第六話:飼いならされる騎士
「――こちらの在庫、先月からほとんど動いておりませんわね」
帳簿を指先で軽く叩きながら、私は顔を上げた。
目の前には、やや青ざめた様子の責任者と――その背後に、なぜか直立不動で控えている辺境伯。
(……なぜいらっしゃるのかしら)
本来であれば、この場にいる必要のない人物なのだけれど。
当の本人は、至って真面目な顔をしている。
「理由を説明していただける?」
「は、はい……!」
責任者が慌てて口を開く。
しどろもどろになりながらも、必死に現状を説明する。
要約すれば――需要の予測を誤り、余剰が発生した、ということらしい。
「なるほど」
私は頷いた。
「では、今後は発注量を三割減らしなさい」
「さ、三割でございますか?」
「ええ。それでも足りない場合は追加発注すればよろしいでしょう?」
「は、はい……!」
「それから」
私は視線を横にずらす。
「カシアン様」
「はい」
即座に返事が返ってきた。
……本当に、なぜここに。
「この倉庫、位置が非効率ですわね」
「非効率、ですか」
「ええ。搬入経路と消費地点が離れすぎています。無駄な移動が多い」
帳簿とは別の紙を取り出し、簡単な図を描く。
「こちらに移設すれば、動線が短縮されますわ」
差し出す。
カシアンはそれを受け取り、じっと見つめ――
「……確かに」
素直に頷いた。
「すぐに手配いたしましょう」
「お願いします」
あまりにも自然なやり取り。
まるで、彼が部下であるかのような。
周囲の使用人たちが、微妙な表情でこちらを見ているのが分かる。
(……まあ、そうなりますわよね)
辺境伯に対して、ここまで遠慮なく指示を出す者など、そうはいないだろう。
けれど。
(問題があるなら、是正するだけですもの)
立場云々は関係ない。
効率の話だ。
「では、次」
ぱらりと書類をめくる。
「人員配置についてですが――」
そのまま、指示を続ける。
誰がどこに足りていないか。
どの部署が過剰か。
具体的な数字とともに提示する。
「この二名をこちらへ。逆に、こちらは一名減らしても問題ありません」
「かしこまりました!」
「即日で対応を」
「は、はい!」
矢継ぎ早に決まっていく。
誰も反論しない。
できない、というより――
(納得している、のですわね)
説明すれば、理屈が通っていることは分かる。
だからこそ、受け入れられる。
それは、悪いことではない。
ひと通りの指示を終え、私はペンを置いた。
「以上ですわ」
「ありがとうございました!」
責任者たちが一斉に頭を下げ、足早に退出していく。
残されたのは、私と――カシアン。
そして、沈黙。
「……随分と、手際がよろしいのですね」
やがて、彼が口を開いた。
「一応、教育は受けておりますもの」
肩をすくめる。
「伯爵家の令嬢として」
「それ以上のものに見えますが」
「そう見えるだけですわ」
さらりと流す。
実際、多少の経験はあるけれど、特別なことをしているつもりはない。
ただ、当たり前のことをしているだけ。
カシアンは少しの間、私を見つめていた。
その赤い瞳が、じっと。
「……嬉しい」
ぽつりと、呟く。
「は?」
思わず聞き返す。
今、何と?
「あなたが、この場所に関わってくださることが」
穏やかに続ける。
「私の世界が、より良くなっていく」
その言葉に、ほんの一瞬だけ言葉を失う。
(……この方)
自覚があるのか、ないのか。
“自分の世界”と、はっきり言い切った。
そしてそこに、私が関わることを喜んでいる。
「……それは、何よりですわ」
とりあえず、そう返しておく。
それ以上踏み込むのは、今は得策ではない。
カシアンは満足そうに微笑んだ。
そして。
「何か、他にもご要望はございますか」
静かに問いかけてくる。
「要望、ですか」
「はい」
少しだけ身を乗り出す。
「どのようなことでも構いません。すべて叶えます」
迷いのない断言。
そこには、誇張も虚勢もない。
本気だ。
(……なるほど)
私はゆっくりと瞬きをする。
ここで、試してみるのも悪くない。
「では」
軽く顎に指を当てる。
「庭園の一部を、別の用途に使いたいのですが」
「庭園を」
「ええ。すべてを黒薔薇で埋めるのではなく、区画を分けて薬草や食用植物も育てたいと思いまして」
実用性の観点からの提案だ。
いざという時の備えにもなる。
けれど。
(さて、どう出ますか)
黒薔薇への執着が強いと聞いている。
これにどう反応するかで、彼の“優先順位”が分かる。
カシアンは、少しだけ考えた。
ほんの数秒。
そして。
「……分かりました」
あっさりと頷いた。
「必要なだけ、区画をお使いください」
即答。
しかも、躊躇いがほとんどない。
(……本当に)
予想以上だ。
「よろしいのですか?」
「もちろんです」
微笑む。
「あなたの望む形に、整えてください」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥で、何かがはっきりと形を持った。
(――ああ)
理解する。
この人は。
私にとって――
(“使える”方ですわね)
危険ではある。
けれど同時に、非常に扱いやすい。
方向さえ間違えなければ、これほど心強い存在もない。
私はゆっくりと立ち上がった。
「では、遠慮なく」
軽く微笑む。
「しばらく忙しくなりそうですわ」
「それは何よりです」
カシアンも立ち上がる。
その表情は、どこまでも穏やかで――
どこか、期待に満ちている。
「もっと、私を使ってください」
静かに告げられる。
その言葉に、一瞬だけ空気が揺れた気がした。
(……まあ)
思わず、口元が緩む。
これほど分かりやすい申し出も珍しい。
「ええ」
私は、迷いなく頷いた。
「では、そうさせていただきますわ」
こうして。
黒薔薇の騎士は、少しずつ。
その手綱を、こちらに委ね始めた。
本人が望んでいるのか、それとも無意識かは分からない。
けれど。
(主導権は――こちらにありますわね)
確かな手応えを感じながら。
私は次に行うべき改革のことを考え始めたのだった。
カシアン、もう手懐けられてると思いますか?
「完全に従ってる」か「まだ危うい」かで意見聞きたいです。
よろしければ、一言お聞かせください。




