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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【参章】其の狐の如く
52/165

<八>三つの争いと、ひとつの諍い

  

 

 ハッと視線を落とすと、四つ尾を持つキジ三毛猫が屋根の上にいた。

 翔と目が合うや否や颯爽と窓に近寄って、心配そうにこちらの顔を覗き込んでくる。


『翔の坊や! ああ、よかった。会えた!』

「お、ばば?」


 夢でも見ている気分になった。

 けれど二度、三度、心配そうに鳴いてくる猫又の鳴き声により、くしゃくしゃっと顔を歪めた。夢ではない、これは夢ではないのだ。


「おばばっ、おばば!」


 翔は思わず前のめりになる。窓を開けたい衝動に駆られたが、魔除けのまじないが窓を開ける行為を封じた。窓ガラスに触れた途端、五芒星結界から閃光が放たれた。

 おかげで目が眩んでしまったが、すぐに頭を振っておばばを見やる。

 翔を孫と呼ぶ猫又もまた、五芒星結界のせいで目が眩んだようだが、しかと翔の前にいてくれた。


『坊や、やつれたねえ。ご飯はちゃんと食べているかい?』


 久しぶりの祖母の声に、翔は軽く鼻を啜って首を横に振る。


「……人間の出す飯があんまり食えなくて。俺こわくて。妖のみんなに会えないし、帰してもらえないしッ。どうすればいいかも分からないし。なんで会いに来てくれなかったんだよ」


 最後は八つ当たりになってしまったが、感情をぶつけられずにはいられなかった。

 ぶつぶつと子ども染みた毒づきを投げる翔に、おばばをひとつひとつ相づち打った。翔の気が済むまで感情を吐かせた。


 そして申し訳なさそうにヒゲを垂らして、翔に優しく謝る。


『もっと早くお前さんに会いたかった。いっしょに捕縛される道も考えたけれど、周りから止められてしまってねえ』


 なにせ翔を捕縛したのは、妖にとって不倶戴天の敵。

 近づくことはもちろん下手に捕縛される道を選べば調伏されかねない。

 ここに来るだけでも体を張ったと苦笑いするおばばの毛並みは乱れていた。翔に会うため、少々無茶をしたようだ。


『翔の坊や。お前さんの傍に行けない小物の猫を、どうか許しておくれ。祖母を名乗っているくせに情けないったらありゃしないねえ』


 何を言っているのだ。

 孫のために危険を顧みず来てくれたではないか。


「ごめん、おばば。八つ当たりして」


 翔は一粒、二粒、涙をこぼした後、感情的になったことを謝罪。そして、会いに来てくれた祖母に感謝を述べる。孫として、こんなに幸せなことはない。


「俺、おばばの孫で本当に良かったよ」

『節介ババアは一度孫にした子どもを、最後まで面倒看たくて仕方がないんだよ』


 おどける猫又の言葉にやっと笑みを浮かべることができた。

 つられて笑うおばばだが、集う化け物の群れや翔の両手首に巻かれた呪符に目を配ると、一変して険しい顔を作った。


『よくお聞き坊や。お前さんが捕縛されて数日、三つの争いが起き始めている』

「三つの争い?」


『一つめはお前さんも想像がついているだろうけど、坊やをめぐる妖祓と神職狐の争いだ』


 宝珠の御魂を宿す翔の処遇について双方が主張し合っている。

 妖祓は翔を保護し、今後は妖祓が面倒を看ると言ったが、それを神職狐らは良しとしていない。妖祓に正体がばれた以上、翔を警戒するのは必然。同胞の心を傷つけるだけだと反論した。

 

『二つめも妖祓と神職狐の争いだけど、これは坊やをめぐる争いより厄介事になっている』

「もしかして宝珠の御魂か?」

『ご明察だよ。どうやら妖祓が宝珠の御魂を狙っているようでね』

「……じつはさっき妖祓長に渡してくれてって頼まれたんだ」

『狙っているのは本当のようだね』


「渡したら三日以内に解放してくれるって言われた。俺が単なる妖だから解放できないんじゃない。依り代だから解放できないんだって色々言われて………」


『比良利が聞いたら、人里を火の海にしそうな話だ。ああ見えて、血気盛んなところがあるから』


 おばばは耳を垂らす。


『妖祓が宝珠の御魂を狙っている目的は、なんとなく見当がついている』

「そうなのか?」

『鬼門の祠といっても坊やは分からないだろうから、いまは縄張りと言っておくよ。妖祓は神職狐らが大切にしている縄張りに結界を張り始めたんだ』

「結界を?」

『そこは妖にとっても神職にとっても大切な縄張りでね。妖祓もそれを知りながら、化け物らが近づけないよう強力な結界を張った』


 とどのつまり、妖祓の縄張りにしようとしているのだとおばば。

 これだけ聞けば妖祓が非道な行いをしているように聞こえるが、妖祓もばかではない。あくまで人間を守るために行動を起こしている。

 宝珠の御魂を狙っているのはその一環だろうと、おばばは小さく唸る。


『とはいえ、それを許すほど神職狐らも甘くない。当然憤っている』

「そりゃ……」

『比良利は妖祓を滅することも、ヒトと戦をすることも辞さないと判断を下した』

「なッ」


 絶句する翔に、おばばは当時の状況を語る。

 北の神主の肩書きを持つ六尾の妖狐、赤狐の比良利は妖祓の行いに静かに怒りを見せた。


 

――妖祓は何を考えておる。新月まで待つ交渉はなんだったのか。罪なき妖を捕らえるだけでなく、鬼門の祠に手を出すとは。あれが南北の妖にとってどれほど価値のあるものなのか、知らぬわけではないだろうに。妖祓がそのつもりならば、我らもそれ相応の姿勢でいく。妖祓や人里を滅することも辞さぬ。

 

 

 赤き狐は糸目を開眼して、縦長の瞳孔を膨張させていた。耳元まで裂くように笑い、ヒトに対して嗤っていた。

 所謂マジギレであった。

 翔は思わず息を呑む。


「それが二つ目の争い……三つ目の争いは?」

『まさしく、いまの状況だ。南地にいる傍若無人な妖らと神職、妖祓の争いが起きている』


 曰く、南の地にいる低俗な妖らが宝珠の御魂の所在を嗅ぎつけた。我先に手に入れたいと欲を出す妖らに音頭を取り、百鬼夜行を起こそうと先導する化け物が現れたそうだ。

 百鬼夜行ならば神職も妖祓も簡単に対応できまい。

 さあ、みな一丸となって宝珠の御魂を手に入れようぞ、と唆す化け物がいるとのこと。


 おかげで神職狐らは妖祓に加えて、南の地を騒乱する化け物らを相手取らなくてはいけなくなったらしい。

 翔は千行の涙ならぬ汗を流した。


「俺のせいだ。妖力を上手く制御できなくなっている上に、人間の町で妖型になっちまったから……俺が宝珠の御魂を持っていることがばれて、南の地にいる妖が結託して狙ってきているんだ」


 半妖の件が妖祓にばれた。

 それを皮切りに、あちらこちらで負の連鎖が起きている。

 罪悪感がこみあげてくるが、へこんでいる場合ではない。直接間接に問わず、どれも翔が関わっているのであれば、打破策は一つしかない。


「おばば。俺、異界に還るよ」


 そうすれば三つの争いも、少しは落ち着きをみせるはずだ。

 翔が意見すると、猫又婆が間を置いて鳴いた。


『そう上手くいく話じゃないんだ。確かに坊やが異界に戻れば、少なくとも神職たちは落ち着く。宝珠の御魂と同胞が取り戻せたら、人間と戦をする必要もなくなる』

「だったら!」

『坊や。お前さんは、すべてを捨てて、わたし達といっしょに来る覚悟はあるかい?』


 面を食らってしまう。


「全部を捨てるって」


 おばばは言う。

 翔が異界に戻るためには、生まれ育ったヒトの世界に背中を向ける覚悟が必要だ。

 それこそ家族、友人、住み慣れた町を捨てる覚悟を持たなければならない。


『妖祓は坊やを悪いようにはしないだろう。宝珠の御魂のことで協力を仰ぐ可能性もあるけれど、きっと彼らは坊やの気持ちを大切にしてくれる。化け物になりたくないと恐れる坊やの気持ちに寄り添って、人間らしい振る舞い方や生き方を教えてくれるはずだ』


 悪く言えば、利用してくるかもしれないが、子どもの翔を悪用することは決してないだろう。親元に帰してやりたい気持ちも強いはずだ。

 しかし異界に還るということは、自分を妖と完全に肯定して、ヒトの自分と決別する意味に値する。

 これまでのように好きな時に人里へ下りることはできなくなる。


『比良利は坊やを異界で暮らさせると断言していた。坊やの身の安全やしあわせを考えると、異界に身を置かせる方が良いと言っててね』


 理屈は分かる。分かるが。


『坊やは選ばないといけない』


 妖の自分を受け入れて異界の中で生きるか。

 それとも今までの生活や繋がりを重んじて、人間社会の中で生きるか。

 翔自身の手で選択しなければいけない。

 おばばがひとつ鳴いた。


「そ、んなもの選べるわけ……」


 翔は戸惑った。

 異界に還りたい気持ちは本当だ。

 いびつな存在となった今、同胞たちに会いたくて仕方ない。人間たちと話していても、人間はいびつを嫌っている節があるので、孤独を感じることが多いのだ。


 けれども、ヒトの世界を斬り捨てる覚悟もない。どうやって家族や友人、住み慣れた町を簡単に捨てられるのだ。


「選べねえよ」


 かぶりを振って弱音を漏らすが、これは翔自身にしかできないのだとおばばは諭す。

 つらい判断を下さなければいけないのは、もちろん分かっている。

 それでも、これは翔にしかできないことであり、選ぶ権利は翔自身にあるのだと言った。


『坊や。比良利は妖祓に条件を突きつけている』

「条件?」

『新月の日まで返事を待っているんだ。坊やを還すかどうかを』

「なんで新月?」


 項垂れていた翔はおずおずと顔を上げておばばを見つめる。


『坊やが完全な人間になる日が新月なんだ。《静の夜》と呼ばれる日で、妖にとって最も妖力が落ちる夜と呼ばれている。比良利たちはこの日を狙って、坊やを迎えに来るつもりだ』


「どうして人間になる日を狙っているんだ?」


『坊やが妖祓の下から逃げられる機会があるからだ。坊やが完全な人間になってしまえば、魔封や退魔の呪符は効かないからねえ』


 三つの争いの内、二つは南条翔が直接的に関わっている。

 神職狐らにとって南条翔と宝珠の御魂を奪還できれば、多くの戦をせずに済むのである。

 いくら戦を辞さないと言っても、妖祓は強敵で正面切って戦をすればタダでは済まない。

 少しでも被害を抑えるためにも、神職狐らは翔の《静の夜》を狙って、少しでも翔が自力で妖祓から遠ざかってもらえるよう策を講じているらしい。


「俺が……妖祓から逃げ出さない道もあるかもしれないのに」

『それでも同胞を奪還したいんだよ。宝珠の御魂だとか、南の神主問題はあるけれど、一番は坊やが同胞だから助けたい。だから比良利たちは奔走しているんだ』


 そんなことを聞いてしまえば、妖たちの気持ちを裏切れなくなる。

 目を泳がせていると、おばばは小さく鳴いて笑った。


『翔の坊や。お前さんは、お前さんの行きたい道を行けばいい。わたし達の心配をするんじゃあないよ』


 思いがけない言葉に、翔はおばばを凝視してしまう。


『わたしはね。坊やが妖祓の手を取っても正直良いと思っているんだ。坊やがどんな道を選んでも、それは坊やの道。わたし達は口を出せない。どんな道を選んでも、坊やが、ヒトの世界で生きていくと決めたなら、わたしは何も言わないさね』


「だけど俺は宝珠の御魂を持っているんだぜ……ヒトの手に渡ったら」


『なんてことない。取り返せば良い話だよ』


 最悪、宝珠の御魂がヒトの手に落ちたとしても、それは奪い返せば良い。双方に血が流れるかもしれないが、それは覚悟の上。神職狐らが尽力するだろう。

 それよりも、おばばは翔の体内から宝珠の御魂が取り出されないかどうか、それが心配なのだと訴えた。

 何故ならいまの翔は宝珠に生かされている。

 取り出されてしまえば、ああ、口にするのも恐ろしい。


『坊や。わたしは人間でも妖の味方でもなく、坊やの味方でいたいんだ。だから余計なことは考えず、お前さんの行きたい道を行くといい。どの道を選んでも、坊やはわたしの可愛い孫だよ』


 宝珠の御魂よりも、孫の方が千も万も価値がある。

 どのような道を選ぼうと、節介ババアは子どもの味方だとおばばが誇らしげに笑った。


『老いぼれの願いはお前さんがしあわせになってくれること。長生きしてくれること。決して生き急ぐことはしてはいけないよ。宝珠の御魂のことも、取られそうになったら、ちゃんと事情を説明しなさい』


 おばばは宝珠の御魂ではなく、妖らのことでもなく、翔のことだけを考え、大切に思ってくれた。

 その気持ちだけで胸が一杯になった。根っからのばあちゃんっ子になりそうだ。


「おばば、静の夜はいつなんだ?」

『今から三日後だよ。もしも坊やが異界で生きるなら、妖祓の下から少しでも遠ざかってほしい。逃げ出せるなら逃げ出すんだ。ヒトの世界を選んだら、その時は出直してくるさね』

 

「おばば様!」

 

 会話が途切れる。

 視線を右に向けると巫女装束を纏った青葉と、銀狐のギンコがおばばの下に駆け寄った。彼女らは百鬼夜行が迫っている旨を伝え、「おばば様は避難を」と告げた。

 どうやら妖祓の家に奇襲を掛けてきた百鬼夜行が数を増やし、人里に隠れている善良な妖を襲っているらしい。無差別なのだろう。

 青葉とギンコは神職として百鬼夜行を止めるべく、まずおばばを避難させるようだ。


 翔も避難した方が良いと判断した。


「おばば、行ってくれ。俺は大丈夫。魔除けのまじないが掛けられた部屋にいるから、百鬼夜行が来ても凌げる。化け物たちに宝珠の御魂を取られることは無いよ」


「翔殿、ご無事ですか」


「久しぶり青葉。あんまり無事じゃないけど、お前に会えてよかったよ」


 青葉と目が合い、翔は小さく笑う。

 彼女の隣で自分もいるとぴょんぴょん跳ねるギンコに噴き出し、軽く手を振った。恋しそうに尾っぽを振って来るギンコは相変わらず可愛い。

 再会の余韻に浸る間もなく、百鬼夜行がこちらに向かって来る。大小様々な化け物らが大口を開けて目の前にいるおばばたちを食らおうとする。


「逃げろ、みんな!」


 翔の叫びを合図に青葉はおばばを腕に抱き、ギンコと共に屋根から飛び下りた。

 瞬く間に姿が視えなくなってしまった。無事に逃げられると良いのだが。

 百鬼夜行は翔の存在にも気づいたようで窓に張りついてくる。窓を破ろうとしたところで魔除けのまじないが一斉に発動し、翔も百鬼夜行も悲鳴を上げた。頭が割れそうな痛みが襲ってくる。呼吸が奪われる。五感を機能しなくなる。いっそ殺してくれと喚きたい苦しみが襲ってきた。


 それだけ魔除けのまじないが多くの化け物らを退けているのだろう。


(し、し、死ぬ。死ぬ!)


 その場に座り込み、窓の方を確認する。

 わらわらと集まっていた百鬼夜行が遠ざかっていく。魔除けのまじないが効いたのだろう。うらやましい。翔とて魔除けのまじないから逃げ出したい。


 と、翔の目に地上で奮闘する妖祓らの姿が映った。

 朔夜や月彦といった和泉の妖祓はもちろん、飛鳥を含めた楢崎の妖祓もいるようだ。

それらはとにかく宝珠の御魂を狙う化け物らを法具で調伏しているようだ。錫杖で化け物らを殴打することもあれば、数珠から放たれた霊気で調伏することもあれば、呪符を貼りつけて唱え詞を口ずさんで浄化することもあるようで……。


 妙に心がざわついた。


(あれは宝珠の御魂を狙う化け物たちを調伏しているだけだ)


 そうだ。

 だいじょうぶ、翔が調伏されているわけではない。

 百鬼夜行が逃げ惑う送り雀の群れに狙い、それを食らう光景を目にしてしまう。助けを求める送り雀の断末魔が響いた瞬間、腹の奥が熱くなった。


 耳の良い翔は咀嚼音を、最期まで助けを求める送り雀の声を、百鬼夜行の傍若無人な嗤い声をしかと拾った。

 見る見る翔の瞳が赤く染まり、縦長の瞳孔が膨張していく。

 居ても立っても居られない気持ちが、きもちが、きもちが湧いてくる。


「うしろだ、飛鳥っ!」


 朔夜の叫びが聞こえた。

 急いで地上に目を向けると、大蜘蛛、中蜘蛛、小蜘蛛、数多の蜘蛛が妖祓に襲い掛かっていた。我先に妖祓の身を狙っているのは、彼らの肉を食らいのか。

 蜘蛛らは遠距離から呪符を放つ飛鳥を狙った。肉を食らおうと大口を開けた。その傍らで地上に落ちた逃げ惑う送り雀を踏み食らっている。


 南の地にいる妖らを好き勝手に、大切な幼馴染を好き勝手に――頭の中も目の前も真っ赤に染まった。耳元まで口が裂けるように嗤った。居ても立っても居られなくなった。


 

「ショウくん! 待って!」


 

 我に返った翔は地上に下り立っていた。

額に二つ巴を開示しており、両手は爪まで真っ赤に染まっていた。背中が痛むので何かしらで斬られたようだが、まるで記憶がない。

 けれど翔にひどく怯える百鬼夜行が逃げようとしているので、追わなければいけない使命感に駆られた。あれは南の地で好き勝手傍若無人に振る舞う者たち。滅さなければ、と思った。


「ねえショウくん!」

 

 追おうとしたところで、正面から飛鳥に抱きつかれる。

 強い力でしがみ付いてくるので、反射的に受け止めた翔はようやっと自我を取り戻す。あれ、自分は何をしていたっけ?

 

「もういいよ。大丈夫だよ。このままじゃヒトじゃなくなっちゃう!」


 飛鳥に泣きながら懇願されたことで、翔は自分の両手を確認する。爪の間に肉が挟まっている。何の肉なのか皆目見当もつかない。


「お願い……私たちの知っているショウくんでいてよ」


 大粒の涙を流す飛鳥に翔は何も言えない。

 頭の中と目の前が真っ赤になった先の記憶が曖昧だった。けれど、大中小蜘蛛の惨状を見れば、おおよそ自分が何をしたのか分かった。玄人妖祓たちの視線が痛い。

 翔は飛鳥に尋ねる。


「怪我は無いか?」

「無いよ。無いからッ、大丈夫だから」

「ならいいや」

「よくない」


 代わりに翔が怪我をしたようで飛鳥はまったく良くないと嘆いた。

 ぽろぽろと涙を流し続ける飛鳥を見つめ、翔は苦い顔をした。


「泣くなよ」

「ないてない」

「泣くなって」

「ないてないってば」

「頼むよ。俺はお前のそういうところに弱いんだから」


 いつも小悪魔で強気で、翔を振り回してばかりで、好きなことにはとことん一直線で。

 そういう彼女を好きになってしまった翔にとって、飛鳥の涙は心が痛む。泣き顔より笑顔が好きなのだから。

 泣かせているのが自分だからこそ、この状況は心苦しい。


「いつものショウくんが私、大好きなんだよ」


 なにも応えられないことが本当に心苦しい。

 すぐ傍では感情を抑えている朔夜の姿があった。悔しそうに下唇を噛み締め、つくねんと立ち尽くす翔をただただ睨んでいた。

 


 


「なんで、大人しく部屋にいてくれなかったんだ」


 朔夜に責め立てられたのは、翔が座敷に戻って間もなくのこと。

 医術に長ける楢崎紅緒から怪我を診てもらっていた翔は、背中に包帯を巻いてもらっていた。朔夜は助手として傍にいたのだが、紅緒が離席した隙を見て翔に詰問をした。

 なぜ部屋にいてくれなかったのだ、と。


(憶えていない、なんて言えねえ)


 すぐに答えられない翔の態度に苛ついたのだろう。

 ここ数日溜めていた想いと共に、激しい感情をぶつけてくる。


「また答えてくれない。お前はいつもそうだ。僕らが心配すると、何も答えてくれやしない。半妖になったこともそうだ。どうして僕らに相談してくれなかったんだ。なんで隠していたんだ!」

「それは……」

「言えば祓うとでも思ったのかい? お前の中で僕らは非道な人間だったんだね」

「ち、違う。そんな風に見てねえよ!」

「違わないじゃないか。現に今まで黙っていただろ」


 ひとこと相談してくれたら、力になっていたのに翔は朔夜と飛鳥を信用せず、妖の言葉を信じた。つまり翔の中で幼馴染の関係などその程度なのだ。

 感情的になる朔夜の言葉から、はっきりとした崩壊の音が聞こえた。


「なにが何でも言える関係でいたいだよ、自分こそ何も言えずにいるくせに」


 そんなのお互いさまじゃないか。翔は思う。


「いっしょにいたい、だなんて口ばかりじゃないか」


 そんなわけないのに。たくさん悩んだのに。


「お前が幼馴染をどう思っているか知らないけど、勝手な理想像を押し付けるのはやめてくれるかい」


 そんなに言わなくてもいいのに。


「もう勝手に化け物にでもなんでもなっとけよ」


 こっちだって事情があったのに。

 黙って朔夜の胸の内を聞いていた翔は、向こうが息をついたところで、小さく次第に大きく笑った。抱えていた悩みも苦しみも、化け物になる現実も、すべて吹き飛ばすように笑いながら翔は返事する。


「そうだな。俺は勝手に化け物になるべきだ」


 だって化け物になった要因は翔の行動にある。


「あの日、ドタキャンされ続けたことを根に持ってお前たちの後をつけた俺が悪い。分かっていたんだよ。お前たちが俺の我儘に疲弊していたのは。なにか俺に隠していたのは。それでも俺はお前たちといっしょにいたくて」


 だから秘密を知ってやろうと後をつけ回した。

 結果、翔は朔夜と飛鳥が妖祓であることを知った。視える人間であることを知った。翔は何も知らされていなかった。何でも言える関係でいようと頼んだのに、二人は言ってくれなかった。

 ああでも仕方が無いよな。あの時の翔は視えない人間だったのだから。


「お前は俺に言っても、何も信じてもらえないと思ってたんだよな」


 妖祓のことを隠していたのはそういうことだろう。


「お前の中の俺はそういう奴なんだよな」


 先に理想像を作っていたのはどっちだ。

 翔は笑いながらくしゃくしゃに顔を歪ませ、「俺が我慢すればよかったんだろ」と朔夜に感情をぶつける。


「俺が見てみぬ振りをすれば良かったな。ドタキャンばっかりするお前たちに目を瞑って、俺に何か隠しているお前たちに気づかない振りをして……都合の良い幼馴染になれば良かったんだな? お前はそういう幼馴染が良かったんだろ!」


 一変して傷ついたような顔を作る朔夜に、翔は涙声で、けれど気丈に笑い続ける。


「先に約束を破っていたのはお前たちだ。それでも俺はダメで、お前たちは許されるのは、お前たちが人間を守る立派なお役を持っているからなんだろうな」


 そうだ。二人は立派なお役を担っている。

 好き勝手にやった挙句、化け狐と化した翔とはてんで違うのだ。


「勝手に妖に襲われて、勝手に死んで、勝手に人間から妖に生まれ変わった。俺はお前たちと違う」

「聞いてショウ」

「化け物になった時点で、俺はお前たちと離れるべきだった。ばかだから間違えちまった」

「ショウってば」

「いっしょにいたい気持ちを優先した俺がばかだった」

「ショウ!」

「勝手に化け物になるからもう放っといてくれよ! お前の気持ちは分かったから!」


 ここ一番に声音を張り、朔夜に背を向けて窓辺に移動する。

 タイミング悪く紅緒が戻ってきたことで、双方の会話が途切れてしまった。

 お互いに完全に頭に血がのぼっていた結果の喧嘩であったが、今までの喧嘩と違い、本音でぶつかり合っても、それはそれは味の悪い喧嘩であった。

 

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