<九>岡止々支屋敷
新月まで残り二日。
宝珠の御魂を狙う百鬼夜行から奇襲された翌日のあかひる。
翔は妖祓に連れられるがまま車で移動していた。
なんでも幽閉場所を変えるのだそうだ。それまで許可なく座敷から出ることができなかったので、前触れもなく外へ連れ出された時は驚いてしまったが、前日の騒動を踏まえると幽閉場所の変更は納得だった。
(朔夜の家は住宅街にある)
連日、宝珠の御魂狙いの百鬼夜行が来るとも限らない。
そうなれば町の人間が危険に及ぶので、騒動の元凶となっている翔の幽閉場所変更は理にかなっている。翔としては家に帰してもらいたいのだが、それはさておき。
翔は小さな欠伸を噛み締めた。
(狐は五感が鋭いから車酔いすると思っていたけど、意外と平気で安心した。芳香剤の匂いもなんとか堪えられているし)
車窓から昼間の景色を眺める。
まぶしい世界がそこには広がっていた。燦々と輝く太陽と、青々とした空と白い雲と、それから真っ黒なカラスの群れが目を引く。群れはとても大きい。
(あの群れ。家を出てから、ずっとついて来ている気がする……)
もしやあのカラスの群れは。
じっと群れの様子を窺っていると隣に座る妖祓長、楢崎紅緒が翔に声を掛けてきた。
「翔さん、少し眠っておきなさい。夜行性の妖狐にとって今は就寝している時間でしょうから」
「いま何時なの?」
「正午過ぎになります」
「眠りたいのは山々だけど、車のエンジン音で眠れないと思う。狐は耳が良いからね。起きておくよ」
「では何か食べますか?」
「あ、いや、あんまり食欲もないから何もいらないかな」
翔は目を泳がせると、ふたたび窓に目を向けて三つの尾っぽを腕に抱える。
(まずいな。腹が妙に熱い気ィする……感情的になったせいかな)
一瞬、妖力の制御が上手くいっていないのかと不安がよぎったが、単純に喧嘩をしたストレスなのやもしれない。
脳裏に過ぎるのは昨晩のこと。
やれ思いを寄せる飛鳥に泣かれるわ、やれ親友の朔夜と大喧嘩するわ、心に秘めていた感情をぶちまけてしまうわ。
思い返せば思い返すほど、ため息が出てしまう。
これでも幼馴染に執着している男なので、彼らとのやり取りに心が痛まないわけもなく。
(はあっ……やっちまった。あんなこと言うつもりなかったのに)
翔は大いに落ち込んでいた。昨晩のような衝突をしたくない一心で半妖のことを隠していたのに結局、大切にしていた関係は崩れてしまった。
(勝手に化け物になっとけ、か)
確かにそうだ。
これは翔自身の問題なのだから、そう言われても仕方がない。
幼馴染らの秘密を知ろうとしたのも、ギンコと共に妖に追いかけ回されたのも、人間でなくなったのも、そして――半妖のことを隠して日常を送っていたのも、翔が選択した結果であって彼らには関係のない話。
翔の勝手な都合で二人を巻き込んでしまった。
(全部俺の我儘だった。間違えちまったな)
ぼうっとしていると翔の目の前にすっ、とペットボトルが差し出される。
顔を上げると紅緒が「飲みなさい」と命じてきた。人間の与えるものすべてに強い警戒心を抱く翔の事情を知っているくせに、紅緒は喉を潤しておけと言ってくるので困惑してしまう。
ひとまず麦茶の入ったペットボトルを受け取ると、紅緒が意味深長なことを言った。
「孫たちに貴方の移動先は告げておりません。移動させる旨すら知らせておりません。あれは未熟すぎました。私情を交えた問題行動を起こすことがあまりにも多い」
翔は納得した。
なるほど、だから昼間に移動しているのか。
今朝方、大喧嘩した朔夜が座敷の前に立っていたことを、座敷内で眠っていた翔は気配で掴んでいたのだが、彼はそれ以上の行動を起こさなかった。もしも幽閉場所の移動を知っていれば、あれの性格上、周囲の反対を押し切っても学校を休んでいただろう。
(あいつのことだから、昨晩のことを冷静に話し合いたかったんだろうな)
半生以上の付き合いだ。
幼馴染のことは手に取るように分かる。
ペットボトルを逆さにして遊んでいると、紅緒が言葉を重ねた。
「たいへん未熟が目立つ孫たちですが、我々よりもずっと貴方のことを重んじている。必死な想いで貴方を守ろうとしている。それは知っておいてくださいね。翔さん」
本来、あの二人は問題行動を起こすような妖祓ではない。将来が期待されている優秀な妖祓なのだと紅緒は柔和に頬を緩める。
おおよそ翔たちの間に何が遭ったのか知っているのだろう。
昔と変わらぬ慰め方をしてくる紅緒をじっと見つめた後、静かにペットボトルの蓋を開けて麦茶を飲んだ。隣に対する人間への警戒心は少しだけ薄れた気がした。
「紅緒ばあちゃん」
「はい」
「何もいらないって言ったけど、少し腹が熱いから例の薬がほしいかな」
妖力の制御がまた上手くいかなくなっているのかもしれない。
しかと己の状態を伝えると、紅緒はうんとひとつ頷いて翔に丸薬を手渡した。
「最後の一個と聞いていますので、大切に呑んでくださいね」
「ありがとう。紅緒ばあちゃん」
口に放り込み、大きな丸薬をかみ砕くと、急いで麦茶で流し込む。
苦い薬と共に大きく警戒心が薄れた気がした。
はてさて。
翔の新たな幽閉場所は『岡止々支屋敷』と呼ばれる所。
表向きは武家屋敷だそうだが、その正体は妖祓を含めた祓い屋や霊能者の集い場。
名義上、屋敷の所有者は和泉家になっているらしい。
集い場になっているだけあって、屋敷では心霊やいびつな化け物らの情報が入ってくるそうだ。
人間に危害を及ぼす悪霊や地縛霊。人間の町を巣食う化け物らの動き。現世の科学では解明できない奇々怪々な現象など、霊能者が担うべき情報が逐一入るとのこと。
また手に負えない悪霊や地縛霊の霊魂、いびつな化け物らを慰めたり、鎮めたりする場でもあるらしく屋敷内には小さな祠や注連縄。何枚もの護符が貼られた積み石。酒瓶のお供え物など奇妙な光景をいくつも目にした。
(ここで調伏することもあるのかな)
妖祓らと屋敷に続く道を歩いていた翔は、頭上にいるカラスの群れを気にしつつ、そっと足を止めて向こうに見える祠を見つめる。
すぐさま両隣を歩く幼馴染らの父たちに声を掛けられた。
「翔くん。行こう」
人間らは数珠やら錫杖やらを持っているので、翔はさっさと歩みを再開したが、その目には確かに捉えた。
引っ掻き疵だらけの祠の姿を――あの祠は誰かのために建てられたのかな、とぼんやり。少々気落ちしてしまい、持ち前の尾っぽと耳を地面に向けて垂らしてしまう。
翔の落ち込む空気が伝わってしまったのだろう。
和泉朔が明るい声音で話題を振って来た。
「昔、翔くんはこの屋敷に来たことあるんだよ」
「そうなの?」
「まだ君が小学校に入る前だったから、覚えていないかもしれないけどね。朔夜や飛鳥ちゃんといっしょに屋敷の庭で遊んでいたんだ。鬼ごっこをしていたかな」
「え、全然覚えてないや」
「本当に君はやんちゃでね。庭の灯篭にのぼって天辺で立ち上がろうとするものだから、盛大に月彦さまから叱られていたものだよ。傍で朔夜たちが大泣きしていたの、よく憶えている」
「そ、そ、そんな常識のないことをしていたっけ……」
いや月彦に叱られた記憶はあるので、非常識なことをしていたのやもしれない。
クソガキだったのやもしれない。
「ふふ。君はいつも何かに夢中になると、それに向かって翔け出してしまう子だったよ。だから朔夜たちは置いて行かれないよう必死について回っていた。君が見えなくなると、よく泣いていたっけな」
一生懸命に翔の背中を追いかけていたと語る朔だが、背中を追いかけていたのは翔の方だ。
翔はいつも朔夜と飛鳥の背中を追いかけていた。
ふたりといっしょにいたいがために。
しかし、朔は言うのだ。
追いかけていたのは朔夜と飛鳥だと。先を走っては立ち止まって振り返り、足を止めているふたりの下に駆け寄っていたのは翔だと。
「朔夜と飛鳥ちゃんは、あの頃とちっとも変っていないんだろうな」
意味深長に呟く朔の横顔を見つめていた翔だが、屋敷の入り口が見えてくるや否や状況は一変。
それまで天高いところで群れていたカラスが一斉に急降下してきた。
(あれは朔夜の家から、ずっとついて来たカラスの群れっ)
カラスが一塊になって降ってくる光景はまるで蠢く黒い霧。
それらはかまびすしい鳴き声を発すると、妖祓らの視界ごと屋敷の道を塞いだ。
前進する者がいれば容赦なく嘴で突き、後退する者がいれば両翼をはためかして、もっと後退しろと態度で示した。
一方でカラスの群れは真っ白な体毛を持つ狐を呑み込み、翔を攫おうとする。
「うわっ」
情けない悲鳴を上げる翔の体は後ろに引っ張られ、群れの勢いに流されてゆく。
ああ聞こえる。
カラスの群れの切なる訴えが。
生まれたての化け狐よ、人間の血を持つ仔狐よ、宝珠の御魂を持つ狐よ。
あんな物騒な屋敷に入ってはいけない。
あそこに入ればどうなるか分からないよ。いますぐ一緒に帰ろう。いますぐ異界に還ろう。みんな、お前の帰りを待っているよ。
ねえ白狐、半妖のお前はもう狐だよ――声がきこえた。
「朔、閃光玉を投げる!」
楢崎時貞の声音が合図となる。
「その隙に群れから翔くんを引っ張り出せ! 狙いは白狐だ!」
黒い霧となっていたカラスの群れに閃光玉が放られた刹那、眩い光と共に翔の身は朔によって引っ張り出される。
すっかり目をやられてしまった翔は周りの状況を把握する間もなく、朔に腕を引かれるがまま足を動かすしかなかった。見える景色は一面真っ白であった。
屋敷の三和土に逃げ込んだところで、ようやく視力が戻るものの、カラスの群れはあっという間に天に向かって飛んでしまう。
さりとて逃げるわけではなく、屋敷に連行された翔と妖祓の動きを見張るために、敷地の木々や建物の屋根に留まっていた。
間違いない、あのカラスの群れは妖の手の者。
(宝珠の御魂が移動していることに気づいて、神職狐たちが手を打ったんだ)
新月に返事を聞くと妖祓に伝えている手前、無断で幽閉場所を変えることに思うことがあったのだろう。
(そりゃ何も言わず、勝手に対象を移動されたら怒るよな)
ああもう、幽閉場所の変更が新たな火種にならないといいが。
翔は苦い顔を作り、いつまでも聞こえてくるカラスの群れの鳴き声に耳を傾けていた。腹部につよい熱を感じた。
おかしいな。薬は呑んだのに。
◆◆◆
一連の騒動が引き金になったのか。
はたまた、元々の想定だったのか。
屋敷にあがった翔はそのまま座敷牢に入れられた。
文字通り牢屋に閉じ込められてしまったのだから、これには言葉を失うしかない。
(てっきり何もない座敷に通されると思ったのに)
そもそも岡止々支屋敷に座敷牢があることが「おかしい!」と嘆くべきだろうか。
(どんどん状況が悪くなる……)
顔馴染みの人間たちも翔を座敷牢に入れるのは本意でないようで、翔を座敷牢に連れて来た時はずいぶんと苦い顔をしていた。
おおよそ妖祓側にも深い事情があるのだろう。
駄々を捏ねても喚いても状況は変わらないし、向こうも変えられない。取り巻く空気が物語っていたので、翔は人間たちに謝られる前にひとつ我儘を口にした。
「少し寝るよ。毛布を一枚もらえると嬉しいかな」
こうして座敷牢で幽閉されることになった翔は、日が暮れるまで牢の四隅で毛布に包まって過ごすことになる。
正面の太い木造格子以外は漆喰の壁ばかりで窓もない。
格子越しに翔を見張る妖祓もいるが、今のところ逃げる気持ちはなく、眠気と体の怠さが上回っているので好きにしてくれと思っていた。
(この屋敷、結界でも張っているのかな。腹は妙に変な感じだし)
体がやけに重く怠いので、化け物にとって嫌な法術や結界が屋敷に仕組まれているのだろう。
寝息を立て始めた頃、格子の向こうから会話が聞こえてきた。
翔は腹部のくすぶる熱に堪えながら狸寝入りを試みる。
「朔。翔くんは」
「時貞か。彼は眠ってしまったよ。体がつらいんだろう」
「岡止々支屋敷の結界は桔梗を用いた格の高い術式。半妖の翔くんにとって、結界内にいるだけで体が気だるいはずだ」
「そうだな」
「早く親御さんの下へ帰してやりたいところだが、依り代の翔くんは妖力が並外れている」
「難しいだろうな。宝珠の御魂を狙った化け物らが早速屋敷の周りに集っている。下手に彼を解放すれば、今度は他の霊能者が翔くんを調伏する可能性もある」
妖祓は『妖を祓う行為』を一任されているが、任務をまっとうできないのであれば、当然化け物が視える霊能者が行動を起こす。人間を守るために。
今回白狐の幽閉場所を変えたのは、各地域に分散している霊能者内々の事情もある。
あれやこれや話す朔からの口から唸り声がひとつ聞こえた。
「とはいえ、幽閉場所の変更は悪手だったかもしれない。屋敷周辺で数えきれないほどのカラスの群れが集っているあれは赤狐の回し者だ。翔くんを攫おうとしたあれは、カラスの群れを使った天狗隠し。あわよくば異界に連れ去る魂胆だったんだろう」
「新月まであと二日か」
「時貞、我々はそれまでに返事を出さなければいけない」
「翔くんを赤狐に託すか。それとも、妖祓で保護するか」
「どっちの道が良いんだろうな。我々妖祓が保護をしたら、きっと他の霊能者らが白狐を危険視して口を出してくる。赤狐にあずければ、白狐は遅かれ早かれ妖の首魁になる……正しい道なんぞ無いのかもな」
「だから息子の朔夜も、お前の娘の飛鳥ちゃんも、どうすればよいか分からずに妖祓として誤った行動ばかり起こすんだ。歴が長い俺たちでも上手く呑み込めない状況なんだから、あの子たちにはなお難しいだろうな」
「つらいな朔」
「本当につらいのは、今どっちにもなれない翔くんだろうさ」
今のあの子は人間にも妖狐にもなれず、周りの事情に振り回されている。
「――翔。いや白狐よ。起きてほしい。少し話がしたい」
狸寝入りをしていたはずなのに、いつの間にか眠っていたようだ。
牢の四隅で毛布に包まっていた翔は、呼び声によって重たい瞼を持ち上げる。
どうやら日が暮れたようで格子の方を見やれば、仕切りの向こうに妖祓長たちが座っていた。
ただならぬ雰囲気を感じ取った翔は、持ち前の尾っぽで毛布を四つ折りに畳むと、距離を置いて妖祓らと対面する形で座る。
(やっぱ腹が熱い。薬を吞んだから大丈夫と思いたいけど)
腹部をさすりながら正面を向いたところで、妖祓長らが両手を床につけて頭を深く下げてきた。
それは謝罪であった。
幽閉、捕縛、そして捕縛する際の暴力。妖祓は南条翔に対して、まず深く謝罪をしてきた。
次いで三尾の白狐に交渉をしてくる。宝珠の御魂を妖祓に渡してもらえないか、と。
(……いきなり交渉か)
翔は冷や汗を流す。
これまでの仕打ちに対する謝罪も宝珠の御魂にまつわる交渉も、幽閉場所を変えると話を聞いた時点で何となく予想はしていた。
新月まであまり日もなく、カラスの群れが翔を攫おうとした騒動も起こしているので、今夜もしくは明日までには話を切り出すのではないかと思っていたが……まさか寝起きで話を切り出してくるとは。
翔としても今後の道を決めるために答えを出さねばならないので、妖祓と一度話をしなければならないと覚悟は決めていたが、さすがに謝罪直後に『交渉』から切り込んでくるとは思わなかった。
(本当は幽閉に対して文句のひとつでも言おうと思ったけど、それどころじゃなくなった)
自慢じゃないが頭を使うのは不得意も不得意。
交渉なんぞいきなり出されても混乱するだけだ! 自信を持って言える。
顔を上げる妖祓長らから視線を向けられ、翔はひえっと心中で悲鳴を上げると、ぎこちなく視線を逸らして首を横に振る。
「わ、渡せば死んじまう」
すかさず和泉月彦が畳みかけてきた。
「白狐、いや翔よ。先日も言った通り、お前が依り代であるかぎり自由にしてやれんのだ。その妖力の高さも、奇襲してきた百鬼夜行も、赤狐がお前を狙うのも宝珠の御魂が宿っているからこそ。依り代でなくなれば、今まで通りとは言わずとも人間社会で暮らせる。妖祓も助力すると約束する」
容赦ない交渉に翔は半べそを掻いた。
だから頭を使うのは不得意なのに! 幼少から翔を知っているのだから、もう少し手加減してほしいのだが…………。
「でも死んじまうんだって」
「無論、お前の恐怖や不安は理解できる。赤狐の怒りを買うやもしれんが、お前は妖祓に言われた通りのことをしたと言えば良い。責任は妖祓が持つ」
「じいちゃん違うんだ。違う」
「翔?」
「渡すって俺の体から宝珠の御魂を抜くってことだろ? そしたら俺が死んじまう」
死にたくないと翔は必死に訴える。
月彦は翔の慌てふためく様子を見て何かを感じ取ったのだろう。
もうひとりの妖祓長である楢崎紅緒に視線を送った後、ひとつ頷き、順序を追って話す必要があると翔に伝えた。
「初手の交渉で言いくるめられると思っていたが、やはりお前は一筋縄ではいかんな。交渉をするにしても難易度を下げてやるべきだった」
それはつまり翔が阿呆と言いたいのだろうか。
あからさま不満げな顔を作る翔に、「正直なところも相変わらずだな」と月彦が笑った。
そして切り出す。
「翔よ。お前はなぜ妖狐となった?」
それを聞かれると、翔は正直に話さなければなるまい。
常日頃から不満に思っていた幼馴染らの壁、事あるごとに約束をキャンセルされる怒り、何か隠し事があるのではないかと疑心を抱いた日々。とうとう我慢の限界に達して、幼馴染らを尾行して秘密を知ってしまった満月夜に、妖鳥に追われる銀狐と出逢ったあの瞬間。
翔は包み隠さず語った。宝珠の御魂を宿してしまった経緯も、それに生かされていることも、抜けば死ぬことも、半妖を口止めされていたことも、すべて。
聞き手に回った月彦は翔の話に相づちを打っていたが、最後の方は渋い顔をしていた。
「はあ。間接的な原因が孫たちにあるとは」
「朔夜と飛鳥のせいってわけじゃ」
「妖祓のことを勘づいて動いていたのであれば、それは原因のひとつと言えよう。それに相まってお前の行動力の高さだ。やんちゃものとは思っていたが、ここまでとは」
「な、何かあると思うじゃん。ドタキャンされ続ければさ」
尾行はやりすぎやもしれないが…………。
でも翔は知りたかったのだ。どうして二人揃って約束を破り続けるのか。それは幼馴染の約束よりも、ずっと大切なのか、それを知りたかった。
結果的に言えば大切だったのだ――幼馴染の約束より、ずっと。
(人間の暮らしを守るかどうか天秤にかけたら、そりゃそうなるだろうけど)
翔はひと呼吸置くと、今度は質問側に回った。
「どうして妖祓は宝珠の御魂を狙うんだ? これを狙えば、神職狐たちが黙っちゃいない。それは妖祓も知っているだろう?」
仮に翔が宝珠の御魂を渡したとしても、その後は争いの火種にしかならない。
妖祓のことなんぞ露ほども知らないものの、翔は目の前の者たちをよく知っている。
ゆえに愚行を犯すような組織ではないだろうと予想はしているが、理由はなくして宝珠の御魂を狙っているとも思えない。
成り行き依り代になった手前、翔は妖祓の目的が知りたかった。
今のところ妖祓が宝珠の御魂もろとも首魁に選ばれている白狐を封じたい、と会話を聞いて知っている程度。もっと深く事情を知りたいと翔は思った。
(くそ腹が熱い。薬効いてねえな)
どうにか腹の熱を無視して、翔は月彦に告げた。
「俺は神職狐たちに恩がある。妖のせいで人間ではなくなったけれど、妖のおかげでこの命は生き長らえた。だったら神職狐たちのためにも、宝珠の御魂は妖たちに返すべきだと思っている。妖祓に渡すべきものじゃない」
「ご尤もな意見だな」
「なんで狙っているんだ?」
翔の問いに答えたのは紅緒であった。
「答えはひとつ。鬼門の祠による瘴気を封ずるためにございます」
「鬼門の祠? 瘴気?」
「説明する前に、この地の妖とヒトの関係から話しましょう」
古来より和泉と楢崎は人里を守っていた。
いびつな化け物らは人間を食う者が多いので、それらから人々を守ってきた。その一方でいびつな化け物らに独自な文化があることを知っていたので、首魁の化け物らと掛け合って調和を図った。
時に祓い祓われる者、時に食う食らう者、時に双方の民を守る者として関係性を保ってきた。
それは何年、何十年、何百年と続く関係であった。
当然、妖祓は宝珠の御魂の存在を知っており、その価値を十二分に理解している。
それが異界の土地神である大御魂の魂が分かれて生まれたものであることも、土地を統べるチカラを宿していることも、守護を与えていることも妖祓は知っていた。
紅緒は語る。
「人里に神がいるように、異界にも神がいる。我々はそれを知っています。そしてそれらは互いに穢してはならない領域であることも」
「そこまで分かっているなら、なんで」
「先ほども申し上げた瘴気が原因です」
「瘴気って」
「妖たちを狂わせる毒霧と言ったところでしょうか。それが鬼門の祠から溢れ、妖が吸うことでチカラを得る代わりに理性を無くし、人里にいる人間らを見境なく襲っています」
鬼門の祠。
それは人間と妖の住む世界に境界線を引く祠だと云われており、南北には二つ、人里の鬼門の方角に存在する。
古書の一部では、『妖の社』を守る結界と記されており、それはそれは妖たちから聖地として大切にされてきたのだという。
紅緒の説明に、翔は待ったをかけた。
「鬼門の祠って妖たちの聖地なんだよな?」
「ええ」
「どうして人里にあるんだ? 妖たちが大切にしているなら異界にあるべきだと思うんだけど」
「諸説ありますが、最も有力なのは『境界線を引く祠』であること。異界を隠す目的もあると聞いたことがありますので、人里側になければいけなかったのでしょうね」
だからこそ瘴気の件が問題になっていると紅緒。
鬼門の祠は妖側の神職が管理しており、普段は結界を張ってそれを守っている。
しかし近年、鬼門の祠の結界が解けかかり、そこから瘴気が溢れるようになった。
瘴気に当てられた妖は善良な妖であろうと自我を失い暴走する。
妖であろうと、ヒトであろうと見境なく誰彼襲う、おぞましい化け物と化してなってしまう。時に悪しき妖が理性を保ったまま、チカラを得て人間を食らう化け物となることもあるそうだ。
紅緒は苦言する。
「本来、鬼門の祠に関することは妖の問題事として片づけます。しかしながら、そうもいかなくなりました。南の首魁が不在となり、鬼門の祠の管理が野放しとなり、ずさんな管理体制となっています。年々溢れる瘴気が増し、凶暴化する妖も増えました」
そうなればどうなるか。
人里を守る妖祓は日夜、妖の調伏や捕縛に回らねばならなくなる。
それだけではない。
未熟な半人前の妖祓、妖専門外の霊能者らから応援に来てもらわねばならなくなる。
霊能者の中には妖の知識が殆どない者もいる。それが食われて死ぬこともある。
朔夜と飛鳥はいつもそのような危機に晒されながら妖祓をしている、と紅緒は翔に教えた。
「本当はあの子たちに、ただの高校生活を送ってもらいたいところですが……」
これは妖祓の家系に生まれた者の使命だと紅緒。
たとえ妖に食われようと、人里を守るためなら仕様がない運命なのだと言い切った。
「しょうがないって、そんな」
翔は言葉を失う。
朔夜と口論した時、自分は彼に立派なお役があるもんな、と嫌味を飛ばしたが、そうではない。そうではなかった。そうせざるを得ないところに朔夜は、飛鳥は、幼馴染らはいるのだ。
立派なお役を務める。
それがどういうことなのか、翔は分かっていなかった。
翔は深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、熱が上がった腹部をさすりながら、紅緒に疑問を重ねた。
「宝珠の御魂を狙うのは人間が管理するためなんだな?」
「はい」
「宝珠の御魂のチカラで瘴気ごと鬼門の祠を封じるために」
「その通りにございます」
「どうして被害を妖たちに言わないんだ。宝珠の御魂を狙うより、ずっと平和的だろう? 人間が主張すれば、必ず神職たちは聞いてくれると思うのに」
「翔さん。妖祓が相手取らないといけないのは、決して妖だけじゃないのですよ」
「………どういう意味?」
「少し前の話。それこそ貴方を捕縛した夜。翔さんが鬼門の祠の注連縄を修繕しました。それは結界の注連縄なのですが、翔さんは憶えていないやもしれませんね」
薄らぼんやりと記憶はある。
その時の翔は本能だけで動いていたが、見覚えのない祠が思い出の切れ端として残っている。
「翔さんが鬼門の祠を修繕したおかげで、一時的に鬼門の祠から溢れる瘴気が消えました。人里は平和となりました。これを良しとした霊能者たちが妖祓に意見しました」
瘴気が消えれば人間を守り続けられる。
無関係な人間たちが襲われることも、傷つくこともなくなる。
妖たちが何もしないのであれば、元凶となっている鬼門の祠は人間が管理するべきだ。
鬼門の祠の結界はもう何年も持たない。妖祓が動かないのであれば、それを除いた霊能者らを集結させて鬼門の祠を封ずるために尽力する、と。
「我々妖祓が行動を起こす前に、霊能者らは鬼門の祠付近に結界を張り始めました。そのようなことをすれば、妖の怒りを買うのは目に見えているというのに」
あ。
翔は目を見開いた。
(それはおばばが言っていたことだ。縄張りに結界を張り始めたって言ってた)
おばばは妖祓がやったと言っていたが、真実は『妖祓を除いた霊能者』だったのだ。
翔には霊能者内々の事情なんぞ分からないが、おおよそ妖祓らは他の霊能者から非難されている挙句、妖祓の見ていないところで何かしら行動を起こされている。
だから妖祓が相手取るのは『妖』だけではない、と言っているのだ。
(宝珠の御魂を狙うのは、周りの霊能者を黙らせるためでもあるのかもしれない。妖祓は妖と調和を図るお役を担っているから、お前らは引っ込んどけって態度で伝えるために)
とはいえ、とはいえだ。
翔はくしゃりと顔を歪めて、首を横に振る。
「事情はなんとなく分かった。でもやっぱり渡せない」
渡してしまえば、翔は死んでしまう。
これも変わらない真実だ。
また気掛かりもある。
「もし鬼門の祠が封じられたら、妖たちは、妖の社はどうなるの?」
すると月彦が淡々と答えた。
「おおよそ、封じられた側の妖の社は人里に姿を現すだろう。鬼門の祠が本当に異界を隠すためのお役を担っているのならば。それだけで済めば良いが」
「それって妖たちが不幸になるじゃんか」
「そうなのやもしれない。さりとて、我々は今も不幸になり続ける人間たちを知っている。それを見過ごすわけにはいかない」
考えることが苦手な翔でも今の状況は理解できる。
これは平行線だと。
翔が訴えても、妖祓が訴えても、そもそも守りたい立場も対象も土地も違う。
どの言い分も正しいのだ。
人間を守りたい気持ちも、妖を優先したい気持ちも、霊能者らが好き勝手起こす行動も、宝珠の御魂を取り返そうとする神職狐らの行動も。
正しいから譲れない思いがあり、主張しても聞き入れてもらえず、激しく衝突するのだ。
(だからって)
翔になにができると言うのだ。
約束を破られたことに不貞腐れて、勝手に幼馴染らを尾行して、勝手に妖鳥に殺されて、成り行きで宝珠の御魂を宿す狐となって。
それだけの狐でしかないのに――翔に何ができる。
(何もできない、分かっていても俺は嫌だ)
幼少から可愛がってくれた人間らが、翔を救ってくれた妖らを調伏することも。
同胞と迎えてくれた妖らが、大好きな人間らを食らうことも。
生まれ育った土地が血にまみれてしまうことも、己を育ててくれた両親が瘴気に狂った化け物に襲われることも、小さな諍いで人間を、妖を恨んでしまうやもしれない未来を迎えることも、翔には耐えがたい。
じゃあどうする。
(決めろ、俺がどうしたいのか)
高校の進路は幼馴染らがいるから、という理由で決めた。
幼馴染と遊ぶときは彼らがやりたいことを探して、自分のやりたいことを探さなかった。
服も靴も親に決めてもらうばかりで、自分で選ばずの人生を歩んできた。
いつも翔は自分のことを自分で決めずに生きてきた。
これからも、きっとそうなのだと、心のどこかで諦めていたが、そうじゃない。そうじゃないのだ。
(――みなみの、神主)
ひとつの答えがすっと脳裏を過ぎる。
おばばが語ってくれた今起きている三つの争い。妖祓の目を盗んで霊能者らが張った結界。妖とヒトの諍い。瘴気。
それらを丸くおさめるためには原因を取り除く必要がある。
原因はあれもどれもこれも南の神主不在で起きている負の連鎖――翔は単なる小僧狐でしかないが、確かに宝珠の御魂に選ばれた狐。
であれば。
であれば。
であれば、其の進みたい道は。
「あ、れ?」
ぐにゃり、両目に映る景色が見事歪む。
翔はこめかみに千行の涙ならぬ汗を流して、熱帯びる腹部を両手で押さえた。
(腹に鼓動を感じるっ、なんで)
額に二つ巴を開示させると顔を歪めて体を折る。格子の向こうにいる妖祓が動いたが、翔はいま入ってはだめだと訴えた。
「妖力が抑えられねえっ……見境なく襲いそうっ」
「なぜ。翔さんには薬を呑ませたはずなのに」
紅緒の焦燥感にまみれた言葉が遠い。
(なんで……薬は呑んだのに)
おかしいな。
これでは瘴気を吸った妖と同じではないか。
大きく肩で息をするものの腹部の熱は上がるばかり。どんどん妖力が上がっていく。止められない。そうなればどうなる。宝珠の御魂の持つ依り代に惹かれて、より多くの悪しき妖たちが集う。より多くの争いを呼ぶ。
いけない、それではいけない。
翔は己の忠告を無視して座敷牢に入って来る妖祓長を見上げると、必死に腕を掴んで懇願した。鋭利ある爪を肉に刺してしまうが、それを詫びる余裕はなかった。
「頼むじいちゃんっ。俺に法具を使ってくれ」
「翔っ」
「このままじゃ俺ッ、また訳も分からなく走り始めちまう。本能だけで動く前に………おねがいだ。狐の化け物が人間を傷つけちまう前に――じいちゃん俺は化け物だって、ちゃんと自覚あるよ」
景色が歪む先に暗紫に光る数珠が見えた。
それが泣きたいほど恐ろしく、逃げ出したいほど怖いものであったが、翔は負けず嫌いだったので無理して笑った。強がってみせた。
「月彦じいちゃん。ありがとう」
最も苦手とする人間に感謝が届けば良いな、と思った。




