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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【肆章】九代目南の神主代行
58/158

<六>君のいない日々



 ※ ※



「――なあ飛鳥。今度の日曜、遊べないか? もう朔夜には声を掛けているんだ。空いているなら、LINEで返事くれよ」



 中学当時、飛鳥は少々うんざりしていた。


 また、幼馴染から声を掛けられた。それも決まって三人で遊ぶ約束について。先週も遊びの約束を結んだばかりなのに。その前の週も、その前の週も、遊んだことを彼は忘れていないだろうか。


(……困ったなぁ)


 同じ面子で遊ぶなど、もう内容が限られてくるし、話題性も欠けてくる。何より新鮮味がない。会話にだって困ってしまうというのに。


「うん、ちょっとスケジュールを確認しとくね」


 結局、飛鳥は他の女の子と約束があるからと断り、女の子達と有意義な休日を過ごす。


 思春期を迎えた飛鳥はとにかく新鮮味が欲しかった。同性の友達と買い物や映画に行き、和気藹々と恋のお喋りをしたい。そんな年頃だった。


 そうすると皺寄せは朔夜に向かう。


「飛鳥。そろそろ、付き合ってくれてもいいんじゃないかい?」


 三度目の誘いを断った頃、朔夜から抗議を受ける。彼は健気にも、貴重な休みを翔の誘いに費やしていたようだ。

 飛鳥は同情を示し、少しは断ったらどうだと、反対に意見を出した。妖のことでストレスも溜まっているだろうし、自分の時間も欲しいだろう。彼の子供じみた執着心に、やや疲労していた。


 高校になると、翔の子供染みた執着に寛容ができる。相変わらず、翔は幼馴染に執着し、三人で居たがった。


 それを朔夜と話題にすることもあり、大学になったら大丈夫かな、と心配を寄せて苦笑していたほどである。



 しかし翔は変わった。変わってしまった。

 あれほど幼馴染に執着していたというのに、身を切るような寒さを感じさせる二月を境に、少しずつ自分たちを避けるようになった。今思えば落ち込む素振りを見せていた彼に、ああ、どうしてもっと声を掛けなかったのか。


 早く声を掛けていれば何かが変わっていたかもしれないのに。


 四月、彼の口から秘密を聞く前に知ってしまった、残酷な真実。

 ヒトから“妖の器”となった彼は、朔夜の家に捕縛され、毎日を怯えながら過ごしていた。いつ自分が祓われるか恐怖心を抱き、自由溢れる外に出たいと言わんばかりに窓を何度眺めていたか。


 それでも自分達には心を見せ、部屋を訪れると喜びを見せてくれた。


 気を遣わせまいと、気丈に明るく振る舞う彼の優しさに、飛鳥は掛ける言葉も見つからなかった。元気付けようと油揚げを土産に持ってくると、本当に嬉しそうに食べていた。



 翔はもうヒトではなくなっていた。


 尾っぽと耳が生え、妖狐らしい風貌に。昼行性から夜行性に。人間だった頃では見られない行動を見せるようになり、飛鳥は大いに戸惑ってしまった。


 例えばサンドイッチなどの軽食を取った後、彼は必ず手を舐めて綺麗にする。

 ヒトだった頃ではありえない行動だ。思わず布巾で手を拭くように指摘すると、翔は酷く困ったように布巾を持って手を拭いていた。

 後で朔夜から、多少の行動は目を瞑ってあげないと、と窘められる。


「ショウは狐の本能を持っているんだ。無意識だったんだと思うよ」


 他にも彼は蓋の閉められたペットボトルを、おもむろに転がし、好奇心を抱いたようにそれで遊んだり、枕を食んで戯れたり。外の雀に尾を揺らして目を輝かせていた。

心まで狐と化してしまっているように思えた。


 翔も自覚はしていないのだろう。前以上にスキンシップを好むようになり、喋っていたら突然、飛びついてくる。


 最初の餌食になったのは朔夜で、畳で後頭部を強打した彼はさすがに怒り心頭。何をするんだと頭ごなしに叱り付けてしまい、翔を酷く落ち込ませてしまう。


「ごめん。戯れたくなっただけなんだ。気を付けるよ」


 尾と耳を垂らしてしまう姿は、とても可哀想でかわいそうで。堪らず諸手を広げ、おいでと言ってしまったほどだ。


 するとどうだろう。普段は赤面する翔だがこの時ばかりは本当に戯れたかったようで、クンクン鳴いて飛びついてきた。満足すると、心ゆくまで毛づくろいをしていた。本当の獣のように、せっせと尾っぽを舐めて毛づくろいしていた。



 また彼はよく鳴くようになった。

 寝言でクンクンと鳴くこともあれば、油揚げに喜んでクオンと鳴いたり、窓に向かって遠吠えすることもある。彼は毎晩鳴いていた。

何度、その姿に心を痛めだろう。


 このままでは姿だけでなく、心までヒトではなくなってしまう。


 懸念を抱き、なるべく今まで口ずさんでいた話題を出すように努めた。せめてヒトの心のままであって欲しい、そう願って。


「ねえショウくん。駅前のケーキ屋さんにね、新しいタルトが出たの。イチゴとブルーベリーがふんだんに使ってあって美味しいんだって。今度一緒に行こう。朔夜くんと三人で」


 誘うことが当たり前だった翔は、飛鳥の誘いに目を丸くしていた。


「一緒に?」


 おずおず確認してくる翔に、


「そう。三人で一緒に」


必ず連れて行ってあげると彼の手を取り、約束すると笑顔を向ける。


 彼は困ったように笑った。


「行けるかな。こんな姿になっちゃったし」


 あれほど幼馴染達との時間を重んじていた翔が、遠慮を見せるようになる。


 飛鳥はとても切なくなった。純粋に喜ぶ顔を見たかったのに。こんな思いをするならもっと、積極的に自分から誘えば良かった。

 後悔を抱きつつも、飛鳥は励ました。必ず部屋から出してもらえる、そう何度も言い聞かせた。


「部屋から出してもらったら、また私の家に来てよ。またオムライスを作ってあげるから」


「良かったじゃないか。ショウ。楽しみが増えたよ」


 会話の輪に入ってくる朔夜に顔を覗きこまれ、揶揄するものの、翔は浮かない顔のままだった。


 そこで朔夜が、こんな提案をする。落ち着いたら翔の家に行かせて欲しい。花見にも行こう。勉強の合間を縫って、遠出しても良いじゃないか。受験が終わったら打ち上げもしたい。


 あれこれ挙げ。朔夜は翔と、沢山の抽象的な約束を取り結ぼうとする。


「だからさ。希望を捨てないでくれよ。ショウは大丈夫だから」


 泣きそうな顔を作ったのは翔だった。小さく頷くと、誤魔化すように手の甲で目元を擦った。



「許されるなら、お前らとまた一緒に過ごしたいな」



 許されるなら。


 無性に抱き締めてあげたかった。大丈夫だよ。一緒にいられるよ。力強く抱き締めて励ましたかった――してあげれば良かった。もっと此方から誘ってあげれば良かった。そうすれば、彼は自分達の手を振り切らなかったのだ。




「許されるのに。ショウくん、許されるよ」


 記憶と共に目覚めた飛鳥は、流れる雫をそのままに寝返りを打って布団を被る。


 閉め切られた遮光カーテンから微かに朝日が零れ、飛鳥に目覚めるよう教えてくれるのだが、起き上がる気にはなれず、ただただ枕に顔を押し当てて毛布を握り締めた。


 また夢を見た。幼馴染の夢。当たり前のように、傍にいてくれる彼の夢を見た。


「……ショウくん。人間を捨てるなんて」


 彼はもう自分達の住む世界にはいない。喪ったわけではない、けれど自分は大切な幼馴染を確かに失った。


 けたたましい携帯のアラームによって起きざるを得なくなった飛鳥は、オイル切れのロボットのようにぎこちなく上体を起こす。赤い目を擦って、跳ねている髪をくしゃくしゃにすると、亀のような動きでベッドを下りた。


 机の上に置いている鏡で、顔の腫れを確認しようと手を伸ばした先に、自分の使用している呪符の束が視界に飛び込んでくる。有無言わず、その呪符を引き出しに仕舞い、飛鳥は下唇を噛み締めた。


 妖祓。家系が妖祓のせいで。こんな辛酸を味わわなければならなくなった。すべては妖祓という職のせいで。


 もう二度と呪符は使わない。これを使えば本当に幼馴染との縁が切れてしまいそうだから。


 飛鳥は逃げるように自室を飛び出し、洗面所へと向かった。



「はあ。もう朝から憂鬱」


 今後のことで、朝も早くから両親と喧嘩をした飛鳥の足取りは重たかった。今後、とは勿論、妖祓のことである。両親は続けるよう促してきたのだ。冗談ではない、妖祓の食のせいで幼馴染を失ったというのに。


「あれ。朔夜くん?」


 家を出た道中で、朔夜と顔を合わせた。

 今日はやけに早く家を出たようで、学校に用事でもあるのかと問う。彼は決まり悪そうに家に居たくなかっただけだと返事した。察するに飛鳥と同じようだ。


 いつものように足並みを揃え、彼と学校を目指す。喪失感は拭えず、会話が飛び交うことはない。


 普段であれば積極的に会話を試みるのだが、そういう気分にもなれない。話題が見つからず、飛鳥はただ朔夜の肩を並べるだけに終わる。


(……朔夜くん。ショウくんのこと、どう思っているんだろう?)


 あの夜以来、朔夜と飛鳥の間で幼馴染の話題は禁忌とされた。

 彼を止められなかった後悔、自分達の呼び掛けを無視した幼馴染への憤り、己自身の不甲斐なさが込み上げ、お互いに話題に触れようとしないのだ。感情を表に出す飛鳥とは対照的に、朔夜はその感情をすべて胸の内に仕舞っている。


 ゆえに、今の心境を読み取ることは難しい。


(……怒っているのかな。ショウくんのこと。それとも)


 朔夜と黙々通学路を辿っていると、頭上を妖鳥が過ぎる。気味の悪い鳴き声を発する妖は、当然無視した。もう関わらないと決めたのだから。


 そうして目を瞑っていると、飛鳥と朔夜の前を二足歩行のネズミたちが何度も路を往復。民家から民家に渡っている。


『えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ!』


 ドブネズミほどの大きさを持つそのネズミは、旧鼠(きゅうそ)と呼ばれる妖怪で、ネズミが年月をかけて妖になった生き物だ。


 両手に食料であろうトマトやきゅうり、腐りかけた肉や魚を抱えて旧鼠は、口々にえらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ。えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ。えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ。


 とにかく喧しい。


 朝からなんだと溜息をつく二人の耳に、こんな会話が入ってくる。



『北の神主が倒れた。えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ!』


『我等の頭領が倒れた。えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ!』


『南の神主はまだ現れない。えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ!』


『いやいや白狐は既に現れた。えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ!』


『ならば赤狐と対の白狐はまだか。えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ!』



 嗚呼、えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ! えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ! えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ!



 慌てふためく旧鼠達の口から白狐という単語が零れ、思わず飛鳥と朔夜は顔を見合わせる。


 旧鼠に視線を戻すと、二人の存在に気付いた妖達が悲鳴を上げた。

 霊力を感じる。あれはきっと妖祓。大変たいへん、さあ逃げろ! えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ! あれほど路を往復していた旧鼠達が、四方八方に飛び散り、その姿を隠してしまう。


「一体なんだったんだ」


「うーん、なんだったんだろうね」


 妙な疲労感を覚えながら、学校へ向かっていると、正門近くの駐輪場で捨てられた置き傘が老人と駄弁っていた。もう一度いう、置き傘が僧侶の格好をした老人と駄弁っていた。


 傘は付喪神(つくもがみ)になっているのだろう。そして老人は見たところ、ぬらりひょんのようだ。駐車場を利用する一般人には、一切合財見えていない。


『比良利さまが倒れたんだって? 惣七さまに引き続き、比良利さまが倒れられては……我等の暮らしはどうなるのだ? ぬらりひょん。南同様に北も荒れるぞ』



『分からぬ。ここ南鬼門の祠の結界は、白の宝珠を持つ者しか成しえぬこと。紅の宝珠を持つ比良利さまに、大層ご負担が掛かったのじゃろう。あの方は無理をしすぎる。しかし希望がないわけではない。既にあの方の対は現れているとの話じゃ。聞くに比良利さまは、白狐に神主修行をさせているそうじゃ』



『では南の頭領は近い内に必ず』


『ああ、我等を導く白狐は必ず姿を現してくださる』



 もう少し盗み聞きしたいところだが、時間が迫っていたため、飛鳥は朔夜と共に正門を潜る。

 幼馴染の話題だったというのに、これが自分達の間で交わされないのは、妖に関わりたくない、という強い意地なのだろう。


 呪符を引き出しに封じた飛鳥と同じように、朔夜も数珠を手放している。それは妖祓をやめるという決意の表れ他ならない。


 その証拠に、自分達は幼馴染の正体を知った夜から、一度たりとも妖を祓っていない。




 学校での南条翔の扱いはしごく簡単なもので、長期欠席という四文字熟語でおさまっている。


 飛鳥は彼のクラスメイトではないため、教室での扱われ方を詳しく知らないが、翔と深い関わりを持っている米倉曰く、担任は欠席している生徒に機械的だとのこと。


 所詮、教師などそんなものだと見切った見方をしている米倉は続け様、クラスメイトからは多大に心配されているという。

 中には見舞いに行こうか、迷っている女の子もいるらしい。


 意外だと驚く飛鳥に米倉は意地悪く、周りを気遣うことが上手いから、と肩を竦めた。


「南条はモテるんだって。幼馴染病さえ患ってなきゃさ。どっかの誰かさんの毒牙に掛かったせいだよなぁ。あーあ、可哀想に」


 鼻で笑う米倉の底意地の悪さに飛鳥は憤りを感じた。彼は嫌いな類である。同じように米倉も、自分のことを嫌っているのだろう。空気で分かる。


 一方で、幼馴染病を患っているのは、翔ではなく自分であることを飛鳥は確信していた。朔夜に恋心を抱いても、翔と縁を切りたいとは思っていない。今までどおりの関係を保ちたいと思っていた。


 それこそ、いつまでもこの関係を続けたいと思っていた、

 ただの一般人である、彼の見せてくれる普通の世界が、本当に楽しかったから。


 ゆえに、どこかで朔夜と結ばれることも、翔の気持ちを受け入れることも、望んでいなかったように思える。三人の関係の均衡が崩れるのが怖かったから。朔夜が自分に振り向かないのも、そういった理由があるのかもしれない。


 では、その均衡が崩れたとき、自分達はどうすれば良いのだろう?


 翔は変わった。己の道を見定め、その道を信じて妖の世界へ行ってしまった。


「ショウくんは……私達がいなくても、前に進める人だったんだね」


 翔は幼馴染がいなくとも、両の足で立てる強さを持っていた。傲慢にも、自分達がいなくなったら大丈夫かな、と常々心配していたけれど、その心配はただの杞憂。


 本当に大丈夫ではなかったのは、妖祓の自分達の方だった。


 一人欠けたことで、飛鳥と朔夜の関係が変わりつつある。なんて脆い世界に浸っていたのだろう。飛鳥は自嘲したくなった。



 今日も味気ない一日を終える。身支度を済ませて、ひとり昇降口へ。

 登校は今も朔夜と共にするが、下校はここ数日まちまちである。

 肩を並べて帰っても道中で交わす会話がない。それが飛鳥の足を遠ざけた。こんな形で二人きりになるなど、誰も望んではいなかった。


「あ、かわいい」


 現実逃避するように服屋でスカートを見てみた。小物屋でシュシュを購入してみた。一人カラオケでストレスを発散してみた。


 妖との生活を絶ち、他の女の子と変わらない日常を送ってみるが気は晴れない。昨日は同性の友人とお茶をして盛り上がったものの、それもおざなりにしか過ぎず、飛鳥は一層闇を抱えた。


 どうしても脳裏に過ぎるのは、妖の世界に飛び込んだ幼馴染の姿。


 やっぱり気になるのだ。妖の世界に行ってしまった幼馴染のことが。

 今、何処で何をしているのか、どうしても気になる。望む生活を送れているのだろうか、安否が気になる。


「ショウくん。桜、咲いちゃったよ。花見がしたいって言っていたのに、これじゃ見に行く前に散っちゃう」


 飛鳥は昔、通っていた幼稚園の前に立つ。既に閉まっている正門の両サイドに植えられた桜の木は、訪れる園児を見守るように高くたかく伸び、地上を見下ろしている。



 見事に咲き誇っている桜を恍惚に見つめる。



 ひらりはらり、と音なく落ちる桜の花びらは、たゆたうようにゆっくりと宙を舞って地に落ちていく。それがひとつ、ふたつ、みっつ、無数の舞となり、春の雪として見る者を圧倒させた。飛鳥もそのひとりだった。


「ショウくんが引っ越してきたのは確か、幼稚園の時だったっけ」


 もうおぼろげにしか覚えていないが、確かにここで自分達の関係は生まれた。

 物心ついた頃から朔夜が隣に立ち、気付けば翔が自分達の輪に入り、彼が自分と朔夜の両手を引いてあれやこれや色んな場所に行こうと誘ってくれた。


 妖のことしか知らない自分達に、秘密基地を作ろうと言い始めたり、砂場で城を作ろうと言い始めたり、そうそう冒険ごっことか言って河原まで遊びに行き、親にこっ酷く叱られたこともあった。



 翔はいつも自分達の両手を引いて色んな場所を見せようとした。



 自分達に粘着質の高い執着心を見せていた翔だが、それは彼の優しさが歪んだもので、本当は純粋に自分達に喜んでもらいたかっただけなのかもしれない。


 幼少から既に自分達の間柄に何かあると察していた彼は、色んな場所を見せようとして元気付けようとしていたのかもしれない。


 だって幼少の飛鳥は、朔夜は妖に酷く怯えていたのだから。妖祓になるよう躾けてくる実の両親にすら怯えていたのだから。


 彼は元々一人で立てる人間だった。けれど優しい彼は、自分たちを放っておけないとばかりに、いつも両手を掴んで引っ張りまわしていたのだろう。


 そう思うと酷く愛おしい気持ちに襲われる。


 吹き抜ける風に髪を靡かせ、飛鳥は自然と揺らぐ視界を振り払う。風によって千切れた花びらはまた風に流されて、どこかへ舞っていく。なんて幻想的なのだろう。


「飛鳥?」


 感傷に浸っていると、来た道から聞き慣れた声。

 首を動かすと、驚きの顔を浮かべる朔夜がそこにはいた。本屋にいたのだろう。ロゴのついたビニールを手にぶら提げ、早足で歩んでくる。


 目元を拭い、朔夜こそ何をしているのだと尋ねる。通学路から大分逸れていると指摘してやると、彼は決まり悪そうに散歩だと答えた。


 意地でも妖祓の世界から足を洗うと決め、受験勉強をしようと赤本を購入したものの、やる気がいまいち出ず、のらりくらりと街中を歩いていたそうだ。

そして今に至ると言う。


「私と一緒なんだね」


 彼のぎこちない説明に苦笑を零す。

 自分達はいつも妖と隣り合わせの生活をしていた。そのせいで、普通の子が送るような時間には慣れていないようだ。それだけ、妖祓の時間に費やしていた証拠だろう。


「さみしい、ね」


 朔夜と肩を並べ、閉まっている幼稚園を眺める。


「そうだね」


 返事は期待していなかったが、思いのほか同意を得ることに成功する。


「誰かさんが、いつも煩かったせいかな」


 皮肉る朔夜の口調に覇気はない。


「あいつと一緒に、僕もばか騒ぎすれば良かったのかな」


 そうすれば、彼は自分達の手を彼は払わなかったかもしれない。朔夜は目を細め、瞼を下ろす。

 飛鳥も目を伏せた。


「さみしいよ。朔夜くん、なんだかとっても、さみしい。花見もドタキャンされて、手も振り払われて。ショウくん今頃、何しているのかな」


 ついに禁忌としていた、話題を口にする。先に仄めかしたのは朔夜の方だ。怒ることはないだろう。

 聞き手は答えず、吐息だけ漏らす。


「怒ってる? ショウくんのこと」


 うん、朔夜は素直に頷く。眼鏡のブリッジを押して、「とっても怒ってる」と、力なく笑った。


「あんなに止めたのに聞きやしなかった。自分だけ、幼馴染が大切だと思っているんだろうね。僕だって重症なんだけどね。この関係には」


「私もだよ。あてつけに付き合っちゃおうか?」


「ははっ、やめておく。あいつに呪われそうだからね。僕はまだ、命が惜しいよ」


 おどける朔夜は、本当にさみしそうだ。

 きっと彼にとって、誰よりも心許せる友だったのだろう。それこそ異性の自分よりも。

 そう思うと男の子だったら良かった、と思わずにはいられない。


「私、男の子に生まれ変わりたいな」


 飛鳥は自分の心を異性の幼馴染に曝け出す。突然どうしたのだと尋ねてくる朔夜に、男の子なら二人ともっと親密な友情を作り上げていたかもしれないから、と飛鳥。


「女の子はメンドクサイんだよ」


 ぜひ、野郎の水入らずの友情を堪能してみたかったと笑声を零す。

 すると、今度は朔夜が自分の胸の内を曝け出す。


「この性格を変えたいね」


 もっと二人と弾けられる性格だったら、どんなに楽しいことだろう。いつも乗り遅れてしまう、この性格につくづく嫌気が差していたのだと朔夜。二人と心ゆくまで、ばか騒ぎしてみたいと本音を口にする。


「馬鹿は余計だよ」


 相手を肘で小突き、そんなことを思っていたのかと飛鳥は驚きの声を上げる。

 負けじと朔夜も男になりたいと思っていたなんて初耳だ、と一笑。久しぶりに笑い合った。




 ※




 夕夜はやがて暮夜に変わる。

 半分に欠けた月が顔を出す中、飛鳥は偶然顔を合わせた朔夜と近場のLッテで食事を取ることにした。


 夕飯がてらに彼とジャンクフードを食べるのは、家に帰りたくないというしごく簡単な理由だったりする。家に帰れば嫌でも妖や妖祓の話が飛び交う。妖祓から足を洗いたい二人にとって、不都合なこと極まりない。


 妖祓から綺麗さっぱり身を引いてしまえば、いつか、そう、いつか妖の世界に発った幼馴染が帰ってくる。そんな気がした。


 二階席の窓辺を陣取り、朔夜と食事を取る飛鳥はチーズバーガーを口に運びつつ、カロリーが高そうだと独り言をぼやく。


 それでも今日は、たくさん食べたい気分だったため、塩のきいたポテトを口に運び、揚げたてのジューシーチキンを頬張り、冷たいジュースでそれらを流し込む。

 後でもう一度カウンターに足を運び、クレープか、スティックケーキ、もしくは小豆のホットサンドを頼もう。


 あっ気取られているのは朔夜だった。


「そ、そんなに食べて大丈夫かい?」


 お腹を壊さないか、と小声で意見する朔夜に、


「太ってもいいの!」

その分、ダイエットするからと飛鳥。相手の質問にななめ上の回答を返してバーガーを口に押し込む。


「食べないとやってられないんだ。元気でないし」


 女の子は食べてこそなんぼなのだと、テーブルを叩き、朔夜に物申す。ジューシーチキンを食み、身を食い千切って咀嚼する。


「私、絶対に普通の女の子になる。もう妖とか知らないんだから。あ、朔夜くん。そのふるポテ、一個もらっていい?」


 無言でポテトの入った袋を差し出してくる朔夜に、「ありがとう」と笑顔を向け、バーベキュー味のポテトを手に取る。


 それを口に入れながら窓の外に目を向けると、ぎらついたネオンを浴びながら優雅に妖鳥が飛行していた。幸い、ヒトの世界を荒らしにきたわけではないようだが、三つ目をぎょろぎょろと動かして地上を見下す様はなんとも言いがたい。


 飛鳥は眉根をつり上げ、鼻を鳴らしてそっぽ向く。


 やけ食いする自分に、朔夜は苦笑していた。


「そうだね。僕も普通の男になりたいな。いっそのこと、霊力など無くなれば妖など見えなくなるのに」


 この力が邪魔で仕方が無い、彼は重い溜息をついてバーガーに齧りつく。

 本当にそうだ。霊力など最初から無ければよかったのに。

 妖祓になったことで、こんなにも辛く苦しい試練を受けなければいけないのならば、やめてしまった方が気も楽だ。代々続く妖祓の血統を恨みながら、もう一個ふるポテをくれと相手に頼んだ。


「どうぞどうぞ。食べ盛りのお嬢さん」


 おどける朔夜にどうもと笑い、袋に手を伸ばす。



 と、その時だった。



 冷たい妖力が真横を過ぎった。感じ覚えのある妖気に二人は動きを止め、素早く顔を上げる。


「あっれー?」


 席を探していたであろう相手も、感じたことのある霊力に足を止め、間の抜けた声を出して視線を流した。

 拍子に眼鏡がズレ、慌ててブリッジを押す、その妖の正体は雪童子。以前、自分達に情報を提供してきたあの妖が二人の前に現れた。


 目を点にする飛鳥達と同じように、目を点にする雪之介。


「えー。なんでいるの?」


 先に声を上げたのは飛鳥だ。相手を指差し、信じられないと文句をぶつける。


 すると雪之介は不機嫌に鼻を鳴らした。


「何処にいようが僕の勝手じゃないか」


 随分な物の言い草だと抗議し、そういう自分達こそデートかと揶揄してきた。


「お前には関係ないだろ」


 朔夜が素っ気無く返す。


「そうだね。僕には関係ないだろうね」


 雪之介は飄々と受け流して笑ってみせる。相変わらず気に食わない態度だと朔夜が舌を鳴らし、それすらも雪之介は受け流す余裕を見せ付けた。


 よって双方の温度が急降下、一触即発の空気が流れた。




「さすがにこんなところで対峙するのは不味いよ」


 一方、朔夜は苛立っていた。

 飛鳥が制してくるが、腹の虫は止まらない。どうしても、この雪童子が気に食わなくて仕方がなかった。底知れぬ対抗心が出てくる。なぜだろう。


「雪之介。席は見つかったか?」


 間延びした声が空気を裂く。


 今度は誰だろうか。階段の方に目を向けると、雪之介と同じ灰色の学ランを身に纏った男子生徒が足軽に近付いてくる。見たところ、彼は普通の人間らしい。焦げ茶の短髪はスポーツをしているのだと思わせる。


 自分達の取り巻く空気に彼は「ん?」と首を傾げ、雪之介と肩を並べると知り合いかと此方を親指でさした。

 一変して苦笑いを浮かべる雪童子は、そんなところだと肯定する。

 様子に彼は何を思ったのか、頭上に豆電球を浮かべて点滅させると、ぱちんと指を鳴らした。


「雪之介の知り合いってことは、妖怪のダチか! なに妖怪カップル?」


 唖然の愕然。誰が妖怪だとツッコミたいが、それ以前にカップルを訂正したい。いや、先に妖怪を訂正すべきだろうか。


「ふーちゃん。僕の知り合いを誰彼、妖怪だと呼ぶのはやめてよ。変人だと思われるよ?」


「だってお前は妖怪じゃんかよ。つい聞いちまうんだって」


 ふーちゃんのこと東西(とうざい) 冬斗(ふゆと)と呼ばれる高校生は、面白半分に肩を竦めた。彼は妖の存在を知っているようだ。


 とはいえ、霊力を持っているわけではない。正真正銘ただの一般人だ。


 思わず朔夜が疑問を口にする。何故一般人が妖の存在を知っているのか、と。

 間髪容れず雪之介が返事した。正体がばれてしまったからだ、と。


「へえ、ただの人間に正体を明かしたのか」


 呆れる朔夜に、だから不本意でばれてしまったのだと雪之介。珍しく食い下がってくる。どうやら友人の前では、安易に種族について触れて欲しくないようだ。その瞳に激情が宿っていた。


 再び空気が悪くなる中、冬斗はどうしてそんなに種族に拘るのだと肩を竦めた。


「そりゃ正体を知った時はびびったけど、べつに俺は雪之介が妖怪でも何でもいいや」


 でも正体を秘密にされたことはショックだった、と冬斗は雪童子を肘で小突く。


「正体がばれた時はショックのあまり俺等から逃げたもんな」


 決まり悪そうに頬を掻く雪之介に、今では笑い話だと彼は妖を揶揄した。


「もう昔のことじゃないか」


 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる雪之介に、冬斗はわざとらしく溜息をついた。


「ガチで俺達から逃げやがって。まじムカついたんだぜ? お前と俺の仲は、正体がばれるくらいで終わるのか! ってな」


 語り手は意気揚々と語る。


「だって妖怪だろうが、雪ん子だろうが、雪だるまだろうが、雪之介は雪之介じゃないか」


 したり顔を作って明言する冬斗は、呆ける雪童子に早く席を取りに行こうと脇を小突き、フロアへ進む。


 置いて行かれた雪童子は瞬きの間、感情を押し殺したように泣き顔を作った。


 すぐに表情を戻し、「本条さんと乙川さんは?」彼は友人の背に疑問を投げかける。まだ下のカウンターで商品を決めていると、冬斗はうんざりしたように溜息、女子達は決めるのが遅いのだと愚痴を零していた。


 噂はなんとやら、友人であろう女子二人が二階に上がってくる。


 彼女達もまた、一般の人間のようだが雪之介の正体を知っているようで、「ここ暑くない?」暖房の風が当たっていないかと心配の念を寄せていた。


 大丈夫だと綻ぶ雪之介と、彼等のやり取りを恍惚に見つめていた朔夜だが、席を立ち去ろうとする妖にはもう一つ聞きたいことがある。


「錦。ショウは今、どうしているんだい? お前なら知っている筈だろう?」


 友人達の下に向かおうとしていた妖の足が止まる。

 向かうべき友人達に背を向け、顧みてくる雪童子の面持ちは柔和。けれども冷たい目をしていた。


「彼の近状を知ってどうするの。まさか、彼を連れ戻すつもりかい?」


「そのまさか、だと言ったら?」


 妖の世界に帰ってしまった彼は今、何をしているのか。

 妖から手を引きたい朔夜だが、どうしても幼馴染のことは諦められずにいる。だから友人であろう妖に聞くのだ。南条翔の安否を。


 すると雪之介は笑声を漏らして、ずいぶん出来た友情だと嘲笑ってきた。


「此の世界で健気に翔くんを待っているのかい? そんなことをしても無駄だよ。彼は僕達の【頭領】だからね。簡単にはこっちに戻って来ないよ」


 彼はヒトの世界を捨て、妖の世界で生きると心に決めている。今更、連れ戻すなど不可能な話だ。何故なら南条翔はもう妖なのだから。


 眼鏡のブリッジを押して、そう伝えてくる雪之介に朔夜は真っ向から否定する。彼は自分達と同じ月日を過ごしたヒトの子。

 たとえ妖の器になろうとも、それこそ妖になろうとも、心はヒトの子なのだと食い下がった。


「違う。翔くんはヒトの子じゃない、妖の子だ」


 雪童子はかぶりを振り、自分の言葉を根から否定した。

 ヒトの子だった彼は既に心身妖に染まっている。本人からもそう聞いている。彼は妖達のためにその身を捧げているのだと教えてくれた。



「彼はね、並々ならぬ覚悟で人のという種族を捨て、妖の頭領として日夜修行している。どれほどのものを捨てたのか、僕には計り知れない。君達の関係すら諦めて、なんで妖になろうと決意したんだろうね? そして君達は、なんで翔くんの行く手を、阻むんだろうね? もう君達とは違う種族なのに」



 語り部の背後で冬斗が呼んでいる。早く席に着けと言っているようだが、雪之介は聞く耳を持たない。


「翔くんは僕の大切な友人。そして敬うべき時期南の頭領。君達が彼の行く手を阻むと知った以上、同胞である僕のすべきことは一つ」


 そっと右の手を持ち上げ、手中に妖気を集め始める。見る見る白い気に包まれる右の手からは凍えそうな冷気が集約されていた。


「物騒だね。店の中で妖気をダダ漏れさせるなんて」


 朔夜が冷ややかに返し、生憎妖を祓う道具は持っていないと諸手を挙げてアピールする。持っていたら思う存分、調伏してやれるというのに。

 しかし雪之介の妖力は昂ぶるばかり。


「法具なくても護身術くらい持っている。でしょう? 妖祓」


 笑顔を向ける雪童子の目は真剣そのもの。真偽を常に見据えている。


「妖祓、か。その職から足は洗うつもりでいるんだ。妖と関わる気もさらさらない。彼等のせいで僕の生活はてんてこ舞いだったからね。そろそろ静かに暮らしたいんだよ」


 含み笑いを返す朔夜が椅子を引くと、手の平を合わせて合掌。

 己の霊力をそこに集めながら、「ただし」いなくなってしまった幼馴染と関わらないつもりもない、一変して相手を睨む。

 答える気がないのならば少しばかり痛い目を見てもらう。妖に対しては容赦しないタチだと朔夜。


「今の君にできるの?」


 法具すら持っていない妖祓など、妖の自分にとって赤子の手を捻るようなものだ。雪之介は笑声を漏らした。

 なにより、今の朔夜や飛鳥には妖を祓うどころか、以前よりもずっと、妖に臆しているように見える。それはどうしてだ。雪之介は問う。


「一々目くじらを立てる奴だ」


 朔夜は舌打ちを鳴らした。


「ちょ、ちょっと二人とも」


 その隣で、飛鳥が焦っていた。まさか此処でおっ始めるのか、双方を忙しなく見ている。


「ほんと不味いよ、店内で妖力霊力を使うの。場所を考えて」


 朔夜とて力を使いたくはないが相手は本気だ。気を緩めば、先手を打たれる。長年の経験が相手の心理を容易に読み取ってしまった。


「翔くんを諦めきれないなら、僕が諦めせてあげるよ。この雪童子の錦雪之介がね」


「お、い? 雪之介。何して」


 彼の友人が声を掛ける。合図であった。

 妖が右の手に集めた妖力を放出、冷気の一閃を朔夜に放つ。


「封魔結界!」


 急いで立ち上がり、目前に四面の小さな光の結界を張った朔夜は、雪童子の放った霊力を霧散させる。霊力と妖力が衝突することにより、小規模な爆風が生まれ、四方八方にそれが散っていく。


 店内に吹き荒れる冷風は、大層一般の人間を驚かせたが、双方に気遣う余裕はない。


 右の指に挟まった氷の刃が、妖の手から飛ばされる。


 急いでトレイを盾にした朔夜は、飛鳥に頭を下げるよう告げ、カップからストローを引き抜くとと霊力を注ぎ込んで放った。

 雪童子が飛躍して攻撃を避ける。彼のいた場所にはストローが床に突き刺さった。はた迷惑に傍観していた者達はストローを凝視している。


「さすがは妖祓。身近な道具すら武器に変える知恵を持っているんだね」


 妖がズレた眼鏡のブリッジを押し上げる。

 レンズの向こうに光る眼は鋭く、カーキ色の瞳は己の力と入り交ざって妖しい色を放っていた。どのように人間を装っていても、彼は“化け物”なのだと認識できる。


「化けの皮が剥げてきたね」


 皮肉を送ってやると、相手はくつりと喉を鳴らすように笑う。


「皮も何もない、これが“僕”だよ。どんなに願い望もうと人間になることはできない。何故なら僕は。妖の血を持った化け物なのだから」


 視界を覆うような粉雪が吹き荒れた。風に乗ったきめ細やかな粉雪は階段を下って行く。一階に向かったようだ。後を追うために朔夜は駆け出した。


「ちょ、ちょっと朔夜くん!」


「なんだってんだ! おいっ、雪之介!」


 二階から聞こえてくる制止や怒声など耳に入らない。

 列をなすカウンターを過ぎり、自動扉を潜って外に出る。日はすっかり暮れていた。夜空が顔を出し、地上を見下ろしている。



 道の左右を確認し妖気を探る。


 冷たい空気が漂ってきた。右の道を見つめていた朔夜は、反射的に左の道を顧みると、無数の霰を放つ雪童子の攻撃から身を守るためにもう一度封魔結界を召喚。


 攻撃を回避すると素早く地を蹴り、向こうにいる相手の懐に入ると膝を鳩尾に入れた。すかさず妖は手の平で膝を受け止め、一旦体勢を整えるために宙を返る。


「朔夜くん!」

「雪之介!」


 店から相棒と彼の友人のひとりが出てきた。

 対峙している二人は視線を逸らすことなく、霊気を、妖気を手中に集める。


「そんなに僕達と関わらせたくないかい? 錦」


 一触即発の空気の中、朔夜が問い掛けると間髪を容れずに雪之介が答えた。


「僕は彼の苦悩を知っている。覚悟を決めて妖になる決意を固めたことも。それでも彼は優しいからね。生半可な気持ちで関わろうとする君達を気遣うだろう。なら、僕は彼のために君達の繋がりを切る」


 妖は全身を白い妖気で包むと、見る見るその身なりを変えていく。

 学ランは真っ白な和服に、ローファーは草鞋に、雪童子と呼ぶべき服装へと形を変えたこの姿こそ彼の本来の姿なのだろう。


「彼とは関わらせないよ妖祓」


 街中では一際目立つその服に身を包んだ妖は、白狐の覚悟を穢させないと喝破し、その場に凄まじい吹雪を吹かせる。


 白く凍えそうな粒子達は、視界を奪う目晦ましなのだろう。雪之介は少しでも自分の友人から離れようと、吹雪と共に駆け出す。


 しかし妖祓の朔夜にとってそれは苦ではなく、妖気を辿れば妖の位置は掴める。彼の意図を酌み、一般人であろう友人達から離れ、駆け出す妖の後を追う。


「朔夜くん! いくらなんでも彼と戦うのは無謀だよ」


 難なく自分に追いついてくる飛鳥は、法具なしに雪童子と闘うのは危険だと促した。

 朔夜とてそれは理解している。

だが、ここまできた以上、引くわけにはいかない。これは朔夜のなけなしの意地だった。


 先頭を走る妖を捕らえるため、右の中指と人差し指を立てる。


妖金鎖(あやかしかなぐさり)


 狙いを定め、雪之介の足元に己の霊力を纏った鎖を召喚。動きを封じる作戦に打って出た。

 足首を捕らえる、あと一歩のところで雪童子が大きく飛躍して宙を返った。お返しだと言わんばかりに右の手を薙ぎ、横一線に鋭利ある氷柱を放つ。



 紙一重に避ける朔夜に対し、相棒は危ないと冷汗を流しながら素早くしゃがんだ。


 アスファルトに突き刺さる太い氷柱を流し目にする。


 やはり法具なしに雪童子を相手にするのは悪戦を強いられそうだ。妖はヒトの世界で暮らしつつ、妖祓に対する護身術を持っている賢い妖怪。簡単に仕留められるとは思えない。法具なしの術で何処まで凌げるか。


「僕の足の速さについて来れるかな」


 振り返る雪童子が細く笑う。

 大きく飛躍し、アスファルトに着地した彼の足元が一瞬にして凍る。草鞋が滑り通った個所は瞬時に溶けた。


 加速する妖を追うも距離は見る見る離れていく。その速さは人間の目には留まらないようだ。突風が過ぎったのかと首を傾げ、コートを巻き付けている。


「逃がすか」


 朔夜は学ランの胸ポケットから小さな包みを取り出すと、手中に魔除けの塩を滑り落とした。いつも、妖を調伏する際、その場所を清める道具として使っている。


「塩、護身用に持っていて良かった」


 霊力を纏った鎖を召喚し、向こうに見える外灯に巻き付けた。

 走り幅跳びの要領で飛躍すると勢いづいた身が宙を舞う。相棒の気配が遠のいた。


「範囲内に入った」


 持っていた魔除けの塩を妖の足元目掛けて力いっぱい投げる。

 無数の粒は氷を溶かし、草履の裏に貼りつく。それによって氷の上を滑っていた妖の足が再び走る行為に変わった。


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