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【完結】婚約者の王子がアホ過ぎて終わっているので、浮気冷遇して自分の人生を楽しむことにしました!  作者: 逆立ちハムスター


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私は氷の伯爵と密会する。

ヴァレリウス殿下とドミティッラに見送られながら、私はデキムス殿下を自室へと押し込んだ。彼が机に向かい、白紙の羊皮紙を前に「七かける一は七……」とブツブツ念仏を唱え始めたのを確認すると、私はそっと部屋の扉を閉めた。


さて。

本日の「義務」は終了である。ここからは、私のための、私の人生を謳歌するプライベートタイムの始まりだ。


◈◈◈


王宮の北塔。その最奥にある王立文書館の、さらに奥。

一般の貴族や文官すら滅多に立ち入ることのない、古い法律書や過去の判例が山のように積まれた特別資料室。そこは、カビと古い羊皮紙の匂いが漂う、薄暗く静寂に包まれた空間だった。

私が迷路のような書架を抜け、一番奥の読書スペースへと足を踏み入れると、高い窓から差し込む一筋の光の中に、一人の青年が座っていた。


「……遅いですね、フラミニア嬢。待ちくたびれて、建国初期の土地法についての判例を三冊も読み終えてしまいましたよ」


分厚い古書から顔を上げたのは、シルウァヌス・コルネリウス伯爵である。

灰がかった銀の髪が窓からの光を透かし、知的なヘーゼル色の瞳が、眼鏡の奥から私を真っ直ぐに射抜く。黒の法務官の制服は彼の無駄のない長身にぴったりと合い、禁欲的な色気を放っていた。

あの星見の夜会での密かな「契約」以来、私たちはこうして、人目を忍んで密会を重ねていた。


「ごきげんよう、シルウァヌス様。申し訳ありません、今日は少々『国宝の防衛戦』に手間取ってしまいまして」

「国宝の防衛戦……? ああ、なるほど。第一王子殿下が、今度は何を破壊しようとしたのですか? 王冠でフリスビーでもしましたか?」


シルウァヌス伯爵は、手元の本をパタンと閉じ、皮肉げな笑みを浮かべた。

私は彼が向かいに用意してくれていたアンティークの椅子に優雅に腰を下ろし、ふう、と息をついた。


「惜しいですわね。正解は『初代国王の甲冑に鉄鉱石とポーションを餌付けして、ゴーレムに育てようとした』ですわ」

「……」


シルウァヌス伯爵は、片眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、一瞬だけ言葉を失った。そして、深く、重い息を吐き出す。

「我が国の法体系には、王族の器物損壊罪についての明確な規定がありませんが……そろそろ『デキムス特別法』を制定すべき時期に来ているかもしれませんね」

「賛成いたしますわ。法案が提出された暁には、我がクインティリウス公爵家が全力で後援いたしましょう」


私たちは顔を見合わせ、クスクスと忍び笑いを漏らした。

ああ、なんて心地よい会話のテンポだろう。一つの事象に対して、一瞬で裏側まで理解し、ユーモアを交えて返してくれる。知力1の相手に疲弊した脳髄に、シルウァヌス伯爵の鋭い知性が、極上の甘露のように染み渡っていく。

これだ。私が求めていたのは、こういう大人の余裕と知的な遊びなのだ。


私は持参した小さなバスケットを開け、公爵家お抱えのシェフが焼いた特別なマドレーヌと、保温魔法のかかったポットから紅茶を注いだ。

「差し入れですわ。甘いものでも召し上がって、その酷使された頭脳を休ませてくださいな」

「……貴女の入れる紅茶は、王宮の茶会で出されるものよりずっと美味い。公爵令嬢自らのお給仕とは、贅沢なことだ」


シルウァヌス伯爵はティーカップを受け取ると、ゆっくりと一口飲み、ふっと表情を和らげた。その、普段の「氷の伯爵」からは想像もつかないような無防備な顔を見るのが、私の密かな楽しみでもあった。

彼は独身で、特定の恋人もいない。仕事一筋で、貴族令嬢たちからの猛烈なアプローチもすべて冷徹に切り捨ててきた男だ。

そんな彼が、なぜ私のような「婚約者持ちの女」との逢瀬に付き合っているのか。

最初は、ただの好奇心だったのだろう。「あのデキムス王子の婚約者が、一体どんな顔をしてすり寄ってくるのか」という。

しかし、何度か密会を重ねるうちに、私たちの中には確かな共犯関係が生まれていた。彼にとって私は、退屈な貴族社会における「気の利いた道化」であり、同時に、政治的な利害関係を抜きにして語り合える唯一の相手になりつつあった。


「それにしても」

シルウァヌス伯爵は、マドレーヌをつまみながら、ヘーゼルの瞳で私をじっと見つめてきた。

「貴女も物好きな方だ。デキムス殿下という『珍獣』を飼い慣らし、その裏で私のような男と密会して息抜きをする。いつか火遊びが過ぎて、火傷を負うとは思わないのですか?」

「火遊びですか?」


私は小首を傾げ、わざと蠱惑的な微笑みを浮かべてみせた。

「シルウァヌス様。私は決して遊んでいるわけではありませんわ。ただ、自分の人生の経営戦略を見直しただけです。投資先が不良債権だと分かったのであれば、リスクヘッジとして別の有望な銘柄に手を出しておくのは、経営者として当然の判断でしょう?」

「……私を有望な銘柄と?」

「ええ。顔も頭も良く、独身で、おまけに口が堅い。最高の優良物件ですわ。……それとも、シルウァヌス様は、私のような我儘な悪女のお相手は、もうウンザリですか?」


私はテーブルに両肘をつき、顔の前で手を組んで、上目遣いで彼を覗き込んだ。

沈黙が降りた。

資料室の静けさの中、彼の微かな息遣いだけが聞こえる。

シルウァヌス伯爵はしばらく私を見つめ返していたが、やがてふっと目を伏せ、立ち上がった。そして、私の座る椅子の横へと歩み寄ってくる。


長い脚が私のすぐそばで止まる。彼から漂う、インクと少しの香水の香りが私の鼻腔をくすぐった。

彼が手を伸ばし、私のプラチナブロンドの髪のひと房を、細く長い指ですくい上げる。


「ウンザリ、などするはずがないでしょう」


耳元に落とされた低い声に、私は思わず背筋を震わせた。

彼は私の髪に軽く唇を落とし、氷のように冷たく、けれどどこか熱を帯びた瞳で私を見下ろした。


「貴女のような強かで、面白く、そして……恐ろしいほど魅力的な女性を前にして、退屈する男などこの世に存在しませんよ、フラミニア嬢。ええ、せいぜい私という『銘柄』を、存分に利用していただきたい」

「……光栄ですわ、伯爵」


鼓動が早くなるのを悟られないよう、私は涼しい顔を取り繕って微笑んだ。

なんて危険で、甘美な遊戯(ゲーム)だろう。

知力1のアホ王子との婚約という絶望的なステータス異常も、彼という特効薬があれば、むしろスパイスにすらなる。


妹ドミティッラは、王道のハッピーエンドルートを往けばいい。

私は私で、この薄暗い資料室の奥から、王国一の知性を持つ氷の伯爵をたらし込み、貴族社会の裏側で最高のロマンス(浮気)を完成させてやるのだ。


婚約者ガチャに外れた令嬢の逆襲は、まだ始まったばかりである。私とシルウァヌス伯爵の秘密の時間は、誰にも邪魔されることなく、ゆったりと過ぎていった。

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