4.グルード
それは卵にリュートという名前の候補が挙がった数日後だった。
「黒竜の森で、黄竜と黒竜が争ってる…?」
「はい、オニキス様とバッツェ様の戦いともなればその被害は甚大…。この谷にも被害が及ぶかもしれません」
「そう。でも、私はここを動けない。こっちまで被害が来そうなら対処する。今はリュートを撫でる時間」
「し、しかしそれでは万が一という事が! あの方々を止められるのはシルヴィア様しか!」
「…シルヴィアさんが行って危険は無いんですか?」
「私とっても強いから。黄竜と黒竜、一緒に相手にしても多分大丈夫」
「そっか。でもグルードさんが言ったようにここに被害が出て、この子に万が一の事があったら困るでしょ?」
「おぉ、ユート殿ありがとう。ユート殿の言う通り、何かあってからでは遅いのですよ?」
「確かに…そうだけど…。あ、リュートを撫でながら行って止めさせればいいかも」
「そんな危険そうな場所にこの子を連れて行ったらそっちの方が危ないでしょ? 俺がシルヴィアさんの分も撫でておくから、いっておいで。でも、気をつけてね?」
「うぅ………、分かった…」
渋々了承したシルヴィアは侑人にリュートの事を任せ、2頭の竜の争いを止める為にドラゴンへと姿を変え、翼を広げて飛び立った。
飛び立つ最後の瞬間まで、チラチラと侑人の抱く卵を見ていた。侑人が止めなければ、本当に卵を撫でながら黒竜の森へ行っていただろう。
黒竜オニキス、黄竜バッツェ、どちらも竜種の中で上位に位置する力を持っている。シルヴィアよりは下だが。
シルヴィアはその2頭を黒竜、黄竜と呼ぶ。名前で呼ぶと調子に乗って触って来るので、わざと名前を呼ばないようにしているらしい。
2頭ともシルヴィアを番にしようとしている、恋のライバルであった。が、脈はなさそうだ。
侑人を抱えて飛んだ時のような枷はなく、速度を上げて飛んで行ったシルヴィアは…もう小さくなっていた。
「…はっや~」
(飛行機…戦闘機かってくらい早いな、それだけ急いで行って帰ってくるつもりか。あはは、親バカだなぁ。…俺もか)
「…シルヴィア様は戦いでも空を飛ぶ速さでも他のドラゴンより優れている。先程は助かった、礼を言わせてもらおう」
「(…あれ?)…いえ、何かあってからじゃ遅いのはその通りですしね。…では俺はこの子にご飯をあげますので」
侑人が手に取ったのは短剣だった。卵のご飯用に置かれているアイテム類、その中にあった多少装飾のある…鋭く実用性の高そうな短剣だ。
「あぁ、それには及ばない。貴様には消えてもらうからな」
「………」
(雰囲気が…話し方がおかしいと思って短剣を手に取ったけど、こんな急に態度を変えてくるなんて)
「先程は本当に助かった。シルヴィア様が居ては貴様をどうする事も出来なかったからな」
「………」
「その短い剣でどうする気だ? ステータスも無いのに私と戦う気か?」
態度を急変させたグルードに、侑人は何も答えなかった。何を答えても相手を怒らせる結果にしかならないと思ったからだ。今にも自分を殺そうとしている相手に、一体何を言えば正解なのだろうか…と。
ユートの事情は、…多少ではあるが、竜の谷にいるドラゴン達に伝えられている。侑人が他のドラゴンとコミュニケーションを取る時に、うっかり怪我をさせてしまわないようにと思い、シルヴィアが伝えていた。
グルードは侑人に対して友好的だった。食料となる果物や動物の肉を侑人用に用意していたのはグルードだった。シルヴィア以外で一番話をする相手もグルードだった。
その友好的だったはずのグルードが、今は侑人を蔑むように見ていた。
「…これはこの子のご飯です」
「必要ないと言っている!!」
「っ!」
怒らせるかもしれないと思っていながらも話しかけた侑人だったが、想像した通りグルードは機嫌を悪くした。
「シルヴィア様の卵をどうするかとずっと考えた。…人族の混じった卵など、やはり受け入れられない」
「…それでもこの子は、シルヴィアさんの卵ですよ」
「その上で受け入れられないと言っているのだ! 何度言わせる貴様!」
侑人が何を喋ろうと、シルヴィアが戻って来るまでの時間稼ぎにも説得にもなりそうになかった。
隙を見て逃げ出そうにも、ステータスを持たないただの人間が最強種を相手に何か出来るわけもなく、侑人には卵を抱きながら口を動かす以外に取れる術は無かった。
その唯一取れる行動も、グルードの怒りを買うだけだった。
侑人が気に入らないのか、人族自体が気に入らないのか、これからどうするつもりなのか。聞きたい事はあっても、どれも危険な質問。下手に口にすればそこで殺されてしまうだろうというのは容易に想像できる。
媚びへつらう事も無駄だろう。シルヴィアが居なくなった時点でチェックメイトだった。
…では何故、まだ侑人は殺されていないのか。
「何故殺さないのかとでも考えているのだろう? 答え合わせをしてやろう」
そう言ったグルードは、卵を抱いたままの侑人を前足で掴み、外へ飛び出した。
シルヴィアに運ばれた時とは全く違う荒い持ち方、侑人を握る強い力、体に受ける凄まじい風、掴んでいる侑人と卵の事を一切考慮しない飛び方、その速さ。
飛んでいた時間は長くは無かったが、いつ終わるとも知れない拷問と、握り潰されてしまうかもしれないという恐怖に怯えながら、侑人はなんとか呼吸を確保する事と卵を守る事だけを考えていた。
速度が緩まり…突然放り投げられた侑人は、浮遊感に一瞬息を呑み、視界に入った地面に武器を持ったままの右手と足をついてなんとか姿勢を変え、背中から着地した。左手はしっかりと卵を抱いて離さなかった。
「ふぅ~ふぅ~…」
「なんだ、運ばれただけで息があがったのか? やはり人族は下等な生き物だな」
(無茶言うなよ…、安全バー無しの終点不明高速ジェットコースターだぞ、息もあがるわ…そもそも風で呼吸が…)
「そんな、下等な生き物を、どこに連れてきたん、ですか」
「貴様にぴったりの場所だ」
立ち上がった侑人の質問に返ってきた答え、ぴったりの場所。そこは小高い丘、芝生の様に短い草が一面に広がる…崖の上だった。
向こう岸があるので谷と呼ぶ方が正確かもしれない。しかし、広く深いその裂け目は、思わず崖と呼んでしまいたくなる程の場所だった。
「勇者オーカと同郷だとか言っているらしいな」
「…いつ、聞いたんですか?」
「シルヴィア様にな…だがそれはどうでもいい事だ。勇者の話はお前も知っているだろう?」
「多少は…」
「…ふん、その勇者が終の棲家としたのがここだ」
勇者の終の棲家。侑人の知る勇者の話は、結末がいくつかある。それでもほとんどの物語の終わり方は、聖女と結婚し、遠い地で幸せに暮らしたというもの。その場所がここだとグルードは言った。
「勇者はここから元の世界へ帰ろうとし、それを止めた聖女と暮らした」
「ここが…」
「…貴様は元の世界に帰る事が出来るかもしれないな?」
「っ…」
グルードが何を言っているか分からない侑人ではなかった。本当に日本へ帰れる可能性があるとは到底思えない、崖から突き落とす気だ…と。
「…何故わざわざここに? 竜の谷で殺して捨てればよかったじゃないか」
「答えてやろう。お前を殺してしまえば、その血でシルヴィア様に感づかれる可能性がある。あの方は鼻もいいのでな」
「そうか…」
「この場所に連れてきたのは、礼だ」
「………、礼?」
「忌々しくもあるが、貴様のお陰で事が上手く進みそうなのでな。ここから元の世界へ帰らせてやろうという私の優しさだ。帰って…2度と戻ってくるな」
(…この世界で生きるって決めたのに、勝手に帰らせようとするんじゃねーよ。グルードも俺が帰れると思ってないだろうけど…。でも…逆らったらこの子が…)
谷と呼ぶには広すぎる裂け目。崖の向こう岸は跳んで届くような距離ではなく、底も見えない。仮に向こう岸に届いたとしても、グルードから逃げ切れはしないだろう。
(血を流してシルヴィアさんの鼻を頼りに…いや、グルードの目の前でやっても多分何かしら対処される。それに谷との距離も分からない…、打てる手は…)
どうするか考えて考えて、それでも奇跡の一手が浮かぶような事は無かった。
(可能性に賭けるなら…まぁ、死ぬだろうなぁ。でもグルードに何かさせたくもないから、お前を置いていけないんだ。…父さん弱くてごめんな…リュート)
「どうした? 帰らないのか? 手伝ってやろうか?」
「す~…ふぅ~…。いや、大丈夫だ。世話になった」
そう精一杯の強がりを言って、侑人は卵を抱えたまま…崖から飛び降りた。
命綱もない。パラシュートもない。助かる見込みは何一つ無い。
落ちる程に狭まる谷…崖の壁。その底も見えない。
覚悟を決めていても血の気は引き、心臓が大きく脈打つ。あまりの風の勢いに息が止まり、侑人の体はガクガクと震えた。それでも卵だけでも助かって欲しい…守らなければと、背を下にして大事に抱え、ギュッと目を閉じた。
卵を抱えた侑人が崖から飛び降りたのを見たグルードは、崖の上から確かに落ちていく侑人をチラッと確認すると、翼を広げて竜の谷へと戻っていった。
☆
side:グルード
上手くいった。
「………、あの人族は、シルヴィア様の卵を持って…逃亡しました」
あの人族が崖から飛び降り、それを確認してすぐに谷へ戻ってきた。僅かな痕跡が残っていないか確認する為に。
「武器を手に…邪魔をすればこの卵を割るぞと脅され、何も出来ず…」
案の定、あの人族がこの谷へ来た時に持っていた剣が残っていた。奴が飛び降りた事に満足していたら見落としていただろう。シルヴィア様のご帰宅にも余裕を持たせた。油断は無かった。
「あの人族め…シルヴィア様が出掛けられて、飯の時間だと言い剣を持った途端に態度を変え…」
シルヴィア様が仲裁から戻られてからの事も、しっかり考えていた。あの2頭の争いも私が裏から手を回したのだ。
「やっと解放されただの、特別な卵は高く売れるだのと…! シルヴィア様に対しても!しつこいメスだったなどと吐き捨ておったのです!」
私は、シルヴィア様があの人族を…人族全体を恨むように語り掛けた。しつこいメスと言ったのは少々言い過ぎかとも思ったが、これもシルヴィア様の為。
「申し訳ございません…シルヴィア様、私が居ながら…。っ! 今からでもあの人族を探し出しましょう!」
言葉を発せられず俯くシルヴィア様。人族への憎しみが増していらっしゃるようだ。
「やはり人族は信用ならないっ! 滅ぼすべき種族です! そもそも竜の谷に招いたのが間違いだったのです! 裏切りは奴らの専売特許。我々の事を、素材や金稼ぎの相手としか見ていないのです! …恐らくあの人族にとって、メスのドラゴンなら誰でもよかったのです」
上手くいった。…はずだったのだ。
「さぁシルヴィア様! 裏切ったあの人族を! …シルヴィア様?」
「…ヒトリニシテ」
…私の思い描いたものは、…うじゃうじゃいる下等な生き物を殲滅する計画は、…上手くいかなかった。
☆
私が直接人族に何かをされたわけではない。ほとんどの人族は逃げていくし、逃げずに向かってきたやつらも全て返り討ちにしているので、何かされている内に入らないとも言うが。
弱いくせに、我らに武器を向ける者がいる事を鬱陶しいと思ってはいた。滅ぼそうと思った事はあったが放っておいた、人族の為に何故わざわざ我らが行動を起こさなければならないのかと考えたからだ。
シルヴィア様が度々人族の街へ行っていた事も、あまり問題があるとは思っていなかった。…あの人族との間で『生誕』が使われるまでは。
そんな相手が現れるはずがないと思い込んでいた。人族の街へ行くのもシルヴィア様の戯れだと思っていた。ドラゴンにはドラゴンが相応しい、人族が選ばれるわけがないと。シルヴィア様が飽きられるまで待てばいいと。
あんな種族がいるから、シルヴィア様が惑わされるのだ。あの人族がシルヴィア様を惑わせたのだ。そう思った私は、すぐに人族を滅ぼす計画を立てた。
賛同する者もいたが数は少なかった。…賛同させた、というのが正しいか? まぁ、似たようなものだ。
人族は数が多く、中にはドラゴン相手であっても対等に戦える者がいるかもしれない。何よりシルヴィア様に止められる可能性があった。
そこで、あの人族を利用しようと思いついた。
シルヴィア様に2頭の…オニキスとバッツェの争いの仲裁に行ってもらい、その隙に奴を連れ去り、始末しようという作戦だった。そしてそれは順調に進んだ。
あの人族に崖の上で話した内容は半分本当だ。勇者があの地から元の世界に帰ろうとして、そのままあの地を終の棲家とした。正確には、勇者があの崖から落ち、その生涯を終えた…だがな。人族は時代の流れの中で、勇者の話を美談にしているようだった。
その話をして希望を持たせてやると、あの人族は自分から飛び降りていった。抵抗してくる事も考えていたが、諦めたのか…それとも本当に元の世界へ帰れるとおめでたい頭をしていたのか。
本当に元の世界へ帰っていったならそれはそれでいい、シルヴィア様と会う事はもう無くなるからな。
帰れなくても、あの高さで生き残るのは不可能だ。一度下見にも行っていたが、崖の下まで行きつくのは無理だった。下に行くほど狭くなる崖のせいで、ドラゴンの姿では下りるのに限界があった。それでも崖の底は見えなかったからな。
同郷の勇者と同じ死に方をしたなら、奴も本望だろう。
戻られたシルヴィア様は、まずあの人族の名を呼ばれた。やはり毒されていると思った。
私はシルヴィア様が人族を憎むように、その憎む気持ちを増幅させるように語り掛けた。
シルヴィア様の卵を盾にして逃げたと。あの人族は裏切ったのだと。谷へ連れてきたのは間違いだと。
俯くシルヴィア様を見て、全てが上手く行っていると思った。怒り狂うシルヴィア様が、我々を率いて人族を滅ぼす。そんな想像がもうすぐ現実になると…。
「…ヒトリニシテ」
シルヴィア様から出た言葉は…拒絶だった。
その表情は暗く、その瞳は何も映しておらず、その声に力は無く。…しかしその力の無い声は私を縛り上げ、何一つ言葉を発する事が出来なかった。
そのまま谷の奥へと行かれたシルヴィア様は、食事さえとられずに塞ぎ込まれてしまった。仲間たちも近付くことは許されず、それでも心配で様子を見に行った者がいたが、戻ってきた時にはなぜか疲弊しており…そのまま泡を吹いて倒れ、気絶してしまった。
シルヴィア様の所へ近づくにつれ体は震えだし、息はあがり、本能が危険だと叫び、なんとか戻ってきたが気を失ってしまったらしい。意識を取り戻したその者は、そう話しながらまだ震えていた。
数日もすれば元に戻られるだろう…そんな気持ちにはなれなかった。
シルヴィア様が谷の奥へと籠られてから既に5日。仲間たちからの風当たりは日増しに強まっていった。
「お前のせいだ、何とかしろ」「シルヴィア様を元に戻せ」、そんな言葉を毎日聞いた。時には「シルヴィア様に真実を話せばいいのでは?」と言ってくる者もいたが、そんな事をしたら恐らく私が…いや、我々が滅ぶ…。
私の派閥にいたドラゴン達は、旗色が悪くなったと見て派閥を抜けた。谷から出て行ってしまったドラゴンも少なくない。
…見栄を張っても仕方ないな。少なくないどころか、派閥にいた全員がいなくなった。
(今からでもあの人族を連れ戻せば何とかなるか?)
責められる日が続く中、そう思った私はあの崖へ向かった。
もしかしたら崖の途中に引っかかっているかもしれない。そこからよじ登って生きているかもしれない。そう思いながら辿り着いた崖には、誰もいなかった。
…当然だ、あれから8日は経っている。仮に助かって…よじ登っていたとしても、ここにずっといる理由がない。それに普通に考えて、人族がこんな崖から落ちて助かるわけがない。ステータスがないらしいあの人族なら猶更だ。そんな簡単な事さえ考えが回らないほど、私は焦っていた。
亡骸となっているであろうあの人族を崖の底から拾ってくるには、ドラゴンの体は大き過ぎる。『人化』すれば下りられるだろうが、底がどうなっているかも分からない場所に人の姿で…本来の力を出せない姿で行くなど危険だ。
…違うな、それが人族の死体を拾ってくる為と思うと、…あの人族の為に行動すると思うと、無性に腹が立ってしょうがなかったのが理由だ。
崖の底に『竜化』が可能な広さがあるかも分からない。私は自分に言い訳をして谷へ戻った。
☆
ドラゴンとて、食事をせねば生きられない。HP…ステータスがある程度生命の維持に働きはするが、それにも限界がある。このままではシルヴィア様が死んでしまう…いや、あの人族の毒が、シルヴィア様を殺してしまうだろう。
私が我慢すれば良かったのか? あの人族を受け入れれば良かったのか? 考えても仕方のない疑問が浮かんでは消えていった。
ただ、確かな事はある。
私は…失敗したのだ。




