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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【参章】其の狐の如く
51/166

<七>南条翔は狐か、ヒトの子か

 

 

「ショウ、いっしょに勉強しよう」

 

 朔夜が頻繫に座敷を出入りするようになった。

 それまで誰かしら大人の妖祓が同行していたのに、朔夜ひとりで翔の下を訪れることが多くなったのである。時に飛鳥を連れて座敷に入って来ることもあるのだが、目的はいつも『勉強』『ゲーム』『学校の出来事』『雑談』ばかり。妖祓の面影がまるで無い。


 一介の妖祓ならば法具を構えて座敷を入るべきだろうに、朔夜も飛鳥もそれが無いのだ。遊びに来る感覚で翔の下を訪れるので、翔の方が心配を寄せてしまう。

 幼馴染らの身勝手な行動が、大人たちの間で問題になっていることを翔は知っていた。


「朔夜、ここに来て大丈夫なのか?」

「安心してよ。授業で写したノートは渡すから」

「いや、そうじゃなくて」

「飛鳥も後で来るよ」


 翔はすっとぼける朔夜に耳と尾っぽを垂らす。

 どこ吹く風で教科書やルーズリーフを畳に置く朔夜は、「ほら」と言ってカロリーメイトを投げ渡してきた。反射的に右手で受け止める翔に、「おやつにしなよ」と笑いかけてくる。

 変わらぬ態度を貫く朔夜がそこにはいた。


「古典を持ってきたよ」


 翔は壁を背もたれに、分厚い教科書を開く人間の隣に腰を下ろした。

 手渡されたルーズリーフに一通り目を通すと、「方丈記をやってんだな」と苦笑い。


「二年の最後で少しやったけど、またやるのか」

「受験を見据えて深堀するんだろう」

「朔夜は国立を受けるんだっけ?」

「おかげで古典は必須科目だ」


 古典は苦手だと唸る朔夜は、ペンケースからシャーペンを取り出しながら、机と椅子がほしいとため息をこぼした。


 翔が幽閉されている座敷は文字通り『なにもない』。

 畳部屋に布団がつくねんと一組置かれているだけで、家具もなければ娯楽もない。窓にカーテンすらなく、代わりにあるのは呪符ばかり。天井や壁、窓ガラスや押入れに貼られている。独房と呼ぶに相応しい屋へとなっている。


 なにもない理由は翔が物を使って部屋から逃げ出さないため、と言ったところだろう。

 漫画くらい許してほしいと思うのだが、それを使って窓ガラスを破るやもしれないと指摘されたら何も言い返せないので我慢しておく。


(国立目指すなら部屋で勉強してもいいのにな)


 敢えて居心地の悪い座敷で勉強を始める朔夜の横顔を盗み見た後、翔は彼から借りた教科書とルーズリーフを見比べる。

 そして、ぽつりとひとりごとをもらした。


「俺も早く進路を決めなきゃな」


 国立大も私立大も専門学校も就職も、何も考えていない。

 こういうのは苦手なのだ。自分で道を見据えて、目標を立てて、それに向かって走る。昔から苦手だった。いつも誰かの決める道をなぞるばかりだった。


(でも進路なんて考えている場合じゃねえか)


 進路以前に翔はここから出してもらえないのだから。


「来年、僕は実家を出る予定だ」


 朔夜が話を振ってきた。


「県外の国立大を狙っているわけじゃないけど、実家から少し距離がある国立大を目指している。受かったらひとり暮らしを視野に入れているんだ」

「へえ、ひとり暮らしをするんだ」

「上二人の兄さんも出ているから、僕も出たくてね」

「朔夜が実家を出たら、三兄弟全員家を出ることになるな」

「ショウ、僕とルームシェアするかい?」

「え?」


 目を丸くする翔に「家賃が折半できるよ」と、朔夜はおどけてきた。


「僕はショウの良いところも悪いところも、よく知っている。喧嘩も多くなるだろうけど、ショウとだったらルームシェアができそうだと思ってさ」

「朔夜、自慢じゃないけど俺は超絶ずぼらだぞ」


「知ってるよ。ショウは他人を気にかけてばっかりのくせに、自分のことになるとメンドクサイの一言でずぼらになる奴だ。掃除もろくにできないだろうな。口うるさく注意する未来の僕が視えるよ」


「うっせえな、そのとおりだよ」

「ふふっ。だけど楽しそうじゃないかい? ルームシェアならお互いに何か遭っても悩みを聞ける距離にいられるしさ」


 朔夜は未来を見据えて、翔をルームシェアに誘ってくれた。

 冗談かと思いきや彼は本気でルームシェアを考えているようで、「落ち着いたら進路の相談に乗るよ」と優しさを向けてくれる。


 半妖狐と化した翔を朔夜なりに考えてくれた。正体を隠していたことに思うことはあるだろうに、翔以上に翔の未来を考えてくれる親友についつい泣き笑い。


「朔夜とルームシェアか。楽しそうだな。悩みがあってもお前が傍にいるなら安心かも」


 そうだ、朔夜は妖祓。

 ルームシェアをすれば、翔が妖の悩みを持っても笑わず聞いてくれる。そういう道もある。


(たとえ俺が妖狐に成熟しても朔夜なら)


 彼なら。


「大丈夫だよショウ。君は今まで通りにいられる。狐なんかならない」


 つよく励ましてくれる朔夜の言葉が、翔の心に深く刺さった。


――狐になんかならない?


 手遅れだ。いまの自分の姿を見てほしい。

 誰がどう見ても獣の耳が生えているし、尾っぽも三本ある。狐の鳴き声だって発している。翔は人間の血を失いつつある化け狐だ。


 けれども、朔夜は今まで通りにいられると繰り返した。

 騒動が落ち着いたら以前のように学校生活を送ることができるし、代わり映えのない日常に戻れる。ヒトのまま過ごせると微笑んでくる。

 翔は素直に喜べない。


(……じゃあ狐の本能が出ている俺は何者なんだろう)


 朔夜の目に映る南条翔はヒトなのだろうか。

 内心、戸惑っていると朔夜の携帯から着信音が鳴った。

 どうやら飛鳥が家に来たようだ。迎えに行ってくると言って座敷から出て行く。


 ほどなく廊下から人間たちの口論が聞こえたので、やはり朔夜の起こした行動は身勝手極まりないのだろう。


 と、座敷の襖が開くや否や、飛鳥の怒鳴り声が翔の耳をつんざく。

 

「もう知らない。お父さんなんて大嫌い!」

「なッ。あ、あすか!」

「口も利いてやらないんだからっ!」


 飛鳥が鼻を鳴らして座敷に飛び込んで来る。

 部屋の四隅に避難していた翔は、愛娘からの大嫌い発言に衝撃を受ける楢崎時貞の姿を目撃してしまい、たいへん気まずい気持ちを抱いた。飛鳥はひとりっ子なので、とくに彼女の父親から大切にされていることを幼少の頃から知っていた。


(時貞おじちゃん。真っ白な灰になってらぁ)


 同情してやるべきだろうか。


「ショウくん。来たよ」


 放心状態になっている時貞と、あどけない顔で手を振る飛鳥を交互に見やり、翔はぎこちなく手を振り返した。反応に困る。

 

 視線を右に流すと、同じく気まずい顔で時貞と距離を取っている朔夜がいたりいなかったり。さらに朔夜の背後では、彼の父である和泉朔がこめかみに手を添えていた。


 とうの飛鳥は朔夜を呼ぶと、さっさと座敷の襖を閉めてしまった。

 このようなことをしまえば、大人たちは黙っていないだろうに、幼馴染らは日常会話を始める。


「いま勉強をしていたの?」

「古典だよ」

「マフィン作ってきた」

「食べながら勉強しようか」


 そのような他愛もない会話を交わしていた。

 そして翔にも話を振るのだ。


「ショウくんもマフィン食べよう。胡桃を入れたんだよ」


 飛鳥は翔の手首を掴み、手のひらに個包装されたマフィンを置く。

 その際、翔の太く長く鋭い爪を見つめてきたので、咄嗟に手を引いて爪を隠す。


「あ、ごめんねショウくん。怖がらせるつもりはなかったんだけど」

「いいんだ。俺の爪は凶器になる。注意深く見ちまうのは理解できるよ」


 獣の爪を眺めていると、「あとで丸くしてあげるよ」と飛鳥。

 ヒトより少し尖っているだけで、やすりで丸くすれば、自分たちと何も変わらない。

 彼女はそう言って笑顔を作った。

 翔は力なく笑みを返しつつ、鋭利ある爪を見つめて言い知れぬ焦燥感を抱く。


(何も変わらない。本当に?)


 人間を裂いたこともある爪を、やすりで丸くするだけで幼馴染らと同じ爪になるとは思えない。


「あ、マニキュアを持ってこようか」

「なんで?」

「爪が長いからマニキュアも似合うと思うよ。かわいい爪にしてあげる」

「俺がするのかよ」

「絶対に似合うって!」

「飛鳥……勘弁しろよ」


 なのに、幼馴染らは翔を人間扱いする。

 ヒトままでいられると励まし、ヒトでいられるよう支えてくれようとする。

 妖になることを恐れている翔にとって、それは嬉しい反面、いまの己は何者だと苦悩することになる。人間にはない尾っぽがある。些細な音でも拾える耳がある。ヒトを裂ける爪がある。周りの妖祓は翔を妖扱いしている。


(それでも朔夜や飛鳥にとって、俺は……南条翔は『人間』と言える存在なのか?)

 

 マフィンを食べてしまった頃、騒動を聞きつけた妖祓長、和泉月彦と楢崎紅緒が座敷に入ってきた。

 両者は孫たちに現実を思い知らせるため、かまぼこの板を翔の前に差し出した。

 疑問符を浮かべる翔に、月彦がこれを銜えてほしいと頼んでくる。つよい警戒心こそあれど逆らう気力は湧かなかったので、言われるがまま板を銜えた。


 月彦は命じる。


「そのまま噛んでみなさい」


 軽く顎に力を込めた刹那、翔はいとも容易く噛み砕く。

 分厚い板は見る影もなくなった。


「え、そんなに力を入れていないのに」


 目を丸くしてかまぼこの板を見比べる翔の傍で、月彦が現実を突きつける。


「これが翔の力だ。下手に法具を手放せば怪我を負いかねん。とくに半妖は妖力の制御が上手くできん時期でもある。朔夜、飛鳥、護身のためにも法具は持ちなさい。そして翔との接触は必要最小限にとどめなさい。この子に余計な刺激を与えてはいけない」


 それが妖祓として正しい在り方だと月彦。


「お前たちは妖祓。優先すべきは人間であって翔ではない。子ども染みた私情を交えて、場を混乱させるのであれば妖祓を名乗る資格もない」


 あれやこれやと正しい言い分を述べる月彦に、激高したのは朔夜だった。


「先日も申し上げましたがショウの送る生活を見て、じいさまは何も思わないのですか? 僕たち妖祓はひとりの人間、ひとつの家族を狂わせているんですよ! 説明もなく座敷に閉じ込めて、ショウは学校にも通えなくて、おばちゃんたちはショウを心配してッ……私情を交えるな? ずいぶんと無茶なことを仰りますね」


 翔は家族のことが気になっていた。もう何日も留守にしているのだ。形代が家族の目を誤魔化しきれているとは思えない。

 けれども、下手に聞くことができなかった。

 聞けば感情任せに怒れる自信があったし、無差別に暴れる予感もしたし、幼馴染らを困らせると確信していた。現にいまも幼馴染らは苦悩している。翔が半妖狐になったばかりに。


 朔夜は吐き捨て、ひとつ問うた。


「妖祓は人間のためなら何をしても許されるのですか。じいさま」

「朔夜、優先すべきは人間だ」

「ショウは半妖であり、半分人間の血を持っています」

「遺憾なことに半分は妖狐。翔は人間ではない」


 一貫して変わらない押し問答。

 朔夜は幼馴染のために怒り、月彦は人間を守るために主張を変えない。

 どちらも正しい在り方なのだろう。朔夜が翔に味方になろうとしてくれる姿勢も、月彦が人間の味方であり続ける姿勢も。

 そして翔は朔夜の主張に乗っかって、幽閉する大人たちに不安や不満をぶつける権利があるのだろう。家に帰りたいと暴れることだって、学校に通いたいと嘆くことだって許されるのだろう。


(俺のせいだ)


 さりとて翔が半妖狐になったばかりに、幼馴染らの家族仲を壊している。自分が半妖になったことで負の連鎖が起きている。

 翔は知っている。幼馴染らの家族仲が良好なことを。


(俺が壊してる)


 堪えられず、翔は朔夜の前に立って必死に笑った。


「朔夜。お前が俺を傷つけないことは分かっている。だけど今度から法具を持ってきてくれよ。大丈夫、それを見ても俺は爪を出さないよう努力するから」


「ショウ。だけど」


「月彦じいちゃんの言うとおり、いまの俺は人間よりもずっと力がつよい。爪で人間を簡単に怪我させることができる。五感も鋭くなっているから、人間よりもよく物が見えるし、よく音を拾えるし、色んなニオイを嗅ぎ分けられる」


 傍から見ても化け物なのだと思う。

 翔は必死に笑い続ける。


「俺はお前たちに会えなくなる方がつらい。勉強だって教えてもらいたいし、学校のことだって聞きたいからさ。俺のために今度から法具を持ってきてくれな」


 相手が顔を見知った幼馴染でもあろうと法具を持ってきてほしい。

 努めて明るい口ぶりで頼むも、目の前に立つ幼馴染の顔は苦しみにまみれていた。半妖化による負の連鎖は確かに息づいていた。


「俺のせいでごめんな……ごめん」


 これ以上の言葉が続かず、翔は謝ることしかできなくなった。

 


 ◆◆◆


 

 一連の騒動以降、座敷に玄人の妖祓が常時ひとり配置されるようになった。

 若き妖祓らが身勝手な行動を起こさないよう妖祓長が策を講じたようだ。


 つよい警戒心を抱く翔にとって、四六時中妖祓が傍にいるのは苦痛極まりない話であり、威嚇の鳴き声を発して暴れる要因になりかねないのだが、今のところ大人しく状況を受け入れている。ただし。


(超絶しんどい)


 窓辺で数学のプリントに目を通していた翔は、げんなりと襖に目を向ける。

 そこには出入り口で読書にいそしむ和泉月彦ひとり。手燭に立てられた蠟燭の明かりを頼りに、老眼鏡を通して小難しそうな書物を読んでいる。妖祓長も見張りのお役を務めるようだ。


(朔おじちゃんや時貞おじちゃんが見張るのは分かるけど)


 幼馴染らの行動力を踏まえて、妖祓長も手を打ったのだろう。

 おかげで翔は大の苦手にしている人間と一晩を明かさなければならない。


(夜明けまで、まだまだ遠いんだろうな)


 夜行性の化け物は夕夜に活動を始める。

 翔も例外ではないので夜が更けていく時間に眠ることはあまりない。

 妖祓側の温情で暇つぶし程度の問題集をプリントで手渡されたが、どうも集中ができないので時間潰しには適さない。それでも何もないよりマシだが。


(話し相手がほしいな)


 勉強よりも誰かと言葉を交わしたい。

 小さな会話でもいい。誰かと話したい。

 そう思ってしまうのは押入れ生活をしていた反動なのだろう。


 翔は最も苦手としている人間を流し目にした後、こみ上げてくる警戒心を何度も嚥下すると、尾っぽを丸めながら恐々と月彦に声を掛けた。


「電気は点けねえの?」


 蠟燭の明かりで読書など読みにくいのでは?

 翔は狐の夜目を持っているため闇夜でもある程度、物を見ることができる。

 けれど人間はそうではない。座敷には照明がついているので、電気を点けて読んだ方が読みやすいだろうに。


 月彦は書物に目を向けたまま返事をする。


「幼少から目上には敬語と口酸っぱく教えていたはずだが、お前はいつまで経っても直らないな」


 げっ。

 翔は顔を引きつらせる。判断を誤った。話し掛けなければ良かった。


 しかし、月彦は小さく笑うと「冗談だ」と言って、今度こそ疑問に対して答えた。


「照明は光が一等強い。夜行性のお前には負荷がかかる」


 翔のために照明を点けていないようだ。幽閉している化け物に対して、それなりに配慮している心が窺えた。

 と、今度は月彦から話を振られた。


「小さなことでも言ってもらって構わない。妖祓として正しいことを行っていると自負する一方で、お前に非道な仕打ちをしている事実は変わらん。怒りも苦しみも悲しみも承知している」


 小難しいことを言ってくる月彦に、翔は間を置いてひとつ尋ねた。


「月彦じいちゃんから見た俺は人間か? それとも妖か?」

「幽閉の理由や怒りをぶつけてこないんだな」


「今はそんな気分じゃないんだ。怒るのも聞くのも理解するのもエネルギーがいるし、俺自身が上手く受け止めきれるかどうか分かんねえ。ちゃんと心の準備をしたい」


「お前らしくない控えめな回答だな」

「じいちゃんだって俺の妖化の経緯を聞いてこないじゃん」

「いずれ尋ねることになる。妖祓として、人間が妖となった経緯は知るべきだ」

「そっか」


「いま聞かないのは、お前の言葉を借りるならば『気分ではない』だろうな」


 翔は少しだけ表情を和らげる。

 今度は月彦なりの冗談をしかと受け止めることができた。


「話は戻すけど、俺はどっちに見える?」


「少しでもいびつな血が入れば、それは化け物と妖祓は認識する。ゆえに翔、人間の血が宿ろうとお前はすでに『妖』と呼ばれる存在だ。決して『人間』ではない。お前がいつ妖狐に成熟するか分からないが、今後も『妖』として見るだろう」


「じいちゃんは正直だな」


 けれど、それくらいはっきり言ってくれる方が翔としても嬉しい。

 鋭利ある爪を眺めていると月彦が言葉を重ねた。


「人里育ちの妖が人間社会で生きる話は珍しい話ではない。多様化が進む人間社会を好む化け物も多く存在する。お前が望むのであれば、人間社会で生きることも叶う話。お前がただの妖狐であれば、幽閉をする必要もなかった」


「じいちゃん?」


「とどのつまり、土地神の依り代となっているお前では、人間社会で生きることすら難しい。翔、お前を解放してやれないのは、単純に妖化を理由にしているのではない。お前が土地神の魂を宿した『依り代』だからだ」


 土地神の依り代は厄介極まりない。

 それが正しい心を持つ者に宿れば土地を守護する『守りの眷属』になる。

 それが荒ぶる心を持つ者に宿れば地に厄災をもたらす『祟りの眷属』になる。


「依り代がヒトであろうが獣であろうが妖であろうが、今昔この在り方は変わらない。依り代はいつの時代も吉凶禍福の象徴。常に土地神の天命に左右され、天命と運命を共にする」


 土地神が幸をもたらすのであれば依り代と共に祀り、災いをもたらすのであれば土地神を鎮めるために依り代を『柱』する。

 柱とは神を鎮めるために犠牲となった者を指す。

 月彦は語気を強めた。


「たとえば人柱と聞けば、お前も想像がつくだろう」

「……なんとなく」


「宝珠の御魂の存在は妖祓側も認識している。それがどのような力を持つか、その身に宿すことが如何なる意味を持つか、依り代に選ばれた妖の身分が如何に特別なのか。人間にとってお前は脅威なのだ」


 ゆえに翔を幽閉しているのだと月彦。

 半妖と化した翔が妖力を上手く制御できない。

 それだけでなく、その身に宝珠の御魂を宿し、いずれ首魁になる器に選ばれている以上、人間を守る立場の者として警戒心を抱かざるを得ない。


 妖祓長はしかと明言した。

 どさくさに紛れて幽閉のまことの理由を述べてきた。


(今は聞きたくなかったのになぁ)


 他人事のように相づちを打っていると、月彦が老眼鏡を外して書物を閉じる。


「翔よ。宝珠の御魂を妖祓に渡してくれないだろうか」

「え?」


「さすれば、三日以内に家に帰すと約束しよう。朔夜たちとふたたび学校に通うことも許可する。元通りとまでは言わないが、お前が送っていた日常を返そう。半妖と化したお前の悩みや今後については、妖祓が責任を持って面倒看る」


「な、何を言って……」

「依り代でなくなれば、お前を今よりもずっと自由にしてやれるのだ。翔」


 突然の交渉に翔は戸惑う。

 自由になれるものならなりたいが、宝珠の御魂を渡せとなると話が変わってくる。


(これは妖たちにとって大事なものなんだぜ。渡しちまえば、妖たちがなんて言うか……俺も死んじまうって)


 それだけではない。

 きっと妖らは人間の手に宝珠の御魂が渡ったと知るや、烈火の如く怒れるに違いない。人間を襲うやもしれない。ヒトと妖の間で戦の火種になるやもしれない。


(九十九年、宝珠の御魂を守っていたギンコの努力も無駄になる)


 渡した先は地獄でしかない。

 無言で眉根を寄せていると、月彦がひとつ意味深長な質問を投げてきた。


「翔。お前はどうしたい?」

「どういうこと?」


「これからも()()()()で生きたいか、それとも()()()で生きたいか。半妖と正体がばれた先をどうしたいのか、それはお前にしか出せない答えだ」


 月彦の厳しいながらも、微かに垣間見た愛情深い言葉に翔は目を見開く。



「じいちゃん。それは」



――ガギィアガァアアアアアアアアアアア、アアアアアア。



 奇々怪々な鳴き声が窓ガラスの向こうで轟く。

 驚き振り返ると数多のぎょろ目が座敷を覗き込んでいた。魔封の呪符があるにも関わらず、目玉は窓ガラスに貼りつき、一斉に翔の姿を捉える。


 目玉どもは嗤った。


『見ィツケタ。狐。ニンゲンクサィ狐。宝珠ノ御魂』

『白ィ狐ガ、持ッテル。ホントウ、ダッタ』

『逃ガサナィ。逃ガサナィ』


 正気の目ではなかった。

 目玉らは血走らせていた。

 どの目玉も翔を食らう目をしていた。食らうための口なんてないのに。目玉らは確かに翔を獲物と見定めていた。


「なんだよっ、これ」

「翔。離れなさい」


 蝋燭の指で消すや否や、月彦が窓に向かって唱え詞を口ずさむ。

 

天地陽明(てんちようめい)四海常闇(しかいとこやみ)満天下陽炎(まんてんかかげろう)(ごと)()りけれ。さすれど一点(いってん)翳成(かげな)り。(すなわ)祓除(ふつじょ)(やいば)を下さんとする」


 数珠を巻いた右手で印を組んだ。

 瞬く間に魔封の呪符が鼓動を打ち、それらは得体の知れない目玉らに貼りついた。


祓除(ふつじょ)(やいば)(すなわ)ち業火の制裁。雲散霧消(うんさんむしょう)


 魔封の呪符が互いの霊気と結び合い、ひとつの印となって浄化の法術を目玉らに放つ。

 たくさんの目玉をひとりで片してしまう月彦に呆気にとられる翔だが、塵となった目玉らを押しのけて新しい刺客が窓ガラスに貼りついたことで呆気は仰天にかわる。


 今度は数多の長い手だった。

 拳を作って窓ガラスを無遠慮に叩くので、今にもガラスが割れそうだ。


『次ノ南ノ神主、我コソ、我コソ』


 そのような声が耳に届いたので、思わず翔は腹部を押さえる。

 化け物らの狙いは宝珠の御魂だ。


(ばれたんだ。俺の体に宝珠の御魂を宿していることが……でも、なんで)


 翔はすぐに考えを改める。

 ばれてしまった要素なんぞ、いくつも挙げられるではないか、

 理性を無くして白狐となった夜、町中で変化をしてしまった。妖祓に捕縛された夜、宝珠の御魂のチカラを開示した。妖祓の家から逃れようと夜だって、風呂場で妖力を制御できなかった夜だって、ばれてしまう可能性は大いにあった。


(くそ。ギンコの境遇をすっかり忘れていた)


 銀狐は宝珠の御魂を宿していたばかりに、執拗にその身を狙われていたではないか。

 ああ、宝珠の御魂を宿す行為を楽観的に考えていた。これが完全なチカラを取り戻していないから、未熟な半妖狐に宝珠の御魂が宿っていても、なんら支障がないと思い込んでいた。


(俺の妖化が進めば、それだけ宝珠の御魂もチカラを取り戻す)


 それを考慮に入れてなかった。間抜けめ。

 翔は苦い顔を作る。


「わざわざ妖祓の家に出向くほど、宝珠の御魂が欲しいのかよ。死にたいのか」


 ひとりごとを拾った月彦がこちらを一瞥するが、すぐに魔封の呪符ごと窓ガラスが破られると察して、出入り口となる襖を開いて結界を解く。

 月彦は翔に逃げ道を作った。


「朔夜。そこにいるのだろう」


 翔が背後を振り返ると、数珠を右手に巻いた朔夜が立っていた。いつの間に。


「数はどれほどだ」

「百鬼夜行です」

「群れか、厄介な。すでに結界は張り終えているとみた。翔を二階に連れて行きなさい。群れの狙いは依り代だ」

「ショウ。こっちだ!」


 窓ガラスの割れる音が合図であった。

 翔は腕を掴む朔夜と共に座敷を飛び出すと、無数に伸びる手を避けながら、かまびすしい音を立てて二階へ。物置と化している部屋に飛び込んだところで翔は足首を掴まれてしまい、凄まじい力で廊下まで引き戻されてしまう。


「くそっ。こいつ」

「目を閉じろショウ。法術を使う!」


 すぐさま朔夜が掴む手を数珠から放たれる法術で断った。

 その隙にふたたび部屋に翔は逃げ込み、襖は勢いを立てて閉められる。

 同時に部屋中に貼られた呪符と天井に描かれた五芒星結界、そして四隅の盛り塩と柱に括りつけられた鈴がすべて魔を退ける術と化した。一切の魔を寄せぬ部屋となった。

 おかげで部屋に飛び込んだ翔は吐き気と息苦しさに悶える。魔除けのまじないが込められた部屋は地獄であった。


「はあっ、息がっ」


 両膝を折って息をしていると、朔夜が謝罪してくる。


「ごめんショウ。少しだけ我慢してくれるかい。君にとってつらいまじないなのは分かっているから」

「何が起きてるんだ? 朔夜」

「ここから動くなよ。この部屋にいれば安全だから」


 説明をする暇もないようだ。

 朔夜は引っ切り無し揺れる襖を睨むや、右手に巻いた数珠をしかと巻きなおす。

 次の瞬間、襖を開けて、伸びる無数の手に向かって法術を放った。数珠から暗紫色の光を放ち続けて、迫る化け物らを調伏した。群れを霧散させた。


 朔夜は喝破する。


「妖祓の家に奇襲をかけるなんて良い度胸だ。塵も残ると思うなよ!」


 ここから先は一歩たりとも通さない。

 朔夜の言葉と共に襖が閉められたので、翔は追い駆けることが叶わなかった。

 尤も、魔除けだらけの部屋にいるせいで立つことも儘ならないので、襖が開いていたとしても追い駆けることはできなかっただろう。


「くそ」


 翔は畳に倒れ込んでしまう。


(座敷とは比較になんねえくらい息苦しい。力も抜ける。座敷は魔封の呪符ってやつが、たくさん貼られているだけだったけど……この部屋は魔除けのまじないが掛かっている。魔封と魔除けって違うんだな。勉強になったぜ)


 どうにか両肘で体を起こすと、体を引きずって窓辺に向かう。

 朔夜の後を追って襖を開けたところで、こんな状態では足手まといになるのは分かっていた。

 だったら、いま何が起きているのか、外の様子を確かめて少しでも状況を知るべきだろう。


 無理やり窓縁を掴んで、窓の向こうを覗き込む。

 目を見張るほどの化け物の群れが妖祓の家に集って、恐れるべき妖祓の人間を無視し、宝珠の御魂を探している。翔を探している。


 それだけではない。

 妖祓の家周辺の民家にも集って、思い思いに行動を起こしている。道を歩く人間の背後をつけ回す化け物もいれば、部屋を覗き込んで窓を叩く化け物もいれば、一軒家の電化製品を勝手に稼働させている化け物もいた。ポルターガイスト現象が起こっていた。


(これは……)


 唖然と光景を見つめていると『にゃあ』。

 懐かしい鳴き声が聞こえた。しゃがれた鳴き声は温かみがあった。獣の鳴き声であったが、一声で翔の心が震えた。

 

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