすと、銀のカバーが一斉に開き、中から湯気とともに極上の香りが溢れ出した。
「さあ、好きなものを好きなだけ食べていいよ!」
「わぁぁぁっ! お肉の山だぁ!」
一番に飛びついていったのは、村娘のリリアだ。彼女は自分の顔より大きいのではないかという漫画のような骨付き肉を皿に山盛りにし、さらにローストターキー、特大のエビフライ、そして全種類のケーキを器用に積み上げている。
「はっ……! こ、これは、王都でもごく一部の貴族しか口にできないと噂される『幻の霜降り牛』の分厚いステーキ! それに、このとろけるようなチーズの海は一体……!?」
クロエも目を輝かせ、トングを握りしめた。
彼女の皿に盛られていくのは、見事なまでに茶色と黄色の食べ物ばかりだ。肉汁滴るローストビーフ、こってりとしたミートソースのラザニア、山盛りのフライドポテト、そしてチーズがこれでもかと乗ったピザ。
「クロエ! それでは栄養が偏るぞ! もっと野菜も食べなさい!」
オリビアが横から小言を言いながら、自身の皿を彩っていく。
フィットネス帰りの彼女が選んだのは、色鮮やかな有機野菜のサラダバーから厳選したアボカドとトマト、高タンパク・低脂質な鶏胸肉のハーブロースト、そして新鮮なサーモンのカルパッチョだ。仕上げにキヌアと豆のスープを添え、完璧なPFC(タンパク質・脂質・炭水化物)バランスを実現している。
「うるさいですわね。せっかくの食べ放題ビュッフェで草を食うなんて、人生の損失ですわ。カロリーこそが至高。ジャンクこそが正義です!」
「何を言うか! せっかくこの地下で最高の肉体を取り戻したのだ。食べたもので身体は作られるという基本を忘れるな!」
口喧嘩をしながらも、二人の顔は満面の笑みに彩られていた。
王都の兵士たちが空腹のあまりスギナ入りの塩水を啜り、ブーツを煮込むか本気で悩んでいるその瞬間。
彼らがかつて忠誠を誓い、命を懸けて守ろうとした上官たちは、空調の効いた完璧な環境で、五つ星ホテル顔負けの豪華な食事を腹の底から堪能していたのである。
「うん、美味しいねー」
アレンは一口サイズのサンドイッチと温かいスープを味わいながら、賑やかな食卓を眺めて微笑んだ。
王国の滅亡は、おそらく彼らが思っているよりも早く、そして静かに進行している。しかし、この地下帝国にはそんな地上の喧騒など一切届かない。
芳醇な赤ワインのグラスを掲げるオリビアと、特大のコーラで乾杯するクロエ。
華麗なる転職(ニート化)を果たしたエリートたちの宴は、夜遅くまで続くのだった。




