第四話:隔離生活の始まり
翌朝、目を覚ました瞬間。
(……静かですわね)
それが、最初の感想だった。
王都の屋敷であれば、朝はいつも何かしらの物音があった。使用人たちの足音、食事の準備、外を行き交う馬車の気配。
けれどここには、それがない。
あるのは、ただ整えられた静寂だけ。
ベッドから身を起こし、カーテンを開ける。
窓の外に広がるのは――やはり黒薔薇。
どこまでも続く、ブラックバカラの海。
(見事、ですけれど)
同時に、逃げ場のなさも感じさせる光景。
ぐるりと囲まれている、という実感が否応なく湧いてくる。
「……まあ」
小さく息を吐き、私は振り返った。
用意されていたドレスは、すでに完璧に整えられている。
しかも、私の好みに合わせたかのような色味と仕立て。
(……随分と準備がよろしいこと)
採寸でもしたのかしら、と一瞬考え――すぐにやめた。
深く考えると、あまりよろしくない気がしますもの。
着替えを済ませ、部屋を出る。
廊下にはすでに使用人が待機していた。
「おはようございます、奥様」
揃って頭を下げる。
……奥様。
まだ正式な婚姻は済んでいないけれど、扱いとしてはもうそういうことらしい。
「おはようございます」
軽く会釈を返す。
「朝食のご用意が整っております」
「ええ、いただきますわ」
案内されるままに食堂へと向かう。
扉が開かれた瞬間、わずかに目を見張った。
長いテーブルの上に並ぶ料理の数々。
焼きたてのパン、温かなスープ、新鮮な果物、丁寧に調理された肉料理。
――完璧ですわね。
量も質も、申し分ない。
むしろ、王都の伯爵家としての水準を軽く上回っている。
「お口に合うとよろしいのですが」
声がして、視線を向ける。
そこにはすでにカシアンが座っていた。
相変わらず隙のない装いと、柔らかな笑み。
「おはようございます、シルヴィア」
「おはようございます、カシアン様」
向かいの席に着く。
自然な流れで、彼が給仕を指示した。
「どうぞ、ご遠慮なく」
「では、失礼して」
ナイフとフォークを取り、料理に手をつける。
一口。
(……美味しい)
思わず、ほんの少しだけ目を細める。
素材も調理も、一流。
これは、偶然ではない。
「お気に召しましたか?」
「ええ、とても」
素直に答える。
カシアンは嬉しそうに微笑んだ。
「それはよかった」
まるで、褒められた子供のような反応。
そのギャップに、わずかに違和感を覚える。
けれど。
(……悪くはありませんわね)
むしろ、扱いやすい部類かもしれない。
食事を進めながら、私はさりげなく問いかける。
「本日は、この後どのような予定になりますの?」
「特に決まったものはございません」
即答。
「この屋敷で、自由にお過ごしください」
「自由に、ですか」
「はい」
頷くカシアン。
「図書室も、温室も、庭園も。どこでもお好きな場所へ」
そこで、ほんの一拍置いて。
「――屋敷の敷地内であれば」
さらりと付け加える。
(……やはり)
内心で納得する。
昨日の時点で予想はしていたけれど、はっきりと線引きされましたわね。
「敷地の外は?」
一応、確認する。
カシアンは一瞬だけ沈黙し、そして穏やかに答えた。
「おすすめいたしません」
「理由を伺っても?」
「危険だからです」
迷いのない返答。
けれど、その目はわずかに細められている。
「結界の外は魔物が出没します。護衛なしでの外出は、到底許可できるものではありません」
「では、護衛をつければ?」
重ねて問う。
すると。
「――必要ありません」
ぴたりと、言葉が遮られた。
先ほどまでの柔らかさはそのままに。
けれど、明確な拒絶。
「この屋敷の中で、すべては完結します」
ゆっくりと告げられる。
「外へ出る理由は、ありません」
視線が、こちらを捉える。
逃がさない、とでも言うように。
(……なるほど)
分かりやすいですわね。
私は一瞬だけ考え――そして、あっさりと頷いた。
「承知いたしました」
「……」
カシアンが、わずかに目を見開く。
予想外だった、という顔。
「危険を冒す必要はありませんもの」
淡々と続ける。
「衣食住が保証されているのであれば、無理に外へ出る理由はありませんわ」
事実、その通りだ。
生存のための条件は、すでに満たされている。
それ以上を求めて危険を冒すのは、合理的ではない。
「それに」
ナイフを置き、私は微笑む。
「これだけのお庭があれば、退屈もしないでしょうし」
黒薔薇の庭。
確かに閉じられてはいるけれど、同時に一つの世界として完成している。
カシアンはしばらくの間、何も言わなかった。
ただ、じっとこちらを見つめている。
やがて。
「……そう、ですか」
ぽつりと呟く。
その声音には、わずかな戸惑いが混じっていた。
そして同時に――
ほんの少しの、安堵。
(……面白い方)
内心でそう評する。
閉じ込めようとしている側が、こちらの反応に動揺している。
実に奇妙な構図だ。
食事を終え、席を立つ。
「では、早速“自由に”過ごさせていただきますわ」
「はい」
カシアンも立ち上がる。
「何かあれば、すぐにお呼びください」
「ええ」
軽く頷き、私は食堂を後にした。
廊下を歩きながら、ゆっくりと考える。
(……さて)
状況は、予想通り。
外出は制限されている。
使用人は全員、カシアンの意向に従っている様子。
つまり。
(完全に管理された環境、ですわね)
けれど。
不自由かと問われれば――そうでもない。
生活は快適。
危険は排除されている。
むしろ、過保護なほどに整えられている。
「……悪くありませんわね」
小さく呟く。
そのとき。
「お嬢様」
背後から声がかかった。
振り返ると、アルフレッドが立っている。
「お変わりはございませんか」
「ええ、今のところは」
微笑む。
「思っていたより、ずっと快適ですわ」
「……しかし」
彼は言い淀む。
「やはり、この環境は……」
「ええ、閉じられていますわね」
あっさりと認める。
アルフレッドが目を見開く。
「ですが」
私は肩をすくめた。
「閉じられているからといって、不利益とは限りません」
「と、申されますと?」
「守られている、とも言えますもの」
実際、外の世界は今の私にとって敵だらけだ。
借金、権力争い、社交界の視線。
それらすべてから切り離されていると考えれば――
(むしろ、楽ですわね)
そう結論づける。
「当面は、この環境を最大限に活用いたします」
はっきりと告げる。
「与えられた条件の中で、最も効率的に動く。それだけのことですわ」
アルフレッドはしばらく沈黙し――やがて、深く頭を下げた。
「……承知いたしました」
その反応に、私は満足げに頷く。
そして、再び歩き出した。
黒薔薇に囲まれた屋敷の中を。
与えられた“自由”の範囲で。
――どう生きるかを、考えながら。
こうして。
シルヴィア・フォン・アシュレイの“隔離生活”は。
思いのほか、穏やかに幕を開けたのだった。
この環境、住めると思いますか?
「快適そう」か「さすがに閉じ込められてる感が強い」か気になります。
よろしければ、一言教えてくださいね。




