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それから2週間後、本の完成を祝うための食事会が北森先生行きつけのイタリア料理店で行われた。北森先生、柳さん、俺、そして幹弥さんが参加していて、無事に本が完成した達成感からか、北森先生も柳さんも上機嫌で話していた。俺はひたすら2人の太鼓持ちをしていて、俺の斜め向かいに座っていた幹弥さんは、静かに北森先生達の会話を聞いていたけど、終始、少し寂しそうな笑顔を浮かべていた。
「いやー、松川君は本当に良い子だね。こんな人が部下なのは幸せだね。柳さん。」
「はい。本当にありがたいですよ。彼は、率先して動いてくれるし、場も盛り上げられて、貴重な人材です。とても助かってます。」
「そんな風に言われたら、僕、調子に乗っちゃいますよ。今後とも松川優斗をよろしくお願いします。」
俺はおどけながらそう言って、グラスを掲げてから一気に中身を飲み干した。
しばらくして、幹弥さんがトイレに行ったタイミングで、北森先生は口を開いた。頬は赤く、酔いが回っているのが分かった。
「いやー。保坂君が明日香と婚約してくれて良かったよ。」
そうか、幹弥さんの婚約者は明日香って言う名前なのか。
「保坂君がいないから言うけど、娘は働き始めてすぐ、仕事でうちに来た彼に一目惚れしたらしくて、頑張ってアプローチしたんだけど、彼からは、ずっと忘れられない、好きな人がいるからって断られてたみたいなんだ。」
北森先生の発言を聞いて、一瞬、心臓が止まるかと思った。
「えーー、そうなんですね!明日香さんみたいな美人の告白を断るなんて、よっぽど素敵な人だったんだろうなぁ、その人。」
「詳しくは知らないけど、明日香はそれでも良いから、少しでも自分に興味が湧いたら付き合って欲しいって言ったらしくて...自分の娘ながら健気だよね。それに、私が知ったら、圧をかけるかもしれないって心配して、保坂君が好きなことを、絶対に僕に言わなかったんだよ。明日香に会って欲しい人がいるって言われて、それが保坂君だと知った時は、本当に驚いて腰を抜かすかと思った。結婚を前提に真剣にお付き合いさせてくださいってお願いされて、もちろん許可して、そこからとんとん拍子で婚約まで進んだから、なんだか不思議だったよ。元々、保坂君みたいな誠実な人と付き合って欲しかったから、願ったり叶ったりだった。ずっと息子が欲しかったしね。」
北森先生は上機嫌で話していたけど、途中から俺の耳には話の内容が入ってこなかった。
幹弥さんが話してた忘れられない好きな人って...それが自分かどうかなんてわからないのに、そのことばかり考えてしまった。
ダメだ。このままじゃ、頭がパンクしそうだ。
「次、赤ワイン頼んでも良いですか?」
幹弥さんのことばかり考えてしまうのが嫌だったし、北森先生が俺の飲みっぷりをとても褒めてくれたこともあって、俺はハイペースで飲み続けた。
その結果、見事に潰れてしまった。
「松川君、そろそろ帰るよ。タクシー乗れば1人でも帰れそう?」
柳さんがテーブルに突っ伏した俺の肩を叩き、話しかけていた。
「...はい。らいじょうぶれす。」
呂律が全く回らず、自分がかなり酔っていることが分かった。
「すみません。北森先生の前なのに。」
「いや、良いんだよ。松川君のおかげで楽しく飲めたし、むしろ、僕が飲むように焚きつけてしまった気がするから、申し訳ない。松川君の家はどの辺かな?」
「...S川町れす。」
回らない頭をどうにか回転させて、俺は答えた。
「それなら、保坂君の家と同じ方向だね。保坂君、彼と同じタクシーに乗って、家まで連れて行ってあげてもらえるかな?」
幹弥さんと同じタクシーに乗る?
一気に酔いが醒めた気がした。
「いやっ、申し訳ないので、大丈夫です。」
そう言って立ち上がると、すぐにふらついてしまい、柳さんに支えられた。
「松川君、大丈夫じゃないでしょ?こんなんじゃ。」
俺と柳さんのやりとりを見た幹弥さんは、
「僕、送りますよ。タクシー3台呼びますね。」
そう言って、お店の人に配車をお願いしていた。
北森先生と柳さんがそれぞれタクシーに乗るのを見送った後、俺と幹弥さんは3台目のタクシーに乗り、2人で後部座席に並んで座った。
タクシーは俺たちを乗せて、夜の町を走り始めた。
「松川君、お水買ったから。飲んで。」
「...ありがとうございます。」
幹弥さんからペットボトルの水をもらい、半分ほど飲んだ。
俺も、忘れないうちに渡さないと。
「...この前のタオルです。洗濯したので、返します。ありがとうございました。」
バッグから袋に入れたタオルを取りだして、彼に渡した。
「どういたしまして...あの時は出過ぎた真似してごめん。」
「いえ。俺の方こそ...失礼なこと言ってすみませんでした。」
「...松川君が、雨に濡れてるかもって思ったら、いても立ってもいられなくて。気づいたら、タオルと傘を持って、追いかけてた。...本当にごめん。」
...なんで、そんなこと言うんだ。
俺だって、幹弥さんが来てくれて本当は嬉しかったんだ。
未練がましいって分かっているけど、どうしても聞きたくなってしまった。
「...北森先生が、話してましたけど、明日香さんに、ずっと忘れられない好きな人がいるっていってたって本当ですか?」
俺がそう尋ねると、幹弥さんが息を呑んだのがわかった。
少し沈黙が流れたあと、幹弥さんは話し始めた。
「...うん。そうだよ。ずっと一緒にいたかったけど、俺が情けなかったせいで、傷つけて、別れようって言って...。死ぬほど、後悔してた。」
幹弥さんの視線はずっと俺に向いていた。
「優斗のこと。1日も忘れたことはなかった。」
そう話す幹弥さんの瞳は、あの頃と変わっていなかった。
「必死で頑張って勉強して、志望の大学に入って、研究室に就職できて、しばらくしてから、明日香に告白されて...分かっていたけど、俺は優斗のことが忘れられないっていうのを思い知らされて...。
自分から別れるって言ったくせに、のこのこ会いに行くなんてできないって、ずっと思ってたんだけど...また、優斗に会いたくて...
もし、もう一度会えたら、俺は学生じゃないし、もうお母さんの言う通りにしなくていいから、一緒にいたいって...好きだって伝えたくなって。必死で優斗を探したんだ。気持ち悪いと思われるだろうけど、興信所にもお願いして、優斗の居場所を見つけて...半年前に、優斗のマンションの前まで行ったんだ。」
嘘だろ。まさか、幹弥さんが、俺を探していたなんて。
「仕事から家に帰ってくる優斗を待ってたら...優斗が男の人と、二人で仲良さそうにマンションに入っていくのが見えて...。もう遅かったんだって思ったんだ。」
ちょうど1年前は、俺に何回も告白してくる人がいて、向こうにお試しで付き合って欲しいと言われたので、お付き合いをしていた時期だった。でも、どうしても俺が幹弥さんを忘れられなくて、1ヶ月も保たずに別れていた。
「あのとき、優斗たちの前に飛び出して、俺は優斗のことが好きだって言いたかったけど、幸せそうに笑ってる優斗の前に現れて、俺のせいでまた傷つけることになるかもしれないって思ったら...俺が好きって伝えるのは、自分のエゴだよなって思って...何も言えなかった。必死で優斗のこと探したのに、あと少しで話せるところまで行ったのに。本当に俺はダメなやつだよ。
でも、優斗がその人と幸せに過ごせれば良いって思って、身を引くことにしたんだ。」
そこまで言うと、幹弥さんは、俺の目をじっと見た。
「この前、北森先生を訪ねて、柳さんと一緒に来た優斗を見た時、本当に驚いた。また会えるなんて思ってなかったから。それに、俺のことを忘れられなかったって言われて、涙が出るほど嬉しかった。俺もそうだったから。でも、いくら恨まれても仕方ないとも思った。今も、どんなに罵られても仕方ないって思ってる。優斗、本当にごめんなさい。」
もし、あの時、俺が別の人と付き合ってなかったら。
タイミングが違ったら、俺は幹弥さんとまた一緒にいられたんだ。
あまりにも悔しくて、悲しい。どうして。
「...なんで、家まで来ておいて、何も言わずに帰っちゃったんですか。もし、話しかけてくれたら、あの時の人には悪いけど、俺は迷わず絶対に幹弥さんを選んだのに。なんで諦めちゃうんですか。ずっと俺のことを忘れられなかったなら...。意気地なしすぎますよ、幹弥さん...。」
話しながら、自分が泣いていることに気づいた。
「ごめん。本当にごめん。優斗の言う通りだよ。俺は本当にダメなやつだよ。優斗が一緒にいてくれた頃は、自分に少しずつ自信が持てたのに、離れてからまた、自信のない自分に戻っちゃったんだ。本当に情けないよ。ごめん。こんなやつで。」
幹弥さんはそう言うと自嘲気味に笑った。
なんて、愚かなんだろう、彼は。
でも、俺はそんな彼がどうしようもないくらい愛おしかった。
「...でも、好きです。今も。そんな幹弥さんが。」
俺は彼の手を握った。
「幹弥さん。一緒に降りて。もう逃げないで。」
俺はまっすぐに彼を見つけた。
もう、彼のそばから離れたくなかった。
幹弥さんは、俺から目を逸らさずに、俺の手を恋人繋ぎで握り返した。
俺のマンションの前で、一緒にタクシーを降り、手を繋いだままエレベーターに乗った。ずっと俺たちは無言のままだった。エレベーターから降りて、部屋まで向かう廊下の途中で、幹弥さんは何かに躓いて転んでしまった。手を繋いだままだったので、俺も少し、姿勢を崩した。
「幹弥さん、大丈夫?立てる?」
俺がそう聞くと、幹弥さんは上目遣いで俺のことを見た。あの頃と同じ、潤んだ瞳で。
その瞬間俺の中でタカが外れたのが分かった。
俺は、幹弥さんを立ち上がらせて、家の扉に彼の背中を押しつけて、深くキスをした。もう、あと少しで家に着くと言うのに、俺は衝動を止められなかった。幹弥さんは驚いていたけれど、俺を受け入れて、応えてくれた。どれだけ長い時間キスしていたか分からない。
その時、エレベーターが開いて、中から人が出てきた。
「人もいるから、一旦やめ、」
幹弥さんがそう言って、俺の腕から離れようとしたけど、俺は逃さなかった。
「嫌だ、やめない、今じゃなきゃダメなんだよ、見られても別に良い。」
「ちょっと、落ち着いて、」
「いいから、黙って。」
エレベーターから降りた人が、気まずそうに俺たちの後ろを通り過ぎたことは分かったけれど、俺はどうしても止められなかった。
今、彼を離したら、もう2度と一緒にいられない気がしたのだ。
「分かったから、部屋に入れて、」
幹弥さんは懇願するように俺に言った。
もう絶対に逃さない。
「...覚悟してよ。」
「良いから開けて!」
俺は自分の部屋の鍵を開けて、中に入ると、玄関で彼をキツく抱きしめた。
「...もう離さない。どこにも行かせない。好き、大好き、愛してる。今だけでいいから、俺のものになって。」
そう言うと、幹弥さんは俺の背中に腕を回して、俺に応えるように強く抱きしめていた。
「また、優斗とこうしたかった。夢みたい。俺も好きだよ。大好き。愛してる。」
そのまままたキスをして、ベッドに行った。
離れていた時間を埋めるように、何度も交わった。途中からお互い泣いてしまっていた。
今、一緒にいられる幸福を感じながら、心のどこかで、これが最後になることにも薄々気付いていた。
空が白むまで、お互い何度も果てて、最後はベッドの中で抱き合っていた。
「優斗、本当にありがとう。俺、今日のこと一生忘れない。死ぬまで。」
「俺もです。絶対に覚えておきます。何があっても。」
あの頃と同じ、線の細い幹弥さんの身体を、俺はずっと抱きしめていた。
「...そろそろ行かなきゃ。」
そう言ってベッドから出ようとする幹弥さんを俺は離さなかった。
「...もう、行っちゃうんですか?あと少しだけでも。」
「...ごめん。これ以上一緒にいたら、離れられなくなる。」
「離れなくていいです。幹也さん、俺のこと選んでください。幹弥さんのためなら、全部何もかも捨てていいです。」
ずれてしまったお互いのタイミングが、もう合うことがないのは分かっていた。遅過ぎたんだ。
でも、俺の願いに幹弥さんが応えることはないと理解していても、言わずにはいられなかった。
「...本当にごめん。俺にも、優斗にも、守りたいものがあるはずだよ。これが…最後。」
そう言って、幹弥さんは俺のことを見つめた。
「優斗、今まで本当にありがとう。優斗を好きになれてよかった。...愛してるよ。だから、終わりにする。」
そう話す幹弥さんの表情は、あまりにも穏やかで、優しかった。
俺はゆっくりと幹弥さんを解放した。
脱いでいた服を着直す幹弥さんを、見つめながら、俺は彼の姿を目に焼き付けていた。
身支度を整えた幹弥さんは、ベッドの上に座ったままの俺をまっすぐに見据えた。
「本当にありがとう。さようなら。」
そう言って、俺の部屋から出ていく幹弥さんを、俺はずっと見つめていた。
1週間後、会社で柳さんに呼び止められた。
「松川君、これ、前に話してた保坂先生の結婚式の招待状。北森先生も保坂先生も是非来てほしいって言ってるから、予定空けて参加してね。」
あぁ、本当に終わったんだ。
柳さんから招待状を受け取りながら、俺は彼との時間を未練がましく思い出していた。




