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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【参章】其の狐の如く
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<十四>静の夜に惜別を(肆)




「これ、そこのぼんぼん狐よ。一聴から安静と言われておったのではないか?」

 

 

 無事に(りき)ぶくれの痛みから解放された翔は、夜餉(よるげ)を終えると憩殿の中庭でギンコやツネキといっしょに鬼ごっこを楽しんでいた。

 皆紅のヒガンバナ畑を狐らと駆け回っていた翔は、比良利から声を掛けられて足を止める。


 蛇の目模様の和傘を差して、大層呆れている比良利は翔が夜餉(よるげ)を取っている間、一度たりとも翔の前に姿を現さなかった。おおよそ医者の一聴と(りき)ぶくれについて話していたか、妖祓と戦をした後始末をしていたのだろう。


 そして一息ついたので、依り代として翔の症状を診ようと赴いたに違いない。

 そりゃあ先ほどまで倒れるほどの腹痛を起こしていたのだから、鬼ごっこなんぞもってのほかだろうが……翔にも言い分があった。


「最初は大人しく寝てたんだぜ?」


 でも。


「部屋にいると気が滅入っちまってさ」


 外の空気が吸いたくなったと翔。

 なにせ翔は十日以上も妖祓に幽閉されていたので、寝ても起きても狭い座敷にいたり、時には座敷牢にいたり、はたまた霊屋(たまや)に封じられていたり……まったくと言っていいほど自由がない日々を送っていたせいで、部屋で大人しく寝ることができずにいた。


 元々部屋で一日を過ごす性格でもないので「気晴らしをしたいな」と思い立ち、おばばに声を掛けて中庭に出た。

 鬼ごっこをしていたのはギンコとツネキが誘ってくれたから。

 これがとても良い気晴らしになっている。


「もう少しだけ外にいさせてほしい。中庭から出ないようにするから」


 まだ部屋に戻りたくない。

 翔が両手を合わせて主張する。

 その際、両手首の包帯が表に出たことで比良利の目に留まる。視線に気づいた翔は誤魔化し笑いを浮かべ、さっさと手首をジャージの下に隠した。


「呪符を貼られていた箇所が炎症しちまっているんだって。皮膚が殆ど溶けているせいで、爛れているらしいんだ」

「爛れを?」

「ん、一聴先生が血相を変えてた」

 

 爛れがあまりにも酷かったようで一聴に驚かれてしまった。

 ちなみに皮膚が溶けていたのは、呪符が翔の存在を浄化したから。じっくりと時間をかけて調伏されていた結果がこれらしい。


「紅緒ばあちゃんが薬を塗ってくれていたんだけど、妖にはあんまり効果が無かったみたい。ちゃんと皮膚は再生されるみたいだけど、痕にならなきゃいいなあ」


 参った参った。

 暗くならないよう声音を明るくしていると、相づちを打った比良利が頬を緩めた。


「ぼん、わしと気晴らしをせぬか?」

「比良利さんと?」

鎮守(ちんじゅ)の森に行ってみぬか?」


 鎮守の森とは神社を取り巻く森林のことである。

 翔は目を丸くした。


「俺が行っても良い場所なの?」

「無論じゃよ。お主はまだ行ったことなかろう?」

「そりゃ行ったことないよ。神社を守る森って聞いていたから、関係者以外入っちゃいけねえと思ってたし」

「ほう? ぼんお主、真面目なところもあるのじゃのう。意外よなぁ」

「……どういう意味だよ」

「くっくっ。どういう意味じゃろうな?」

「は、は、腹立つっ!」

「まあ良いではないか。良い気晴らしになるぞ」


 比良利は妖の社を囲う鎮守の森を案内すると誘ってくれた。そこも異界の一区とのこと。

 これまで異界といえば妖の社ばかり渡り歩いていた翔なので、比良利の誘いはたいへん魅力だった。見たこともない森林を散歩するなんて気晴らしに丁度良さそうだ!


 翔は二つ返事で誘いに乗ると、ギンコとツネキに散歩に行くことを告げる。


「お前たちはどうする?」


 鬼ごっこをしていた狐らに問うと、ツネキはさっさと行って来いと尾っぽを振って鼻を鳴らし、ギンコは翔の足元に来るや否や抱っこをねだってきた。


 ギンコを腕に抱えたところで、ツネキが勢いよく翔の(すね)に向かって体当たり。仕方なくギンコを地面に下ろそうとすると、今度はギンコが嫌だ嫌だとジャージを銜えてくる。下さなければツネキが翔の脛に以下省略。堂々巡りとは今の状況を指すのだろう。


「ったく。しゃーないな」


 このままでは散歩に行けないので、翔はさっさと左腕にギンコ、右腕にツネキを抱える。


「お前ら、これで文句ねえだろ? 仲良く散歩に行くぞ」


 こうして二匹の狐を腕に抱えて、翔は比良利と鎮守の森へ向かった。

 鎮守の森は裏参道の鳥居をくぐると進めるとのこと。

 当然ながら電灯なんぞ異界にはないので、鎮守の森は星明かりばかり。

 辺りは何も見えないが、つよい夜目を持たない翔のために比良利が提灯で辺りを照らしてくれた。鬼灯(ほおずき)の提灯であった。これのおかげで暗い森に何があるのか、目で捉えることが叶った。

 翔は提灯の明かりを頼りに森の周辺に目を配る。


「鎮守の森って結構広いんだね」


 右も左も木々が生い茂っている。前方に目を向けると、先の先まで森が広がっているような感覚に襲われた。森が暗いせいでそう見えるのだろうか?

 比良利がひとつ笑う。


「妖の社を守る森じゃからな。これでも境内(けいだい)の敷地十余り分ほどの広さがあり、この森を歩いて行けば月輪の社に辿り着ける」

「え、鎮守の森を通っていけるの?」

「迷わなければの話じゃがな」

「……迷うの?」

「それだけ広いということじゃて。下手をすれば七日ほど迷うこともある」

「な、七日」


 もはや遭難である。

 空笑いする翔をよそ、比良利は言葉を重ねる。


「また鎮守の森を縄張りにする妖も少なからずいる。人里の喧噪な暮らしに合わず、静寂を求める妖はここに根付くことが多い」


 翔は狐らを抱えたまま、ふたたび左右の森林に視線を配る。

 好奇心旺盛な赤い目がいくつか見受けられた。正体は分からないが、何かしらの妖なのだろう。すぐ傍では妖しい火も宙を漂っていたが、翔は不思議と『怖い』とは思わなかった。


 姿かたちは違えど、あれもいびつな化け物。翔と同じ存在だ。


(変なの。ユーレイだってあんなにビビってたのに)


 妙に仲間意識が芽生えている。


「比良利さん。人里に棲み処を持っていない妖たちは全員ここで暮らしているのか?」

「鎮守の森の先にいくつか道がある。その道のひとつを辿ると(かく)ろえと呼ばれるところに辿り着き、そこに小ぢんまりとした集落を作って暮らす妖もおる」

「へえ! 集落があるんだ」


「まあ群れを苦手とする妖もおるゆえ、そういう者は鎮守の森や墓場で静かに暮らしておる」

「へえー。鎮守の森から墓場へ続く道もあるのか?」


「もちろんじゃよ。墓場は鎮守の森よりもずっと人気じゃて」

「へ、へえ……墓場って人気なんだ」


「あまりの人気に縄張り争いが起こりやすい所なのじゃよ。昔は人里にたくさんの墓場が存在しておったゆえ、墓場の棲み処なんぞ選び放題だったのじゃが………これも時代じゃな」


 翔は脳内で墓場を想像する。

 ちっとも魅力が分からないが、妖には惹かれるものがあるのだろう。人間でたとえるなら、高級マンション、新築一軒家みたいな魅力があるのだろうか?


「異界って妖の社だけじゃないんだな。知らなかったよ」

「地域交易場。検問などを行う関所。大衆向けの保養地(ほうようち)。人里よりも文明が遅れているとはいえ、異界も妖で文化が形成されておる」

「学校とかもあるの?」

「学び舎のことじゃな。無論ある。知識はチカラとなるからのう」


 翔は比良利の話を聞き入る。

 今まで月輪の社と日輪の社。境内の参道に並ぶ市場しか知らなかった。

 それゆえ異界は古くさいという固定観念があった。実際、人里よりもずっと文明が遅れているので『古くさい』ところは多くあるのだろう。が、妖は妖なりに異界で文化的に過ごす場所があるようだ。

 翔は知らなかった。

 本当の意味で異界というところを。

 妖らが暮らしている世界を。


「ぼん。見えてきたぞ」

「え? 何が」

「いいから見てみよ」


 比良利が前を指さす。

 指先は天を向いていたので、翔もそちらに目を向ける。

 思わず足を止め、腕に抱えるギンコとツネキを地面に落としてしまった。

 そこには満目いっぱいの金魚の群れが鎮守の森を覆う勢いで泳いでいた。大きい金魚もいる。小さな金魚もいる。目が大きい金魚もいる。尾ひれがうつくしい金魚もいる。みながみな怪火を銜えて、同じ方角に向かって泳いでいた。


 これは一体………。


「あれは『墓なし金魚の赤渡(あかわた)り』と言ってな。弔われなかった金魚たちが日出(いづ)る場所を目指し、怪火を銜えて夜の天を泳ぐのじゃよ」

「どうして怪火を銜えているんだ?」


「同じように弔われなかった同胞を呼ぶための道明かりにしたいのやもしれぬな。墓なし金魚は妖に生まれて、おおよそ半日ほどで命尽きる」


 つまり、あれは生まれたばかりの墓なし金魚。

 妖の多くは日出(いづ)る場所を拒み、恨み、苦手としているので、生まれて間もない墓なし金魚には日の出る場所なんぞ耐えられないのだろう。日の出と共に墓なし金魚は消えてしまう。日を浴びなくとも一日も持たない。

 さりとて墓なし金魚として生まれた化け物らは、誇りをもって日出(いづ)る場所を目指す。


「墓なし金魚が日出(いづ)る場所を目指す理由はわしにも分からぬ。もしかすると、お天道様が恋しいのやもしれぬのう」

「妖……なのに?」

「そういう妖が存在してもまったく不思議ではない。お天道様をひと目見たくて目指しているのやもな」


 そのために生まれたのだ。

 そのために天を進むのだ。

 そのために死んでいくのだ。

 なんびとも徒命(あだいのち)と言う資格は無い。


「途方もない時間を生きる妖がおるように、瞬きもない時間を生きる妖もおる。千年生きる妖もおれば、一日で命終える妖もおる。ある者は暑い季節にしか生きられず、ある者は寒い季節にしか生きられず、ある者は死者と大して違いのない存在となり己の生死に悩む者もおる」


 いびつな化け物の生死とは千差万別。

 世の理、ヒトの常識とは逸脱したことも多い。

 それらを統べる狐として比良利は生まれる同胞を見守るのだろう。死者から生まれようと、獣から化け物になろうと、ヒトから化け物になろうと、生まれがどのような者であろうと、それが南北の氏子なのであれば。


 そして統べる狐として比良利は、沈みゆく同胞に祈りを捧げると言う。


「どのような最期になろうと氏子の生き様を見守り、見届け、見送る。そして残された者たちの糧になるよう祈る。これが北の神主の名前を背負った、小物狐なりの覚悟よ」


 比良利は惜しみなく胸の内を語った。

 蛇の目越しから金魚の群れを眺める、語り部の横顔はどこまでも穏やかだった。

 翔は墓なし金魚の群れに視線を戻す。


「きれいだね」


 素直に思う。

 墓なし金魚の天を泳ぐ様はうつくしい。

 群れがまるで一本の川のように連なり、金魚の銜える怪火はまるで灯篭流しのよう。生まれたばかりの墓なし金魚は、命尽きるまで日出(いづ)る場所を目指すのだろう。


(生まれて一日も持たず、お天道様を目指して死ぬ運命の墓なし金魚か)


 それに憐れみを抱くことはないのは、墓なし金魚なりの誇りに気づかされたから。

 あんなにうつくしく優雅に天を泳ぐ金魚の群れを、どうして可哀想だなんて思えるのだろう。


「あ、」


 翔は声をもらす。

 金魚の群れから落ちてゆく、一匹の墓なし金魚を。

 力尽きてしまったのだろうか。銜えているはずの怪火が口にない。あの化け金魚はもう……。


 と、比良利が小さく弱い狐火を手中に召喚すると、それを金魚の前に放った。


「それがお主の終わりならば、わしは見届けよう」


 さりとて、ここで終わると悔いる。

 そのような目をしていると比良利。


「いま一度、思うが儘に生きてみよ。お主の望みはお主自身が叶えよ」


 赤狐は落ちる墓なし金魚に手を貸すことなく狐火を放るに留まった。


 間もなく、狐火を捉えた墓なし金魚がそれを勢いよく銜え、ふたたび天にのぼる。墓なし金魚は自力で群れに戻って行く。墓なし金魚は落ちるか、群れに戻るか、(おの)が心で選択したのだ。

 翔は恍惚に北の神主を名乗る狐を見つめる。


(これが神主の本当の姿なんだ)


 妖たちを統べるチカラだけでなく、生き様を見守り、見届け、見送る。

 一方で(おの)が心で道を歩めるよう(しるべ)となっている。相手に手を差し出したり、背中を押したり、助言をして助けるだけの存在にならないよう努めている。


 それがどれほど重たいお役なのか、翔には想像もつかない。


(散歩に誘ってくれたのは、俺を励ますためなのかもな)


 そして墓なし金魚の赤渡(あかわた)りを見せてくれたのは、きっと比良利なりの翔に対する導なのだろう。これから大きく道を進もうとする翔のために。

 翔の推測でしかないが、根掘り葉掘り比良利に真実を聞こうと思わない。野暮ではないか。

 代わりに翔はひとつ、北の神主に甘えることにした。


「なあ比良利さん」


 蛇の目の和傘ごと振り返る赤狐に向かって小さくはにかむ。


「俺はまだ一か月ちょい前に半妖になったばかりの小僧狐で、今夜は何のチカラもない人間だけど、その……言わせてほしいんだ――ただいまって」


 これから妖として生きる。

その選択は苦しく、時に悔いることもあるだろうが、きっと比良利は余計なことは口を出さずに見守ってくれるだろう。

 だからこそ翔は言いたい。

 今後は妖狐として生きる意味を込めて、ただいまと。


「比良利さんに伝えたい大事な話もあるのに、なんでだろう。何よりも一番に『ただいま』が言いたくなっちまった」


 すると比良利は蛇の目の和傘を差し出して、翔を中に入れると、「散歩はこれにて仕舞いじゃ」と言って今宵一番のやさしい微笑みをくれた。


「おかえり。三尾の妖狐、白狐の南条翔」


 おかげで翔の心は決まった。


 


 境内(けいだい)に戻って来た翔は比良利と文殿(ふみどの)に入る。

 そこは四面板張りで数多の書物が詰められていた。色褪せた和書に木版、文机には年期の入った巻物の山があった。


 翔は文机の傍に敷かれた茣蓙の上で寝転ぶと、置行灯(おきあんどん)を灯してくれる比良利に容態を診てもらう。その際、散歩に同行していた金銀狐には外で遊んでくるよう促した。文殿にいても、しばらく相手にしてやれない。退屈になるだけだろうから。


「やはり一丁前に妖力だけ成熟しておるな」


 ジャージをたくし上げ、翔の腹部に手をあてた比良利の第一声がこれであった。


「比良利さんにも分かるんだね。妖力の成熟とかそういうの」


「わしは医者ではない。それゆえ一聴ほど生体を診ることはできぬが、ある程度の知識はある。まったく呆れて物も言えぬほど、重い症状の(りき)ぶくれじゃな」


「あれ……なんで俺、呆れられてんだ?」


「呆れもするわい。普通であれば、走るどころか動くことも儘ならぬほどの重症じゃぞ。それなのに、お主の行動ときたら百鬼夜行から逃げ回る。突っ込む。八つ口僧の提灯を壊すために燭台を振り回す。ようやるわ」


「しょ、しょーがないじゃん。あの時は無我夢中だったんだから!」


 確かに腹は痛かったが、それよりも足を動かさないと食われてしまう現実があった。

 まあ半分以上、要因は翔が百鬼夜行をおびき出してしまったことにあったが、ああでもしなければ翔は霊屋(たまや)に封じられたままだった。反省も後悔もない。


「ぼん、お主に問おう」

「ん?」

「なにゆえ、そこまで走れた?」


 比良利の疑問に翔は間髪を容れずに返事する。


「難しい理由なんて無いよ。ただ嫌だっただけ」


 百鬼夜行に食われる幼馴染を見たくなかった。

 百鬼夜行に宝珠の御魂を奪われ、南の地が蝕まれる光景を見たくなかった。

 百鬼夜行に苦しめられる狐らを見たくなかった。


 めぐりめぐる負の連鎖を断ち切りたい。百鬼夜行をどうにかしたい。ヒトと妖の双方が荒れていく関係をどうにかしたい。その一心で翔はひた走った。すべて翔の我儘だった。


 とはいえ、これは翔ひとりで解決できるほど、小さくはないことも知っていた。


「だからあの時、比良利さんに向かって俺は叫んじまった――天命を果たしたいって」


 声は届いた。

 翔が百鬼夜行の統制を崩し、比良利が百鬼夜行を滅した。

あれが正しい行動だったのかは分からないが、少なくとも百鬼夜行で苦しむ者はいなくなった。そう信じたい。

 翔は比良利を見つめ、そっと問い返す。


「どうして比良利さんは俺の声を聞いてくれたんだ?」


 生意気を言った自覚はある。

 天命を果たしたいと訴えたことも、南の地を統べる妖は南条翔だと叫んだことも。

 まこと妖を統べる比良利にとってあの発言は覚悟も立場もないくせに、と怒れて良かったはず。


 なのに、比良利は翔の声を受け止めた。翔に八つ口僧の提灯までの道を作った。想いを継いで百鬼夜行を滅してくれた。


 それはどうしてなのか?


「俺が宝珠の御魂を宿しているから?」


 疑問を重ねたところで比良利は答える。


「お主の迷いない声を聞いて居ても立っても居られなくなった。ただそれだけじゃよ。ぼんの言葉を借りるなら無我夢中だった、じゃな」


 それ以上も以下もない。

 軽く笑う比良利に、体を起こす翔もつられて笑う。

 十分すぎる答えだった。


「ぼん。少し待っておれ。今から袴丸薬(はかまがんやく)を作る」

「袴丸薬? 丸薬っていえば、比良利さんが妖祓に託したやつだろ?」


「左様。お主に飲ませたのは藤袴(ふじばかま)を用いた丸薬で、人里では魔除けの効果がある花。我ら妖が食せば著しく妖力が下がってしまうのじゃが、(りき)ぶくれには適した効能を持っておる。体が熟していないお主には、これからしばらく必要になるじゃろう」


「薬関連は一聴さんの担当だと思っていたよ」

「病や傷に関しては、医者の一聴が担当しておる。さりとて妖力の急変については医者に加えて、神職も担当する」


 たとえば犬が妖化した際、妖力の変化について来られず理性を失って暴走するやもしれない。

 妖化の前に一手を打つ策を講じれば食い止められるので、神職は妖化や妖力の急変に首を突っ込む。それらは統べる土地の治安に関わるのだから。

 比良利が文机に向かい薬研とすり鉢、巻物を広げて準備を始める。


「妖化や妖力の急変は薬で対処することも多い。特に妖化を早める薬は神主のみ調合を許されておる。つまり、作り手はわしのみということじゃが……」


 語り手の語尾が濁る。

 翔はそれに違和感を抱くものの、さっさと立ち上がって比良利の隣に並んだ。見下ろしてくる長身狐に笑い、「手伝ってもいいか?」と我儘を口にした。


 比良利は少々驚いていたが、嫌がる素振りをひとつ見せずに翔に薬研を手渡した。


「向こうの茣蓙で調合する。運んでたもう」


 こうして袴丸薬(はかまがんやく)の調合を手伝うことになった翔は、必要な薬種の説明を受けて、乾燥した藤袴(ふじばかま)を粉末にするために薬研を動かす。


 たいへん拙い動作であったが、比良利は笑うことも叱ることもなく、一から十まで丁寧にやり方を教えてくれた。翔が理解するまで教え続けてくれた。


「比良利さんは、どうして神主になったの?」


 無事藤袴(ふじばかま)を粉末した翔は、薬研に甘草(かんぞう)を入れる比良利に尋ねる。

 薬研を指さす比良利に頷いて、ふたたび薬研を動かしたところで返事がきた。


「天命といえばそれまで。さりとて、自問自答することも多い。なぜ神主の道を歩んでおるのか、と」

「後悔しているの?」

「選択した道を一度でも悔いたことは無い。そう言ってしまえば嘘になる。やはり悔やむこともあれば、苦悩することもある。たらればで別の道を歩む己を想像することもある」


 しかし、想像は想像で終わると比良利。


 神主の道を選んだからには、己がどのような神主でありたいのか、納得するまで歩み続けたい。

 その覚悟で神主を担っている。生涯をかけて納得する答えは得られないやもしれないし、道半ばで納得する答えを見つけるやもしれない。

 どのような結果になろうと、比良利はいつまでも見守りたいと思った。任された南北の地を。そこで生きる妖を、沈みゆく妖を、氏子たちを。


 そしていつか、身に宿す宝珠の御魂と、己の想いを次世代に託し、最後の最期まで笑っていたい。


「じゃから、わしは神主になった。己が笑って終わる夢をみて」


 迷いのない言葉は翔の心に深く突き刺さる。

 薬研の持ち手を放す翔に、今度は比良利が問うた。


「ぼん、なぜ異界を選んだ?」


 きっと目の前の狐は翔がどのような道を歩みたいのか、すでに察しているのだろう。

 なおも翔から言えるように、と水面下で導いてくれる。墓なし金魚の時のように、目の前の狐は導になろうとしてくれている。


 ああ、それがとても悔しいし、とてもすごいと思った。


 翔はゆっくりと薬研を脇に置いて、「そこに俺のやりたいことがあったから」と答えた。


「今までの生活を捨てるなんて簡単じゃない。人里に置いてきたものは俺にとって、どれも宝物で未練も強い。両親を思えば苦しくなる」


 だけど、だけれども。


「俺は異界に帰りたかった。妖狐に成熟する、それだけの理由で帰ってきたわけじゃない。単純に見るのが嫌だったんだ。俺が好きな奴らが傷つくのがさ」


 それ以上も以下もない。

 異界に帰らなければ、宝珠の御魂を宿した南条翔をめぐって争いが続く。

 幼少から遊んでいた幼馴染や、可愛がってくれた人間の大人たち。半妖になった翔を支えてくれる妖たち。双方が衝突してしまう。傍らでは卑怯な百鬼夜行が隙をついて、どちらとも傷つけようとする。


 翔は見ていられなかった。

 分かっている、自分がどれだけ未熟か。どれだけ弱いのか。どれだけ無知なのか。

 宝珠の御魂を身に宿したことで強さが強調されているが、結局、翔自身は何もチカラのない、何もできない小僧狐なのだ。


 それでも宝珠の御魂に選ばれた、そこに意味があるのならば翔は可能性を見出したい。


「俺はヒトにも妖にも傷つけられた。同じくらいヒトにも妖にも助けられた。たくさん怒りを覚えたこともあったし、たくさん感謝することもあった」


 とどのつまり。

 どちらも好きだし嫌いで、やっぱり大好きなのだと思う。

 ヒトと妖が争うところを翔は見たくない。身近にいる奴らなら猶更だ。


「教えてよ比良利さん。俺が鬼門の祠から漏れる瘴気を止められるようになったら、今よりもずっと妖やヒトは争いが無くなるの?」

「無論じゃよ」

「だったら俺が瘴気を止める。宝珠の御魂を宿す神主しかできないなら俺が代わりにやる」

「それは覚悟があってか?」


「もちろん俺自身、十代目南の神主に相応しい奴とは思ってねえよ。成り行きで宝珠の御魂を宿しただけに過ぎないし、俺よりも相応しい奴が出てきたら、そいつに託すべきだと思う」


 ただ、そのような者がいつ出てくるのか皆目見当もつかない。

 ならば、その日が来るまで宝珠の御魂を宿す翔が代行を務めれば良い。

 せめて身近なヒトや妖が傷つく原因となっている、鬼門の祠の瘴気を翔の手で解決させることができれば、と思っている。


「瘴気のことならば、わしに頼めば良い。お主が無理にお役を担う必要はない」


 ご尤もなことをのたまう比良利だが、翔は見抜いていた。


「比良利さんじゃ無理なんだろう?」


 妖を第一に想う比良利が瘴気問題を放っておくわけがない。

 おおよそ鬼門の祠から漏れる瘴気をどうにかしようと、あれこれ手を尽くしていたのではないだろうか。それでもずさんな管理体制になっているのは、比良利の手ではどうにもならないから。

 瘴気問題は南地にある鬼門の祠から起点となっている。

 比良利は北地を統べる頭領なので、南地の鬼門の祠から漏れる瘴気を対処できないのだ。たぶん宝珠の御魂が関わっているのだろう。


 であれば、やはり翔が代行を務めたい。


「比良利さんの言うとおり、この問題は神職に任せるべきなのかもしれない。南の神主になる覚悟も持っていない男が言い出すことじゃないのかもしれない」


 だけど。


「俺なりに覚悟は決めた。幼馴染達からは異界に行くなって止められたよ。人里には両親もいる。悲しませるのかって。嫌に決まっている。捨てられるわけないって心の奥底から叫びたかった。それでも俺は異界に戻りたかった。我慢できなかった。見て見ぬふりはできなかった」


 身近な奴らが傷つけ合う。

 それをどうしても見て見ぬふりはできない。


「ぼん。今すぐヒトの血を捨てる覚悟はあるか?」


 比良利が翔の覚悟を追究した。

 翔の志すことは、半人前の妖では無理な話。それこそ一人前の妖でなければ成せない。ヒトの血を捨てるということは、人間の自分と決別するということ。


 それを今すぐできるか。翔の妖になった経緯を知る比良利が厳しく問い質す。


「俺は一秒でも早く妖になりたい」


 間髪を容れずに返事したところで、翔はこの振る舞いは間違いだと気づく。

 今ここで比良利と対等に話しているが、まったくもって正しくない。


「如何した、ぼん」


 急に口を閉じる翔に比良利が怪訝な顔をするが、翔は必死に考えていた。

 相手は妖を統べる頭領狐、物を頼むのであれば相応の振る舞いをするべきなのでは。


 翔は妖になりたい。

 そして比良利に宝珠の御魂を宿す狐として、南の神主の代わりに鬼門の祠の瘴気を解決したい。それらの願いを聞き届けてもらうためには――脳裏にふと一聴の姿を思い出す。あの付喪神も小僧狐に対して敬意を払っていた。ならば。


 翔は一歩分、身を引いて正座をする。


「どうか俺に鬼門の祠の瘴気を封じるための力を教えてください」


 たどたどしい敬語だろう。

 けれど翔は言葉を重ねる。

 妖として生きるなら忘れるな、異界の規律を。異界の地位は神職が最も高い。


「妖とヒトが傷つけ合う、そんな現実を俺は見て見ぬふりができません。宝珠の御魂を宿している狐だからこそ何かできるのではないかと思いました。ヒトの血を捨てろと言うのなら、今すぐ捨てる覚悟です。一秒でも早くヒトの血を捨てます」


 空気を感じ取ったのだろう。

 比良利が糸目を開眼して翔を捉える。


「代わりであろうと、鬼門の祠の瘴気を封じるには宝珠の御魂のチカラが必要不可欠。その力を使うのであれば、お主は神職のひとりとして扱われる」

「はい」


「道半ばで逃げ出すことなど許されぬ」

「はい」


「事によってはお主から宝珠の御魂を抜くことも厭わぬ。それでお主が死のうとも」

「覚悟しています」


「できなかった、じゃ終わらぬ話ぞ」

「できるまで挑み続けます」


「この比良利、甘えも泣き言も聞き入れぬぞ」

「すべて覚悟しております」


 押しつぶされそうな空気に身を強張らせてしまうが、心折ることなく精一杯の覚悟を伝える。

 また言葉だけではなく態度でそれを示すため、己の知るかぎりの礼儀作法をしなければと床についた両手を添えて深く頭を下げる。


「比良利さまの知るかぎりを教えてください。よろしくお願いいたします」


 どれほど頭を下げていたのか。

 気圧される空気は小さな笑声によって掻き消された。


「三尾の妖狐、白狐の南条翔。お主の覚悟はしかと確かめさせてもらった。この六尾の妖狐、赤狐の比良利が責任持ってお主の覚悟を受け持とう。面を上げよ」


 そっと頭を上げると比良利の慈悲溢れた笑みとぶつかる。

 彼は翔の頭に手を置き、やさしい言葉を投げかけた。


「強くなったのう。出逢った頃はひとりでは何も決められない、他者任せな狐じゃったというのに。頭を下げるとは思いもせなんだ」


 目まぐるしい成長だと比良利は評価してくれる。


「違うよ」


 力なく笑う翔は砕けた口調で否定した。

 自分は強くなどない。恐怖が拭えたわけでもないし、自分に代行が務まるのか不安も抱く。親を心配させていることや幼馴染たちを傷つけた罪悪感だってある。

 けれども、翔の中でどうしても抑えられずにいる、

 妖とヒトが傷つき合ってほしくない気持ちが……どうしても。


「俺が強く見えるなら、それはきっと周りのみんなが強くしてくれたんだよ。ヒトも妖も、ぼんぼんの俺に優しくしてくれたから」


 上体を起こして照れ笑いを浮かべる。

 眦を和らげる比良利は相槌を打つと調合の続きをしようと誘った。


「ヒトの血を捨てるためには(りき)ぶくれを治さねばならん。今すぐヒトの血を捨てる覚悟は見事じゃったが、自分を労わることも大切なことじゃて」

「俺、本気だったんだけど」

「じゃろうな。目を見れば分かる」

「出鼻挫かれた気分だよ」

「なあに。療養も妖となる立派な一歩ゆえ。それにしてもぼん」

「ん?」


「お主、南の神主になりたいとは言わなんだな。神主になれば、多くの妖はお主に付き従う。宝珠の御魂を狙う者たちは、それを目的にしていることも多いというのに」


 翔は頭上に数多の疑問符を浮かべる。


「妖たちに付き従ってほしいから神主になりたい? ……よく分かんねえや。あれこれ命令できて気分が良くなりたいんだろうけど、俺はそういう気持ちないよ」


 百鬼夜行らに南の地を統べるのは自分だと言ったが、あの時は『なりたい』ではなく、宝珠の御魂を渡さない気持ちの方が強くて言葉を発してしまった。本当の意味で翔はまだ神主になりたいと言ったことはない。


「南の神主になりたいって言わなかったのは、俺が南の神主を全然知らないから」


 知らないのに『なりたい』だなんて、そんなの、いま神主を務めている狐に失礼ではないか。

 翔よりも適した十代目南の神主候補が出てくるのであれば、もちろん立場は譲る。

 それはそうと、翔は選ばれた者として神主というものをもっと知りたい。


 だって。


「墓なし金魚を見守っていた比良利さん、すげえ格好良かった。神主ってあんな風にみんなを見守っているんだな。もっとそういう一面を知りたいって思っちまったよ」


 ちゃんと神主のことを知ってから答えを出したい。

 翔が屈託のない笑顔で伝えたところで、めちゃくちゃに頭を撫でられる。視線を投げれば、翔と同じように屈託ない微笑みを浮かべる比良利がそこにはいた。

 今の自分たちは、双子関係になれているのかもしれない。

 なんとなく、でもつよく、そう思った。

 

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