#12 最強の侵入者〜すれ違う殺意と温泉への誘い〜
星明かりすら雲に遮られた、漆黒の夜。
王都から遠く離れた辺境に位置するその貧困村は、まるで死に絶えたかのような静寂に包まれていた。朽ちかけた家屋、荒れ果てた畑、そして人の気配すら希薄な冷たい風。しかし、その静寂の裏側で蠢く異常な気配を、彼女の鋭敏な感覚は決して見逃していなかった。
「……間違いない。この村の地下から、尋常ではない魔力反応が漏れ出している」
暗闇の中に佇む人影――王国最強と謳われる近衛騎士団長、オリビア・ヴァルハイト。
金色の髪を夜風に揺らしながら、彼女は鋭い眼光で村の中心部を睨みつけていた。彼女がわざわざ単独でこのような辺境まで足を運んだのには理由がある。ここ数週間、王都周辺で噂されていた「謎の巨大裏商会」の拠点と目される場所が、この最果ての貧困村の周辺にあるという情報を掴んだのだ。
漏れ出す魔力の質は、ひどく濃厚で温かい。だが、それがかえって不気味だった。これほどの魔力を隠蔽もせずに垂れ流すなど、常軌を逸している。国家の転覆を企む狂信者の集団か、あるいは古代の邪竜でも封印されているのか。
「はぁ……」
オリビアは小さく溜息をつき、首をコキリと鳴らした。
その瞬間、首筋から右肩にかけて、鉛を埋め込まれたような重苦しい痛みが走る。
「……また、凝ってきたわね」
無理もない。ここ数ヶ月、彼女は睡眠時間を削って過酷な勤務に明け暮れていた。部下の不始末の尻拭いから、貴族たちの終わりのない派閥争いの仲裁、そして悪逆王からの理不尽な無茶振りまで、すべてが彼女の双肩にのしかかっている。肉体的な疲労は言うまでもなく、精神的なストレスも限界をとうに超えていた。
特に最近は、重いフルプレートアーマーを着たまま不眠不休で書類仕事と捜査を続けるという無茶な生活が祟り、慢性的な肩こりと腰痛が彼女の身体を蝕んでいる。
「だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。私と部下たちの首がかかっているのだから」
自らに言い聞かせるように呟き、オリビアは腰に帯びた愛剣の柄に手をかけた。
村の中心にある古井戸の裏手。不自然に土が盛られた場所を足で払うと、そこには地下へと続く隠し階段が現れた。罠の気配はない。いや、罠を仕掛けるまでもないという強烈な自負が感じられる。
油断なく階段を下りていくと、やがて視界が開け、巨大な空間に行き当たった。
そして、彼女の行く手を阻むように、圧倒的な存在感を放つ巨大な扉が立ち塞がっていた。
「なっ……なんだ、この扉は……!?」
オリビアは息を呑んだ。
見た目は頑丈な木製の扉だ。しかし、彼女の魔力眼を通して見れば、それがただの木材ではないことがすぐにわかった。世界樹の枝をベースに、ミスリルとオリハルコンの合金が繊維レベルで編み込まれている。さらに、表面には何十重もの防護結界がびっしりと刻み込まれていた。
(王城の宝物庫すら凌駕する防御力……! やはり、この奥には世界を揺るがすほどの『何か』が隠されている!)
彼女は知らない。それがただ、「地下に虫や雑音が入ってこないように」という極めて所帯染みた理由で、アレンがポイントを使って設置した単なる『超頑丈・防音防虫ドア』であるということを。
「だが、私を止めることはできない!」
オリビアは深く腰を落とし、剣を鞘からわずかに引き抜いた。
全身の魔力を練り上げ、刃の一点に集中させる。大気を震わせるほどの闘気が彼女の周囲で渦を巻き、地下空間の埃を吹き飛ばした。
この一撃に、彼女のすべてを懸ける。
「奥義――『絶空破斬』ッ!!」
閃光。
音を置き去りにした超神速の抜刀術が、世界樹の扉を結界ごと真っ二つに両断した。
鼓膜を破るような轟音と共に強固な扉が砕け散り、けたたましい破壊音が地下に響き渡る。
「……突破したっ!」
彼女は剣を振り抜き、残心をとる。
だがその直後、無理な態勢で強撃を叩き込んだ衝撃により、オリビアの腰の奥深くで「ピキッ」という嫌な音が鳴った。
「っ……!?」
一瞬、背筋が凍りつくような痛みが走ったが、オリビアは奥歯を噛み締めてそれを無理やり無視した。敵の拠点に侵入した今、己の体調不良などにかまっている余裕はない。気のせいだ。そう自分に強く言い聞かせ、彼女は粉砕した扉の残骸を乗り越えて奥へと進んでいった。
* * *
一方その頃、扉の奥――地下施設のさらに深層部では、のどかな空気が漂っていた。
「ぷはぁーっ! やっぱ風呂上がりの牛乳は最高だな!」
腰に手を当て、ガラス瓶に入った冷たい牛乳を一気に飲み干したのはアレンだった。
濡れた髪を首にかけたタオルで無造作に拭きながら、彼は満足げなため息をつく。彼の周りには、同じように湯上がりで頬を紅潮させたリリアやクロエたちが、畳敷きの休憩スペースで思い思いにくつろいでいた。
ここは、アレンがポイントで拡張した地下施設の一角、大浴場エリアである。
豊富な地下水脈と地熱を利用して作られた天然温泉。岩風呂から檜風呂、サウナまで完備されたこの空間は、彼らにとって一日の疲れを癒す最高のオアシスだった。
「アレン様、今日の湯加減も絶妙でしたわ。サウナの後の水風呂が体に沁みわたりますわ……」
「シロも気持ちよさそうに浮き輪で流されてたもんな」
「わふぅ〜ん」
ポメラニアンサイズに縮んだシロも、毛並みをフワフワに乾かされて満足そうに目を細めている。
その時だった。
天井のランプが突然赤く点滅し、無機質な音声アラートが休憩スペースに響き渡った。
『警告。第一ゲートの防音扉が物理的に破壊されました。侵入者、通路を進行中』
「あら? 誰か来たみたいですね」
「こんな夜中に珍しいな。近所の野良スライムでも迷い込んだか?」
仲間たちが首を傾げる中、アレンは空になった牛乳瓶をテーブルに置き、困ったように頭を掻いた。
「いや、物理的破断って言ってるから、入り口の防音扉を丸ごと壊されたみたいだ。うーん、ポイントで頑丈にしすぎたから、開け方が分からなくて強行突破されちゃったのかな」
アレンの認識はその程度だった。
彼にとってあの扉は「ちょっと頑丈な玄関ドア」でしかなく、それを壊してまで入ってくる者がいるとすれば、よほど道に迷ってパニックになった旅人か何かだろうと推測したのだ。
「まあ、危ないからとりあえず出迎えてみよう。怪我でもしてたら大変だしな」
アレンは湯冷めしないように軽く上着を羽織り、のんびりとした足取りで休憩スペースの出口へと向かった。
* * *
(……おかしい)
侵入を続けるオリビアの心の中には、焦りと混乱が渦巻いていた。
扉を突破した先には、おぞましい魔物の群れや罠が待ち受けているはずだった。しかし、彼女が歩いているのは、やけに綺麗に清掃された明るい廊下である。
床には柔らかな絨毯が敷かれ、ほのかに甘いアロマの香りと……石鹸のような匂いが漂ってくる。
(幻術……! 私の精神を揺さぶるための高度な魔法か! だが、このオリビア・ヴァルハイトの眼は誤魔化されんぞ!)
彼女は剣を強く握り直し、突き当たりの広い空間へと踊り出た。そこには『男湯』『女湯』と書かれた布が揺れている。
(ここが……敵の本拠地か!)
直後、布をくぐって一人の青年――アレンが姿を現した。
濡れた髪、火照った顔。手には空のガラス瓶。
だが、オリビアは騙されなかった。この異常な空間の中心でこれほど自然体でいられる存在こそ、底知れぬ実力者の証であると。
「動くなッ!!」
オリビアの裂帛の気合が響き渡った。
彼女は剣の切っ先をアレンの喉元に突きつけ、全身から圧倒的な殺気を放つ。
「貴様らが、この地下組織の主だな! 王国の法に代わり、この私が成成敗してくれる! 貴様らの悪事もここまでだ!」
しかし、アレンの反応は拍子抜けするものだった。
「えっと……」
アレンは手元の空き瓶とオリビアの剣を交互に見比べた。
「あの、とりあえず剣を下ろしませんか? ここ、土足厳禁なんで絨毯が汚れちゃうんですけど……」
(なんという余裕……! 喉元に剣を突きつけられているのに微塵も動揺していない。これほどの圧倒的強者……かつて出会ったことがない!)
オリビアの額から冷や汗が流れ落ちる。
ここで退けば殺される。自分が先に仕掛けるしかない。彼女は柄を握る手に力を込め、必殺の踏み込みを行おうとした。
「ここで……冷たい骸にしてくれるッ!!」
――その瞬間だった。
『ゴキッ!!!』
彼女の腰の深層から、爆発音のような異音が鳴り響いた。
長年の過労、睡眠不足、重い鎧でのデスクワーク、そして何より、先ほど世界樹の扉を『絶空破斬』で全力両断した際の激しい反動が、すべて一つの点に凝縮され、ついに決壊した音だった。
「あ、がっ……!?」
同時に全身が痙攣したように硬直する。
持っていた剣が手から滑り落ち、カランと間抜けな音を立てて床に転がった。
オリビアはそのまま膝から崩れ落ち、絨毯の上にうずくまった。
(ば、馬鹿な……! 指一本動かさずに、私をこれほどの激痛で身動きとれなくするとは……! 踏み込んだ瞬間に発動する不可視の迎撃システムか……!?)
脂汗を流しながら、オリビアは荒い息を吐く。
彼女の視界の中で、アレンがゆっくりと近づいてくるのが見えた。
(くっ……これまでか。せめて最後は騎士らしく……)
覚悟を決めて目を閉じた彼女の耳に、呆れたような声が飛び込んできた。
「うわぁ……こりゃひどいな。完全に重度のギックリ腰と蓄積疲労だ」
アレンは素早くシステムウィンドウを呼び出し、フリック操作でポイントを消費した。
《『超高圧・即効性医療用温熱パッチ&遠赤外線ホットパック』を購入。消費ポイント:1,000 pt》
《現在のカルマポイント残高:225,699,000 pt》
実体化した温熱パッチを手にとったアレンは、うずくまるオリビアの甲冑の隙間から、ガチガチに固まった腰と肩へペタッとそれを貼り付けた。
「なっ……何をする……っ!?」
毒か呪いかと身構えたオリビアだったが、直後、信じられない感覚に目を見開いた。
貼り付けられた部位から、じわぁぁぁっと強烈で心地よい温熱が深層筋肉まで染み込んでいく。
まるで温泉に直接浸かっているかのような温かさが全身を駆け巡り、あれほど劇痛を主張していた腰の痛みが、嘘のようにスッと引き始めていた。同時に、鉄板のように硬直していた肩の筋肉も、みるみるほぐれていく。
「な、なんだこれは……!? 痛みが……消えていく……? どんな回復魔法だ……!?」
「魔法じゃないよ。ただの医療用温熱パッチだ。君、どんだけ無理して働いてるの? ちゃんと身体を休めないと、本当に動けなくなるよ」
アレンは呆れたように肩をすくめた。
「急場しのぎで温めたけど、根深いコリと疲労はそれだけじゃ取れないよ。……そうだ」
アレンは何か良いことを思いついたようにポンと手を打ち、笑顔でオリビアを指差した。
「あっちに、すごく身体がほぐれる天然温泉があるんだけど。入っていく?」
「……おんせん?」
王国最強の近衛騎士団長は、温熱パッチの心地よさにボケッとした顔のまま、間抜けな声を出して固まるしかなかった。
すれ違う殺意は、温かい蒸気と共に完全に消え去っていたのだった。




