<十>逢魔が時襲来
新月まで残り一日半。
「じいさま! 何をお考えの上でショウを封じると言うのですか!」
「これは妖祓の決定だ。受け入れなさい朔夜」
「ショウくんを《柱》にすると判断した経緯を教えておばあちゃん。このままじゃ私も朔夜くんも納得できないっ」
「飛鳥、すでに術式は完成して発動しています。遅いのです」
翔は激しい言い合いの声によって意識を取り戻す。
鉛のように重たい瞼を持ち上げると、見知らぬ古い板目が視界に飛び込んできた。
両手足や尾っぽにちっともチカラが入らないのは、己の体に問題があるのか、それとも己を囲う注連縄に問題があるのか。
(ここ座敷牢じゃなさそうだな)
座敷牢よりも閉鎖的で、板の壁からすき間風が吹いている。
窓もあるようだ。星明りが視界の端に映った。
ぼうっと天井を見つめていると、「気がつきましたか?」と妖祓長の楢崎紅緒が声を掛けてくる。どうやら傍に腰を下ろして様子を見てくれていたらしい。
(あれから、どうしたっけ)
確か体の調子がおかしいと思ったから、例の妙ちくりん丸薬を呑んで、それでも妖力が制御できずに法具を使ってほしいと懇願したんだっけ。
ああ眠い。
とても眠いのはどうしてだろう。
(相変わらず腹が熱いな)
翔は紅緒に視線を送る。
悲しげに微笑む彼女はそっと翔の前髪を触り、「何も怖くありませんからね」と励まされた。そして含みある言葉は、しばしの別れを惜しむ気持ちを抱えているようにも思えた。
間もなくかまびすしい足音が迫って来る。
すると紅緒が後ろへ下がり、代わりに息を切らした幼馴染らが満目いっぱいに映った。焦燥感の滲んだ面持ちであった。泣きそうな顔であった。怒りが混じった表情であった。
眠気に負けそうになったところで、両膝をついた飛鳥が声音を張る。
「ショウくん、待ってッ。まだ寝ないで!」
まだ寝ないで、とは。
ゆるりと飛鳥を見つめると「まだ何も話していないよ」と涙声で訴えられえた。好意を寄せている相手から、そのような顔をされると困ってしまう。
翔はただ少しひと眠りしたいだけなのに。
「おれ、どうなってんだ?」
「宝珠の御魂の《柱》になっちゃうんだよ」
「はしら?」
「そうだよ。《柱》だよ!」
どうやら翔は宝珠の御魂を封ずるための《柱》になるらしい。
おおよそ依り代の翔が妖力を制御に失敗しているせいで、身に宿している宝珠の御魂のチカラが表に出てしまい、それが新たな呼び水となって百鬼夜行を引き寄せているのだろう。
依り代の練度が宝珠の御魂に直結しているようなので、依り代の制御が難しいのであれば、無理やり宝珠の御魂ごとチカラを抑えて騒動を収束させる策を講じたに違いない。
端的に言うと、妖祓は宝珠の御魂といっしょに翔を封じようとしているのだ。
(薬も効かなかったもんな)
つよい眠気は封ずる法術の影響なのだろう。
「飛鳥。おれ、しんじまうの?」
「死なないよ。それは絶対にないからっ。させないから」
「ねむっちまうの?」
「それは……うん、もう始まってる」
「そっか」
ああ、どれほど眠ってしまうのか。
ああ、どれほど封じられてしまうのか。
ああ、どれほどひとりになってしまうのか。
大きな不安があった。小さな恐怖もあった。
一方で新月の夜を思い、不確かな安心があった。もしも今から封ずる法術が妖にしか効かないものだったならば、だいじょうぶ、翔はすぐに目覚めることができる。きっと、そう、きっと。
けれど目覚めることができる確証もないので、翔は飛鳥にそっと笑うしかない。
「おれは妖祓をうらんでないよ」
こうなるのは仕方がないことだと分かっているから。
「おれが妖になっちまったせいだから」
こうなったのは翔の行動が起こしたものだから。
「お前らに打ち明けられなかった、おれがわるい」
こうなってしまったのは翔が臆病者だったから。
妖になった時点でしっかり妖祓に事を伝えていたら良かったのか。
それとも己が化け物であることを早々に自覚して妖祓と距離を取れば良かったのか。
何を言ってもあとの祭り、これは翔が引き寄せた未来の結果だ。
「父さん、母さんに、わるいことしちまったな」
それだけが気掛かりだと呟き、飛鳥から視線を逸らして大喧嘩した親友を見やる。
彼はずいぶんと不機嫌な顔をしていた。昨日の今日だから仕方がない。謝るべきだろうか。しかし、妙に負けず嫌いも出てしまうので翔は生意気を口にする。
「ンな顔しなくても、勝手に寝るから安心しろって」
「このッ。そこで勝手に寝てろ」
「しょ、ショウくん。朔夜くんも落ち着いてよ」
朔夜の舌打ちに飛鳥の慌てる声、それから、それから。
翔はこの空気に居心地の良さを感じていた。
いつもの空気だ。喧嘩をしている時はこうして、いつも売り言葉に買い言葉に。
うん、それでいい。変に気まずい空気を出されるよりかは、クダラナイことで喧嘩をして意地を張り張っていた方がずっと良い。それが自分たちなのだ。
そして、いつも喧嘩の終わりは他愛もない会話がきっかけ。
だから翔は喧嘩に終止符を打つことにした。
「朔夜、おまえとルームシェアしてみたかったよ」
きっと楽しくもクダラナイ、喧嘩ばかりの毎日なのだろう。
「そんなことできないって分かっていても、おまえとルームシェアの話で盛り上がってみたかったな。ばか話をまじえながらさ」
翔はひとつ夢を見ると、体の力を抜いて今度こそ深くも浅い眠りに就いた。
朔夜の聞き取れない返事が遠いところで聞こえたし、飛鳥の呼びかけも聞こえたが、法術によるつよい眠気には敵わなかった。限界だった。
が、思いのほか、翔は十数時間ほどで目を覚ます。
その頃には高い日が昇っており、翔のいる場所にも日差しが射し込んでいた。
つよい眠気はなく両手足の重みも薄れており、むくりと上体を起こすことができた。
「あだだだ。腹痛ぇっ」
異常があるとすれば腹の痛みだった。
眠りに就く前は腹の熱に悩まされていたが、いまは鋭い痛みがあるので困ってしまう。
仮に催す危険が出てきた場合、ここから飛び出して厠へ行けるのだろうか。高校生にもなって粗相をすることは避けたいのだが。
(そもそも、ここはどこだろう?)
翔は周囲を見渡す。
妖祓の姿は視えない。狭い空間は小屋だと思わせてくるが、厳かな燭台や呪符の束、梵字が刻まれた壺が祀られているのだから不気味である。
また翔を囲うように注連縄が張られており、翔は注連縄を飛び越えることができなかった。
注連縄に触れるだけで痺れてしまったので、これは妖を閉じ込めるための縄なのだと判断した。子細に小屋の中や周辺を歩き回れないので憶測になるが、妖祓は注連縄を使用して翔と宝珠の御魂を封じているのだろう。
(宝珠の御魂のチカラは強大らしいから、小屋の周りも注連縄を張ってるのかもな)
翔は足元に目を向ける。
小難しい梵字が刻まれた護符が何枚も貼られていた。
翔を器にして土地神の魂を封ずるのだから、念には念を入れて術を発動させているといったところだろうか。依り代をより深い眠りに就かせて、少しでも封ずる力を高めているのやもしれない。
しかし翔は目覚めた。
その理由はひとつ。
(新月が近い)
翔は両手足首に貼られた呪符を触る。
少しでもさすると痛むのに、今日はほとんど痛みを感じない。それだけではない。鋭い五感も人間並みに落ちているし、尾っぽの輪郭はおぼろげ。妖力が下がっている証拠だ。
つまり日が落ちたら翔は注連縄を飛び越えることができる。
(……気づかれないようにしねえと)
目覚めたことがばれてしまえば、また座敷牢に放られる可能性がある。
いつ妖祓が来るやも分からないので、翔は痛む腹を庇いながらふたたび仰向けになる。
(はあ。中途半端に起きるんじゃなかったよ)
すっかり飛んでしまった眠気を呼ぶように瞼を下すと、日が落ちるまで寝たふりを続けた。
これが大変な地獄で腹はいつまでも痛むし、それは面に出せないし、寝返りも打つべきではないと判断して硬い床板で何時間も仰向けになり続けた。
おかげで背中から尻辺りまで痺れてしまい、翔は四六時中顔を引きつらせる羽目になったが根性で耐え切った。
(夕陽が見える)
小屋の突き上げ窓から真っ赤な日差しが射し込んでいる。
その頃には持ち前の狐耳も尾っぽも空気に溶け消えており、太い爪は丸び帯びた人間の爪に形が変わっていた。翔はただの人間に戻りつつあった。
(日が沈めば新月が来る)
そしたら妖のみんなが翔を迎えに、きっと。
刹那、突き上げ窓から凄まじい轟音ともに、眩しいほどの青白い炎が立ちのぼるのが見えた。
思わず飛び起きて突き上げ窓へ向かう。難なく注連縄を飛び越えることができたので、突き上げ窓の外を見ることが叶った。
(なにが起きてるんだ)
見えるのは屋敷の敷地に植えられた沢山の庭木と池と灯篭、かまびすしく鳴くカラスの群れは片や夕空を飛び回り、片や母屋の屋根に集って留まっている。
それらを呑み込む勢いで青白い炎が立ちのぼる。
大きく揺らぐ炎を境目にして右側に妖祓らが、左側に化け物らが対峙していた。
妖祓らはもちろん、見覚えのある化け物らに翔は目を見開く。浄衣を纏った赤い狐は比良利、巫女服を纏った灰色の狐は紀緒、大きな金色の狐はツネキだろうか? 日輪の神職がそこにいた。
(青葉とギンコは……)
目で探すも間もなく、夕空にいるカラスの群れが一斉に鳴いた。
肩を震わせて驚きかえる翔の耳に聞こえてくるのは、怒りにまみれた赤狐の低い唸り声。
食えぬ笑顔を浮かべながらも、その糸目を開眼させ、瞳孔を縦長に膨張させている。その口は大きく裂けていた。人間で言えば耳元まで口が裂けている。恐ろしい顔となっている。
(あ、あんな比良利さん見たことない)
翔と顔を合わせる比良利はいつも優しくも頼もしく、けれどどこか食えない顔で笑っていた。怖いなんぞ微塵も思わせない顔をしていたのに。
あれは化け物の顔だ。
恐怖する翔の耳が微かに会話の音を拾う。
「うぬら。我らの目を掻いくぐるとはよくもやってくれたのう。おかげで今宵に迫る新月まで待つことも口惜しい――宝珠の御魂を、白狐を、我が双子をどこに封じた?」
笑みを深めて殺気立つ比良利、尾っぽに狐火を宿し始める紀緒、怒りの鳴き声を発するツネキ。いつまでも夕空を飛び回るカラスの群れは必死に何かを探している様子。
翔は気づく。
(俺の行方が妖たちに分からなくなっているんだ)
でもどうして?
妖祓らはカラスの群れから常に見張られていたので、あの群れを誤魔化すことなんぞ難しいはずなのに。
なにより妖らには翔のいる小屋が見えていないのだろうか?
仮にそうだとしても翔が声を出せば居場所は特定できるはずだ。狐は耳が良い。少しの物音でも拾えることができる。
「比良利さん。俺はここにいるよ!」
自分は無事だから妖祓と戦をするのは待ってほしい。
突き上げ窓から声を出すが反応は無い。聞こえていないようだ。
(おかしい。デケェ声を出したのに妖祓からも反応がねえなんて……)
あえて無視をしている、というわけでもなさそうだ。
(となると、俺の置かされている状況に何かあるな?)
必死に思考をめぐらせていると、新たな轟音と狐火と法術の放たれる音が聞こえた。
慌てて突き上げ窓の向こうに視線を戻すと、沈みゆく夕陽を浴びながら妖と妖祓らが激しく衝突していた。まごうことなき戦の始まりであった。
それだけでも気が焦ってしまうのに、翔の目に飛び込んできたのは率先して大妖を調伏しようとする朔夜の姿。
彼は妖祓の誰よりも早く行動を起こして、大妖の赤狐を討とうとしていた。
◆◆◆
話は遡り、南条翔が岡止々支屋敷に幽閉された夜。
妖祓、和泉朔夜と楢崎飛鳥は幼馴染の居場所を突き止めて岡止々支屋敷を訪れていた。午前十二時を回っていた。
バスを乗り継ぐ長旅であったが、二人は疲労を諸共せず屋敷の敷地に飛び込むと待ち構えていた妖祓長の和泉月彦に詰め寄った。幼馴染はどこだと。電話の真相は確かなのかと。
矢継ぎ早に詰問する二人を咎めることなく、月彦は「白狐と宝珠の御魂を封ずる話は本当だ」と言って朔夜と飛鳥を案内した。説明なしに追い返したところで悪手になるだけと思ったのだろう。
月彦は語る。
「こうなった経緯は翔……白狐に例の薬が効かなくなってしまったことにある」
「ショウに薬が?」
「あれは元々妖側が用意した薬。おそらく妖力を抑えるための薬で数は三つに限られていた。白狐が体の異変を訴えたため、最後の一つを今日の昼間に呑ませたが効果はなかった」
宝珠の御魂を宿した依り代が妖力を上手く制御できない。
それがどういうことか、朔夜と飛鳥は身をもって知っているはずだと月彦。
「白狐の理性が失われるだけでなく、身に宿している宝珠の御魂がどのような形で表に出るか予想ができん。百鬼夜行の呼び水にもなる。妖力を抑えるための薬をこちらで用意できれば良かったが、生憎妖祓の知識を持ってしても、すぐに用意できる代物ではない」
であれば選択肢は二つ。
妖らに南条翔を託すか、一時的に封じて妖祓の保護下にするか。
「妖の生体は妖に任せるのが良い。それが合理的だ。頭では分かっていれど妖祓は人間を第一に考える存在。数十年、ずさんな管理体制に晒された鬼門の祠。妖祓が宝珠の御魂を得たメリット。息子を重んじる南条家。それらを踏まえると我々の保護下にするのが妥当だと考えた」
ゆえに封ずるしかなくなったと語る。
無論、そのようなことをすれば妖側が怒れるのは目に見えているが、一時的にでも封じるべきだと妖祓は判断した。それほどまでに宝珠の御魂のチカラは強大であり、それを狙う低俗な化け物らが多い。
すかさず朔夜が進言する。
「ショウから宝珠の御魂を抜いてしまえば良いのでは? そうすれば、あいつを封じる必要はない。宝珠の御魂のせいでショウの持ち前の妖力は上がっています。そもそも妖祓は宝珠の御魂を使用して瘴気を封じたい話だったはずです」
「事情が変わったのだ」
「というと」
「いまの白狐と宝珠の御魂は運命共同体。あの子は宝珠の御魂に生かされている」
宝珠の御魂を抜くことができれば、それで済めば簡単な話だったというのに。
まこと南条翔は一筋縄ではいかない。
事前に用意した妥協案も、救済案も、あっという間に無下にしてくれる。大人も心が折れてしまいかねないほど手の焼かせる、大したやんちゃ者だと月彦は苦言をもらす。
「だからこそ、あれは首魁に選ばれたのやもしれないな」
南条翔は屋敷付近の竹藪に建つ小屋、霊屋にいた。
霊屋は本来死者の霊魂を祭るところだが、岡止々支屋敷では人間の霊魂を祭るだけでなく、いびつな化け物を鎮める所としても使用される。
小屋の引き戸を開けると、室内の奥には半妖狐が一匹、仰向けになって床に寝転んでいた。
狐の周りには護符が垂れ下がった注連縄が一本、それは輪になって翔を囲んでいる。
額に二つ巴を開示して眠っている翔の傍では紅緒が右手の人差し指と中指を立て、印を組んで唱え言を口にしていた。
土地神を鎮めるため、生贄を用いた封鎮めの術を発動させていた。急いで止めに入ったものの術は解かれることなく、南条翔も一度は目を覚ましたものの、すぐに眠りに就いてしまった。
結局、成す術もなく小屋を追い出された朔夜と飛鳥は、妖祓長らが施す封鎮めの術を見守ることしかできなかった。月彦が小屋の引き戸に護符を三枚貼り、其の術式が完成したところで霊屋は視えなくなる。
朔夜は堪らず、月彦を見やった。
「じいさま。これは」
「案ずるな。封鎮めの術が結界を張ったに過ぎん。白狐にはしばらく霊屋で眠ってもらう」
月彦は二人に説明した。
霊屋ごと白狐と宝珠の御魂を一時的に封じた、と。
「白狐を霊屋に封じておくことで、白狐の妖力も宝珠の御魂のチカラも表に出ることはない。宝珠の御魂を狙った百鬼夜行の呼び水になることもなければ、妖祓の目を盗んで勝手な行動を起こす霊能者らに見つかることもない。調伏の危険もない」
これが今できる最善だと月彦は語った。
反面、明日返事を聞きに来るであろう妖らに言い訳を考えておく必要がある。
なにせ、封鎮めの術は神を鎮めるために生み出された術。
神を鎮めるとは眠らせると同義。
その眠りを妨げるようなものはすべて排除しなければならないので、霊力を持つ人間の目にも、妖力を持つ妖の目にも視えなくする効果を持っている。
月彦は数珠を取り出すと、その場で静かに手を合わせた。
「この術は視えなくするだけでなく、鎮める対象の存在も消し去る。いくら土地神の魂を宿した大妖とて、簡単に見つかるまい」
強力すぎる術ゆえ本来は発動にひと月ほど掛かるが、一時的に封ずることができれば良いので半日ほどで発動が可能であったと月彦。
事が落ち着き次第、白狐と宝珠の御魂を目覚めさせる、と言ったところで朔夜は口を挟んだ。
「そんなの、いつになるか分からないじゃないですか」
月彦の指す『事が落ち着き次第』はどこを指しているのだ。
百鬼夜行が起こっている現状を指しているのか、赤狐らと対峙している現状を指しているのか、それとも鬼門の祠を起点とした瘴気を指しているのか。
いずれにしても、すぐに目覚めさせることのできない状況だ。
「一か月になるかもしれない。半年になるかもしれない。もっと先かもしれない。不確かな時間をあいつは眠ることになります。僕らはショウの生きる時間を奪うことになる」
妖祓なのだから人間を守ることを最優先にするのは当然だろう。
さりとて、それで済まされるほど事は易しい話ではない。
南条翔は妖祓の手によって、すでに三年目の高校生活を奪われている。家族と過ごす時間を奪われている。自由に出歩く日々を奪われている。
奪っている妖祓側はそれを重く受け止めるべきだ。
「正しいことをやっている。それは理解できます。だけど、封じられるショウにとって正しいで済まされないんですよ」
こうするしか方法が無かったことくらい朔夜とて分かっている。
玄人の妖祓を責めるべき点ではない。ただ封じると判断に至り、それを行動に移した妖祓は考えなければならない。考え続ければならない。
ひとりの少年の生きる時間を奪っている、その現実の重さを!
すると月彦が朔夜の前に立ち、「妖祓としてはまだまだ半人前だな」と厳しい言葉を投げた後、「しかし友としては正しい姿勢だ」と静かに微笑み、軽く肩を叩いて脇をすり抜ける。
「朔夜。飛鳥。しばしお前たちを妖祓の任を解く」
しばらくは一介の高校生として過ごすべきだ。
くだんはあまりに私情が混ざり合っている。
身近な人間の妖化によって受け入れがたいこともあっただろう。衝撃もあっただろう。傷つくことも、自責することも、罪悪感に苛まれることも――これから先は玄人の妖祓が受け持つべきだろう。
「お前たちは今一度、自分の気持ちと向かい合う時間が必要だ。いつもお前たちの気持ちを蔑ろにして命令ばかり飛ばしていた爺が言うことじゃないだろうがな」
本当にそうだ。
朔夜は屋敷に戻って行く妖祓長たちに心中で悪態をつく。
幼少からやれ人間を守れだの、やれ化け物を怖がるなだの、視える人間であることは言ってはいけないだの、厳しいことばかり言っていたくせに。
今さら現実に打ちのめされるばかりの子どもの心を守るために気遣いを見せるなんぞ、ほんとうに、いまさら。
朔夜は滲む視界を振り切ると、小さく鼻を啜る。
「くそっ。はらが立つ」
気遣われる自分に、幼馴染を助けられない自分に、何もできずにウジウジしてしまう自分に。
なにより売り言葉に買い言葉、ふたたび嫌味を言い合った親友に文句を言いたい。
眠るほんの少し前に夢を語った親友はルームシェアについて、もっと話したかったと言っていたが、ばかな話で盛り上がりたいと言っていたが、そんなの。
「いつだって話せば良いだろ」
なんで、すべてを諦めて笑っていたのだ。あのばか。
何も言えず悔しそうに下唇を噛み締める飛鳥の隣で、朔夜は何度も毒づいた。
諦めるなよ。ばか。
その後、家に帰る気力が無くなった朔夜は飛鳥と岡止々支屋敷に泊まった。
無理やり眠りに就いた翔とは対照的に、朔夜は眠れない夜を過ごす羽目になった。
どうしてこうなってしまったのか。何度も数日前のことを振り返り、喧嘩なんぞしなければ良かったと悔いる時間を過ごした。
(しばらく妖祓の任を解く、か)
それはきっと幼少から望んでいたことで、いま望むことではない。
翌日になっても学校に行く気になれず、屋敷の一室でぼんやりと物思いに耽っていた。
大人たちは何も言わずそっとしてくれたのでしばらくの間、取り散らかった心と向かい合っていたが、やはりやはり感情の整理はつかない。
(部屋にいても気が滅入るだけだな)
朔夜は外の空気を吸うべく屋敷の庭に出る。逢魔が時のことだった。
「そこにいるのは飛鳥かい?」
庭に出ると飛鳥が庭石に腰かけていた。朔夜と同じように眠れない夜を過ごしていたのだろう。少々顔がやつれている。
彼女は朔夜に気づくと、力なく手を振って夕空に目を向けた。つられて空に目を向けるとカラスの群れが目を引いた。
ただのカラスの群れではないと、ひと目で分かった。
「あのカラスは妖たちの使いなのかな」
飛鳥が話を切り出す。
「たぶんね」
夕空を飛び回るカラスの群れは岡止々支屋敷の真上から移動しようとしない。完全に目的を持った群れだ。
そんな群れなんぞ、そうお目に掛かれるものではない。
「ショウくんとちゃんと話せなかったね」
「そうだね」
飛鳥が力なく話を切り出してくる。仕方がなさそうに笑っていた。
「すごく眠たそうだったね」
「ずいぶんと呑気な顔をしていたよ。ひとの気も知らないで」
「ほんとだね。私たちはこんなに心配しているのに」
「顔を合わせたらまた喧嘩しそうだよ。腹が立つ」
「そんなこと言っちゃって、本当は仲直りしたいくせに」
「うるさいな」
「ショウくんといっしょに卒業したいね」
「……そうだね」
「なんで、ショウくんは妖になっちゃったんだろう」
「なんでだろうね」
「ショウくんにいっぱい話してもらわなきゃ」
「飛鳥?」
相棒の声が上ずったので庭石に座り続ける飛鳥に目を向けるが、すぐに言葉に詰まり、夕空に視線を戻した。
「ショウくんと約束したじゃんね。私たちに話してくれるって。まだ何も約束守られていないよ」
見て見ぬふりをすることはずるいだろうが、朔夜なりの優しさだ。
下手に慰めるよりも、見て見ぬ振りをした方が飛鳥のためになる。
「朔夜くん。わたし、ショウくんを助けてあげられなかった。悔しいっ、なにもできなかったことがすごく。すごく。すごくッ」
朔夜は相棒の弱音にそっと相づちを打つ。
その気持ちは痛いほどわかる。
「だから私、任を解かれてもショウくんを助けるまで妖祓を続ける。今夜からでも復帰してやるんだから!」
「あ、飛鳥?」
「だってこのままじゃ悔しいじゃんっ! 今まで立派な妖祓になれって偉そうな命令ばっかりしていたくせに、いきなり『自分の気持ちと向かい合うべきだ』なんて言われるわ。大人に任せろなんて言ってくるわ。ただの高校生になれって言ってくるわ。ショウくんと関わるかどうか決めるのは私だよ! 意地でも関わってやる」
一変して怒りを見せる飛鳥は負けん気を見せてくる相棒の強いこと強いこと。
呆気に取られていた朔夜だったが、思わず声を出して笑ってしまう。
なんで笑うのだと膨れ面を作る飛鳥に「ごめんごめん」と笑い、おかげで元気が出たと肩を竦める。
「そうだね。ショウと関わるかどうか決めるのは僕たちだね」
妖祓長でも玄人の妖祓でもない。
うん、そうだ。そうなのだ。決めるのは朔夜なのだ。
どんなに己の心と向かい合ったところで、心の靄が晴れるわけではない。悔しさも怒りも罪悪感も宿ったまま。妖祓長が任を解いたところで朔夜の心は変わらない。
ただどのような感情を抱こうと、南条翔と関わらない、大人に任せる選択はできない。
だって朔夜もまた飛鳥と同じく、宝珠の御魂と共に封じられた翔を助けたいのだから。
「飛鳥。僕も今夜から復帰するよ」
「朔夜くん」
「ショウのことをまずはもっと調べよう。あいつを助けるためには、置かされている状況を知らないと……僕らで術が解けるほど、あれは簡単じゃないだろうし」
「神さまも封じる術、だったよね」
「――ほほう。神も封じる術とはまこと興味深い。それはどのような術なのか、わしにも聞かせてもらえぬか」
心臓を鷲掴みにされるような冷たい妖気、そして食われる恐怖に似た悪寒が朔夜と飛鳥の背筋を走り抜ける。
ハッと真上を見上げると、闇夜よりも深い漆黒の体毛を持つカラスの群れが屋敷の庭に向かって一斉に急降下。地面にぶつかる寸前で群れがふたたび夕空に飛び立ち、そこから三匹の妖狐が姿を現す。
浄衣、巫女装束、金色の狐。
内、浄衣姿の一匹は朔夜と飛鳥は顔を合わせたことがある。
推定二百歳にして大妖と呼ばれている若き六尾の赤狐。化け物らを統べる首魁の一匹であり、異界の神主を担う狐であり、宝珠の御魂の片割れを宿す妖の名前は比良利。
幼馴染と同じ立場にいる妖狐が朔夜と飛鳥の前に姿を現した。
「久しぶりじゃのう。若き妖祓よ」
庭石から飛び下りた飛鳥が呪符を構える。
「朔夜くん。岡止々支屋敷の結界は格の高い術式を使っていたよね?」
「それを難なく破れるくらい、相手の妖力が高いってことじゃないかな。嫌味な狐だよ」
いや、それより赤狐の様子が少々おかしい。
以前は余裕ある食えない笑みを浮かべていた糸目狐だったのに、いま目の前にいる狐は糸目を開眼している上にまったく目が笑っていない。また狐の手には大麻と呼ばれる神主が使う道具が握られている。あれは一体……。
と、朔夜と飛鳥の背後から叫びが聞こえた。月彦の声であった。
「朔夜、飛鳥! 今すぐ赤狐から離れるんだっ、赤狐の狐火がくる!」
二人は大きく後ろに飛躍する。
それと同時に赤狐は大きく嗤い、開眼した瞳孔を縦長に膨張させる。
額に二つ黒の巴を開示するや否や、手に持つ大麻の紙垂が白から臙脂色に染まり、それらは赤き狐の妖力と相まって大きな炎を生み出した。
比良利が大麻の紙垂を地面に叩きつけると、天を焦がす勢いで青白い火柱が立ちのぼる。ただの妖狐の繰り出す狐火とは次元が違った。
怯む間もなく比良利が六尾の尾っぽを逆立て、冷静に、けれどしかと怒りを見せた。
「うぬら。我らの目を掻いくぐるとはよくもやってくれたのう。おかげで今宵に迫る新月まで待つことも口惜しい――宝珠の御魂を、白狐を、我が双子をどこに封じた?」
まったくもって封じるなんぞ想定外も想定外。
かの有名な妖祓が愚行の極みを犯すとは想像もしなかったと比良利。
種族や立場は違えど、守るお役を担っている以上、ある程度の敬意を払って妖に接すると思っていたというのに。幼き白狐も白の宝珠の御魂の存在も感じられなくなるとは!
「なぜ。ぼんを封じた」
比良利は問うた。
「なぜ。宝珠の御魂を封じた」
赤狐は怒れた。
「なぜ。我らの交渉を覚えていながら、このような愚行を犯した? 和泉、楢崎。我らが怒れることくらい分かっていたじゃろうに」
妖の首魁の詰問に月彦は間髪を容れずに答える。
「鬼門の祠の瘴気問題を一向に解決へ導けんお前らに、南条翔を託すことはできんと我々妖祓は判断した。お前らが管理する鬼門の祠のせいで、何年も人間は瘴気に苦しめられている」
「ゆえにぼんを封じたと?」
「苦肉の策だ。あの子は妖力を制御できず、薬も効かず、苦しんでいた」
「妖の生体は妖に任せるべきであろう」
「あの子が宝珠の御魂に生かされている話を、こちらに伏せておきながら何を言うか」
「どうしてもぼんを渡したくないとみた」
「これには霊能者内々の事情もある。妖祓が示しをつけねば、他の霊能者が好き勝手しかねん。赤狐よ、悪いが南条翔は諦めてもらおうか。あの子はこれより妖祓の保護下とする」
「笑わせるな青二才」
赤狐の口が大きく裂ける。
妖祓に何から翳りある事情があるのは理解したが、だからといって首を縦に振るような話ではない。
宝珠の御魂は南北の地を守護する土地神・大御魂から生まれた双子の魂。妖が護り受け継いできた魂なのだ。人間が易々触れて良いものではない。ましてや人間の判断だけで封ずるとはどういう了見だ。
人間は知らないだろう。
九十九年双子の目覚めを待っていた、片割れの気持ちなんぞ。
狐は赤い目を妖く光らせて嗤う。
「和泉の小僧。うぬの答えは新月に向けた返事と受け止める」
「間もなく新月、これを返事とする」
「承知した。これより先は実力行使も辞さぬ――覚悟せよ、妖祓」
ふたたび比良利の握る大麻の紙垂が臙脂に染まる。
妖祓が鳴らす数珠や放たれる呪符、振りかざされる錫杖は同胞の妖狐に任せると、二つ巴をつよく光らせて紙垂から炎を生み出した。屋敷の縁側を燃え滓にする勢いで狐が大麻を薙いだが、そうはさせまいと妖祓長の結界が阻止する。
なおも赤狐が大麻を構えた、その一瞬を狙い、朔夜が懐に入るために走った。周りの大人たちが止まれと制してきたが、迷わず数珠に霊力を溜めて法術を放つ。
(きっと僕の術は大麻で対処される)
読み通り、大麻の柄で糸も容易く法術を受け流してきた。腹立たしいがそれでいい。大妖に朔夜の法術が通用するとは思えない。しかし隙はできる。
(妖狐の弱点は尾っぽ。一本でも切り落としてしまえば)
尾っぽに妖力を溜めて強くなることを朔夜は知識として知っている。
目の前の大妖に勝てずとも、妖祓の勝機を掴むために行動は起こせるのだ。妖祓が負ければ、この狐らは死に物狂いで幼馴染を見つけ出し、異界に連れて帰る。
(それだけは。絶対にそれだけはさせるか)
比良利の真横を取った朔夜が手早く数珠を広げて、尾っぽのひとつに狙いをつけた刹那、それが見事に朔夜の胴を掴んで向こうの地面に叩きつけた。
狐がひとつ嗤う。
「わしの尾を狙うなんぞ百年早いわ。ハナタレ小僧」
何から何まで嫌味な狐だ。
朔夜の狙いを簡単に読んでくるのだから。
しかし、だからなんだ。だから!
朔夜は駆け寄ってくる飛鳥に「援護を頼めるかい」と言いながら、痛む体を素早く起こす。
「どうにかして赤狐の尾っぽを切る。そうすればチカラが少し弱まるはずだから」
「ほっほう。妖狐の弱点を知っているようじゃが、わしの尾が切れる腕前があると?」
「そんなものあるわけないだろ」
それでも朔夜は尾っぽを切るために模索する。
でなければ、失ってしまうのだから。
「赤狐。お前にとっては宝珠の御魂がすべてなんだろうけど、生憎こっちは失いたくないバカなんだよ。宝珠の御魂だとか、依り代だとか、そんなのどうでもいい」
朔夜はただ幼馴染を失いたくないだけなのだ。
何だかんだと約束を取り付けてくるし、いっしょにいると喧嘩も多いし、目が回るほど振り回されることも沢山あるが、それでも朔夜にとっては幼馴染で親友なのだ。
だから。
「小僧、妖狐のぼんに同じことを言えるか?」
比良利は問うた。
どういう意味だと眉を顰める朔夜に、狐はひとつ疑問を投げた。
「うぬにとって竹馬の友とは人間のぼんを指すのじゃろうが、妖狐のぼんはうぬにとって何者じゃろうか? 変わらぬ竹馬の友か、それとも」
「妖狐になったところで、ショウはショウだ。なにも変わらない」
すると狐はくつりと喉を鳴らし、飾りっ気のない心の内を表に出す。
「大層、残酷な小僧じゃな」
なにも変わらない。
あれを見て本当にそう言えるのだろうか。
繰り返し疑問を口にする比良利に、「変わらないよ」と朔夜は繰り返し、ふたたび尾っぽを狙って駆け出した。




