#11 次なる標的は軍事物資〜そして過労の騎士は辺境へ〜
王都を揺るがす謎の闇商会『影の天秤』が、王国の食糧市場を完全に掌握してから数週間。
地下帝国の最深部では、さらに常識を脱ぎ捨てた新たな「娯楽エリア」が産声を上げていた。
ズザザザザーッ!!
「きゃぁぁぁぁっ! すごい、すごいよアレン! 風船みたいに滑るよ〜っ!」
「わふーっ! ワフワフッ!(俺の毛並みが水の抵抗をゼロにしているーっ!)」
南国のビーチを模した天井から人工の太陽光が燦々と降り注ぐ、全長二〇〇メートルの屋内型温水プールエリア。
そこには、色鮮やかな水着に身を包んだリリアと、浮き輪を首にはめたポメラニアンサイズの幻獣シロが、巨大なウォータースライダーから豪快に水しぶきを上げて着水していた。
波立つプールサイドには、高級ホテル顔負けのフカフカなデッキチェアが並んでいる。
アレンはトロピカルなサングラスを掛け、キンキンに冷えたパイナップルジュースを吸いながら、隣のチェアに優雅に寝そべる元・天才財務官僚へ視線を向けた。
ハイビスカス柄のビキニに身を包み、日焼け止めオイルの香りを漂わせながらココナッツドリンクを飲むクロエ。
地上の「泥水をすする悲劇のヒロイン」の面影は微塵もなく、完璧なリゾートを満喫している。
「ふぅ……サウナの後の温水プールとトロピカルドリンク。これぞ究極のデトックスですわ……」
「くつろいでいるところ悪いんだが、クロエ。例の『軍事物資の買い占め作戦』の進捗はどうなっている?」
アレンが尋ねると、クロエはサングラスを少しずらし、紫色の瞳で不敵に目を細めた。
「ふふふ、アレン様。すでに準備は万全ですわ。食糧の次は、王国の『鋼』と『魔導具の原材料』……すなわち軍事物資の完全掌握へと切り替えております」
彼女が指先を鳴らすと、プールサイドの空中にホログラムの財務グラフが展開された。
「王都の鍛冶ギルド、および王立兵器工廠が抱える鉄鉱石・ミスリル・魔石の仕入れルート。その七割を、我が『影の天秤』が裏から高値で買い叩いてストックしております。現在、王国の正規軍は新しい剣どころか、兵士の甲冑の修理用の鉄くずすら手に入らない状態に陥っておりますわ」
「完璧だな。肉と米を奪い、次は武器と鎧を奪うか。王宮の奴らはパニックだろうな」
「当然ですわ。悪逆王カルロス三世は『兵器が作れないのは鍛冶職人の怠慢だ』と理不尽に職人たちを処罰し、予算を削っているようですけれど……予算を削れば削るほど、我が商会から物資を買う金がなくなるという単純な経済の仕組みすら理解できておりませんの。本当におバカさんな国王陛下ですわね」
クスクスと品良く笑うクロエの背後で、システムウィンドウが静かに点灯した。
《王宮における理不尽な職人弾圧および予算カットを検知》
《算出完了――獲得カルマポイント:15,000,000 pt》
《現在のカルマポイント残高:225,700,000 pt》
「よし、ポイントも順調にチャージされているな」
現代日本からしがない村人として転生したアレンだったが、この理不尽還元システムと現代知識の組み合わせは無敵だった。理不尽に苦しめられるどころか、王宮が暴走すればするほど地下帝国は豊かになっていく。
「ポイントが潤沢にあるうちに、地下のインフラをさらに拡張しておくか。今度はサウナの隣に『全自動フィットネスジム』と『プロ仕様のマッサージチェアエリア』でも新設してみるか」
「まあ! マッサージチェア! それは魅惑的な響きですわね……! ポテトチップスを食べ過ぎて少し腰回りが気になっていたところですの!」
クロエが目を輝かせていると、プールから上がってきたリリアが濡れた髪をタオルで拭きながら駆け寄ってきた。
「アレン、アレン! 次は流れるプールでシロとレースするの! アレンも一緒に遊ぼうよ!」
「はいはい、今行くよ」
地上の最果ての貧困村が、王国の経済を文字通り指先一つで揺るがしているとは誰も思うまい。
地下帝国は今や、地上世界のいかなる王族よりも贅沢で平和な「地上最後の楽園」と化していた。
* * *
一方、その頃――王都・近衛騎士団本部。
そこは、熱気に満ちた訓練場……ではなく、重苦しい絶望と「死臭」すら漂う地獄の執務室であった。
「……ぐっ、う……また、槍の納品が延期だと……!? 鍛冶ギルドは何をやっているのだ……!」
重厚な漆黒の全身甲冑に身を包んだ女性が、机の上に積まれた不採用通知と遅延報告書の山を前に、痛々しい呻き声を上げていた。
彼女の名はオリビア・ヴァルハイト。
王国最強の武勇を誇る『近衛騎士団』の団長であり、その類稀なる剣技と美貌から「氷の剣姫」と恐れられる精鋭中の精鋭である。
……だが、今の彼女に「剣姫」の威厳など微塵もなかった。
金色の美しい髪はボサボサに乱れ、白皙の肌にはどす黒い隈が深く刻み込まれている。
何より悲惨なのは、彼女が身に着けている特注のフルプレートアーマーであった。
「あ、痛たたたた……! 肩が、首が……岩のように硬くて動かない……っ! 腰が……腰の骨が砕ける……っ!」
オリビアは甲冑の上から己の肩を必死に叩いた。
王宮の面目を保つため、彼女は一日の大半を二〇キロを超える重装甲冑を着たまま過ごさなければならない。
しかし、連日の不眠不休の勤務と、悪逆王カルロス三世からの無茶振りによって、彼女の身体は限界を超えて悲鳴を上げていた。
「オリビア団長……! 本日の王宮からの達しでございます……!」
青ざめた顔の副官が、震える手で一枚の羊皮紙を差し出してきた。
オリビアは不吉な予感に苛まれながら、ギシギシと音を立てる首を曲げて書類を開いた。
『近衛騎士団長オリビアへ。
現在、王都を脅かす闇商会「影の天秤」により、王軍の武具調達が甚だしい滞りを見せている。
これは騎士団の警備の怠慢である。よって本年度の騎士団運営予算を四割削減する。
なお、一週間以内に「影の天秤」の流通ルートを突き止め、その拠点を破滅させよ。
失敗した場合は、団長以下の処刑を命ずる』
「……なっ!?」
オリビアの手から羊皮紙がハラハラと落ちた。
「ゆ、予算を四割削減……!? ただでさえ兵士たちの給料が未払いで、食事もカビの生えた麦粥しか出ていないというのに!? その上、正体不明の闇商会をたった一週間で捜し出せだと!?」
「ひ、ひぃぃっ! 団長、落ち着いてください! 精神が崩壊しかかっています!」
「落ち着いていられるかぁぁぁっ!」
オリビアは思わず机を叩き割らんばかりに叫んだが、その反動で腰に激痛が走り、「ひぐっ!?」と変な声を上げてその場に崩れ落ちた。
「あああ……腰が、私の腰が生きている心地がしない……! 三日……三日もまともにベッドで眠っていないのに……! 悪逆王め、自分が贅沢三昧をするために現場の人間を何だと思っているのだ……っ!」
あまりの理不尽と理不尽の連鎖。
過酷すぎるブラック労働環境に、王国最強の騎士の精神は今や木っ端微塵に砕け散る寸前だった。
(……だが、ここで倒れるわけにはいかない。私を慕う部下たちを殺させるわけには……っ!)
オリビアは激痛に耐え、ガタガタと震える足で立ち上がった。
彼女は眼精疲労で霞む目をこすりながら、王国の物資流通マップを壁に広げた。
「影の天秤」の物資は、王都のあらゆる裏ルートから流れ込んでいる。だが、その元の元を辿ると、不自然なほどに物資が集積し、消えている「空白の地域」が存在した。
「……王都から遠く離れた、北の最果て……」
オリビアの指先が、地図の端にある小さな点を指し示した。
「ここは……たしか、数ヶ月前に悪逆王の理不尽な命令で追放されたクロエ元財務官僚が流された、最果ての貧困村……」
副官が首を傾げる。
「団長、そこは先日、特別税務視察官のヴォルク様とバアル商人が抜き打ち調査を行った場所ですぞ? 住人どもは餓死寸前で泥水をすすり、毒キノコを食べて全滅しかけていると報告が上がっております。そのような死の村に、膨大な軍事物資を扱う闇商会が存在するはずがありません」
「……分かっている。あのような泥沼の村が拠点であるはずがない」
オリビアは痛む腰を庇いながら、鋭い光を宿した目で地図を睨みつけた。
「だが……灯台下暗しという言葉もある。あるいは、その貧困村の周辺にある深い森や洞窟を、闇商会がアジトとして利用している可能性はあるはずだ。……奴らは村人を脅し、潜伏しているのかもしれない」
オリビアは壁に掛けられた大剣を引き抜いた。甲冑の継ぎ目がギシギシと悲鳴を上げる。
「私が直々に現地へ飛ぶ。単身で潜入し、闇商会の尻尾を掴んでみせる」
「だ、団長!? そのお体で!? せめて体調を整えてから――」
「時間が無いのだ! 一週間以内に結果を出さねば、お前たちも私も首が飛ぶ!」
オリビアは激痛の走る肩を強引に回し、血吐くような思いで執務室を飛び出した。
「待っていろ、影の天秤……! 私の平和な睡眠と、部下たちの給料を取り戻すため……何としてでもお前たちの首根っこを掴んでやる……っ!」
過労と肩こりと腰痛に苛まれた王国最強の騎士が、馬に跨り、一直線に「地下帝国」へと向かって突き進んでいく。
その行き先が、己の騎士としての人生を根本から覆す「甘美なる堕落の穴」であるとも知らずに――。




