<幕間>置いてきぼり
「ショウくんと大喧嘩をした?」
百鬼夜行奇襲が起こった翌日のあかひる、学校の中庭にて。
彼女、楢崎飛鳥は幼馴染の悩みに困惑した。
今朝から朔夜の様子がおかしく、ひとりで登校してしまった彼を無理やり昼食に誘って声を掛けたのだがベンチに座ったところで、打ち明けられたのは「ショウと大喧嘩した」。
朔夜と翔が喧嘩をすることは珍しいことではない。
これまでも彼らは数えきれない喧嘩をしており、その度に飛鳥が間に割って入ったのだが、喧嘩するタイミングがタイミングだった。
飛鳥は昨晩のことを思い出しながら、そっと朔夜に尋ねる。
「ショウくんが勝手に部屋を飛び出したことを叱っちゃったの?」
百鬼夜行奇襲があった夜。
魔除けのまじないが掛けられた部屋を飛び出した翔は、大蜘蛛に襲われる飛鳥を救うため、狐の本能丸出しで蜘蛛の群れに飛び込んだ。
無我夢中だったのだろう。
鋭利ある爪で、太い牙で、力強い噛みつきで蜘蛛らを食い千切った。信じられないほどの妖力を放出して、狐火を繰り出した。目の前の群れを根絶やしにしようと躍起になっていた。
飛鳥は怖くなってしまった。
助けてくれる翔の瞳が赤く染まることも、獣のように瞳孔が膨張している眼差しも、興奮するあまり鳴き声を発する姿も、おぞましい化け狐そのもの――飛鳥の知る南条翔が消えてしまうと恐怖してしまった。
ゆえに必死で翔を止めたのだが、様々な感情が溢れてしまい、飛鳥は座敷に戻る彼の傍にいることが叶わなかった。家に帰還するよう命じられてしまったのだ。
そのため朔夜に昨晩の謝罪をして、その後について尋ねようとしたのだが………。
大喧嘩をしたと吐露する朔夜の横顔を盗み見る。
ぼんやりと宙を見つめてカツサンドを口に押し込んで咀嚼する彼は、しばらくの間だんまりになっていたが、「分かっていたんだ」と返事する。
「ショウの意思で部屋を飛び出したわけじゃない。自分でも止められない本能があいつを突き動かしたんだろう。見ていて分かっていたのに」
どうしようもなく腹が立ったと朔夜。
「あいつを責めた挙句、『勝手に化け物になっとけ』なんて言っちゃってね」
「……それは」
「そしたらショウに散々痛いところを突かれた上に『勝手に化け物になる』と言われてしまった。飛鳥、言い訳にしかならないけど、僕はあいつを傷つけるつもりなんて無かった。焦っていたんだ」
苦々しく笑う朔夜は飛鳥に明かす。
朔夜は必死に翔を守ろうとしているのに、翔はどんどん妖に染まっていく。
心だけでもヒトでいてもらおうと傍で支えているのに、とうの翔は朔夜に法具を持って来てほしいだのなんだの、自ら化け物であることを認め始めている。家族も翔を化け物扱いにする。朔夜の気持ちは置いてきぼり。
内心不満を抱いていた。
本当は翔にどうして半妖化のことを黙っていたのか。自分たちに相談してくれなかったのか。もっと頼ってくれても良かったのに。信じてくれて良かったのに――そのような思いの丈をぶつけたかった。
しかし、これを言えば翔が傷つく。
朔夜には容易に想像がついた。
そのため必死に己の気持ちに蓋をしていたのだが、勝手に部屋を飛び出されたことが引き金になってしまった。どうにも怒りの感情が止められなくなってしまった。
「僕はバカだね」
後悔を口にする朔夜は、そっと眼鏡を取って、ベンチの背もたれに寄り掛かる。
「先にショウに隠し事をしていたのは僕なのに」
「私もだよ」
「……そうだね」
「私たちはショウくんに妖祓のことを隠していた」
「それが当たり前で正しい選択だった」
「ショウくんは視えない人間だったからね」
「だったらきっと、ショウの選択も正しいと信じたものだったんだろうね。あいつの妖化は僕らの隠し事が要因だったみたいだから……あいつに怒る権利も責める権利も僕には無かった」
勝手に化け物になっとけ、なんて微塵も思っていないのに。
深く後悔する朔夜の気持ちが伝わってくる。彼は本当に感情任せに言ってしまったのだろう。
飛鳥は数か月前の翔を思い返す。
ある日を境に元気を無くしてしまった彼は、老いた猫又と仲良くなっていた。夜遊びをする時期もあった。両手首に怪我を負ったこともあった。飛鳥と朔夜を避けるような素振りを見せることもあったが、春休み前の『花見の約束』は心から待ち望んでいるようだった。
ああ、何かを隠していると気づき、翔に声を掛けた時のさみしそうな顔は忘れられない。
飛鳥はずっと翔の苦しみに気づけなかった。
「ショウくんってすごいよね」
朔夜の視線を浴びながら、飛鳥もまたベンチに寄り掛かって空を仰ぐ。
「ほら、私も朔夜くんも視える人間じゃない? 妖祓の子どもだから厳しい修行ばかりで、普通の遊びが分からなくて……そのせいで昔は友達ができても、すぐに周りと距離を取っちゃってさ。ちっとも長続きをしなかった」
周りも朔夜と飛鳥に壁があると気づき、静かに去って行ったものだ。
いまは視えない人間と、ある程度距離を保てるようになったが、本当の意味で関係が長続きしている人間は幼馴染の南条翔だけだった。
それがすごいと飛鳥は謳う。
翔は自他共に認める空気の読む人間だから、飛鳥や朔夜の間にある大きな壁を感じていたはずだ。
けれど壁なんぞもろともせず、いつも笑顔で「遊ぼう」と誘ってくれた。普通の遊びが分からない飛鳥たちに、普通の世界を教えてくれた。楽しいものをたくさん見せてくれた。
飛鳥は視えない子どもが見せてくれる世界が大好きだった。
どんなに壁を作っても、壁を乗り越えるどころか、壁を壊してくれる子どもに、いつも救われていた。
じゃあ反対に翔が大きな壁を作ったら、飛鳥はどうするべきなのか。
「ショウくんは素直だから、本当は隠し事も壁を作ることも嫌だったんじゃないかな」
妖狐であることを隠して、少しでも幼馴染と長くいっしょにいよう。
いつかは離れなければいけないと分かっているが、幼馴染が大好きだからいっしょにいたい。
たとえ相手が妖を祓う人間でも。ああでも、幼馴染らに隠し事をしたくない。つらい。苦しい。執着ばかりして迷惑をかけている。いっそのこと消えてしまいたい。
そのようなことを考えていたのやもしれない。
本当のところは翔にしか分からないし、あくまで飛鳥の憶測に過ぎないが、ただひとつ言える。いなり寿司を食べてくれた時の翔の涙は本物だった。
翔はずっと、ずっと、心の深いところで苦しんでいたに違いない。
「朔夜くん。ちゃんとショウくんと話そう」
今度こそ隠し事はなしだ。
けれど感情任せに本音をぶつけるだけでは、きっと一件は解決しない。
翔がどのような経緯で妖となったのか。妖祓の自分たちに言えなかった苦しみはなんだったのか。宝珠の御魂を宿している事情。それらをしかと聞いてやろう。
真剣に向かい合わなければ、彼の作った大きな壁は越えられない。
「このままじゃショウくんがショウくんじゃなくなる。私たちの知るショウくんがいなくなっちゃう」
「…………」
「心身化け狐に染まってしまう前に、後悔のないように行動しなきゃ。本音じゃないんでしょう? 勝手に化け物になれってあれ。だったらその気持ちも伝えよう」
「……あいつが口を利いてくれたらね」
この期に及んでこの男。
飛鳥は呆れ顔で、気まずい面持ちを作る朔夜の体を肘で小突いた。
「朔夜くんもショウくんも喧嘩すると、本当に意地っ張りになるよねえ」
「うるさいな」
眼鏡を掛けなおす朔夜の不機嫌顔に肩を竦めた。
後悔はしているが、許せない心もあるといったところなのだろう。
気持ちは分かるが、ここでいつもどおりに意地を張っている場合ではない。意地を張っている間に、翔はヒトの己を失うかもしれないのだから。
「放課後、朔夜くんの家に行くからいっしょに帰ろう」
きっと何もない座敷で翔も悶々と悩んでいるだろうから。
――そう思っていたのに。
朔夜の家を訪れた飛鳥は彼と共に驚愕してしまう。
玄人の妖祓が配置されているはずの座敷がもぬけの殻になっていたのだ。幼馴染の姿はどこにもなく押入れに隠れている様子もない。文字通り座敷は『がらんどう』であった。
なぜ、どうして。
飛鳥は持っていたスーパーの袋を落とす。
翔の土産に買って来た油揚げの袋たちが畳の上にこぼれた。
「ショウくん。どこに行っちゃったの?」
動揺する飛鳥の傍で朔夜が家中を歩き回り、誰もいないことを確認すると、飛鳥の下に戻って来て「やられた」と盛大な舌打ちを鳴らした。
「たぶんショウの幽閉場所を変えたんだ」
「え」
「昨日の百鬼夜行騒動で、化け物たちにショウの居場所が知られた。それをじいさま達は良しと思わなかったんだろう。あの百鬼夜行は妖祓を恐れず、宝珠の御魂を狙うだけでなく、無差別に人間や妖を襲っていた」
ここに翔を置き続ければ、また悲劇が繰り返されると判断したのだろう。
敢えて朔夜と飛鳥に知らせなかったのは、私情を交えて行動されるのを未然に防ぐため。二人が学校に行っている間に、翔を座敷から連れ出して幽閉場所を移動にしたに違いない。
飛鳥は血相を変えた。
「じゃ、じゃあショウくんにもう会えないの?」
朔夜は冷静にかぶりを横に振った。
「目星をつけることはできる。和泉や楢崎はいくつかの寺や神社と縁があるけど、百鬼夜行の規模やショウの妖力の大きさ、最小限の被害で済ませられる場所を条件にすると数は絞られる」
あとはもう少し情報を集めることができれば、新しい幽閉場所を炙り出せるはずだ。
淡々と推測を立てる朔夜の携帯が鳴った。
着信のようだ。相手は彼の父らしく、朔夜は電話に出るや否や、「これはどういうことだい父さん」と詰問を始める。
「朔夜くん。スピーカーにして」
スピーカー設定を頼んだ矢先、携帯の向こうから和泉朔が静かに伝えてきた。
『どうせお前のことだ。何を言っても場所を探り出すだろうから先に伝えておく。翔くんは……三尾の白狐は一時的に宝珠の御魂の《柱》にすることが決まった』
宝珠の御魂の柱にする。
それは宝珠の御魂と共に南条翔を封印することを意味を指していた。




