5.ダンジョン?
ゆっくりと意識が浮き上がってくる。
ポチャン…ポチャンと遠くから水音が聞こえ、夢から覚めていくような感覚に懐かしさを感じた。
(水の音…遠い…、確か前にも…こんな感じがあったような…)
あれはどこで感じた事だったか、いつだったか、そうしっかり考える事が出来始めた。
(いつだっけ…この夢から覚めていく感…覚…っ!)
その感覚は、侑人がマギカネリアへやって来た日に感じたものだった。
確実な死を意識したのは2度目。1回目は地球の駅のホームで、2回目は自ら死に向かったようなものだった。
大切なものを守るために。
(リュート!)
意識を取り戻した侑人は、上半身を起こして卵を探した。…卵は股の間にあった。
「…はぁ~~~っ、良かっ…割れてないよな?」
安堵の息を吐いた所で、卵に異常がないか確認した。幸いヒビも見当たらず、改めて胸を撫で下ろした。
そうすると…やっと周りが見えてきた。
ゴツゴツとした岩の多い洞窟、ポチャン…ポチャンと聞こえてくる水音、そして光源は見当たらないのにそれなりに明るい。それはミュリアルから習い、侑人が実際に見た事のある光景だった。
「………、ダンジョン? …え?」
侑人は授業の一環として、ミュリアルに初級ダンジョンへ連れていかれた事がある。光源も無いのに何故ダンジョン内は明るいのか、師匠であるミュリアルの答えは「…ダンジョンだから?」であったが。
モンスターが居て、宝箱もあり、仕組みの解明もされていない、不思議の詰まった場所、ダンジョン。アイテムや経験値といった恩恵を与えてくれる場所である。そして容易く命を奪っていく場所でもある。
洞窟内の明るさからダンジョンと推測した侑人だったが、浮かぶ疑問は様々だった。そして浮かぶ疑問はダンジョンに関してだけではない。
崖から飛び降りたはずなのに生きている、モンスターは見当たらない、地球ではないだろう、怪我も見当たらず卵も無事、崖の下がダンジョンに繋がっていたのか? シルヴィアは今どうしているだろう、出口はどこだ。
頭の中で考えつつ目から入ってくる情報が、関連性を持たずやたらめったに浮かんでくる。
(いけん、落ち着かんと…。まずは武器が…あの短剣持ったままで良かったぁ。そしたら次は死角を無くして…あっちとあっちに通路があるけぇ、視界に入るように移動して…。これで状況の把握を…把握って言ってもなぁ)
ダンジョンらしき場所で目覚め、可能な範囲の安全を確保した侑人は、改めて状況の把握に努めた。
崖から飛び降りた後はどうだったか。落ちていく程に狭くなっていた崖で体をぶつけたりしていれば、擦り傷切り傷…当たり所が悪ければ骨折していてもおかしくない。
それからの事はどうだったか。もしかしたら空中で失神か…落下中に側壁で頭を打って気絶した可能性もある。どちらにしても落下途中からの記憶は無い。そのまま崖の底に…落ちたのかもしれないし、途中でワープのような不思議な現象が起こったのかもしれない。推測でしかないが、今居る場所の事を思えばそれくらいしか浮かばない。
仮に崖の底…落ちた先がダンジョンに繋がっていたとして、何故無傷なのか。実は崖の底が川になっていて助かったのか?と考えが浮かぶが、到底無理だ。例えそうだったとしても、着水の瞬間死んでいる可能性は非常に高い。水がクッションになどならず、地面と遜色のない硬い凶器と化していただろう。もっと言えば、目を覚ました場所の近くに川なども無く、髪も服も濡れてはいない。谷の底が川という線は無いと切り捨てた。
ではワープだか転移だか、不可思議な現象でも起こったのだろうか。それこそ分かるわけがない。
(崖から飛び降りて意識を無くしたけど、何故か無事にここに…ダンジョンっぽい場所にいると。なるほど…さっぱりだわ)
思い出しながら推測をし、分からないという事が分かった侑人だった。
次に現在の状態を確認した。辺りは岩がちらほらとあり、それなりの明るさ。通路と通路を繋ぐ広場…と言うには狭い場所におり、見上げるとちゃんと天井がある。
実は転移していて、地球の洞窟の可能性はあるか。少なくとも今いるここは太陽の光も届いていなさそうな場所で感じる明るさではない。そんな場所が地球にあるかどうかなど侑人は知らないが、ダンジョンである可能性の方が高いだろう。
ダンジョンだとして等級はどの程度か。入った事があるのはジャガーバルト領にある初級だけ…しかも第一層のみ。ゴブリンとの戦闘を考えても、技も力も心許無い。そもそもステータスが無いので戦闘自体が無謀だ。どんなモンスターがいるか分かれば、ダンジョンの等級もおおよそ検討がつくのだが…それはそれでリスクが大きい。見つかって逃げきれなければ…待っているのは死だけだ。
持っている短剣で戦えるか。…正直なんとも言えない。ジャガーバルトの街で買った剣よりは攻撃力は高いだろう…が、扱う者次第。取り回しは良くなったかもしれないが、リーチは短くなっている。何より、どれだけ短剣が高性能だったとしても、ステータスがなければ普通の短剣と変わらない。それはミュリアルとの実験で確認済みだ。
ジャガーバルトに近い森で、同じ武器を使用して斬撃・投擲など試したが、的となった木へのダメージの差は一目瞭然だった。体格差など関係なし、それほどレベルとステータスはこの世界で生きる者には欠かせない。
これからどうするか。このダンジョンらしき場所から脱出が可能なら脱出したい。その為には生き残らなければならない。武器は手元に…あると言えばあるので、次は水の確保だろうか。
2つ見える通路のどちらへ進むか。ポチャン…ポチャンと水の音が聞こえるのは向かって左手側の通路。(希望を持って進むなら左手側か…)と思いつつも、右手側の通路に何があるかも気になってしまう。もしかしたら右手側に進んでいけば、すぐに出口があるかもしれない。そのもしかしたらが捨てきれない。しかし今いる場所が第一層とも限らない。
(…天井に穴も無いし、落ちてきてここにいたって事はなさそう…落ちた説は無いんだった。五体満足どころか怪我も無いのはほんと幸いだったけど)
これ以上考えても進展は無さそうだったので、動き出す事にした。左手に卵を、右手に短剣を持ち、足音を立てないようにして気になっていた右側の通路…を覗き込んでから、水の音がする左の通路へと入っていった。
侑人、優柔不…慎重な男である。
☆
いつ、どこから、どの程度の強さの何が襲ってくるかも分からない。侑人は体を震わせ、鳥肌を立たせながらも通路を進んだ。
(通路も足元も見えとるけど、背後が気になるし…。~っ! うぅ…鳥肌ぁ! 怖いっちゅ~ねん!)
滅入りそうになり、無理矢理テンションを上げて…しかし慎重に歩みを進めた。その先にあったのは、目覚めた場所より多少広い空間。相変わらず岩だらけの洞窟内だが、そのスペースには先へ進む通路と、池というには小さいが水場があった。
その水深は20cm程度、水面には底から水が湧き出ているような揺らぎが見て取れる。水場から一段下がった場所へ水滴が落ちる、聞こえていた水音はここからのようだった。
侑人は水場に近付き、静かに短剣を地面に置いて手を洗い、いつかやった時のように水を掬って口に含んで吐き捨てた。
(大丈夫…かな? 一応一口だけにしとこ)
いつぞやよりも割り切りが良くなっている侑人。マギカネリアで生活するうちに図太くなったようだ。
3カ月程度ではあるが、早朝のランニングやミュリアルとの訓練だけでなく、モンスターとの戦闘まで…低レベルのゴブリン相手だが、日本では決して経験出来ない事もやってきた。それは確かに侑人の力になっている。
先ほど目覚めた後の行動も、『不測の事態に直面した時に何をすればいいか』といった冒険者の心構えを教わっていた結果だ。慌てず状況を把握し安全を確保…このような形で実践するとは本人も思っていなかったが。
(一応水の確保は完了。救助の可能性は…無いよなぁ、動くしかないか。持ち物は短剣と卵と電池切れのスマホ、スマホは正直使えんけど…ポケットに入れっぱにしとっただけじゃし。服は普通で…防具は無いし食料も無いし…ハードモードだなぁ、よしっ)
深呼吸ひとつ、小さく気合いを入れて立ち上がり、奥へと続く通路へと進んでいった。生きて帰るために。
☆
(あかん…アレはあかん…)
侑人、早くも挫折した。
進んでいった通路の先は大きな広場になっていた。その出口は高い場所にあり、広場へと降りられそうな足場はあったのだが…その広場に1匹のモンスターを確認してしまった。
広場の地面は上からでも多少の起伏が見て取れ、数は少なく大小の違いはあるが乱雑に置かれている岩もあった。
そこに存在したモンスター。黒い鎧のように見える硬そうな殻、6本の足を持っているが二足歩行であり、残りの4本は腕のように見え、1本の腕に槍を持っている。頭部には触角があり、地球に居た頃は気にしたことも無かったその顔は、牙のような顎がとても恐ろしく見えた。
アント種、キラーアント。通称は蟻。単体の危険度はランク4で、同じランクのモンスターにはハイオークやウルフ種の赤と黒などがいる。
ランク2に分類されるグレイウルフでも侑人からすれば強敵…ランク4のモンスターなどとても戦える相手ではない。しかもキラーアントというモンスターは仲間を呼ぶ。その集団化した個体数によって危険度ランクが変動する、特殊なモンスターだった。
幸いキラーアントは1匹だけで、侑人はまだ見つかっていない。侑人は静かに…来た道を戻った。
(キラーアント…ここが何層かは分からんけど、アレがおるってことは少なくとも中級以上…多分上級のはず。授業役に立ってるよぉ師匠~!)
行動を始めてわずか3分で見かけたモンスターに、後ろに向かって前進を始めた侑人は若干テンションがおかしくなっていた。
運よく見つからずに済んだ事に、もし見つかっていれば無謀な追いかけっこの末に死んでいたであろう事に、知識を与えてくれていた師匠に。綯い交ぜになった気持ちが、心の中で暴れていたのだった。
心臓がドクドクと主張しながらも慎重に水場のある広場へと戻ってきた侑人は、水を飲んで新しく仕入れた情報について考え始めた。
(ここが…上級ダンジョンと仮定して、戦闘は無謀…。キラーアントが何匹集まるか分からんし、まぁ1匹相手でも倒せる相手じゃないんじゃけど)
キラーアントの危険度はランク4、3匹集まるとランク5、10匹以上はランク7に分類される。
数が増えるほど仲間を呼ばれる危険が増えてしまい、10匹以上となると倒すより増える方が早くなり、最終的に狩り尽くさねばならなくなる。その数はいったい何匹になるのか…それはダンジョン次第である。
☆
マギカネリアにも重力はあり、遠心力といった慣性もある。ステータスがあっても高所から落ちて怪我をする事もあれば、病気で寝込む事もある。柱や机の脚に小指をぶつければ痛い。
ステータスを持たない侑人でもゴブリンに勝てるのは、剣を振る遠心力による破壊力と、剣の鋭さがあるからだ。仮に素手でやりあえば…分は悪くなるだろうが、寝技や関節技、目つぶしといった急所への攻撃も有効だろう。ゴブリンと寝技で戦いたくなど無いが。
侑人が初めて戦った相手、ホーンラビットにもステータスは存在したが、そのステータスを上回る両足での踏みつけ攻撃で勝利している。
このように、モンスターを倒せる攻撃…ステータスに頼らない物理的な攻撃は存在する。が、モンスターの危険度ランクがあがれば、そんな方法では倒せなくなっていく。
例えばジャガーバルトの街に近い森にもいるグレイウルフ。ランクは2だが足は速く、牙も爪も立派な凶器だ。実際に戦った事がある侑人だが、その機動力の前では攻撃は当たらなかった。その時グレイウフルを倒したのはミュリアルだったが、侑人がもし逃げたとしても追いつかれるのは間違いなかっただろう。その後リベンジマッチをしてなんとか勝っている…辛勝だが。
例えば先程見かけたキラーアント。そのステータスはゴブリンの比ではなく高い。その攻撃は軽々と侑人を吹き飛ばすだろう、その殻は何の問題も無く侑人の攻撃を弾くだろう、その顎は易々と侑人の体を噛み千切るだろう。
一般的な冒険者でも、討伐に時間がかかれば仲間を呼ばれ、状況は絶望的になる。
例えば王都にある中級ダンジョンにいるオークロード。足も動作も速いとは言えないが、安心できる材料ではない。HPの高さに加え、一撃でも当たれば危険な重い攻撃が延々と続く。ダメージを与えても傷が回復し、こちらが疲弊してしまえば攻撃を食らう可能性は高まる。命を懸けて戦うとなれば疲弊も早まるだろう。
例えば竜の谷にいたグルード。最強種と言われるドラゴン相手に戦う事自体が間違っている。グルードが血痕といった痕跡が残る事を考えていなければ、本来なら掴まれた時点で握り潰されて終わっていた。
ともかく、侑人がギリギリ勝てるのはランク2相当のグレイウルフまで。ランク3相手でも逃亡必至なのに、ランク4の中でも厄介なキラーアントのいるダンジョンは、絶望でしかなかった。
(戻ってあの右の通路を進むしかないか。戦うとか無理だし…見つかったら完全に詰むし。もしかし…いやいや)
もしかしたらと考えなくはないだろう。最強種の卵が手元にあり、時期的にはそろそろ孵化してもおかしくない。貴重な戦力が増えるかもしれない…と。
(生まれたばかりの子を戦わせるとかないわ~、そもそも生後間もなしで戦えるわけないわ~、ドン引きだわ~、ドン引きだわ~…)
侑人は自分の考えにドン引きと繰り返し、落ち込んでいた。死にたくはないが、何をしてもいいわけではない。生き残る手段として利用していいわけがない。そう言い聞かせた。
…手の中にあるのは守るべき存在なのだから。
ポジティブに考えようとしても、ダンジョン内という場所と状況がそれを拒む。侑人は無意識に卵を撫でていた。
こんな場所で孵化してしまったらどうすればいいんだろう、無事に孵化したとしてもその後は一体どうなるんだろう、産声を上げればモンスターに気付かれてしまうだろうか、モンスターに蹂躙される…そんな事が起こるくらいならいっそ今のうちに卵を…。
侑人は思考がマイナスに傾きながらも卵を撫で続けた。実行する気はなくとも、絶望の中で産まれるくらいなら…生きていく場所が絶望の中になってしまうのなら…と、考えは落ちる所まで落ちた。
あとは…這い上がるだけだった。
(子の幸せ…人生を親が勝手に決めるなって話よな…。少なくとも普通の幸せとは違うかもしれん、そもそも幸せとは呼ばんかもしれん。でもまぁ、父さんは死ぬまで一緒におるよ…死ぬのは間違いなく俺の方が先じゃろうけど)
侑人は心の中で卵へと語り掛け、水を飲むために置いていた武器をそっと手に取って立ち上がり、目覚めた場所まで戻り始めた。
死が間近にあって、恐怖心は確かにある。もし1人だったら震えて動けなくなっていたかもしれない。
ここがどこで何層なのだろうか、モンスターがキラーアントだけとは限らない、どんな罠があるのか分からない、短剣はここのモンスターに通用するのだろうか。不安要素だらけだったが、それでも歩き続けた。
そうして目覚めた場所にまで戻ってくると、反対側の通路へと歩を進めた。
周りの明るさは相変わらずで、足元も歩きにくさは殆ど感じない。この洞窟はやっぱりダンジョンなんだろうな…と再認識し、目と耳に意識を集中させながらゆっくりと進んだ。
「………」
ギチチチチ…、進む通路の先から聞こえてきた音。心臓がドクンと跳ねて全身がヒヤリとしたが、慌てるなと言い聞かせながらすぐに後退した。
音はまだ遠いが、通路の先から近付いてきているように聞こえる…モンスターの鳴き声。戻ったところで通路に脇道も無く、先程キラーアントを確認した広場に行くしかなかった。
生き残るんだと強く思っていた。案外すぐ出られて助かるんじゃないか? そう楽観視していたつもりはない。だが、近付いてくる死を認識した途端、強く思ったはずの生き残るんだという目標が希薄になった。
心構えを教わり、知識を増やし、モンスターとの実践も行ってはいたが、侑人には圧倒的に力と経験が足りなかった。
ステータスを持たない侑人が生きるには、ステータスのあるこの世界では大きすぎるハンデ。経験などそう積めないのも無理はないが、やれる事がもっとあったのではないか、死に物狂いでやっていれば、と悔やむ気持ちが出てきてしまう。
歩き続けて水場のあるスペースまで戻ってきたが、ギチチチチという音はかすかにだがまだ聞こえている。
(…多分蟻だよな…挟まれた。ここに身を隠す…には狭い、見つかる。…触角の効果とかまで知らんけど、普通そういう器官なら隠れてもバレる可能性の方が高い…なら…)
表情を取り繕う事などせず、恐怖で泣きそうな青い顔をしたまま通路の先の広場へと向かった。
戦う事は選べない、相手が悪すぎるのだ。そもそもの強さと仲間を呼ぶ厄介さ、もし侑人に一撃確殺が可能だったなら通路のキラーアントを倒す案もあっただろう。一か八か短剣で挑むよりは、まだ見つかっていない内に広場を抜ける方を選んだ。
(抜けた先にセーフエリアがあればモンスターは入れんけど…そう運良くあるもんじゃないし。最悪を想定するなら見つかって追いかけっこになって…仲間を呼ばれて囲まれて終了。逃げ…きる、弱気はいかんよな。水を飲めた、それだけでも有難い。食料の当ては無いけど、まだ全然動ける)
逃げ切れるのだろうかという不安を、逃げ切るのだと思い直した。いざ行動しようとすれば、心臓が「危険だ!」と言っているかのようにドクドクと鳴る。
侑人は静かに深呼吸をして、最初にキラーアントを見かけた広場へと再び進んでいった。




