27話
旧孤児院の建物は、ギルドの寄宿舎として再生し、防衛用の魔道具と感知結界によって新たな命を宿している。
夜の静けさの中、ひとつ、異質な気配がギルドの通路を滑っていく。
気配も姿もなく、何一つ残さずに進む影。侵入者は、スキルによる透明化を自身に施しながら、内部の構造を確かめるように足を進めていた。
だが――その歩みが、不意に止まる。
通路の先。まばらな照明の影の中に、一人の少年が立っていた。褐色の肌に、深緑の髪。全身を黒の外套で包んだその少年は、まるで影のように通路を遮っている。
そしてその瞳は、姿が見えないはずの侵入者のいる場所へ、はっきりと向けられていた。
「…こんばんは。凄いな、本当に何も見えない。…魔力波の、揺らぎ以外は。」
エルクーツクはそう言うと、外套の中から魔道具を取り出し構える。
すると、虚空から声が響いた。
「ーー本当に、これだからこのギルドの連中は…」
若い男の声は独り言の様にそう呟くと、はぁ、とため息をつく。すると、闇の中に新たな影が産まれる。透明化が解かれ、全身を黒い外套で覆った人影が現れた。
「人のスキルをなんだと思ってやがる。…ま、俺の役割はここまでだ。」
そう言うと、男は懐から、平たい円盤状の何かをばら撒いた。握り拳ほどの大きさのそれには複雑な紋様が刻まれており、男が込めた魔力によって光り輝いていた。
「ーー転移陣…?ギルド内で、発動できるの…?」
エルクーツクが驚く。転移陣は刻まれた場所同士を繋ぎ、一瞬でワープするための魔法陣だ。しかしその最大距離は精々100mほど。
また、ギルド内では独自の防衛システムにより、外部からの魔法は阻害されるはずであった。
「詳しいことは知らん、後は当事者同士でよろしくやってな。…俺はお先に失礼する。」
ばら撒かれた円盤が作動すると、魔力によって彩られた光がその場を照らす。そしてーー莫大な量の魔力が、力となってその場に渦巻き始めた。
「カロン……転移陣が3つ。それぞれに相当な魔力量を感知。…起きてる人、ほんとに僕以外いなかったの…?」
『すまんすまん!なにぶん人が出払っててよ…今向かわせてるから!』
耳元の通信機に愚痴をこぼすエルクーツク。返ってきたのは、状況にそぐわぬ軽い口調の回答だった。
現れた魔力渦の中から、演技がかったような、冷たい声が響く。
「ふむ…随分と辛気臭いところだな?私に相応しくない。」
若い、青い髪の男が現れる。
華美な服で体を着飾っている。男の腰には、これまた絢爛な装飾の施された短刀がぶら下げてあった。
「無駄口を叩くな…。お前ら、目的は分かってるな。」
一際低い声が空間に響く。声の主は壮年の男性のようで、茶色の髪には所々白髪が混じっていた。右腕には長く無骨な槍を持ち、落ち着き払った様子で周囲を警戒している。
「青髪のガキと、後は適当に何人か拐えば終わり、ですぅ…はぁ、早く帰りたい…」
赤髪の、比較的若い雰囲気の女がそう言う。女は国兵が着用するのと同じ鎧を着込んでいたが、所々ひしゃげていた。その顔は、なぜかひどくやつれている。
そして次の瞬間ーー現れた三人は一斉に動き出した。それぞれが別々の方向に散開しようとしている。
「目的はハートか…!?させない…!」
エルクーツクが、そのうちの1人を追う。
追われた壮年の男は向けられた殺気にピクリと反応し、動きを止めた。
エルクーツクが投擲した短刀が、男の鼻先を掠め、そのまま壁に突き刺さる。
「カロン、一人足止める。…残りは頼んだよ。」
『了解、気張れよエルくん。…魔力反応だけなら、そいつが一番デカい。』
壮年の男がエルクーツクの方を振り返る。中々の巨漢で、エルクーツクが小柄なことを加味してもその体格差は相当だった。
「子供か…舐められたものだな。」
「…一つだけ教えてあげる。」
男のそばの壁に突き刺さった短刀から、バチリ、と乾いた音が響く。
直後、そこから閃光がほとばしった。
「ーー!」
巨漢の男は咄嗟に腕を交差させ、体を防御する。
容赦なく襲い掛かった電撃がその体に襲い掛かり、瞬間的にその筋肉を硬直させる。反射で身体が仰け反り、わずかにバランスを崩した。その姿を冷静に見据えながら、エルクーツクは言葉を続けた。
「年齢とか、身分だけで偉くなった気になる。ーーリースの人の、悪い癖だよ。」
・・・
ギルドの中庭を我が物顔で歩く、青髪の男。かかとの高い靴が、コツコツと石畳の上を進む。そうして進む男の視界に、奇妙な影が映った。
男は腰の短剣に手を添えると、廊下の向こうに現れた人影を、侮蔑するように睨みつける。
「何の権限があって、僕の歩みを止めようとしているんだ?貴様は。」
そう言い放つ青髪の男ーーレンヴィルの耳に、場違いに明るい声が響く。
「皆を守るためさ!!!」
対峙したその者は、満面の笑顔でそう言い放った。
その風体はいささかおかしな様子で、手足は短く、ずんぐりむっくりとした体つきをしている。全身を礼装で身に包んだ男は、まるで卵が衣服を着ているようであった。
「亜人の類か…?貴様、醜いな。僕の前に立つな。」
「キサマじゃないぞ!ーー僕の名前は…」
「五月蠅い。」
ボキリ、と鈍い音がして、未だ名乗り途中の男の両腕がおかしな方向に捻じれる。
「むっ!むむむむむ…」
まるで見えない腕に締め付けられたかのように動かない両腕。かかる負荷はどんどんと強くなり、ギシギシと骨がきしむ音が鳴り始める。そのまま、腕がねじ切れてしまうかのように思われたがーー
「ーーリコピンッッ!!!」
「ーー!?」
奇妙な掛け声と共に、男は見えない拘束を振り切った。レンヴィルが予想外の展開に言葉を失う。
腕を振り戻した勢いで、男の礼服が肩口から弾け飛んだ。露わになった両の腕は短いながら恐ろしいほど太く、張り詰めた筋肉が男の外見に更に異様さを付け加えていた。男は、先ほどより更に大きな声で名乗りを上げる。
「僕の名前はカプレー…”トマト祭り(ラ・トマティーナ)”、カプレー!」




