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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【肆章】九代目南の神主代行
54/158

<二>日月の神主舞



 ※



 稽古を始めて九日目。


 あと五日ほどで満月の夜が訪れるというのに、翔の修行は難航していた。


 神主舞は動きこそ覚えたものの、比良利が描いた陰陽勾玉巴は召喚されず、額に二つ巴すら浮かばない。大麻の扱い方も相変わらずの出来である。生傷だらけになるばかりで得るものは少ない。


 集中力が足りないのだろうか? 体を酷使しているから? 疲労しているから? 万全でないから?


 いや、それはただの言い訳に過ぎない。考えを改め、どうすれば上達するのか、翔はうんぬんと唸って悩んでいた。宝珠の力を借りてヒトの血を消すつもりが、ろくすっぽう力すら発揮できないなんて妖になる以前の問題である。


 毎日のように妖術を使っているため、少しは自分の体内に流れるヒトの血が、妖の血に呑まれてくれていると思うが。


 比良利に、彼はどれくらいで習得したのかを尋ねると、大麻は十日程度だと答えた。


 元は狐だった比良利にとって、神主舞はたいへん苦労したという。なんでも、音頭を取る行為を理解するのに、一ヶ月掛かったそうだ。彼には狐だったというハンデがある。元狐にして、一ヶ月で舞を習得できたことは非常に優秀だろう。


 また平均して神主舞は一ヶ月、大麻は一週間で習得するものらしい。

 完全に習得するまでには一年以上掛かるらしいのだが、取り敢えず神主が得なければいけない初歩は、この二つだそうだ。


 翔は不味いと唸った。


「……大麻は平均以下じゃん。どうしよう」


 蛇足ではあるが、この平均は一人前の神主が修行を始めた数値だ。更に翔自信も半人前の妖であるハンデを負っている身の上なのだが、念頭からすっかり消えていた。


 真剣に悩んでいる翔を見かね、比良利がこのような助言をしてくる。


「こういう場合、おなごにクチスイを施してもらうのが良かろう。悩みも疲労も吹き飛ぶものじゃ」


「くち、すい?」


 初めて聞く単語に、翔は首を傾げた。疲労回復のための栄養剤だろうか。


「それで、悩みも疲れも吹っ飛ぶの?」

「もちろんじゃ。おなごに聞いてみよ」


 そこで飲み物を持って来てくれた紀緒に、クチスイとは何かと尋ね、疲労を回復するための飲み物かと笑顔を作った。

 もし、そうなら是非とも飲んでみたい。紀緒に作ってもらえないだろうか、と頼んだところで、傍で聞いていた比良利が大爆笑する。それはもう涙を流し、腹を抱えて笑われた。


「な、なんだよ。比良利さんが聞けって言ったじゃんか!」


 こっちは真剣なのに。

 必死になっていると、紀緒が白い目で北の神主を一瞥。そしてクチスイが欲しいという翔に微笑むと、優しい手つきで前髪を掻き分け、その額に唇を押し当てた。


「これが、クチスイでございます」


 間の抜けた声を上げる翔は、大人の妖笑に当てられ見事に赤面、尾と耳をだらしなく垂らして呆けてしまった。


 クチスイとは口吸いと書き、接吻のことを指す言葉である。

 比良利にからかわれたのだと気付くのは、随分後になってからであるが、確かに悩みも疲労も吹き飛ぶ施しだった。


「おかわりはいりますか?」


「おっ、お腹いっぱいです。ごちそうさまです」


 顔を真っ赤にした翔は、意味のない言葉を発して身悶える。己のあんまりな無知さ、いや無恥さに翔は穴が入りたいと四隅で頭を抱え、それから暫くは再起不能に。


「紀緒や。わしも欲しいのじゃが」


 事の発端を起こした比良利は、自分も疲労していると紀緒に訴え、クチスイを施してもらおうと駄々を捏ねた。

 当然、主張は無視される。挙句、腰を触ろうとした罰として、身を投げられて暫く再起不能になった。とんだお笑い種である。



 こうした休息を挟み、日々稽古に励んでいるが、習得の兆しはまったく見えない。


 その日も日輪の社行集殿で一人稽古に励んでいた翔は、悩みを抱きながら体を動かしていた。

 とりあえず悩みの解消は動くことだった。動きが悪いのか、それとも無駄な動きが多いのか、扇子を靡かせて物思いに耽っていると、紀緒が行集殿に足を運ぶ。お茶でも持って来てくれたのかと思いきや、彼女はとびきりの贈り物を届けに来てくれた。


「翔くん。お久しぶり」


 紀緒の背後からひょっこり顔を出したのは、学ラン姿の少年。手にはビニール袋が握られている。ずれそうな眼鏡も定位置に戻すため、ブリッジ部分を押して微笑んでくる彼は、同族同級生の錦 雪之介だった。


 動きを止めた翔は数秒呆けたが、次第に目を輝かせ、「雪之介!」扇子を閉じて懐に仕舞うと一目散に彼の下へ。


「良かった。翔くん、無事だったんだね」


 雪之介の前に立つと、彼の方から両手を握って心配を露にしてきた。

 火照った体には丁度良い、氷のような手を握り返し、ありがとうと、ごめんを告げる。


「俺のために走ってくれたこと、おばばから聞いてるよ。ほんとありがとうな」


 翔は小さくはにかみ、相手を真っ直ぐ見つめた。あの夜以来の再会であった。




「ごめんね、突然来て。翔くん、稽古中だったんでしょう? 神主代行を目指して頑張っているらしいね」


 行集殿を出た翔は、客人の雪之介と廊下に座っていた。殆ど人の通らないため、気兼ねなく胡坐を掻ける。


「よく知ってるな。おばばに聞いたのか?」


「うん。だから、来るかどうか迷ったんだ。時間も限られているみたいだし」


 ある程度の事情を知っている雪童子に一笑すると、木の柵に凭れ、頬を緩めた。


「何言ってるんだ。来てくれて超嬉しいよ。俺もお前のことは気がかりだったんだ」


 雪之介のことは、とても気になっていた。

 あの日、妖力が暴走し、一番の被害を浴びたのは彼だったのだから。翔は彼に、大丈夫だったか。火傷は癒えたか。他に怪我は負わなかったか。と、矢継ぎ早に尋ねる。


「平気ヘーキ。翔くんに比べたら、全然だよ。それよりも、お土産があるんだ」

雪之介は持参していたビニール袋から、ペットボトルを取り出した。


「じゃーん。サイダー。キンキンに冷えているよ」


 なにせ、自分の妖力で冷やしておいたのだから。

 そう言ってサイダーを見せびらかすと、翔の手に押しつけた。


「他にもお菓子やパン。あと、カップ麺なんかも買って来たよ。そろそろ、恋しいんじゃないかって思ってさ」


 己の分のサイダーを手に取ると、雪之介はビニール袋ごと手土産を渡す。

 久しぶりに見る、現代の飲食物だ。翔は尾っぽを膨らませ、忙しなく三本の尾を振ると、「雪之介。まじ神!」諸手を広げて相手に飛びついた。


「サンキュ。まじサンキュ! 俺、ラーメンが食いたいと思っていたんだよ!」


「あはは。やっぱりね。妖の世界の食事って、和食一色だもんね。今度はハンバーガーでも買って来るよ」


「じゃあ俺、てりやきセットがいい」


「おっと。雪童子デリバリーは、温かい保証がありませんのであしからず」


 他愛もない会話で盛り上がることも、本当に久しぶりだった。翔は小さなことで笑い声を上げ、彼と一緒にサイダーを飲む。


「めっちゃ、うっめぇ」


 口内一杯に広がるしゅわしゅわの炭酸が、喉通りを刺激して美味しい。やっぱり、サイダーは最高だ。口元を手の甲で拭って笑顔を零した。

 しかも雪童子のおかげで、冷たいサイダーが飲める。雪之介さまさまである。


 クン、クン。ご機嫌に尾っぽを振って喜びを示していると、「すっかり妖狐だね」と、雪之介が目尻を下げる。

 尾っぽを振って喜びを露にする姿も、鳴く姿も、その姿かたちも妖狐そのもの。人間らしさが薄れ、自分と同じ妖の匂いがすると指摘された。


「人間を捨てたからな」


 胴に三本の尾を巻きつけ、それに肘を置くと翔は苦笑いを零す。

今までは人間らしく振る舞っていたのだから、妖らしいとはお世辞にも言えなかったことだろう。自分もそれを強く望んでいた。


 けれど今は、その逆だ。

 妖の自分を受け入れ、ヒトの自分を捨てようと必死になっている。なにより、妖になることを強く望んでいる。

 だから、ヒトらしさが残っていては困るのだ。翔はサイダーを口元に運びながら雪之介に胸の内を明かす。


「そっか」


 雪之介は相槌を打った。神主の代行を務めようとしているのだから、本当に並々ならぬ覚悟を腹に決めているのだろう、と自分の決意に理解を示してくれた。

 彼は初対面から、こうして自分を理解してくれるのだから、本当に有難い存在だ。


「幼馴染とはどうなの?」


 遠慮がちに質問が飛んでくる。翔は躊躇いなく自分達の関係を伝えた。


「無理だった。雪之介のようにはなれなかったよ。妖の俺は受け入れてもらえなくって……最後まで、心だけでもヒトのままでいてほしいと頼まれたよ」


 必死で止めようとしてくれた、彼等を思い出す。


「だけど俺の心は妖に染まっている。あいつ等の願いは叶えてやれなかった。本当は雪之介に、良好な関係だって報告したかったんだけどな」


 さみしい結果に終わったと力なく笑い、しょっぱい気持ちを嚥下するために半分ほどサイダーを飲み干す。


 これから先も、自分達は相容れることのできない関係となるだろう。相手は妖祓、自分は神主代行、相対する存在なのだから。

 酷く傷付いた顔を作ったのは雪之介の方だった。


「そんなこと……」


 口ごもる心優しい雪童子に、「大丈夫」自分はもう大丈夫なのだと相手を励まし、肩に手を置いてそっと慰める。


 彼はヒトと妖は相容れることができると信じている。

 ゆえに自分達の関係を全力で応援してくれた。誰よりも応援してくれていたのだ。心痛め、ペットボトルを握り締める雪之介に一笑し、これは自分が手繰り寄せた未来なのだと相手の頭を小突く。


 幼馴染達はヒトのままでいて欲しいと切望する一方で、これからも一緒にいよう。共に月日を過ごそうと説得してくれた。彼等が願ったように今までどおりヒトとして生き、ヒトとして振る舞い、ヒトとして暮らすこともできたのだ。

 けれど翔には、それができなかった。

 宝珠の御魂を狙う妖祓達に宝を渡せば、これまでの生活を取り戻すことができたのに、どうしてもそれができなかった。ヒトを愛しているように、妖もまた愛してしまったのだから。


 妖の世界に帰ってきたのは自分の意思だ。


 神主の代行を務めようとがむしゃらに目指しているのも、誰かが鬼門の祠の結界を張りなおし、管理しなければいけないと知ったから。瘴気に当てられ、狂う同胞など見たくない。それを祓う人間の姿も見たくない。


 なにより、ヒトと妖が諍いを起こすなど想像もしたくない。


「比良利さんから聞いたんだけど、妖祓達が起こそうとした宝珠の封印は、妖の社の危機に繋がるらしいんだ」


 妖の社と鬼門の祠は密接に関わっている。


 鬼門の祠は妖の社と正反対の位置に存在しており、常に社を守るため、簡単にヒトの目につかないよう、ヒトと妖の世界の空間を線引きしている役割を担っている。


 その祠が宝珠ごと封印されでもしたら空間の秩序が乱れ、封印された祠と連動するように空間ごと社が消えていくだろう。対となる月輪の社が消えてしまえば、日輪の社にも混沌が訪れ、妖の世界は動乱に放り込まれる。


 それだけはなんとしても阻止したい比良利は、宝珠を狙う妖祓に容赦なく刃を向けることだろう。妖の頭領として。


 逆にもし、祠の結界が張りなおされ瘴気が消えたなら、ヒトの暮らしが、妖の暮らしが平穏に戻れたのならば、これ以上に嬉しいことはない。


 大好きな妖祓の幼馴染達が傷付くことも、自分を同胞と呼んでくれる妖達が傷付くこともなくなる。


 翔は視線を持ち上げ、天を仰いだ。


「これが俺の決めた道なんだ」


 欠けている月に目を細め、初めて自分で選んだ道なのだと雪之介に吐露する。宝珠に選ばれた自分の天命なのかもしれない。

 おどけると、くしゃくしゃに雪童子が笑う。


「なんだかんだで翔くんは今も、幼馴染達が好きなんだね」


 当たり前ではないか。何処にいようと、住む地が、生きる場所が、身を置く世界が違おうと自分は幼馴染達が大好きだ。


 彼等の気持ちを裏切り、それこそ憎まれたとしても、いつか対峙することになったとしても、朔夜と飛鳥はかけがえのない存在だ。ペットボトルをその場に置くと、いたずらげに両手でハートを形作って再び空を仰ぐ。


 きっと今頃、ヒトの世界で、彼等も同じ月を見ている筈。不思議だ、月と太陽はヒトと妖の世界で共通しているのだから。


 雪之介の口から。ヒトの世界に残した形代の話題が出される。


 相変わらず形代は、自宅のベッドで眠りにつき、周囲には昏睡状態だと見られているらしい。


 見舞いに赴く雪童子は、翔の母がとても心配していると状況を教えてくれた。事が落ち着いたら、家族のために少し考えるべきだと助言される。


「それまで、僕が形代の様子を見守っておくよ」


 雪之介の申し出を有難く受け、翔は稽古が落ち着いたら比良利に相談してみると力なく笑う。


 いつまでも、このままにしておけない。妖になると決意した手前、家族と向き合う時間は少しならず必要だろう。

 一人前の妖になったら必ず、家族と向き合おう。




 お喋りもほどほどに、翔は稽古に戻らなければと腰を上げた。


 稽古がまったく上手くいっていないため、雪之介に自分の動きを見て欲しいと頼む。神主舞は、誰かに見てもらった方が上達するだろう。


「任せなさい」


 雪之介は携帯を取り出し、これでばっちり勇姿を撮ってあげるからとからってくる。

 そういえば、自分の携帯は何処へ行ったのだろう? 行方知れずとなった携帯に首を傾げながら、翔は早速鈴のついた扇子を取り出すと、神主舞を踊るために地を蹴って飛躍した。


 比良利から教えてもらった神主舞は動きで、陰陽勾玉巴を描き、それを召喚して神に舞を捧げ、宝珠の力を高めるもの。


 扇子を靡かせ、手首を動かし、回転と飛躍を繰り返して、流れを作るように体全体で大きな弧を描いていく。中心の曲線を描くために一層大きく跳ぶ。

 比良利はここから額に二つ巴を浮かべ、陰陽勾玉巴を召喚するのだが、翔にはそれができずにいる。


 何度も舞で陰陽勾玉巴を描き、それを完成させるのだが、結局今回も陰陽勾玉巴が出ず、踊り終えた翔は大きく落胆した。


 観客兼カメラマンとなっていた雪之介の下に歩み、この調子なのだと悩みを打ち明ける。


 映像を止めた雪童子はその映像を見ながら、率直な意見を言って良いかと翔に物申す。勿論だと頷き、もしかしたら解決の糸口になるかもしれないと両膝をついて意見を仰いだ。


 すると彼は、言いづらそうに頬を掻いた。


「見ていた感想なんだけど。翔くん、いかにも踊らされていますってカンジなんだ。例えばほら、この扇子を仰ぐところ」


 雪之介は見やすいように、携帯のディスプレイを翔側に傾けると、ボタンを押して映像を流す。


「完璧に踊ろうとしようとしていることが分かるでしょう?」


 ぎこちない動きで扇子を仰いでいる翔の姿を指差して、雪之介が視線を向けてくる。

初めて見る己の演舞に翔は眉を寄せ、これは酷いと携帯を手に取り上げて、唸り声をもらした。


 彼の言うとおり、自分の演舞は、まさしく『させられている』ような空気が出ていた。完璧に踊ろうとしている節すら見え、比良利の見せてくれた演舞とは程遠い。


 どうしてこんな空気になってしまっているのだろう。

 翔は口を曲げ、舞は理解に苦しむと腕を組んだ。これでは、いつまで経っても神主舞が習得できない。刻一刻と満月の夜は近付いているのに。


 その隣で思案に耽っていた雪之介が顎に指を当て、暫く口を閉ざす。


「思い出した!」


 突然彼は大きく手を叩き、こんな助言をする。


「馬鹿みたいに派手に踊ってみたら? 完璧に踊るんじゃなくて」

「はい?」


 目を点にする翔は、どういう意味だと雪之介に尋ねる。まんまの意味だと彼は得意げに告げ、眼鏡のブリッジを押した。


「実は僕、ヒトの世界の神主舞を見たことがあるんだ。ヒトの世界の神主舞はね、派手に舞って、見ている人間を喜ばせるんだ。それを見た神様も喜ぶから派手に舞うらしいよ。翔くんも、事細かな動きをまずは無視して、派手に大きく舞ってみたらいいと思うんだ」


「派手に大きく……いやでも、比良利さんは無駄な動きとか全然なかったし」


 繊細で巧みな動きで観客の自分を魅了していたのだ。派手に動けば、舞が崩れてしまいそうだと翔は意見した。


 すると、それは相手が玄人だからだと雪之介。


 話を聞く限り、完全な神主舞は習得するのに一年以上の月日を要する。では初心者の翔が比良利の動きを完璧に真似することなど、まず皆無に等しい。


 けれど初心者の神主達も、一ヶ月そこらで陰陽勾玉巴を召喚できるようになっている。それは動きの問題ではなく、どう演舞するかに掛かっているのではないだろうか。


「翔くんの神主舞、神様が見ても楽しくないと思わない?」


 雪童子は映像を再生し、翔に画面を見せる。

 完璧を求めようとするから動きが硬くり、ぎこちない動きが一層ぎこちなく見える。いかにも演舞をさせられているように見え、楽しさも何も消えてしまうのだと指摘した。


「細かい動きは無視して、まずは自分の表現できる限りの舞を踊ってみたらいいと思うんだ。翔くんが楽しくないと、見ている方も楽しくないよ」


 これは陰陽勾玉巴を召喚するための舞ではない。神に捧げ、宝珠と自分の士気を高める聖なる舞なのだ。

 ぎこちなさや繊細な動きを要する場面は、大きな動きで補えばいい。大切なのは翔自身が他者を舞で魅せたいと思い、自分も士気が高められる愉しい舞でなければ上手くいかないのではないか。


 雪之介は手を振って、へらりへらりと笑う。


「それに翔くんの性格上、繊細な動きなんて到底できそうにないし」


「ほっとけ! 自覚しているっつーの!」


 翔は扇子を持って腰を上げた。


「派手に大きくか。やってみる。陰陽勾玉巴の召喚も一旦、頭から外して演舞してみるよ」


 雪童子の言うとおり、神主舞は陰陽勾玉巴を召喚するための舞ではない。神に捧げ、宝珠と自分の士気を高める聖なる舞だ。


 捧げる神を踊りで魅せ、自分が愉しめなければ、演舞は成立しない。

 扇子を前に持ち上げると、携帯を構える雪之介を一瞥する。


「はーい。撮影準備はバッチリですよ」


 頼もしい限りだ。

 翔は大きく床を蹴って飛躍する。


 白張の袖を靡かせ、ゆるやかに扇子を流すと、歩幅二つ分ほど飛んで宙を舞う。

 本当は半歩分の距離で良いところを、翔はわざと大きく見せ、観客である雪之介に舞う自分を魅せた。屈むところはしゃがむ勢いで、体のひねりは常に大胆に、いつも苦手と意識していた扇子の繊細な動きは、大きく見せることで流した。


 上手くいかなくとも良い。完璧でなくとも良い。


 まずは自分が舞を愉しまなければ。そして見てくれる雪之介に、それこそ捧げる神に愉しんでもらわなければ。


 そうして何度も、何度も、舞を練習する。

 雪之介に撮ってもらった映像を見せてもらい、彼に意見を仰ぎ、試行錯誤を重ねて演舞していく。


 踊りすぎて体が言うことを利かず、幾度も転倒してしまい、雪童子を心配させてしまったが、翔は「もっかいだけ!」


 これを踊りきったら休憩するから、と頼み込んで撮影を続けてもらった。


「もう。ほんとに、君には目が放せないよ。これが終わったら休憩だからね」


 迷いのない、ひた向きな翔の気持ちに応え、雪之介は手を差し伸べた。


「今度はもうちっと、足元に気をつけて舞わないとな」


 屈伸運動をして体を解すと、両手に持つ白い扇子を広げた。

 酷使している体は引っ切り無しに悲鳴を上げているのに、なんだか楽しくなってきた。


 翔は口角を持ち上げる。きっと雪之介が、惜しみなく協力してくれているからだろう。友人がいると、こんなにも気持ちが楽になる。一人で稽古をしていた時と大違いだ。



 さあ、もう一度舞おう。


 手首を回すと一呼吸置き、目を閉じて気を落ち着かせる。

 瞼を持ち上げた刹那、翔は眼に強い光を宿して飛躍する。白張の袖を靡かせ、扇子を流して宙を切った。


 繊細な動きは一切省き、動きの荒さを魅せる場面として表現。飛び跳ね、体を捻ってその場を回り、扇子を放って軽やかに手中へ戻した。


 そうして大きく弧を描きながら一心不乱に陰陽勾玉巴を動きで模っていく。


「どうじゃ。ぼんの稽古は」


 入り口で撮影していた雪之介の下に、肩におばばを乗せた比良利が様子を見に訪れ、小声を掛けていたが翔は気付かない。


「翔くん頑張っていますよ。今、携帯で動きを撮影しているんですけど」


「撮影、とはなんぞ? ほお、それはなんぞや?」


 とにかく舞いたい気持ちを昂ぶらせ、昂ぶらせ、昂ぶらせ、それを表に出していた。

 中心の曲線を描くため、より一層大きく跳ぶ。


 眩い光が一室を満たした。弾かれたように雪之介達が顔を上げる中、翔は地に足の裏をつけると、休むことなく飛躍。額に二つ巴を薄っすらと浮かばせ、舞い手の動きに合わせて陰陽勾玉巴が徐々に姿を現し始める。


 「まさか」雪之介の声も、「おおっ、これは」固唾を呑んで興奮する比良利の息遣いもかき消すように、翔は扇子を放って綺麗に手中へおさめる。


 それは北の神主のように、神々しい光を放つほどではない。


 しかし、確かに陰陽勾玉巴は顔を出した。白と黒の勾玉が組み合わさったが翔の動きに連動して、次第にはっきりと姿を現していく。


(だめだ。こんなんじゃ)


 翔は本能で察した。もっと強い気持ちで舞わなければ。何故ならば、これは神に捧げる舞。神を喜ばせるための演舞なのだから。

 再び中心の曲線を描くために大きく跳ぶと、額の二つ巴が強く発光した。陰陽勾玉巴の輪郭が金色(こんじき)に輝き、翔もその光に身を包む。


 いま、ここに、陰陽勾玉巴の召喚が成功する。




『坊やが神主舞を、あそこまで完璧に。すごいじゃないか。ねえ、ひら……比良利?』


 ところかわり、肩の上に載っていたおばばは、反応のない比良利に首を傾げていた。彼を横目に見ると、北の神主と呼ばれた青年は、おばばの声すら届いていないほど興奮していた。


 持ち前の六尾を忙しなく揺らし、その成功にわなないている。


「やれ、これが見ていられようか」


 今しばらく観客側にいた比良利だったが、居ても立っても居られないと独り言を零し、おばばを床に下ろすと、懐から二本の黒い扇子を取り出した。


 彼は軽やかな足取りで演舞場に飛び込む。


 紅の長髪と、それを映えさせる浄衣の白い袖を靡かせ、舞い手とは反対側へ。

 そして、まるで合わせ鏡のように、翔と対向の位置で弧を描くように舞い始める。瞬く間に己の額に二つ巴を浮かべ、比良利もまたその光に身を包んだ。


 繊細且つ巧みな動きな舞で魅せようとする比良利と、粗削りだが大きな舞で魅せようとする翔。二つの舞はやがて各々中心の曲線に差し掛かり、互いに袖を靡かせながら、すれ違って弧に戻っていく。


「すごい」


 雪之介が息を呑んで、携帯のカメラ越しに舞を見守る。


『比良利、お前さん……そうかい。お前さんも、さぞ嬉しいことだろうねぇ。なにせ、九十九年ぶりの、日月の神主舞なのだから』


 おばばは懐かしそうに目を細め、ただただ彼等の舞を見つめた。

 神々しく発光する舞い手と二つ巴の証と陰陽勾玉巴と、光満たされる一室。

 放たれる神秘の妖力に惹かれたように紀緒が青葉を、ギンコがツネキを連れて行集殿に入ってくる。


「あ、あれは日月の神主舞。何十年ぶりに見たでしょう。あのお方が亡くなってから、もうずっと見ていなかった」


 感嘆の声を漏らす紀緒は、力強く手を組む。


「比良利さまが、あんなにも生き生きと舞を踊っているだなんて夢のよう」


 彼はここ何十年も舞を踊らなかった。時たま踊っても、愉しそうに舞わなかった彼の姿を知っているため、紀緒は思わず胸が詰まりそうになる。


「良かった。また、あんな比良利さまを見ることができるなんて。本当に楽しそう」


 感極まる紀緒に、おばばは同調した。


『そりゃあ、比良利も楽しいだろうさ。なにせ神主舞は、二人揃って初めて真の舞となる。あの子は百年、片割れなしに頭領を務めていた。一人で舞っても虚しかったに違いないよ。嗚呼、あんなに興奮した比良利を見たのも久しいねぇ』


 子どものようにはしゃいじゃって。


 笑声を漏らすおばばの隣で、紀緒は目尻を人差し指で拭い、青葉は何処となく物言いたげに吐息をつき、金銀狐は凄い、すごいと飛び跳ねて日月の神主舞を傍観する。


 弧を描いていた舞い手達が、身を回しながら曲線に差し掛かる。擦れ違い、また弧に戻る、のではなく、両者の舞い手が擦れ違うと同時に各々飛躍。

 勾玉の目となる中央の点に着地し、終幕を示すため、左の扇子を閉じて右の扇子を掲げた。


 陰陽勾玉巴は舞の終わりと共に光を失い、静かに姿を消す。行集殿に静寂が戻り、その空気は熱気溢れた一室を冷ますように駆け巡る。


 次の瞬間、荒呼吸を繰り返していた翔が、両手に持っていた扇子を手放した。


 前のりになり、支えとなっていた膝を崩す体は、比良利によって受け止められる。

 顎を伝って床に滴り落ちる汗をそのままに、忙しなく肩で息をする翔が、そっと視線を持ち上げると、体を支えてくれる北の神主が興奮気味に背中を叩いた。


「翔。成功じゃ、ようやった!」


 それはそれは嬉しそうに六つの赤い尾を振り、ゆるゆるに頬を綻ばせている。


「九日の間で、よくぞここまで辿り着いたのう。粗い動きじゃったが良かった。翔、まことに良かったぞよ」


 自分と共に日月の神主舞を舞い切った。これは大きな評価に値すると比良利。

 褒めちぎってくれる北の神主に翔は言葉一つ返せなかったが、微かに頬の筋肉を持ち上げることで喜びを露にした。


 九日の間、大麻も神主舞も上手くいかず、習得する兆しすら見えず、焦燥感だけが募り、日々思い悩んでいた。ゆえにこれは翔にとって大きな収穫だった。

 やっと努力が実を結び始めたのだから、笑いたいような、泣きたいような、である。


「今宵はこれで仕舞いじゃ。休むが良い」


 指一本動かすことすら難しい翔の体を背負い、比良利が久しぶりに楽しい舞を踊れたと零す。


「紀緒。先に座敷に行き、氷の用意をしてくれんかのう。飲み水と塩もじゃ」


 会釈した紀緒が踵を返し、一室から出て行く。物思いに耽っていた青葉も、先輩巫女の背を大慌てで追った。


「凄かったよ翔くん! やったじゃんか!」


 ようやく呼吸が落ち着いてきた翔は、自分のことのように喜ぶ雪之介に視線を流し、彼に礼を告げた。


 雪之介がいなかったら、自分はここまで舞えなかった。彼が協力してくれたからこそ、自分は神主舞に成功したのだ。


 感謝しても感謝しきれない。力なく笑う翔に、自分は何もしていないと雪之介。寧ろ、翔の熱意がなければ協力などしなかっただろう。


「携帯でばっちり撮影しておいたから、後で見よう。心躍ったよ」


 片手を挙げてくる雪之介に応えるため、翔は腕の代わりに尾っぽを持ち上げた。そして彼と尾っぽを合わせる。


 と、様子を見守っていた銀狐が自分も頑張らなければと言わんばかりに金狐を呼び、部屋の中央へと駆けて行く。いくらでも付き合うと鳴くツネキは、許婚のやる気に微笑ましい気持ちを抱いているようだ。


 前進しようとしているギンコに頑張れと応援を送り、翔はおぶってくれる比良利に申し訳ないと苦笑する。本当に足腰に力が入らないのである。


「……まさか、比良利さんが途中で入ってくるとは思わなかった。びっくりしたよ。けど、楽しかった」


 やはり比良利の舞には敵わない。

 全然舞の動きが違う。一体どれほど練習すれば、肩を並べることができるのだろうか。百年くらいだろうか?


 そう、おどけると、


「二百年早いのう」


 赤子同然の小僧に、まだまだ負けやしない。彼はご機嫌に笑声を上げた。


「また明日、日月の神主舞を舞おう。きっと今より良いものが舞える筈じゃ」


「んー。がんばる」


『おやおや。はしゃいでるねぇ、比良利』


 比良利の肩に飛び乗ったおばばが、大人気なくはしゃいでいるじゃないかと揶揄する。しかし表情はどこまでも優しかった。


『わたしも生きて、また日月の神主舞を見れるなんて思わなかった。坊や、頑張ったねぇ』


「まだ一回しか成功していないって。いつでも成功できるように練習を重ねないと……あと大麻も。でも、ほんと、今日は無理。動けないや」


『ゆっくり休みなさい。それも大切な学びだよ』


 うん。小さく頷く翔は、いつまでも冷めない熱を胸に宿して目を閉じる。根っこごと体力を使ったが、とても心地良い疲労だと思った――。



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