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「お前を愛することはない」と言われたので、黒薔薇の騎士に嫁いだら溺愛されました ~囚われたはずが、檻の鍵は私が持っています~  作者: ましろゆきな
第三章:侵入者

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第九話:ピンクの薔薇の記憶

 ジュリアンが連れ出された後。


 応接室には、奇妙な静けさが残っていた。


 先ほどまでの騒動が嘘のように、すべてが整然としている。


 ただ一つ違うのは――


(……空気が、少し重いですわね)


 視線を上げる。


 そこには、カシアンが立っていた。


 先ほどまでの“冷たい怒り”は消えている。


 けれど。


 どこか、張り詰めたものが残っている。


「……申し訳ありません」


 不意に、彼が口を開いた。


「お見苦しいところをお見せしました」


「いいえ」


 私は首を振る。


「特に問題はありませんわ」


 事実、その通りだ。


 むしろ、あの程度で済んだのは幸運と言っていい。


「ですが」


 カシアンは続ける。


「本来であれば、あのような者をあなたの前に通すべきではなかった」


「そうですわね」


 あっさりと同意する。


「ですが、通したのはあなたですわ」


「……はい」


 否定しない。


 視線を伏せる。


 その様子に、私はわずかに目を細めた。


(……意図的、ですわよね)


 偶然ではない。


 あえて、だ。


「理由を伺っても?」


 静かに問う。


 カシアンは、しばらく沈黙した。


 そして。


「……確認したかったのです」


 ゆっくりと、言葉を紡ぐ。


「何を、ですの?」


「あなたが」


 顔を上げる。


 赤い瞳が、まっすぐにこちらを捉える。


「彼を選ぶ可能性が、あるかどうかを」


 その言葉に。


 一瞬だけ、時が止まったような感覚を覚える。


(……まあ)


 ずいぶんと、率直な。


「結果は、ご覧の通りですわ」


 肩をすくめる。


「ええ」


 カシアンは小さく頷いた。


 けれど、その表情には――


 安堵と。


 そして、わずかな、恐れ。


「……それでも」


 彼は続ける。


「もし、あなたが望むのであれば」


 言葉が、わずかに揺れる。


「私は――」


 そこで、口を閉ざした。


 続きは、言わない。


 言えない、のかもしれない。


(……この方)


 私はゆっくりと息を吐く。


 ここまで来て、まだ迷うのか。


「カシアン様」


 静かに呼びかける。


「あなたは、何を恐れていらっしゃるの?」


「……」


 沈黙。


 けれど、今度は逃げなかった。


「……失うことを」


 かすかな声。


「何を?」


「すべてを」


 即答。


 迷いのない言葉。


「ようやく手に入れたものを、また失うことが」


 その瞬間。


 何かが、繋がった気がした。


(……“また”)


 その一言。


「……以前にも、失ったことがあるのですね」


 そっと問いかける。


 カシアンは、ゆっくりと目を閉じた。


 そして。


「……あります」


 短く答える。


 それだけで、十分だった。


「お聞かせいただけますか?」


 促す。


 しばらくの沈黙の後。


 彼は、静かに語り始めた。


 ――昔の話です。


 それは、彼がまだ何者でもなかった頃。


 名前も、地位も、何も持たない少年だった時のこと。


 寒さと空腹に震え、路地裏で蹲っていた。


 誰にも顧みられず、ただ消えていくのを待つだけの存在。


「その時」


 カシアンの声が、わずかに柔らぐ。


「一人の少女が、声をかけてくれました」


 その情景が、脳裏に浮かぶようだった。


 光の中に立つ、小さな影。


「お菓子をくれました」


 かすかに笑う。


「それと――一輪の薔薇を」


 胸の奥が、わずかにざわつく。


「ピンクの、薔薇でした」


 その言葉に。


 心臓が、強く打つ。


(……まさか)


「私は言ったのです」


 カシアンは続ける。


「花など、食べられないと」


 苦笑する。


「すると彼女は、こう答えました」


 そして。


 その言葉が、紡がれる。


「――“お花ではお腹は膨れないけれど、心が満たされるの”と」


 世界が、止まった。


 完全に。


 その一言で。


「……」


 声が、出ない。


 それは。


 紛れもなく――


(……私ですわね)


 記憶が、鮮明に蘇る。


 幼い日の自分。


 父に連れられて訪れた領地。


 そして、路地裏で出会った少年。


 やせ細った手。


 警戒に満ちた目。


 だから。


 何かしてあげたくて。


 持っていたお菓子と、そして――


(……薔薇を)


 渡した。


 ただ、それだけのこと。


 ほんの気まぐれのような善意。


 けれど。


 目の前の男にとっては。


「……それが」


 カシアンの声が、静かに響く。


「すべての始まりでした」


 目を開く。


 その瞳は、真っ直ぐにこちらを見ている。


「私は決めたのです」


 一歩、近づく。


「彼女のような人間になる、と」


 さらに一歩。


「彼女に並べる存在になる、と」


 距離が、縮まる。


「そのために、すべてを捧げました」


 騎士団に入り、戦い、地位を得て。


 そして。


「ようやく、辿り着いた」


 目の前に、立つ。


 すぐそこに。


「あなたの元へ」


 静かな告白。


 けれど、その重みは計り知れない。


「……ですから」


 声が、わずかに低くなる。


「失いたくないのです」


 赤い瞳が、揺れる。


「もう、二度と」


 その言葉に。


 私は、しばらく何も言えなかった。


(……重いですわね)


 正直な感想。


 あまりにも。


 あまりにも、重い。


 けれど。


(……嫌ではありませんわね)


 不思議と、そう思った。


 私は、ゆっくりと息を吐く。


 そして。


「……なるほど」


 小さく頷いた。


「事情は理解いたしました」


「……」


 カシアンが、わずかに身構える。


 拒絶されるとでも思っているのだろうか。


(……本当に)


 面倒な方。


 私は一歩、彼に近づいた。


 そして。


 にっこりと微笑む。


「素晴らしいですわね」


「……え?」


 間の抜けた声が返る。


「長年の努力の成果、見事に結実しておりますもの」


 さらりと続ける。


「騎士としても、領主としても、非常に優秀です」


「い、いえ、私は……」


「誇ってよろしいかと」


 言い切る。


 カシアンが、完全に固まった。


 理解が追いついていない顔。


 それが少し可笑しくて、私はくすりと笑う。


「ですので」


 言葉を重ねる。


「その“成果”として、私はここにおります」


 まっすぐに、彼を見つめる。


「つまり」


 軽く首を傾げる。


「あなたは、見事に“領民を守る騎士”としての責務を果たした、ということですわね」


 数秒の沈黙。


 そして。


「……領民?」


 ぽつりと、呟く。


「ええ」


 当然のように頷く。


「私はアシュレイ領の出身ですもの。元領民と言って差し支えないでしょう?」


「いえ、あの、それは……」


 明らかに困惑している。


 先ほどまでの重苦しい空気が、どこかへ消えていく。


「ですので」


 私は一歩、距離を詰めた。


「安心なさってくださいな」


 にこりと微笑む。


「優秀な騎士は、そう簡単には見捨てませんわ」


 その言葉に。


 カシアンは、完全に言葉を失った。


 真っ赤になったり、青ざめたり。


 表情が忙しく変わる。


(……あら)


 思わず、目を瞬かせる。


(意外と、押しに弱いのですわね)


 あれだけの“狂信”を見せていた人物が。


 まるで、叱られた子供のように立ち尽くしている。


 私は小さく笑みを浮かべた。


「さて」


 軽く手を叩く。


「お話はこれくらいにいたしましょう」


「……は、はい」


 かろうじて返事が返る。


「まだやることが山積みですもの」


 くるりと踵を返す。


 そして、扉へと向かいながら。


「これからも、よろしくお願いいたしますわね」


 振り返らずに告げる。


 その背後で。


「……はい」


 小さく、けれど確かな声が返ってきた。


 こうして。


 黒薔薇の騎士の“狂信”は。


 ほんの少しだけ、その形を変えた。


 絶対的な執着から。


 どこか、ぎこちない。


 けれど確かな――


 “応えようとする愛”へと。


 そして私は。


 その変化を、ほんの少しだけ楽しみながら。


 次にやるべきことへと思考を切り替えたのだった。

この過去を知って印象変わりましたか?

「納得」か「余計に重い」か、どちらでしたか?

一言お聞かせください。

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