待状03 - 不在の淑女の詩クラブ -8
廊下の曲がり角で、視界にいくつかの人影が飛び込んできた。新入りの使用人たちだ。屋敷のペースにまだ馴染みきっていないのか、腰を低く落として恐る恐る、ぎこちない手つきで庭木を整えている。少し離れた場所では管家が低声で何事かを指示していたが、足音に気づくと顔を上げた。彼は古珞鸒を視界に収めても視線を止めることなく、ごく自然に二歩後ろへ下がった。勤めを果たしたと言わんばかりに、そのままくるりと背を向けて別の方向へ歩み去っていく。
だが、新人たちの反応は違った。彼らは示し合わせたかのように同時に顔を上げると、奕を、程晋陽を、そして宋知行を飛び越え、まっすぐに古珞鸒へと視線を注いだ。まるで同じスイッチを一度に押されたかのように。
「——見つけたぞ」
声は小さかった。けれど、一人の人間が発したとしか思えぬほど完璧に揃っていた。
奕の身体が瞬時に沈み込んだ。威嚇された猫のごとく、右手はすでに腰元のペンデュラムへ伸びている。程晋陽と宋知行もほぼ同時に動いた。二人は身体を半歩前へ滑らせ、肩をわずかに斜めにして立ち塞がった。古珞鸒を守る、出来立ての二枚の盾のように。
「何かございましたか?」
背後から管家の声が届いた。低く、程よい気遣いを込めた響きだった。
新人たちは冷水を浴びせられたようにハッと我に返り、何事もなかったかのように動作を再開した。頭を垂れ、再び黙々と庭木を整え始める。程晋陽と宋知行は元の位置に立ち尽くしたまま動かなかった。二人は同時に察したのだ——前にばかり気を取られ、管家がいつ自分たちの背後に回り込んだのか、誰ひとり気づいていなかったことに。視線を交わさずとも、同じ痛恨の念が胸を掠める。失策だった、と。
奕もそれに気づき、低い舌打ちをひとつ漏らした。喉まで出かけた警戒を、全員に代わって吐き捨てるかのように。
後ろに立つ管家は、今日の天気を尋ねるような穏やかさで言った。「いかがされました? 新人に何か不都合でも?」
程晋陽は振り返らぬまま、意識して声を平坦に保った。「もし、あると言ったら?」
管家は気にした様子もなく微笑み、毒にも薬にもならぬ軽やかさで応じた。「ならば、取り替えましょう」
四人は同時に背後を振り返った。新しい使用人たちは相変わらず首を垂れ、手元の枝葉を規則正しく整えている。その手つきは乱れず、一切の動揺を見せない。管家の言葉に何一つ反応を示さない様は、まるでその会話が最初から自分たちに向けられたものではないと知っているかのようだった。
程晋陽は視線を戻し、淡々と言った。「頼む」
管家は反論せず、ただ口元の弧をわずかに深めた。丁寧で抜かりのない姿勢を崩さない。「承知いたしました」
奕が鼻で笑った。探るような色を隠そうともしない。「アンタも大概な権力ね。使用人の去留まで一言で決まるなんて」
管家は首を横に振った。どこまでも温厚で、客に流される姿勢を見せる。「私はただ、お客様のお気持ちを尊重しているだけにすぎません」
奕は「へえ」と声を長く引き延ばした。「なら、もう少しマシなのを連れてきて頂戴」
言葉の裏にある意味は明白だった——この連中は狂っている、と。
管家は気分を害した風もなく、最初からそう言われると分かっていたように落ち着き払っていた。日常の家事を語るような淡々とした調子で言う。「あいにく、彼らは私が手配した者ではございませんで」
彼は一拍置き、付け加えた。「すべて、奥様の弟様がお連れになった者たちです」
程晋陽の視線が管家の顔に留まったが、何も言わなかった。宋知行も黙っていた。奕だけが短く「ふん」と鼻を鳴らし、「でしょうね」と言わんばかりの顔をした。
先頭に立つ古珞鸒だけは、振り返ろうとしなかった。
宋知行は、古珞鸒の目が新入りの使用人たちに注がれ続けていることに気づいた。自分には読めない何かを、じっと解読しているかのように。彼は声をかけて邪魔をすることはせず、ただ彼女の視線を追った——使用人たちはすでに通常の作業へと戻り、恭しく腰を低くして庭木を剪定している。そこには何の異常もうかがえなかった。
古珞鸒はしばらく見つめていたが、やがてくるりと振り返った。管家の顔を見据え、気負いのない声で尋ねる。「奥様の弟さんは、明日の歌会(詩會)にいらっしゃるの?」
管家はわずかに頷き、淀みなく答えた。「左様でございます」
古珞鸒も一礼代わりに首を傾けた。「分かったわ」
奕は古珞鸒をちらりと見やり、次いで管家を見つめた。ここで油を売っていても拉致が明かないと判断し、口を開く。「場所を変える?」
すると、管家が不意に声をかけた。慇懃な態度はそのままだ。「皆様——奥の庭園(後花園)をご覧になりますか?」
四人は顔を見合わせた。沈黙を最初に破ったのは奕だった。果敢に挑むようなサバサバとした声で言う。「行くわ。管家からのご招待なんて、滅多にないものね」
宋知行と程晋陽は、一瞬だけ視線を交わした。目配せとも言えぬほど短い時間だったが、互いの思考は痛いほど伝わっていた——昨日まで禁忌の場所だった奥庭へ、今日は管家のほうから案内しようという。この展開のスムーズさは、かえってきな臭い。
だが、思い巡らせる時間さえ与えられなかった。管家はすでに歩みを進めていた。迷いのない悠然とした足取りは、彼らがついてくることを確信しているかのようだった。宋知行の目にとまったのは、奕の右手が始終、腰のポケット近くに留まっていることだった。布越しにペンデュラムの輪郭を指先でなぞり、いつ we 抜き放てる姿勢を崩さない。
胸の中にひとつの確信が浮かぶ。彼女もまた警戒しているのだ。この道行きは、昨日夫人の部屋へ連れていかれた時と同義なのだろう。表面上は親切な案内を装いながら、実際は自分たちの反応を試し、特定の場所へと誘導しようとしている。そしていわゆる「立ち入り禁止」の理由は、当初から家柄の不始末や風紀の類ではなかったのだ——それはただの口実にすぎず、隠されているのはもっと別の「何か」だ。
廊下を風が吹き抜け、肌に微かな冷たさを残していく。歩を進めるうち、宋知行はふと、いつぞやの夜に「蠱」について議論した際の言葉を思い出していた——蠱を養うには、密閉された空間が必要なのだと。奥庭の「禁」とは、人を立ち入らせないためではなく、人に「見つけさせない」ためのものではないか。
管家に引き連れられ、いくつもの回廊をくぐるうちに、景色は急速に生気を失っていった。まるで目に見えぬフィルターが世界を覆い隠したかのようだ。先ほどまでのうららかな庭園の光景は姿を消し、草木の色彩は暗く沈み込み、風すらも季節外れの乾いた冷気を帯びていた。まるでこの一角にだけ、秋が先回りして訪れたかのように。
何より不気味なのは、使用人の姿が一人として存在しないことだった。屋敷全体が綺麗さっぱり空っぽにされたかのように静まり返り、ただ自分たちの足音だけが響いている。
「奥様のお部屋は……人が暮らすには向いておりません」
前を歩く管家の声が届いた。相変わらず温厚な響きだったが、井戸の底から湧き上がるような底知れぬ深みが混ざり込んでいる。「ですので、奥様はいつも私の部屋で過ごされております」
程晋陽の足は止まらなかったが、その視線は管家の背中に一段と重く突き刺さった。
「どういう意味だ?」
管家は振り返らなかった。その足取りは揺るぎなく、声には狂おしいほどの情念と確信が滲んでいた。語尾をかすかに跳ね上げ、まるで愉悦を語るかのように言った。「奥様は……私に頼らざるを得ないのです」
言葉が空気に落ちると、あたかも深い水底に石が投じられたかのような波紋が広がった。宋知行は背筋を何かがひやりとなぞったような錯覚を覚えた。風なのか、あるいは別の何かなのか。
回廊の行き止まりには、黒塗りの鉄格子が立ち塞がっていた。格子に施された模様は細かく密に組み合わされ、装飾というよりは封印の呪符を思わせた。管家はようやく足を止め、向き直った。その語り口は、何事もなかったかのように丁寧なそれへと戻っている。「皆様——どなたか一人、ここでお見張りになられますか?」
彼は四人を均等に見回した。特定の誰かに視線を留めることはない。鉄格子の隙間を風が通り抜け、低い唸り声をあげた。まるで眠りについていた何かが、身じろぎをしたかのように。
奕が一歩前へ踏み出した。何でもないことのように言い切る。「私が残るわ」
彼女は三人を振り返り、すでに決まった決定事項として告げた。「一人で十分よ。アンタたちのほうが手足が早でしょう」
管家は深く追求せず、ただ身を少し引いて鉄格子に目をやった。何かを確認するかのように。ひとしきり置いてから、再び無機質な礼儀正しさで口を開く。「では、お入りください」
鉄格子の外に残った奕は、右手をポケットに入れたまま、指先でペンデュラムの感触を確かめていた。彼女は振り返らない。そこに根を張った木のように、静かで揺るぎなかった。程晋陽、宋知行、古珞鸒の三人は管家の後に続き、鉄格子をくぐり抜けた。足下の感触が青石から踏み固められた土へと変わり、踏みしめる音の響きが湿り気を帯びていく。程晋陽は後ろを振り返らなかったが、彼女がそこに立ち続けていることだけは分かっていた。
管家は静かに二人を従え、奥庭の深部へと足を踏み入れた。そこにいたのは、たった一人——お嬢様だった。彼女の肌は不自然な青紫色に沈み、まるで凍りついたかのように、ぴくりとも動かずそこに佇んでいた。
光景全体が、毛のよだつほどの静寂に包まれていた。
だが、程晋陽をそれ以上に不安にさせたのは別の事実だった——このお嬢様は、昨日目にした夫人以上に、古珞鸒に酷似していた。目元の曲線、鼻筋の通った輪郭。そのすべてが同一の型へと収束しつつある。まるで誰かが古珞鸒をモデルにして、寸分たがわぬ顔を刻み込んでいるかのように。
宋知行もまたそれに気づいていた。彼の視線は本能的に古珞鸒へと泳ぎ、彼女がまだそこに存在しているか、彼女が彼女のままであるかを確認せずにはいられなかった。
そして古珞鸒の反応は、全員の予想を裏切るものだった。
彼女は、笑ったのだ。皮肉でも自嘲でもない。答えに辿り着き、己の足が進むべき道の上にあることを確信した者の笑みだった。彼女はお嬢様を見つめ、声は小さくとも、すとんと腑に落ちたような軽快さで呟いた。「そういうことね」
彼女は管家へと向き直った。その視線は揺るぎない。「奥様に異変が起きた時、お嬢様が彼女に似始めたの?」
管家はすぐには答えなかった。お嬢様の傍らに立ち、彼女以上に物言わぬ石像となって固まっている。一拍置いて、彼はごく小さく頷いた。ずっと前から知っていた事実を、ただ口にしなかっただけと言わんばかりに。
古珞鸒の視線は外れなかった。管家を見つめる口元には笑みを残したまま、どこまでも本気で、真芯を射抜くような直球の問いを投げかける。「なら、夫人とお嬢様——あなたはどちらを護るの?」
庭園の奥から湿った土の匂いを孕んだ風が吹き抜け、地下の何かが緩やかに蠢いている気配を運んできた。お嬢様は青紫色の肌を晒し、死人のごとき光沢を放ちながら動かない。管家の沈黙は、いかなる言葉よりも重く引き延ばされた。
古珞鸒は彼を見つめ、微笑んでいた。
管家は黙し続けた。
彼の目は、幾度となく見納めてきたはずの、それでも馴染みきらぬものを見るように、お嬢様へ注がれていた。風が衣の裾をなびかせる。ようやく口を開いた時の声は、相変わらず穏やかだったものの、隠しきれぬ回避の色を孕んでいた。「私はただの奉公人にすぎません。決められる立場にはないのです」
程晋陽は本能的に一歩身を引いた。管家を見つめながら、普段の自分らしからぬ、感情的な念を抱かずにはいられなかった——この男の行いは、もはや人間のそれではない、と。となりに立つ宋知行は口を開かなかったが、その鋭い眼光が吐き捨てたい言葉のすべてを物語っていた。
古珞鸒のトーンはどこまでも平坦で、掴んだ糸口を逃さぬよう追い詰めていく。「お嬢様は、最初から夫人には似ていなかったの?」
管家はその言葉に、かすかに打たれたような仕草を見せた。遠い記憶の底を浚うように視線を泳がせ、やがて呆然とした、諦めに似た冷淡さで明かした。「夫人よりも……生母に似ておりましたな」
その一言が落ちるや、三人の足取りが同時に止まった。程晋陽が眉をひそめる。宋知行はお嬢様と管家の間を視線で往復させ、聞き間違いではないかと確かめた。古珞鸒は管家を見つめたままで、声の色こそ変わらないものの、その眼差しはより一層の冴えを見せていた。
「お嬢様は、夫人の実のお子さんではないの?」
管家は否定しなかった。勤めを終えた置物のように佇み、隠す必要のなくなった事実を淡々と告げる。「お嬢様は……ある日突然、現れたのです。夫人がお産みになった子ではございません」
風と葉が擦れ合うカサカサという音が、不気味に周囲を包み込む。お嬢様は相変わらず、物言わぬ人形としてそこに座していた。
古珞鸒の視線はお嬢様から離れない。
彼女は静かに、自らの確信を擦り合わせるように尋ねた。「だから……夫人は彼女を我が子と思い込んでいるのね?」
管家の目がかすかに揺らいだ。声は相変わらず穏やかだったが、先ほどまでの冷徹さに警戒の膜が張られる。「……ただ、我が子同然に可愛がっておられた、とだけ申し上げておきましょう」
古珞鸒はしばし沈黙した。そして言った。「夫人が静まり返り、二度と元へ戻らなくなった現象は、これまでに何度あったの?」
管家の顔に張り付いていた長年の慇懃な仮面が、何かに削り取られたかのように剥がれ落ち、その下に隠された重く暗い情念が覗いた。彼は低く、かすれきった声で答えた。「……五度でございます」
後ろに立つ程晋陽と宋知行は、その数字が持つ意味を正確に理解していた——五度。つまりこの屋敷において、夫人が『何か』の標的とされたのは、これで五度目なのだ。
四人が鉄格子の前へと戻ると、奕は去った時と全く同じ姿勢で廊柱に寄りかかっていた。彼女の視線が全員をなぞり、管家の冴えない顔色の上で一瞬止まった。だが、咎めるように追及することはしなかった。
むしろ古珞鸒のほうが先に口を開き、予定を確認するように尋ねた。「お嬢様のお部屋を拝見することはできるかしら?」
管家はしばらく間を置いてから振り返った。その声には、再び温度のない丁寧さが戻っている。「歌会の当日に、自ずとお入りになれますよ」
「その時になれば分かる」と言わんばかりの含みを持たせた言い方だった。
奕は古珞鸒の顔を一瞥したが、何も言わなかった。
戻ればおのずと白黒つくのだと、彼女は分かっていたのだ。
管家は彼らを本院へと送り届けると、廊下で立ち止まり、深く一礼した。よそよそしく、形式的な口調に戻っている。「明日を楽しみにしております。それでは、失礼いたします」
彼は背を向けて去っていった。その足取りは整然としており、今日のタスクを終えたカラクリ人形のごとく、一片の留まりも見せなかった。
奕は彼の背中が曲がり角に消えるのを見届けてから、顔を寄せた。「さっきの新人たちのところへ戻ってみる?」
古珞鸒はくすりと笑った。「私を怪異を誘き寄せる『試怪石(誘い餌)』にするつもり?」
奕は肩をすくめた。すでに腹を括っているような落ち着き払った声で言う。「役に立って、危険がないならそれでいいわ。時間もないことだし」
古珞鸒は否定せず、静かに頷いた。
側に立つ宋知行は明らかに反対の色を浮かべていたが、どう突っ込むべきか逡巡している様子だった。やがて、覚悟を決めたように言った。「なら——俺と彼(程晋陽)の二人で聞き込みに行く。あんたたちは遠くから見ていてくれ」
奕は彼を白目で見やり、容赦ない言葉を浴びせた。「アンタ、戦闘派じゃないでしょう。頭脳担当が出張ってどうすんのよ」
宋知行は図星を突かれて絶句し、口ぐせのように開いた口を閉ざした。
「みんな、何やってるの?」
背後から声が響いた。振り返ると、鄭愷苑、潘穎嫆、駱馥琪の三人が廊下の向こうから歩いてくるところだった。仕事を終えたばかりの、確かな足取りだった。
宋知行は彼女たちを一瞥し、尋ねた。「今日入ってきた新入りの使用人たちと、もう話したか?」
鄭愷苑は当然と言わんばかりに応じた。「話したわよ。遊んでたわけじゃないんだから」彼女は言い落としがないか確かめるように一拍置き、「それがどうかしたの?」
宋知行は礼を言うと、奕に向き直った。「これで試す必要はなくなったな」
奕は彼を無視し、直接鄭愷苑へと問いかけた。「新人たちに何かおかしいところはなかった?」
潘穎嫆は眉をひそめ、記憶を掘り返すように言った。「……おかしいところ?」
程晋陽が横から口を挟んだ。「急に自分たちをじっと凝視してくるとかだ」
鄭愷苑は呆れたように白目を剥いた。「なんで私たちを凝視すんのよ。花が咲くわけでもないのに」
程晋陽は声を一段低くした。漏れがあってはならないと、念を押す。「つまり——奇妙な挙動はなかったんだな?」
駱馥琪が首を振った。「そういうわけでもないの……同じ作業を何度も繰り返してるのよ。それは十分に奇妙だわ」
潘穎嫆も頷く。「それに、何を尋ねても『分かりません』の一点張りよ」
奕が声を張り上げた。「ほらね。私たちが遭遇した連中とは状況が違うわ。男性陣二人に異論はないわね——この『試怪石』を連れて、私が直接確かめてくるわ」
鄭愷苑は一瞬ぽかんとした。「……試怪石って何よ?」
古珞鸒は平然と言い放った。「私のことよ」
奕は鄭愷苑の困惑を放置し、今朝起こった出来事をかい摘んで説明した。聞き終えた鄭愷苑は目を丸くした。「気味が悪い……『見つけた』ってどういう意味よ?」
潘穎嫆はしばらく沈黙し、頭の中で合理的な説明を探すかのように呟いた。「もしかして……最初からターゲットは古珞鸒だったんじゃない?」
駱馥琪が低声で引き継いだ。「だから夫人も、古珞鸒に似た顔をしているのかしら」
宋知行の顔色が目に見えて沈んだ。声には抑えきれない緊張が滲む。「だから言ったんだ。俺と程晋陽の二人で新人どもを試しに行くから、古珞鸒は離れていろと」彼は一拍置き、奕へ視線を向けた。「それを彼女が反対したんだ」
奕はその視線を逃げずに受け止めた。「もしあの使用人どもが襲いかかってきたら、離れすぎてちゃ庇いようがないでしょうが。今の静けさに騙されないで、ここは『詭本(怪異ダンジョン)』よ」
それを聞いた鄭愷苑の導火線に火がついた。まくしたてるような早口で突っかかる。「二人とも男のくせになんで古珞鸒にそんな保護欲出してるのよ! そういう行動が一番他の女から古珞鸒へのヘイトを集めるって分かってないの!? ここは『情詭本』よ! 『正貨』はおとなしくしてるのが一番なの!」
程晋陽が口を開く間もなく、彼女は息もつかずに畳み掛けた。「完全にプロのヘイト集めじゃない! それに——」彼女は二人を上から下まで見改め、「——あんたらだって古珞鸒より強いわけじゃないでしょ。一体誰が誰を保護するつもりなのよ!?」
奕はとなりで黙って手を叩いていた。予感していた通りの演劇を観賞するかのように。
鄭愷苑は吐き捨てるように付け加えた。「どんどんおかしくなっていくわね。本当、男って理解できない」
潘穎嫆は二人の顔色が極限まで悪くなっているのを見て、ようやく助け舟を出した。探るような慎重さで尋ねる。「その保護欲って、何か別の要因が影響しているんじゃないかしら?」
鄭愷苑のトーンが跳ね上がった。何か重大な手がかりを掴んだかのように。「あー……つまり、本能ってわけ?」
潘穎嫆は首を振り、暴走しかけた議論を冷静に引き戻した。「ただの質問よ」
古珞鸒が先に口を開いた。ずっと前から分かっていたことを語るような静かさだった。「本能よ」
彼女は思考を整理するようにひと呼吸置き、続けた。「自分が守られる側の存在だと認めたくないのよ。そう思っておかないと、いつか守られることに慣れてしまうから。だから本能なの——男っていうのは、少しでも血気があればそうなるものよ」
鄭愷苑は胸の前で腕を組み、疑わしそうな目を向けたものの、先ほどまでの尖りは消えていた。「まあ、そんなところでしょうね。でも、圧倒的な実力差を見せつけられた後じゃ……身の程知らずに見えるわよ」
古珞鸒は淡々と返し、その声には波風一つ立たなかった。「それが保護本能というものよ。男がそういう行動に出る時、そこまで深くは考えないものだわ」
鄭愷苑は何かに口を塞がれたかのように、急に言葉を失った。口を開き、また閉じ、反論の言葉を探そうとしたものの、結局何も吐き出せなかった。
宋知行の表情は複雑だった。床の石畳の模様を研究するかのように伏目になっていたが、口元だけは抑えきれずに緩んでいた。隠すつもりも、隠し通すこともできない弧を描いて。言葉こそ発しなかったが、その笑み自体がすべての答えとなっていた。
一方の程晋陽は、彼よりもずっと素直だった。古珞鸒を見つめ、真摯な声で言った。「僕たちに、怪異に対抗する術を教えてくれ」
古珞鸒は彼をちらりと見やり、温和な声で応じた。「機会があればね」
彼女は言葉を切り、まだ明かす気のない時間軸を計算するかのように間を置いた。「もう少ししたら……始まるわ」




