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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【肆章】九代目南の神主代行
60/158

<八>白狐、名を轟かせる(壱)


 ※ ※



 ぽっかりと半分に欠けた月の光を全身に浴び、妖狐達は長い尾を靡かせながら、夜空を翔る。


 賑わいを見せる地上と違い、夜の空は物静かだ。

 月の強い光や瞬く星、大気中をふわふわと漂っている雲ばかりで他に何もない。そのため声を漏らすだけで音が響く。


「あははっ。もう、お腹が痛い。死にそう!」


 さて、そんな静かな夜空には雪童子の笑い声が満ちている。

 まったくもっておかしいと笑声を上げては腹を抱え、眼鏡を取って目尻に溜まった涙を親指で拭っている。


「雪之介。お前、笑い過ぎだぜ?」


 蛇の目の和傘を閉じ、翔は首を捻って乗員を憮然と見つめる。


「だってムキになってくるから。君の幼馴染は面白いね」


 非常にからかい甲斐がある。雪之介は肩を震わせ、今度会う時が楽しみだと眼鏡を掛けなおした。


「朔夜をあそこまで怒らせるなんて天才だな。俺だってあんな朔夜は見たことないぜ」


「相性が良かったんだろうね。和泉くんとは、良くも悪くも気が合いそうだよ」


 祓うと言われたのにも関わらず、ニッコリと楽しそうに笑う、雪童子の肝っ玉には太いこと。自分に分けて欲しいものだ。


「そんで? お前は何で、あいつらと一緒にいたんだ」


 すかさず雪之介は、偶然に会ったのだと返事した。翔の形代の様子を見るため、南条家へ足を運び、その帰りに空腹を満たそうと友人とLッテに入ったら居合わせてしまった。翔の事を心配して尋問してきたのだと微苦笑を零す。


「そうか」


 翔も同じ表情を返し、その目を細めた。

 妖の自分をまだ心配してくれているのか。嬉しさ半分、複雑半分だ。


「お前の友人達は良かったのか? ただの人間だろ?」


 質問を重ねると、妖祓が送ってくれるから大丈夫だろうと雪之介。

 ただし。彼等を置いて来たため、後日学校で問い詰められることだろう。覚悟しておかなければならない、と雪之介はまた一つ微苦笑を浮かべる。


「ただでさえ最近、付き合いが悪いからって、僕の後をつけて来たんだ。妖祓を知って余計に怒っている筈だよ。なんで何も言わないんだ、ってね」


「つけて来るくらい心配してくれていたってことだろ? 良い友達じゃん」


「うん、あの三人は僕の大切な親友だからね。翔くんは神主代行になったんだね」


 翔を気遣ってなのか、はたまた純粋な疑問を抱いていたのか、雪之介が話題を替えてくる。


 小さく頷き、翔はついに代行になったと傘の柄を握り締めた。

 いや、ならざるを得ない状況なのだ。妖の世界は今、分厚い不安心の雲に包まれているのだから。


「比良利さんが、倒れたいま、俺が出るしかないんだ」


 まさか、北の神主が倒れてしまうなんて、妖達は夢にも思わなかっただろう。



 翔もはじめは我が耳を疑った。一報を耳にするや、居ても立ってもいられず日輪の社に足を運んだほどだ。


 それが本当なのだと、現実を目の当たりにしたのは社に運んですぐのこと。

 いつもなら妖達で賑わいを見せている日輪の社参道には人気がなく、出店もなく、松明に火も灯っていない。月輪の社のように、がらんがらんとしていた。


 憩殿に赴くと北の巫女が出迎えてくれる。

 そして紀緒から事を聞いた。比良利が倒れてしまった経緯を。


 彼は南の鬼門の祠の結界、第一結界と呼ばれる注連縄の門が、悪しき妖達に破られたと聞き、それを修繕するために赴いた。


 そこで紀緒と集う悪しき妖達を相手にしつつ、第一結界を張りなおす苦難を強いられる。比良利は瘴気を吸って力を得た妖達の数と、結界から溢れ出す濃度の高い瘴気、両方に追われたそうだ。


 紀緒は悲痛な顔で、当時について語る。


「敵の数は多く、結界に蓄積していた瘴気の濃さも予想以上でした。集う悪しき妖を滅ぼしたところで、比良利さまは倒れてしまったのです……」


 元々北の神主は、北の鬼門の祠も管理する者。南の鬼門の祠と両立して、管理できるような身ではない。


「南の神主の分まで、南の鬼門の管理と結界を張る。それは比良利さま自身のお体を壊すことにもつながります。実際、何度も倒れられています」


 体に負荷が掛かるだけだ。彼女は鬱々に語った。


「南の鬼門の祠は、比良利さまの懸命な施しにより、一時的な結界が張られています」


 かろうじて応急処置程度の結界は張ったものの、瘴気は既に外界へ漏れている。


 事態は深刻だと紀緒。

 頭領が倒れたと聞けば、悪しき妖達がここぞと傍若無人な振る舞いを見せることだろう。

 また瘴気を吸って、新たな力を得ようとする輩も現れることだろう。そして溢れた瘴気を吸った、善意ある同胞は自我を失い、見境なく妖や人を襲うことだろう。


「嗚呼、恐れていたことが起きてしまった。この事態だけは避けたかったのですが」


 指を組んで青褪める語り部は、翔にすぐさま比良利と会うよう告げられる。


「え? すぐに? でも」

「比良利さまのご命令です」


 高熱に魘されている北の神主自らが、翔に会いたいと申し出ている。


 どうしても、二人で話したいことがあるのだろう。

 翔はおばば達を座敷に残し、紀緒と比良利の下へ向かった。




「ぼんっ……よう来たのう。見苦しい姿を許せ」


 北の神主は大層やつれていた。


 自力で布団から起き上がることも困難らしく、紀緒の手を借り、傍らに脇息を置いてぐったりと凭れていた。血の気のない面持ちと荒い呼吸遣い、額に滲ませる汗、これだけで瘴気の脅威が分かる。


 比良利は手を貸す紀緒に礼を告げ、下がるよう命じた。彼女は恭しく頭を下げると、部屋を後にする。



 こうして北の神主と二人きりになると、早速病人から話題を切り出される。


 鬼門の祠の現状についてだ。


 喋ることすら苦痛の表情を浮かべる比良利だが、その口は止めず、第一結界が解かれてしまったと悔やみを見せた。自分の見解の甘さが祟ったと唸り、自身もこんな有様だと脇息を握る。


 日月の神主が揃わない現在、頭領の己が倒れてしまったことにより、一妖達は不安に駆られていることだろう。


 不安はやがて恐怖に、ついには混乱を招き、諍いを起こしかねない。悪しき妖達は今が好機だと暴動を起こすだろう。


 それだけはどうしても避けたい。妖達におざなりでも、安定を与えなければならない。北の神主が不在でも、安心なのだと民達に知らしめなければならないのだ。


 それができるのは、白の宝珠を持つ翔しかいない。比良利は荒い息遣いのまま語る。


「ぼんっ。主は代行としてあまりにも未熟……妖の器であるがために弱く、まだ教えなければならぬことも、山のようにある。されど一刻の猶予も許されぬ」


 不思議と翔には比良利の言いたいことが分かった。

 だから苦痛帯びた表情も、申し訳なさそうな表情も見たくない。


 なにより、これは自分が望んだことだ。


 翔は相手から言われる前に一歩身を引き、両手を添えて、深く頭を下げる。


「ならば、俺に代行を名乗る許可をお与えください」


 自分の身の程は、誰よりも分かっている。まだ半人前の妖ゆえ、出せる力も限られている。他者に迷惑も掛けるだろう。


 しかし今、妖を導く北の神主が倒れている。

 妖達は日々不安に駆られ、揺らぐこれから先の未来に恐怖している筈。おざなりでも、安心を与えることができるのは、白の宝珠を持つ己しかいない。


 比良利に頭を下げたあの日から、既に心は決まっていたのだ。愛すべき妖のため、大切なヒトのためを目標に努力してきた。

 そしてこれが天命ならば、自分は受け入れたい。



「六尾の妖狐、赤狐の比良利さま。俺の実力は貴方も知っての通り。ヒトの血を持っているために弱く未熟です。しかし、貴方さまが倒れられた今、僭越ながら代役は、白の宝珠を持った三尾の白狐しかいないでしょう。これ以上、妖達を混乱に貶めないためにも、俺に代行を名乗る資格を授けては下さらないでしょうか」



 不慣れではあるが、努めて畏まった口調を貫き、最高位の職に就く妖狐に進言する。


「面を上げよ」


 そっと頭を上げ、体を起こす。

 真剣に見つめてくる北の神主を怖じることなく、その眼を見つめ返していると、彼は辛辣に評価した。


「翔よ。いまのお主は、宝珠が宿っただけの身の上に過ぎぬ。まだ代行と名乗るには早過ぎる」


 ヒトの血を宿した身は弱く、その実力も乏しいことだろう。それでも、妖達を想うとこれしかない。頭領は翔の意を酌んだ。


 そう、南の神主代行として、その名を領地に轟かし、妖達に新たな頭領候補が現れたと示せば、些少ながらも不安の芽は摘めるのだ。


 北の神主が療養に専念している間、白狐が名を轟かせておけば、大きな混乱は避けられる。反面、その身を悪しき輩に脅かされることになる。宝珠を狙う輩は多く、中には妖祓といった高い霊力のある人間が狙うこともあるだろう。


 南条翔という妖狐は、あまりにも若すぎる。


 齢十七であり半人前の妖でもある翔が、果たして代行など務まるか、多大な不安と憂慮を寄せていると比良利。


「神職に携わる最年少の巫女と称されている青葉ですら、一人前の妖になってから、正式な七代目、南の巫女となった」


 不完全な翔では荷が重過ぎることだろう。

 だから一日でも早く完全な妖になるよう努めていたのだが、そう言っても始まらない。


 比良利は神主として、頭領として断を下す。


「三尾の妖狐、白狐の南条翔。お主に代行を名乗る許可を下そう。その名を領地に広め、同胞に安らぎを……邪のある輩にっ、制裁を……」


 脇息が倒れ、比良利の体が崩れる。


「比良利さん!」


 自力で起き上がろうとする北の神主に肩を貸す。


「あ、熱い」


 相手の異常な熱に、翔は驚いた。四十度は超えているであろう、その体温に眉根を顰め、上体を支える。

 すると神主が重たそうな腕を持ち上げ、熱帯びた両手を翔の肩に置く。


「すまぬぼん。まことに、すまぬ。お主に責を押し付ける形となった」


 本当は一人前の妖になった上で、時間を掛け、神主代行を務めさせるつもりだった。

 自分の甘さが祟ったばかりに、こんなにも重荷を背負わしてしまう。不安もあろう、恐怖もあろう、責任も感じろう。


 それでも、これは宝珠を持つ翔にしか成せないこと。北の神主が復活するまで間、妖達のために身を捧げて欲しい、と苦言を漏らした。

 誰よりも辛苦を味わっているのは他ならない比良利だというのに、彼は責任を感じ、何度も翔に謝罪する。


 翔は何度も首を振り、謝罪を拒絶する。

 代行になりたいと言ったのは自分だ。己の熱意を買ってくれたのは比良利だ。彼は忙しい合間を縫って、自分を指導してくれた。頭領直々に指導してくれたのだ。微量だろうが自分にもやれることはあるだろう。


「どうか、俺に気を遣わないで下さい」


 頭領は一妖を優先しなければならない身。

 進んで神職に携わろうとしている南条翔に、どうか気を遣わないで欲しい。寧ろ、命じる勢いで遣って欲しい。それが翔の望んだことなのだから。


「この白狐、及ばずながら妖のため、領地に住む同胞のため、身を捧げたいと思います。ゆっくり休んで下さい」


 肩に置かれる手の力が強まる。


「翔よ。無茶だけはするでない。我が身を案ずることも時に大切じゃ。良いな、我が対よ」


 強く頷き、肝に銘じておくと返事した。

 重症人を布団に寝かせると、深く頭を下げ、座敷を退室する。



 月輪の社に戻ると、纏っていたジャージを脱ぎ捨て、愛用している白張に袖を通す。


『坊やには早過ぎるよ』


 事情を知った心配性のおばばが危険だと何度も止めに入り、もう一度比良利と話し合うように促す。

 今度は自分も話に加担するから。

 保護者の猫又に強く言われるものの、翔は聞く耳を持たず、きつく帯を締めながら危険は百も承知の上だと答えた。

 頭領である比良利も、翔の未熟さは十二分に分かっている。


 しかし、鬼門の祠の第一結界が解かれた今、未熟者であろうが使わなければならない。緊急を要請する事態なのだ。


「白の宝珠を持っているのは俺だ。逃げるわけにはいかねーよ」


 これは天命なのだと返し、本殿へ向かった。


 しかし、本殿前に立つと緊張のあまり、口から心臓が飛び出しそうになる。なんだかんだと見栄を張ったものの、翔だって怖いのである。


(俺に、おれにできるのか。比良利さんの代わりが……南の神主の代わりが……)


 初めての代行は、あまりにも荷が重いもの。小僧の自分に背負えるか分からない。無理だと言って逃げ出せればどれだけ良いだろう。段取りを踏んで代行を目指そうとしていたため、思わぬ方向に翔はプレッシャーに圧し潰されそうになった。


「翔殿っ!」


 人知れず握り拳を作って息を詰めていると、後を追って来た青葉からその手を取られる。

 思い詰めている翔に、まだ間に合うと青葉。できないと返事して、引き返すことも可能だと翔の気持ちを察してくれる。


「あなた様が、そう言っても、誰も責めませぬ。考えなおして下さい」


 彼女は翔の小刻みに震える右手を、己の両手で包み、真摯な言葉を向けてくれる。

 その言葉は翔を代行にさせたくないものなのか、それとも翔の身を案ずるものなのか。


 一抹の疑心を抱くものの、それを振り払うようにかぶりを左右に動かすと青葉の両手を握り、本音を吐き出した。


「本当はさ。怖くて仕方がないんだ」


 半人前の妖に、南の神主代行などやれるかどうか分からない。投げ出したい気持ちで一杯だと彼女を見つめる。


「怖くて胃が痛くて吐きそうだよ。だけど、だけどさっ。これは俺が望んだことなんだ」


 神主代行になりたいと言ったのはまぎれもなく自分で、鬼門の祠の管理をしたいと言ったのも自分自身。

 瘴気が溢れることによって、大好きな人達が傷つけあう姿は見たくない。だってヒトの世界に大切な者がいるから。妖の世界に守りたい者がいるから。


「俺は宝珠を宿しただけの男に過ぎない」


 翔は凡才だ。術もまともに使えない妖の器であり妖狐。実力不足どころか、実力皆無。すべて分かっている。


 けれど北の神主が倒れた今、誰かがやらねばならない。だから。


「青葉。俺に本殿に入る許可を、社に代々伝わる大麻を持つ許可をくれ。九十九年、この社を守っていたのは誰でもない青葉だ。俺が勝手に神具を持ち出すことはできない。大切な神具だろうけど、代行を務めるにはあれが必要なんだ。青葉の許しが欲しい」


「翔殿……」


「そして俺が代行を務めている間、半人前の小僧を支えてやって欲しい。俺一人で南の地を平穏に導くなんて無理だ。それこそ、この社を守り抜いてきた青葉の力と」


 心配そうに足元にすり寄って来る銀狐を見下ろし、


「ギンコの力が必要なんだ」


気丈に笑ってみせる。


 最初から、神主一人で統べるなどできるわけがない。

 何故なら南北の地を統べているのは日月の社。各々神主と巫女、そして守護獣の力があってこそなのだ。一人で成せるわけがない。

 翔は自分の身の程の小ささを口にし、巫女と守護獣に手を貸して欲しいとはにかむ。


「北の神主が療養している間、未熟ながら俺も精一杯頑張るからさ」


 飾りっ気のない言葉を青葉に伝えると、戸惑いを見せていた彼女が、うんっと力強く頷いてくれた。

 それは偽りかもしれない。おざなりかもしれない。妥協かもしれない。

 それでも翔は、青葉が自分を見て頷いてくれたことに喜びを感じた。

 青葉のことを信じたいし、信じられるようになりたい。信じられるような存在になりたいから、翔は彼女への疑心を摘んでいる。自分が信じなければ、相手だって信じてくれない。


「青葉。ありがとう」


 心の底から感謝を述べるとクオン、銀狐が力強く鳴いた。片手でわっしゃわしゃと頭を撫でる。


「ギンコもありがとうな。俺一人じゃ、怖くてチビりそう」


 青葉の手によって、本殿の扉が押し開かれる。

 年月を経た木造の扉は開閉すると軋む音が聞こえたが、それすらも厳かな空気に思えてならない。


 巫女の導きの下、翔は草履を脱ぎ、肌刺す本殿に足を踏み入れる。

 ぼんぼりの灯った祭壇の前まで導かれると、その場で両膝をつき、翔は両手を添えて深く頭を下げた。九代に渡って守り継がれてきた神と、その御魂の前に、今宵から暫くの間、自分が代行を務める挨拶。そして未熟ながら、大麻(おおぬさ)を拝借する許しを乞う。


 すべては妖達の平和のため、平穏のため、未来のため。


「翔殿。大麻にございます」


 祭壇から愛おしそうに大麻を手にした青葉に、それを差し出されたため、会釈して神具を受け取った。


「これが、先代たちが使っていた大麻」


 初めて手にする本物の大麻は、修行用の大麻より重量感がある。紙垂は穢れを知らない白。黒ではない。

 これを妖の器である自分に使いこなせるだろうか。ぶっつけ本番となってしまった大麻を前に固唾を呑むが、怖じている暇はない。


 大丈夫、ひとりではない。此処を守り続けた優秀な巫女と、守護獣が傍らにいる。彼女等の力を信じ、自分にできることを精一杯していけばいい。


 本殿を出るとおばばが待ち構えていた。


『本当に行ってしまうんだね、坊や』


 まるで我が子の旅立ちを心配する母のように、憂いを含ませて鳴いてくる。本当に心配性のお節介猫又だ。


「ああ、行ってくるよ。おばば」


 少しばかり社を留守にすることを伝え、大麻を前に大きく振る。

 瞬く間に大麻が変化し、それは形を変えて一本の和傘となった。


「うん。これがしっくりくる」


 竹の柄を握りなおし、静かに傘を開く。

 真っ白な下地に赤い弧が描かれた、蛇の目の和傘。手に馴染んでいい感じだ。


「おばばは留守を頼むな」


 これより、自分達は外界に出て、傍若無人に振る舞う輩や、不安に煽られている妖達に知らしめなければならない。領地に、新たな頭領代行が現れたことを。

 実力はなくとも、まずは名前から。その名を轟かし、妖達に安寧と希望を、好き勝手させない警告と恐怖を植えてくる。


 大丈夫、頼もしいお供がいるのだ。これくらいなんてことないだろう。


 心配ばかりする保護者に一笑し、必ず帰ってくることを告げ、和傘の柄を右肩に乗せる。


「さあ、行こうぜ。青葉、ギンコ」


 翔は大きな一歩を踏み出した。白張の袖を冷たい夜風に靡かせ、自分に言い聞かせる。


 今宵より南の地を統べるのは、神主代行となった、三尾の妖狐、白狐の南条翔だ――と。




「じゃあ、翔くんは、わざと名前を広めているんだね?」


「ああ。南の神主に関係する奴が現れたって聞いたら、多少なりとも妖達はびびるだろうからな」


 雪之介にあらかた経緯を語った翔は、和傘に変わった大麻を見つめ、今、南の地を巡回しているところなのだと告げる。


 北の神主が倒れた一報は妖達にとって凶報であり、悪しき妖達にとっては吉報。

 何処も荒れているのだと苦言を漏らす。雪之介と会う前にも、妖達と一戦交えた。時に自我のない妖に手を下すこともあり、心が痛んだと吐露する。


 これが正しいのかどうか分からないが、手立てがない以上、信じてやるしかない。


「とはいえ、大麻を使いこなせていないんだよな。実は」


 神主代行のくせに、と言われたら返す言葉もないのだが、半人前の翔にとって本物の大麻を使いこなすのは非常に苦労する。


 只でさえ妖力が落ちてしまったのだ。

 回復した方ではあるが、大麻の反応はイマイチで、修行していた術の大半が全滅している。軽い術で誤魔化しながら、巡回しているのだと小声で暴露した。


「だから頼りになるのは青葉とギンコなんだよ。こんな神主代行でごめんよ、お前等」


 傍らで翔ている妖型の青葉と、背に乗せてもらっている妖型のギンコを交互に見やり、翔は不甲斐ない神主代行でごめんと謝罪する。

 巡回しながら『俺は神主代行です』と、大見得を切ってはいるが、まったく頼りにならない神主代行なのが現状である。


「早く一人前の妖になりたい」


 力のない自分が情けない。翔は重い溜息を零す。


『そんなことないですよ翔殿。名前を轟かすということだけでも大変な覚悟です。ご自分がどのような危険な立場に追いやられるのか、分かっていながらの行動ですので、とても凄いと思いますよ』


「口先だけならなんとでも言えるんだよ青葉。カッコをつけて名乗れるんだけど……こんなんで大丈夫かな」


 荒々しく頭部を掻いて苛立ちを露にしていると、振り返ったギンコがクンと鳴き、べろんと大きな舌で頬を舐めてくる。

 ゾゾッ。不慣れな感触に総身の毛を逆立てつつ、元気付けようとしてくれる銀狐に感謝を述べた。

 よしよし。首を撫でてやれば、もっと頬を舐められる。


「タンマ、ストップ、後で甘えさせてやるから!」


 翔は悲鳴を上げる羽目になった。

 それでも大きな尾を振って、舐め続けるギンコの様子を見ていた雪之介が、「へえ」と意味深に笑顔を作った。


「オツネちゃん。翔くんのことが大好きなんだねぇ。翔くんに『お慕い申しております』って言っているよ」


「雪之介、ギンコの言葉が分かっ、うはっ! ギンコ、今はお仕事中だからな? 後で、お前の我が儘に付き合ってやるからさ」


 大概でギンコに甘い翔がそう物申せば、銀狐は爛々に目を輝かせ、うんうんと頷いて承諾した。

 ホッと胸を撫で下ろし、改めてギンコの言葉が分かるのか、と雪童子に尋ねる。


「そりゃ分かるよ。両親共々根っからの妖の子だし、獣から妖になる化け物は多い。だから獣語を覚えさせられたんだ」


 だから獣とは喋れる。

 雪之介は意気揚々と口角を持ち上げ、意地悪く肘で突いてくる。


「彼女から聞いたよ。オツネちゃんと番いだって? お熱いねぇ」


「なっ、ち、ちげぇって!」


 そんなことになったら、ツネキの狐火によって、我が身が燃やされてしまう!


「ギンコにはイケメンな許婚がいるだろ? 駄目じゃないか、そんな嘘言っちゃ。ツネキが泣くぞ」


 やんわりと注意すると、ギンコが不貞腐れたように鳴く。

 そして、自分の気持ちは翔一筋なのだと主張。瞬く間に白張の襟首を銜えると、翔の体を持ち上げ、前方を向いて颯爽と夜空を翔けた。


「ちょぉおおお!」


 宙ぶらりんとなった翔は悲鳴にならない悲鳴をあげ、すぐに背中に戻すよう命令、いや懇願する。

 自分は比良利のように、人型で宙を翔けられるほど術は持っていない。妖型になって初めて空を翔けられるのだ。

 こんな状態で落とされでもしたらっ、嗚呼、想像もしたくない!


「お、俺、妖型になれるかどうかも危ういんぜっ。ギンコ、頼むよ! 背中に戻してくれ!」


 なおも、知らんぷりして夜空を翔けるギンコのご機嫌を取るため、翔は思いつく限りの口説き文句を並べた。


「俺もお慕いしているよギンコ! お前は俺の可愛いギンコ! 傍にいて欲しいメス狐さん! 美人な狐さんに好かれて嬉しい!」


 などなどなど。

 とにかく必死に口説いてご機嫌を取る。


 ふと期待にクーンと鳴いたため、翔が誰か通訳してくれと頼む。

 青葉が溜息をつく一方、背中に乗っている雪之介が能天気な声で答えた。


「接吻してくれたら許す、だって。よ、モテ狐。翔くん憎いね」


 余計な揶揄を交えて教えてくれる。


「き、キスしたいの? 俺と? まじか。まじで言っているのか」


 ああもう、ツネキに何度殺させたいのだ。この銀狐。


 だが背に腹は変えられない。この状況が続くくらいなら男、接吻の一つでもやってやる。ツネキにばれた時は潔く狐火を浴びてやろう。

 可愛い狐の願いくらい、幾らでも聞いてやろうじゃないか!


 ということで、翔は我が身可愛さにギンコの要求を呑む。


「分かった。後でちゅーしような」


 本当か。訝しげに見つめてくるギンコに、本当も本当だと頷き、愛想笑い。


「俺がギンコに、嘘をついたことがあるか?」


 軽く両手を挙げると、ようやく狐は機嫌を直してくれたらしい。期待していると言わんばかりにクオンと鳴いた。


「あっ」


 雪之介の引き攣った声と共に、宙に投げ出された翔の体は、地上の街並みに向かって真っ逆さまに落ちた。

 ギンコのうっかりで、銜えていた白張を放してしまったのである。


 声を失うほど大パニックになる翔を追い駆けたくれたのは、青葉だった。


『ほんと。手のかかる神主代行さんですね』


 その小さな背でしっかりと受け止めてくれる。


「す、す、すんません……お手数掛けますっ」


 身を震わせる翔は青葉に縋り、やっとの思いでギンコの背に戻る。

 高鳴る心臓を落ち着かせるようと、荒い呼吸を繰り返していると、その背に手を置き、雪之介がこう助言した。


「女の子の気持ちを蔑ろにしたら怖いよ。オツネちゃんも例外じゃないと思う」


 まったくである。

 身を持って経験した翔は、二度とギンコの気持ちを軽んじるような発言はしないと心に決めた。でなければ、命が幾つあっても足りやしない。嗚呼、死ぬかと思った。

 余所では、悪びれた様子もなく、クンクンと鳴いて、後が楽しみだと足軽に空を翔ける銀狐の姿。


 そんな恋する乙女狐に、翔は人知れず小さな溜息をついて額に手を当てた。これからも幾たびに渡って命が危ぶまれそうだ。



 閑話休題。

 一旦雪之介を月輪の社に送り、翔は明け方まで南の地を巡回した。


 雪童子もついて行きたいと言わんばかりの眼をしていたが、翔は許可を下ろさなかった。自分の身すら(ろく)に守れないのだ。神職に携わっていない友人を、安易に同行させるわけにはいかなかった。

 妖の情報網はとても早く、一夜明けた頃には、南の神主代行の名が領地に行き渡った。


 比良利の目論見どおり、善意ある妖には安心を、悪意ある妖には恐怖を与えたようで、その一報はすぐに紀緒伝いに翔の耳に届く。


 安堵する一方で、一層気の抜けない状況となった。


 名が轟くということは、それだけ狙われる危険があるということ。翔は己の命がいつ狙われるのか、想像するだけで胃が痛くなった。

 努めて後ろ向きには考えないようにするが、ふとした拍子に恐怖心が込み上げてくるため自己嫌悪である。怖じている場合ではないのに。



 七日もすると、南の地の状況がある程度把握できた。


 悪しき妖達がどこら辺に潜んでいるか。善良な妖達が何処に隠れているか。そして鬼門の祠から漏れ出した瘴気の影響は何処まで拡大しているか、を。


 予想を上回る早さで、瘴気の魔の手は南の地に伸びている。比良利の張った結界では、瘴気を抑えることは困難のようだ。

あと何日で結界が解かれてしまうか、翔は気が気ではなかった。



 結界を張れる唯一の妖、北の神主の容態は芳しくない。


 日夜高熱に魘され、口にした病人食はすべて吐き出してしまうという。毎日のように翔を呼んでは領地の状況を知ろうとするのだが、翔が赴く頃には気を失うように眠りについていることが多く、報告ができずにいる。


 紀緒曰く、うわ言を漏らすほど妖を案じているらしく、それがかえって心労となり、治りを遅くしているのだろう、とのこと。


「何も考えず、眠りに就いてくれたらどんなに良いか」


 蒼白する面持ちをそのままに、紀緒は何度も比良利の傍らで手ぬぐいを濡らし、それを絞って額に置いていた。


(……意外と、俺にできることって少ないんだな)


 歯がゆい。それが翔の率直な気持ちだった。

 なおざりで神主代行になったわけだが、結局は名ばかりで。妖のために、何かしてやったわけでもない。


 自分の精一杯をやればいい。それは分かっているし、翔も無理をしようとはしない。かえって迷惑になると分かっている。


 けれど、もっと現状を打破できる道があるではないか、と模索してしまうのだ。

 己の非力さを痛感した翔は一夜中南の地を偵察して回った後、月輪の社に戻り、昼過ぎまで行集殿に籠る。



 どうにか、本物の大麻を使いこなそうと一人で稽古をしていた。

 おばばに見つかれば必ずと言っていいほどカミナリが落ちるが、ジッとなどしていられない。神主舞は依然、扱える許容にある。後は大麻だけだ。


「本物の大麻が、ここまで難しいなんて」


 修行用に比べ、大麻は微量の妖力には反応してくれず、術が出ないことが多い。

 そこで翔は己の引き出せる限りの妖力をすべて大麻に費やし術を出す手法に打って出る。


 これならば術を出すことに失敗はしない。修行で得た木・火・土・金・水の五行を素とした五つの術を出すことになんとか成功する。

 ただし体力の消耗は激しく、一つの術を出すだけでも苦労するのに、それを操るとなると更に妖力が要るため、翔は術一つで何度も膝をついた。


「半妖の俺じゃ駄目なのかっ。くそ」


 妖の器であるがために、術を制御する妖力がどうしても足りない。

 稽古で感じた妖力不足を補うために、翔はついに神主舞と大麻を使った【妖力増大】に踏み切ることにした。


 青葉から盗んだ“五方魂・南ノ書”を開き、神主舞の五方の頁を読み返してやり方を確認する。明確に妖力増大とは書いていないものの、翔が思うにきっと神主舞と大麻の組み合わせは凄まじい力を生むと睨んでいる。


 本当は比良利、もしくは紀緒か青葉に尋ねるべきところだろう。しかし聞けば、和書を取り上げられかねないし、盗んだことがばれてしまう。


 じっくり神主舞の五方を読んだ後、翔は御魂封じの術が記されている頁を開き、そこを指でなぞった。


「御魂封じの術。悪しきを鎮めんとする神主、即ち妖を導く者の心身術。その身、器に悪しき封ずる。先代が最期に使った心身術、か」


 まるで宝珠がざわついているように、腹部がじんわりと熱くなる。

 この頁を開く度に、宝珠の御魂が自分に命じてくるような気がする。妖達を守れ、と。


「どれくらい妖力が上がるんだろう。書いてないな」


 一室の中央で胡坐を掻き、隅々まで頁を読んでいると、引き戸が開かれ、コツンと音が聞こえた。


(やっべ!)


 ぶわっと三尾を膨らませた翔は、慌てて懐に和書を隠す。

 そっと首を捻ると、眩しい陽射しの向こうから銀狐が顔を覗かせた。


「なんだ。ギンコか」


 ホッと安堵の息を零し「驚かせるなよ」と、苦笑する。


「おばばだったら、どうしようかと思っただろ。焦ったぁ……それにしてもギンコ、どうしたんだ?」


 現在昼前、妖狐のギンコはまだ眠っている時間帯だ。


「怖い夢でも見たのか?」


 優しく尋ねると、素早く銀狐が駆けて来る。

 あっという間に懐に潜った銀狐は、翔の隠し持っていた和書を銜えると、踵返して一目散に部屋を飛び出した。


「なっ、ちょっと待て!」


 大慌てでギンコの後を追い駆けるが、銀狐は目にも留まらぬ早さで鳥居へ。

 あっという間に外界に出てしまった。急いで翔も外に飛び出し銀狐の後を追う。


「ギンコ!」


 さんざめく太陽の下、石段を下って道路に飛び出した狐は、ガードレールに身を乗り出すと、切り立った坂道から勢いよく和書を放ろうとした。


「ばか、何しているんだよ!」


 間一髪、銀狐の身を捕獲することに成功した翔は、和書を掴み、思わず声音を張ってしまう。

 これは大切な書物。時期がくれば返却する予定の書物を、あろうことかぞんざいに放ろうとするなんて。

 強く銀狐を諌めるものの、反省の色はなく和書も銜えたまま。未だ投げようとする素振りを見せる。


「ギンコ、怒るぞ!」


 甘やかしてばかりの翔だが、この時ばかりは相手を叱った。

 すると銀狐が負けん気強く吠え、尾っぽで腕を叩いてくる。ジタバタと四肢を動かして腕から逃れようとする銀狐は、どうしても和書を放りたいらしい。


「だから駄目だって! 本気で怒るぞ!」


 相手を脅すと和書から口を放したギンコが、翔の右腕に噛み付いた。

 驚いたのは翔の方である。まさか可愛いギンコから噛まれるとは、これっぽっちも予想だにしていなかったのだ。


 けれども、ギンコは本気で腕を噛んでいない。軽く痛みが走る程度の噛み付きだ。

 少し冷静になることができた翔は、腕に噛み付いている銀狐を見つめ、そっと尋ねる。


「お前。怒ってるの?」


 反応はないが、肯定して良さそうだ。和書を放ろうとした銀狐の行動と、自分への噛み付きを照らし合わせ、翔はもしやとギンコに質問を重ねる。


「俺が、和書を使って術を使おうとしたことに怒ってるのか? ギンコ」


 唸り声が聞こえる。翔は続けた。


「俺を心配して、和書を放ろうしたのか。お前」


 ようやく、ギンコが腕を放してくれる。

 何もかもお見通しのようで、銀狐から見守る自分の気持ちなど知らないくせに、と責めるように頭で胸部を何度も小突かれる。


 進んで身を滅ぼす道を選ぼうとするのならば、和書なんてなくなってしまえばいい。なくなってしまえばいいのだ。翔に向かって何度も鳴いた。鳴き続けた。


「……ギンコ」


 何も言えなくなってしまう。


 ギンコは、青葉が自分に薬を盛ったことを知っている。しかし、何も言わずにいてくれる。自分がそう望んだからだ。

 和書を盗んだことも知っている。けれど、告げ口せずにいてくれる。やっぱり自分がそう望んだからだ。


 翔の我が儘に付き合ってくれている銀狐だが、ギンコはきっと不安なのだ。


 なおざりで代行を務めるようになった翔が無理をしないか、馬鹿をするんじゃないか、安易に術を使うんじゃないか。気が気ではないのだろう。


「俺、お前を不安にさせていたんだな」


 好いてくれている銀狐の恋心を、また蔑ろにしてしまうところだった。雪之介に助言されたばかりだというのに。


「ごめん。ごめんな」


 翔は安易に術を使おうとしていた、自分の非を認め、狐の身を抱き締めた。

 妖の器である翔が安易に術を使えばどうなるか、銀狐は分かっていたのだ。

誰だって大切な人が己を軽んじる様など見たくない。だから、ギンコは和書を捨てようとした。自分がギンコの立場なら、同じように捨てようとしていただろう。ギンコが怒るのも無理はない。


「ごめん。もう、こんな馬鹿なことしないよ」


 何度も謝罪を口にし、安易に和書に記されている術は使わないと銀狐に誓う。


「だけど、もしかすると使う場面が出てくるかもしれない」


 何故なら自分は南の神主代行。

 まがいものでも神主の名を受け継ぐ候補者なのだ。北の神主が回復する前に、もしかすると……そういう日が来ないことを願いたいものだが、ないとも言い切れない。


 翔はギンコに頬を寄せる。


「頭領に立つって、そういうことなんだ。自分よりも妖達を優先しなきゃなんねえ」


 それが妖の神職であり神主。比良利も、そうして妖達に身を捧げ、倒れてしまった。先代も、その前の代も、そうして妖達のために生きてきた。代行を望んだ翔も、同じようにしていかなければならないだろう。


「俺は神主代行。それを分かってくれ、ギンコ」


 耳を垂らすギンコの背を、やさしく撫でる。


「大丈夫、俺は簡単に死にやしない。南の神主は皆、短命だと言われているみたいだけど、俺は悪運強く何度も生き延びた」


 仮に無茶な術を使っても、ギンコと交わした約束を果たさないまま死ぬなんて出来っこない。可愛い狐を置いて逝けるわけがないのだ。


「ギンコと約束したな。俺と広い世界を見ようって」


 境内を出て広い世界を見せると、優美に闇を舞う蛍を見ようと約束した。

 その約束を果たすまで決して死ねない。馬鹿して倒れることはあっても、悪運強く生き続けると言い切る。


 何事においても、執着心の強い自分だ。そのしぶとさは翔自身が一番分かっている。


「ギンコは俺を、いつまでも、ただの南条翔と見てくれているんだよな。俺がギンコをギンコだと見ているように。その気持ち、凄く嬉しいよ」


 柔和に頬を崩す。


「俺は先代じゃない。先代じゃないから凡才で、先代じゃないから代行も未熟で、先代じゃないから頼りにならない」


 それでも、自分なりに代行を務めたいと思っている。小僧でも一丁前な大見得を切って妖の世界を、愛すべき人達を守りたい。ギンコを含んだ大切な人達を。


「これは俺の我が儘だ」


 ギンコを悲しませるかもしれない我が儘だろうけど、どうか、聞いて欲しい。見上げてくる狐と視線を合わせる。

 クンと鳴く銀狐に安易に術は使わないと約束を結び、ゆっくりと顔を傾けてその口に唇を落とす。


「ツネキには内緒だぞ。まだ、ちゅーの約束を果たしていなかったよな?」


 疑問を投げかけ、銀狐と額を擦り合わせると、愛情を持って戯れる。

 ずるい人だ。ギンコは鼻を鳴らした。もっと別の場面でして欲しかったらしい。


「ごめん。今のは確かにずるいな。俺もずるいと思った」


 真摯に詫びると、今度は銀狐から唇を舐めてきた。甘受した翔の方からもギンコの輪郭を舐め、耳を食み、柔らかな首に甘噛みして戯れる。


「大好きだよ。お前は可愛い俺のギンコ。守護獣のオツネじゃない、銀狐のギンコが大好きだ」


 素直な気持ちを伝え、


「約束を果たすまで死なない。お前を置いて死なない」


狐に小さな安心を与える。


 平和になったら一緒に外へ遊びに行こう。広い広い世界へ、自由な世界へ。

 スンスンと鳴く銀狐は渋々此方の気持ちを酌み、確かにこう自分に告げた。約束を破ったら承知しない、と。


 言葉自体は分からなかったものの、摩訶不思議なことに銀狐の声が届いたような気がした。


「ああ、約束だ。白狐の南条翔が溺愛する銀狐の約束だ。必ず守るよ」


 子をあやすように腕の中にいる銀狐を愛撫すると、翔は踵返して社に戻った。

 陽射しのある世界は、妖狐の翔やギンコにとって眩しすぎる。



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