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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【参章】其の狐の如く
52/158

<九>静の夜に惜別を(漆)



 ※



「うわっ。俺の作った薬、不恰好だな」


 月輪の社にて。


 久しぶりに慣れ親しんだ社に戻って来た翔は、与えられた部屋で薬を眺めていた。

 丸い黒飴のような薬を手の平に転がし、比良利の作った薬と見比べる。お月さんのように真ん丸とした薬が比良利作。楕円のような薬が翔作である。


「作り手によって、こんなにも違うんだな」


 まじまじと薬を観察していた翔だが、初めて作ったわりには上出来だと自己満足していた。一回で上手くいくわけがないのだ。丸い形を作れただけでも上出来だろう。


「ギンコ。初めてにしては上出来だろう?」


 布団の上で翔のコートと戯れていたギンコに薬を見せる。

 手の平の薬を見つめ、上出来だと言わんばかりにクンと鳴く銀狐も、大層翔に甘いようだ。ご機嫌になる翔は、さっそく自分の作った薬を呑み、お盆に置いていた水差しで流し込む。


 これで少しは妖力の制御ができれば良いのだが。


 「の」の字に腹部を擦っていると、ギンコがコートから離れ、翔の下に駆け寄って来る。膝に乗りたいのかと思い、抱き上げてやろうと手を伸ばす。

 しかし銀狐の目的は違うようだ。翔のジャージを銜え、グイグイと引いてくる。


「ギンコ? どうしたんだ」


 夜明けまで、まだまだ時間がある。風呂にも入っていない。遊びたいのだろうか? フリスビーなら、部屋の隅に置いているのだが。


 それを取りに行こうと腰を上げるが、ギンコはふくらはぎを鼻先で押してくるばかり。遊びたいわけでもないらしい。


 何処かに誘導したいらしく、狐は障子を開けると、颯爽と廊下へ飛び出した。


 先でギンコが尾を振りながら翔を待っている。首を傾げながら獣の後を追うと、中庭に出てしまった。参道の方へ行きたいらしい。翔は三和土(たたき)に放置されている草履を突っかけ、狐の後に続いた。


 表に出てさびれた参道を歩く。石畳の隙間には苔で埋まっていた。手入れがされていない証拠だ。

 拝殿を通り過ぎ、銀狐は本殿の前で足を止めた。普段、本殿で眠っているギンコだ。物を取りに行くために、自分について来いと誘ったのだろうか?


 木造の階段を上るギンコを眺めているとクオン、銀狐が短く鳴いた。ついて来いと言っているらしい。


 さすがに本殿に入るのは不味いだろう。おばばや青葉でさえ、簡単に入れないと言っていたのに。遠慮する翔に、クオン、クオン、クオンとギンコが鳴いて催促する。


「あーもう、分かったわかった。青葉達には内緒にしとけよ」


 結局、翔が折れる。後ろめたい気持ちを抱えながら、麻でこしらえた注連縄を潜って段に足を掛けた。

 一歩一歩段を上がって厳かな本殿の扉前に立つ。肌を刺す神々しい雰囲気に生唾を呑み、やっぱり遠慮するとギンコに目を落とした。が、空気をもろともせず、銀狐は鼻先で扉を押し開け、するりと中へ。


 クオン。ギンコが忙しなく鳴いてくるため、両手を合わせて神様に謝罪した。


「ごめんなさい。勝手にお邪魔させてもらいます……あれ、けどこの社の神使ってギンコじゃ……んー。でもあいつ、神様の使いであって、神様じゃないし」


 うんぬん考えながら、草履を脱いで恐る恐ると本殿へ足を踏み入れる。


 驚くことに、室内には灯りが点っていた。常に蝋燭を焚いているのだろうか。いまは人間であるため、夜目が利かない翔は、目を凝らしながら仄暗い本殿の中を一望する。

 四面を囲っている壁に余計な装飾は一切ない。代わりに、二つ巴の印が大きく描かれていた。床にもそれが描かれていることに、翔は興味を抱く。


 目の前には物達が祀ってあった。装飾されたぼんぼりが一帯を照らしている。

 祭壇に歩んで視線を持ち上げる。供え物や横笛の祭器、榊の枝に紙垂(しで)を付けた大麻(おおぬさ)が祀ってある。


「これ、よく神主がバサバサと振っている奴だよな?」


 大麻を指差した後、中央に飾られている品に目を留める。

 衣が両袖を広げるように飾られていた。雪のように白く、穢れを知らないそれは比良利が身に纏っているものと同じ浄衣。これは神主が身に付けるものだろう。ということは、これは南の神主が身に付けていた衣装なのだろうか。


(これから俺は、南の神主の代行人になる)


 なれるだろうか、いやならなくては。ヒトの世界に置いてきたものを考えると、ならなくてはならないのだ。


 握り拳を作っていつまでも祭壇を見つめていた翔だが、クーンと銀狐が足元で鳴き我に返る。しゃがんで目線を合わせると、「これを俺に見せたかったのか?」可愛い狐の頭を撫でた。細い声で鳴くギンコは、二足立ちし、翔の体に足を置くと頬をぺろぺろと舐めてきた。


 力なく尾を振り、じっと翔を見つめてくる。

 まばたきをして相手を見つめ返していた翔は、嗚呼、言葉にならない声を漏らして苦笑い。

 その場で胡坐を掻くと、狐を抱きながら、参ったと呟いた。


「まさかギンコに励まされるなんて」


 小さな独り言を零す。自分の虚勢を見透かし、それを綻ばそうとする銀狐の優しさに苦笑いしか出ない。クーンと鳴き続けるギンコに、涙腺が緩んできた。鼻水を啜ると、何度も袖口で目や鼻を押さえる。


「青葉達には絶対に内緒だぞ。此処に入ったことも、俺と過ごす時間も……」


 何もかも、二人だけの内緒だと翔。


 うん、首を縦に振る銀狐に、「絶対だからな?」と、念を押す。

 うん、再び首を縦に振るギンコに。「絶対の絶対だからな?」と、翔は釘を刺す。

 うん、また一つ首を縦に振る優しい獣に、「ばれたら俺が怒られるんだからな?」と翔は俯き、おどけるように笑声を零した。


「今の俺は人間だけど、今日限りだ。俺が人間だと口にするのは今夜限り。明日から俺は妖だ。半人前の妖として頑張るよ」


 覚悟は決めた。後悔はない。振り返る気持ちもない。

 これは自分が望んだ道なのだから。


 けど。

 だけど。


「ギンコ、さみしい。俺、凄くさみしい。あいつ等にっ……妖の俺は、受け入れてもらえなかった。やっぱりヒトと妖は相容れないんだ」


 胸の痛みを誤魔化すように大きく嗚咽を漏らし、とてもさみしい、と本音を明かす。

 辛いのではない。哀しいのでもない。妖にならないで欲しいと願い、傍にいてくれた幼馴染達に、ヒトの価値観が理解できなくなっている自分に、さみしさを覚えるのだ。

 両膝を立てるとギンコを抱き締めて、翔はくしゃくしゃに顔を歪めた。


「さみしいよ。どうしてこんなにも寂しいんだろう」


 さみしい、嗚呼、とてもさみしい。自分で選んだ道は、こんなにもさみしい。

 弱い心を吐き出し、息ができないほど切ないと零し、翔はこれで良かったのだと自身を慰めた。こうなる運命だったのだと言い聞かせ、嗚咽を押し殺す。


 頬を伝う雫を、優しく銀狐が舐め取る。傍にいると教えてくれるギンコを潰れんばかりに抱き締め、銀の体毛に顔を埋めた。気付けば、声を上げて泣いていた。明日を向くために、ただひすら泣きじゃくる。


 今宵は“静の夜”。

 涙する翔は今、ただの人。親、友人と同じ人なのだ――。




 本殿の扉に手を添えていた青葉は、草履の向きを変えて段を下りる。

 風呂の用意ができたため、翔の部屋を訪れようとしていた彼女は、ギンコが彼を本殿に(いざな)っている姿を目にした。


 あそこは神職に携わっている者以外、決して足を踏み入れてはならない場所。宝珠を体内に宿す翔も例外ではない。


 憤りを抱きながら本殿に踏み入れようとしたのだが、機会を失ってしまった。本殿から聞こえる声を耳にしながら、段を下りてしまうと数メートル先で猫叉が新月の空を仰いでいた。


 四本の尾を夜風に靡かせ、おばばは振り返りもせず、青葉に尋ねる。


『本殿に入らなくて良かったのかい? あそこは坊やが入れない領域だよ』


 問いに何も答えられず黙り込む。

 すると、おばばはそれでいいのだと彼女に諭した。


『決まりは大事だ。けれど相手の心を蔑ろにすれば、神職は務まらない――なにより取り返しのつかない後悔を負うことになるよ。青葉』


 にゃあ、しゃがれた声で鳴くおばばが、ようやく振り返る。

 表情を変える青葉は動揺を隠しながら、先に湯を頂いてくると駆け出した。


『青葉』


 呼び止めに背を向け、青葉はその場から逃げ出す。


(どうしよう、比良利さまやおばば様に勘付かれている)


 泣き顔を作りつつも、青葉は自分の立てた計画を信じた。

 “妖の社”を守るためには多少の犠牲も仕方がないのだ。嗚呼、彼が本物の“南の神主”になる前に、手を打たなければ。



 ※



 やがて夜は終わり、朝が訪れる。


 本殿を出た翔は、ギンコを抱いたまま色素が薄くなっていく夜空を仰ぎ、その場に佇んだ。


 “静の夜”が終わる。

 人間と化していた翔の姿かたちは、戻り始める妖力によって次第に変化していく。ヒトの耳は消え、頭に白い狐の耳が。尾てい骨から三つの長い尾が生える。ヒトから妖狐に姿を変えた翔は夜明けに目を細め、人間の夜が終わるのだと瞼を下ろす。


 心配そうに鳴いてくるギンコを安心させるために頬を寄せ、「大丈夫。もう決めたから」と、瞼を開け一笑を零した。


「人間の俺は夜明けと共に消えていった。これからは妖狐の俺だ。ギンコ、俺は今、自分のことを妖だと胸を張って言える。不思議だな、あんなに人間の一点張りだったのに」


 たとえ幼馴染達と別の道を歩もうと、これが自分の決めた道。信じて進むと心に誓った。



「妖として生きる。俺の名前は――三尾の妖狐、白狐の南条翔。化け狐だ」




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