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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【参章】其の狐の如く
56/165

<十一>静の夜に惜別を(壱)


 

(妖祓め。ぼんを、白の宝珠の御魂をどこに封じた)

 

 北の首魁と呼ばれた赤き狐、六尾の比良利はいきり立っていた。

 妖祓が三尾の妖狐、白狐の南条翔を捕縛して幾日、段取りを踏んで交渉をしていたつもりだ。

 いくら妖祓が愚行を重ねているとはいえ、ばかの一つ覚えのようにチカラで取り戻そうとしても戦の火種になるだけ。相手の思惑に探りを入れながら、同胞や宝珠の御魂を返すよう対話した。


 すぐに返事ができないというのであれば、新月まで待つと猶予を設けた。

 百鬼夜行の奇襲によって妖祓が幽閉場所を変えた行動にも一定の理解は示していた。腹は立ったが返事の夜まで待つべきだと判断した。

 鬼門の祠付近に結界を張った行為も、妖祓ではない霊能者の仕業であることを掴んだので、怒りこそあれど必要以上の報復は控えるべきだと冷静を務めた。


 比良利の予定に岡止々支(おかととき)屋敷の襲来なんぞ微塵もなかった。なのに。


 隣に巫女狐の紀緒が並ぶ。


「比良利さま、烏天狗の名張天五郎(なばりてんごろう)より一報です。『白狐を狙う百鬼夜行が屋敷に着いた』とのこと」

「ひとまず好きにさせる。この場を引っ掻き回す手は多い方が良い」


「妖祓以外の霊能者も着いたとのこと」

「祓い屋ではない霊能者が我らを調伏できるのか見物じゃな。青葉とオツネは?」

「目下、翔さまの行方を探しております」


「封じられたのであれば、簡単に見つかりはせぬじゃろう。幸か不幸か、今宵は静の夜。ぼんの妖力を探ることも難しい。何か妖力以外で手掛かりを掴めれば良いのじゃが」


「宝珠の御魂を身に宿す比良利さまのお力を持っても、翔さまの気配を感じられませんか?」

「感じぬ」


「……白の宝珠の御魂の気配も」


「紅の宝珠の御魂を受け継いで百五十年余り。オツネに白の宝珠が眠っている間も、何かしら感じていた存在がまったく感じぬとは前代未聞じゃよ」


 おかげで我を忘れなそうほど、人間に怒れていると比良利は笑みを深めた。

 即座に紀緒が窘める。


「貴殿のお心は察しますが、それでは妖祓の思うつぼです。平静を保つべきかと」

「相変わらず手厳しいおなごじゃな」

「常に現状を踏まえて進言しているだけです。仮に翔さまが見つかっても、我らを選ぶとはかぎりませぬよ」

「そうかもしれぬな」


 元人間の子どもが今の暮らしに未練があることなんぞ比良利とて分かっている。

 土壇場で妖に委縮してしまい、妖祓の手を取ってしまう未来も大いに可能性はある。


 それでも比良利は迎えに来た。


 宝珠の御魂に選ばれた子どもを。

 宝珠の御魂に生かされた子どもを。

 宝珠の御魂に認められた新たな双子を。


「どのような結果になろうと、行動せねば何も始まらぬ。たとえ選ばれぬともわしはぼんを恨まん。ただ双子として、北の神主を名乗る狐として、恥じぬ行動をしたい。それだけじゃよ」


 口だけでは示しもつかないと謳う比良利は、背後に回る妖祓の子どもの腕を尾っぽで掴むと力のかぎり屋敷の外壁に投げ飛ばす。


「しつこいハナタレ小僧らじゃのう。まだ向かって来るか」

「朔夜くん!」

「くそっ。背中に目でもついているのかよ。あの狐」


 それは南条翔にとって大切にしている竹馬の友であったが、手加減をするつもりはなかった。

 比良利にも譲れない立場と想いがある。

 首魁として双子として示しをつけねばならない。


「和泉のハナタレ小僧、楢崎のハナタレ小娘。よほどわしを討ちたいとみた。じゃが、妖祓長ですらわしを討てぬというのに、どうやってぬしらはわしを討とうというのじゃ」


 縦長の瞳孔を膨張させて大きく口を開けて嗤う。

 南北一の妖力を持つ比良利に、かつては怯えていた妖祓の子どもらだったが、今はその面影が一切ない。

 鼻血を拭いて立ち上がる和泉の子どもは毒づいた。


「悪あがきをしてもお前を調伏する。赤狐を調伏すれば万事丸く事が収束すると思ってね」

「ほっほう、それはずいぶんと面白い話。理由を聞こうか」

「ショウを連れて行く元凶を討てば、あいつは首魁からも依り代からも解き放たれる」


 だから調伏したい。

 それだけだ。


「赤狐、ショウはなりたくて依り代になったのかい? 望んで首魁の道を辿っているのかい? 違うだろ。勝手に押し付けられて依り代になったんじゃないのかい?」


「さあて。どうじゃったかのう」

「一々腹立つ狐だな」

「これは宝珠の御魂の意思。ぼんを選んだのはわしではない。そして選ばれた先はぼんが決めること。わしの出る幕ではない」

「口は出すつもりだろ。じゃなきゃ取り戻すことなんてしない。あいつは妖も幽霊も知らない、普通の人間なんだ。あいつから普通を取り上げるなよ」


 普通じゃない道を歩む。

 それがどれだけの茨道で苦労するものなのか、生まれながら普通じゃない道を歩んでいる自分には痛いほど分かると朔夜。

 南条翔を重んじた発言だと比良利は思った。


「竹馬の友を思ってわしを調伏したいと……青臭い考えじゃが、そういう輩は嫌いではない」


 素直に敬意を払うべき人間だと思える。

 だが、敬意こそ払えど比良利の思いは変わらない。


 比良利は迎えに来た。

 三尾の妖狐、白狐の南条翔を。

 そして取り戻しに来た。

 天命を授かった双子の魂、白の宝珠の御魂を。


「わしを調伏したければするが良い、妖祓のハナタレ(わっぱ)ども。しかしながら調伏すると覚悟を決めている以上、わしに食われても文句は言わせぬぞ」


 調伏するとは命を奪うということ。

 つまり、やられる覚悟があってこその行為、そういうことだ。


「食われる覚悟で来い、(わっぱ)ども」


 赤き狐はひとつ嗤った。

 

 

  ◆◆◆


 

「あ、あ、開かねえ」


 夕空に夜の(とばり)が下り始める。

 岡止々支(おかととき)屋敷の霊屋(たまや)に封じられている翔は、小屋の出口を必死に探していた。

 護符だらけの引き戸。突き上げ窓の格子。四面木造の壁。どれも力で壊せるような造りをしているのに、いまの翔では全く歯が立たない。


 何度引き戸を開けようとしても、外から鍵が掛けられているのかビクともしない。

 ならば、と室内にある長い燭台(しょくだい)で突き上げ窓の格子を外そうと試みたり、板壁に穴をあけようと試みたり、道具を用いて脱出を試みたが結果は惨敗。格子は外せず、壁もへこむ程度で終わってしまった。気ばかりが焦ってしまう。


「だめだ。壊れねえ。腹は痛ぇし」


 こうしている間にも、外では妖と妖祓が衝突を繰り返している。

 両者を知っている翔にとって、一刻も早く止めたい戦なのに。


「あーくそ。落ち着け。焦っても何も状況は変わらねえよ」


 壁に叩きつけた鉄製の燭台を床に置くと翔は己を落ち着かせるため、その場で腰を下ろして、痛む腹をさすりながら宙を睨む。


(そもそも、なんで壁を壊せる考えになっちまっているんだ。俺のチカラで壊せるわけねえのに)


 いや壊せる。

 半妖の南条翔なら、百鬼夜行となった化け物らを爪で裂いた南条翔なら。


(半妖のチカラを知っちまっているせいで、『今の俺』にできねえことを忘れてちまってる。普通は燭台を使っても壁はぶち破れないし、簡単に穴なんてあけられるわけもない)


 ましてや平和に高校生活を送っている男子高校生の腕力なんぞ高が知れている。

 それでも古びた木造の小屋であれば壊せるのでは、鋭利ある太い爪で壁に致命的な疵をつけられるのでは、と思ってしまった。

 それは(おの)がいびつな力を知っているがゆえ。


(心も体も妖化が進んでいる証拠だな。俺の頭はすっかり化け狐に染まっちまっている。それに嘆くことはもうしねえけど、今の状況においては邪魔だ)


 妖の南条翔とヒトの南条翔は違う。

 当たり前のように「これができるだろう」と高を括っていると、ヒトの自分では何もできずに終わって痛い目を見る。まさに今がそうだ。


(あとちょっとで人間に戻るわけだけど、チカラ以外に人間に戻って不便なことって何かあるっけ。耳や尻尾はべつに大丈夫だし、爪も丸くなっても問題なし。たぶん戻っても妖は視えると思う)


 水平線に沈む夕陽と共に間もなく新月の夜が訪れる。

 新月は翔にとって《静の夜》と呼ばれる日であり最も妖力が下がる夜。半妖にとって人間に戻る夜なので、妖の当たり前を捨てなければ……あ。


 翔は顔を引きつらせ、急いで部屋を見渡す。


「やっべ! この部屋すげえ暗い!」


 このままだと真っ暗な小屋の中で過ごす羽目になる。

 翔は沈みゆく夕陽の明かりを頼りに、燭台が設置されていた場所へ走った。腹の痛みは無視した。


「確かここら辺にっ、あった!」


 近くに小さな棚があったので、そこに蝋燭がないか引き出しに手を突っ込んで探す。

 死者の魂を祭る小屋は蝋燭の使用する頻度が高いので、お目当ての物は難なく見つかったが、肝心の火を点す道具が無い。引き出しを引っ張り出して、点火棒やマッチはないかとひっくり返すが、床に落ちたのは蝋燭の他に線香と梵字の入った護符ばかり。


(うげえ。護符を見るだけで虫唾が走る……魔除けか? これ)


 嫌な紙切れだと思ってしまうのは半妖だからだろう。


(妖を調伏する呪符じゃないだけマシか……ンなことを言っている場合じゃない)


 水平線に夕陽が沈む瞬間を垣間見た翔は、ひとまず護符を含めて、それらをかき集めて突き上げ窓の下に移動する。


「人間に戻った」


 夜が顔を出すことによって、翔の両目は暗闇の向こうを捉えることができなくなる。

 小屋内に何があるのか、どこに何が配置されているのか、まったく分からなくなってしまった。すでに尾っぽも耳も消えているし、五感も人間並みまで落ちた。


 翔はただの人間となった。

 見方を変えれば、人間に戻ったおかげで封印の眠りから目覚められているのだろう。


(俺が半妖のままだったら注連縄を乗り越えることもできなかっただろうし、そこらへんに貼ってある護符も俺の動きを阻んでいたんだろうな。不便は多いけど、人間に戻って良かったと思うべきだな)


 一旦、物事を前向きに考えよう。

 半妖のままだったら目覚めることができなかったのだから!

 ……あれ、つまり?

  

「もしも今夜中にここを脱出することができなかったら、俺は半妖に戻った瞬間また寝ちまうんじゃね? そしたら次の新月まで俺は封印されたまま……?」


 口に出してみた仮説にドッと冷や汗が出てくる。


(冗談きついって。次の新月まで一か月くらいあるとしたら、俺は一か月も寝ちまうことになる)


 その間に妖と妖祓の戦が激化しているやもしれないし、犠牲者が出ているやもしれない。

 想像するだけで恐ろしい。

 一刻も早く、それこそ今夜中に小屋から脱出しなければ。


(戦の原因はいくつかあるけど、一番は『宝珠の御魂』の封印だと思う)


 翔の身に宿している『宝珠の御魂』は、異界の土地神から生まれた双子の魂の片割れ。

 南北の地を護り統べるのに必要不可欠な魂なので、それを封じられたと聞かされた神職狐らは烈火の如く怒れている。

 ならば依り代であり封印の柱となっている翔が目覚めている間に、霊屋(たまや)から脱出もしくは『宝珠の御魂』の無事を伝えれば、神職狐らは妖祓との戦より『宝珠の御魂』の奪還を優先して動いてくれるのでは。


(俺のチカラで戦が止められないことくらい分かっている)


 それでも戦が緩和する契機になれるのなら、それに縋りたい。

 翔はこのような戦を望んでいない。


(タイムリミットは新月が終わるまで。それまでにどうにかして外に出るか、妖のみんなに無事を伝えられたら良いんだけど)


 困ったことに打破策が見当たらない。

 いまの翔は人間で壁を壊す腕力はなく、五感も人並み。暗い霊屋(たまや)の室内を上手く捉えることもできない。手元にあるのは蝋燭と線香、何のご利益があるか分からない護符の束、鉄製の燭台。火を熾せる道具はない。

 ついでに腹も痛い。ずっと我慢しているが、あんまり激しく動くことはできないだろう。


(大声を出しても、誰の耳にも届かなかった)


 神職狐、妖祓、両方から反応が無かった。

 何かしら封印する術のせいだと思うのだが、知識のない翔には声が届かない明確な原因が分からない。


(……もしかして詰んでね?)


 人間の翔では現状を打破できないのでは?

 突きつけられた現実に思わず心が折れそうになるが、翔は何かあるはずだと己に言い聞かせた。

 ここで折れてしまえば、新月の終わりと共にまたおねんねである。最短一か月は封じられるやもしれない。


 ええい、そんなの冗談ではない!


(手っ取り早いのは俺が自力で脱出することなんだけど、引き戸はどうしても開けられなかった。突き上げ窓の格子を外そうと試したけど、燭台じゃどうにもならなかった)


 燭台は鉄製なので、適当に殴ればどうにかなると思っていたが甘かった。


(意外と頑丈で太いんだよな。あの格子)


 翔は突き上げ窓の格子を睨む。

 しかし格子の向こうに見える景色がガラリと変わっていることに気づき、思わず息を呑んだ。

 岡止々支(おかととき)屋敷の庭が一面、青白い狐火に染まっている。狐火のおかげでそこは昼間のように明るく、夜目が利かない翔にも状況がしかと把握できた。


(なんだあれ。火があがっているとか、そういうレベルの話じゃねえぞ)


 まるで絨毯のように狐火が庭を支配している。

 燃え盛る狐火の中では妖狐と妖祓が激しくぶつかっているだけでなく、見知らぬ霊能者が妖を狙って法術を放っていた。神職狐らを討とうと躍起になっていた。


 するとどうだ。

 夜空を舞うカラスの群れがかまびすしく鳴き声を上げ、数多の烏天狗らを呼びつける。烏天狗は神職狐を守るために無数の石礫を地上に放って対抗していた。

 片や双方の衝突を尻目に、宝珠の御魂を狙う百鬼夜行が屋敷の敷地内を彷徨(さまよ)う。


 ――ドコダ。

 ――宝珠ノ御魂ハ、コノ屋敷デ気配ヲ消シタ。

 ――鬼門ノ祠ハ、マダ封ジラレテイナイ。


 そのような声が聞こえてくる。

 神職狐と妖祓が衝突している隙に、宝珠の御魂を横取りするなのか。漁夫の利を狙っている様子。

 翔は頭を抱えた。


(ちょ、ちょっと目を離しただけで、むちゃくちゃ状況が悪化してる)


 単に神職狐たちに無事を伝え、脱出するだけでは治まらない戦になっている。

 翔が足掻いたところで、きっとこの状況は、悪化していく状況は――だからなんだ。悪化していこうが何だろうが、翔は翔のやることをするだけだ。


(焦ってもどうにもならねえ。まずは『宝珠の御魂の無事』を伝えるよう。伝えればちょっとは状況が変わるかもしれねえし)


 でもどうやって伝えよう。

 翔の声は届かなかった。


(声がだめなら、窓の格子の隙間から物は投げてみっか?)


 自力の脱出が難しいのであれば、誰かに翔の存在を見つけてもらうのも手だ。

 翔は手元にある蝋燭を半分に折ると、ひとまず格子の隙間からそれを投げてみた。あっという間に蝋燭は小屋の近くにある生い茂った草むらに消える。

 ちゃんと外に物は投げられるようだ。


(んー……全然知識ねえし、俺の妄想にしかなんねえけど)


 翔は暗い草むらに向かって目を(すが)めた。


(俺を封印している術ってのは小屋にいる『俺の声』は妨げる。でも『俺が外に投げた蝋燭』は妨げない。つまり小屋の中が術の範囲ってことなのかも?)


 声は小屋の中で出していた。

 投げた蝋燭は小屋の中から外へ出て行った。

 あくまで封ずる術は範囲内にいる対象者を封ずるもので、起こした行動が範囲外に出てしまうと効果は発揮しないのだろう。


「げっ!」


 百鬼夜行が突き上げ窓の近くに寄ってきた。

 ぎょっと驚く翔は慌てて窓から下がるものの、化け物らは草むらばかりを気にしている。

 ひそひそ声が聞こえた。微かに人間臭い狐のニオイがする。宝珠の御魂を宿す狐は人間臭い。このニオイは依り代のものだ、と。


(へえ。人間に戻っても、俺って狐のニオイがするんだな。ん?)


 人間臭い狐のニオイ?

 翔は目を輝かせた。


(そうだ、ニオイだ!)


 化け狐のおおもとは狐、五感は人間よりも遥かに発達している。

 翔のニオイを外に出すことができれば、神職狐は翔の存在を見つけ出せるのでは。

 一方で百鬼夜行が屋敷の敷地内を彷徨(さまよ)っているので、神職狐よりも先に百鬼夜行が翔を見つけ出す可能性がある。


(さっき見つけた護符が使えるかも?)


 また百鬼夜行に見つかったらそれはそれで使える。


(あとはニオイをどうするかだけど)


 翔も身をもって経験しているが、狐は嗅覚に優れているものの、ニオイを嗅ぎ分けるにはそれ相応の集中力を要する。戦で混沌としている敷地内に翔のニオイが付着している物を放っても、妖祓や霊能者のニオイで済まされる可能性がある。

 ニオイで気づいてもらいたいのなら、それ相応の強いニオイが必要だ。


(髪の毛や汗じゃニオイが弱い。唾液……絶対に気づかねえだろうな)


 だったら。


(……やるっきゃねえ)


 翔は鉄製の燭台を引っ掴むと、壁伝いに暗闇を歩く。

 突き上げ窓から差し込む狐火の微かな明かりを頼りに、祀られている壺の前に立つと深呼吸をひとつ。

 次の瞬間、迷うことなく燭台を振り下ろして壺を割り、大きめの破片を拾った。破片をより鋭くするために燭台で叩いて形を整えると、突き上げ窓の下に戻り、蝋燭の半分と護符の束を広げて左腕のジャージをまくった。


(頼むから気づいてくれよ。俺も宝珠の御魂も無事だ)


 静の夜である今宵はちゃんと目覚めている。

 どうか神職狐らにこの事実を届けてほしい。

 翔は壺の破片を握りなおすと、勢いよく左腕にそれを突き立て深い傷を作る。


「づぅッ……」


 腹の痛みを忘れるくらいの鋭い痛みに呻きながらも、護符に血を付着させることに成功した。血のニオイは汗より唾液より強いので、きっと神職狐らも気づいてくれるはずだ。


(良かった。傷口から流れ出る血もちゃんと人間だな)


 少しでも化け狐の血が流れていたら術が発動していたやもしれないので、これは賭けでもあったが、翔は見事に賭けに勝った。


(あとは、これをこうして………昔よく折ったっけな)


 護符の紙ヒコーキを作ると格子の隙間に通して、燃え上がる狐火の夜空に向かって放った。飛距離がのびずに地面に落ちてしまうが、めげずに何枚も紙ヒコーキにして夜空に放った。

 百鬼夜行から飛び出した化け物の一匹が、それに気づいて紙ヒコーキに近づくが、すぐに距離を取り始めた。


(化け物にとって護符は嫌な紙切れだ。人間臭い狐のニオイがしても、それが護符からだと分かったら近づくのを躊躇う。邪魔が入る前に狐たちに届いてくれ)


 小屋と妖狐たちの距離を見計らい、護符の紙ヒコーキを飛ばし続ける。


 ある紙ヒコーキは狐火によって燃え(かす)となる。

 ある紙ヒコーキは百鬼夜行を掻い潜り、カラスの群れに消えていく。

 ある紙ヒコーキは狐火によって燃えながらも、妖祓と妖狐の間に落ちて役目を果たした。


(届いた。お願いだ、気づけ! 気づけ!)


 翔がどうしてここまで必死になっているのか、その思いといっしょにどうか気づいてほしい。


 と、燃え盛る護符に気づいた妖祓が不信感を抱き、他の霊能者の物かと周囲を見渡した。

 一方で妖狐はそれをじっと見つめ、見つめて、見つめ続けて、素早く耳と尾っぽを立てた。


「紀緒、ツネキ! 折られた護符が無いか辺りを探せ!」


 狐は同胞を呼びつけるや否や浄衣の袖を翻して屋敷の敷地を駆け出す。

 その顔は余裕を取り戻し、小さく笑っていた。


 ああ気づいた、気づいてくれたのだ、赤き狐が翔の存在に!


 その証拠に比良利が周囲一帯を響かせるほどの鳴き声を発すると、カラスの群れや天狗に「妖祓の相手は任せた」と告げていた。

 妖祓や霊能者との戦より、翔の居所を優先させた。


(よしっ、よし! 衝突するよりずっと良い展開になったっ)


 もちろん首魁の妖狐がそのような態度を取れば、妖祓も異変に気づく。

 妖祓長の和泉月彦が率先して赤狐の前に回っていた。行く手を阻んでいたが、神職狐の興味は妖祓から完全に外れており、行く手を阻まれると迂回して風のように走るばかり。


 あちらこちらに視線を配って翔の居所を探していた。紙ヒコーキの護符を見つけると、それを広げてニオイを辿り始めている。屋敷の敷地内にいることを確信している様子だった。


 だったら翔は次の行動を起こすまで。


 翔は急いで血の付いた護符を折らずに格子の隙間から落とす。突き上げ窓の真下に落とすことで、正確な居場所を伝えられると思った。


 するとどうだ。

 予想に反して漁夫の利を狙っていた百鬼夜行が最も早く動き出し、突き上げ窓の真下に辿り着いた。群れは躊躇っていた護符をもろともせず、次から次へ小屋に体当たりする。


 隠された霊屋(たまや)は視えていないだろうに、おおよそ人間臭い狐の血のニオイを辿って近くにいることを理解しているようで。何度も護符の落ちている付近に体をぶつけていた。

 よほど人間臭い狐を食らい、宝珠の御魂を横取りしたいのだろう。


(……百鬼夜行が血のニオイに誘われた。群れが集まることで、みんなに俺の居場所を伝えられると思ったけど、ちょっとまずいかもしれねえ)


 翔は冷や汗を流す。

 血のニオイに誘われた百鬼夜行の猛撃が止まらない。体を持つ者は壁に当たり続け、鋭利ある牙は小屋の壁に齧りつき、爪のあるものは壁を引っ掻いた。

 翔ではびくともしなかった板の壁を見つけ出し、そこに穴をあけようとした。


「破られるっ」


 鉄製の燭台と血が付着した護符の束を引っ掴み、暗闇の向こうにある注連縄の輪まで避難すると同時に板の壁が軋み、板の破片が翔の頬を掠めた。

 夜風が室内に吹き込む。狐火の強く青白い明かりも大量に差し込む。ついでに目をぎらつかせて翔を捉える百鬼夜行も視界に飛び込む。

 翔は空笑いした。


「参った、俺って人気者だなぁ。みんなして俺に惚れちまってくれてさ」


 ばかを言っている場合ではない。


「百鬼夜行をちょっと甘くみてた、俺の方が悪い展開になっちまうのは想定外だったぜ」


 刹那、化け物の数匹が翔に飛び掛かるが、注連縄がいびつな生き物を妨げた。翔を眠らせていた注連縄は魔封であり、宝珠の御魂の柱となっていた翔を守る結界になっていたようだ。


 さりとて百鬼夜行は文字通り化け物の群れ。

 数匹を妨げたところで、次から次へ化け物は襲い掛かってくる。いくら注連縄の結界でも数多の化け物すべてを退(しりぞ)けるチカラがあるとは思えない。


 ああほら思ったそばから、注連縄の繊維が切れる音が聞こえてくる。


(どうにかしねえと)


 翔は注連縄の結界が守ってくれる間に、逃げ道を目で探しながら、鉄製の燭台の柄に護符を貼りつける。

 ただ燭台で殴りつけるよりも、護符を貼った方がより効果があると思った。


「っ、しまった!」


 よそ見をした一瞬の隙を突いて、トカゲのような三つ目化け物が舌を伸ばし、翔の左腕に巻き付く。左腕が結界の外に出ていたようだ。


 結界の外に引きずり出されそうになったので燭台をひっくり返して、蠟燭を立てる部位を床に突き立てる。絶対に食われてたまるものか。ぜったいに。


 すると群れをかき分けて、化け物らに命じる大柄の僧侶が一匹。八つ口僧と呼ばれる僧侶をかたどった妖なのだが、妖の知識がてんでない翔はそれが何者なのか分からない。

 分かることは、八つ口僧が真っ青な提灯のともし火で百鬼夜行の音頭を取っていること。真っ青な提灯にも口がついており、それは『宝珠ノ御魂ハスグソコ』と言葉を発していた。


(あいつが百鬼夜行の頭なのか?)


 疑問に思っている間にも、結界の外に引きずり出されそうになり翔は足を踏ん張る。


(誰か、はやくッ)


 ただの人間と、妖が力比べしたところで勝つのは後者に決まっているのだ。

 誰か、ああ誰か、早く来てくれ!


「――ショウ、(かが)め!」


 この声は。

 

 

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