第九話 アジト
馬車は夜の道を揺れながら走り続けていた。
荷台で拘束されたまま、カムイはこっそりと指先を動かす。
小さな水滴が、指からポタポタと落ちていく。
その水は発光していた。
盗賊のアジトまでの道のりを、確実に残すための魔法だ。
リディアが隣で小さく話す。
「すごい……そんなことができるのね。」
声を潜めながらの感心した響き。
カムイは少しだけ得意げに肩をすくめた。
「ま、まあね。」
この魔法は、屋敷での魔法訓練で習ったものだった。
騎士団から派遣されてきた魔法使いのお姉さんたちと、お遊び半分で習ったのだ。
「わ〜、綺麗!」
「すごいすごい!」
「カムイ君、次はこの色ね♡」
と、初めはお遊び程度だったが、徐々に調子に乗ったカムイはお姉さん達に水をかけて服を濡らした。
「あ〜もうカムイ君!濡れちゃったじゃん!」
「着替えないと...」
と着替え始めるお姉さん達。
まさかこんな遊び半分で教えられた水魔法が、こんなところで役立つとは。
カムイは心の中で苦笑する。
発光する水滴が道に点々と残っていく。
夜の闇の中に、細い光の道が静かに伸びていた。
不気味な林を抜けた先に、盗賊団のアジトがあった。
高い丘の下の洞窟が入り口になっており、中に入っていく。
馬車が止まると、リーダーがカムイとリディアを呼ぶ。
「着いたぞ!」洞窟の中を歩かされるカムイとリディア。扉の前までくる。
リーダーがアジトの扉を開けると、中で待機していた数人の仲間が顔を上げる。
「お!リーダー!」
「やりましたか?」
期待を込めた声が飛んだ。
だがリーダーは吐き捨てるように首を横に振った。
「いや、ダメだった。
俺以外、全員捕まっちまったよ。」
「マジっすか!?」
仲間たちが顔を見合わせる。
リーダーはニヤリと笑い、二人の子供を彼らの前に突き出した。
「けどな!こいつらを捕まえてきた。
これでたっぷり金をせびってやるさ!」
手下たちの間に、どよめきが広がる。
失敗したはずの夜が、人質という思わぬ収穫で、急に別の色を帯び始めた。
カムイは拘束されたまま、静かにアジトの内部を観察していた。
リディアは彼のそばで、不安そうな顔をする。
リーダーはアジトの奥にある、大型動物用の檻の前で立ち止まった。
鉄格子の扉を開け、カムイとリディアを中へ押し込む。
「ここで大人しくしてるんだな!」
扉が閉まり、鍵がかかる音が響く。
リーダーは部下たちに振り返り、大きく手を叩いた。
「今夜はとりあえず祝杯だ!
人質確保記念ってことでな!」
盗賊たちはどっと歓声を上げ、酒樽を開ける。
すぐに酒盛りが始まった。
「明日になったら、身代金の交渉だ!」
「オー!」
彼らは夜を徹して盛り上がるつもりらしい。
カムイは檻の中からその様子を静かに見つめ、小さく息を吐いた。
盗賊たちの笑い声がアジトに響いていた。
盗賊たちの飲み会は、酒が進むにつれてさらに下品に盛り上がっていた。
一人の手が、杯を傾けながらリーダーに尋ねる。
「けどリーダー!金を手に入れたら、あの二人は解放するんですかい?」
リーダーは酒を一気に煽り、不敵に笑った。
「んなわけねぇだろ!
金を手にしたら、また連れて逃げるさ!
あの二人、顔も育ちも良さそうだ。
売れば、また大金になるぞ!」
「リーダー、頭いいっすね!」
手下たちはまた酒を注ぎ合う。
人質を商品扱いする会話が、平然と飛び交っていた。
檻の中で、カムイはそのやり取りを冷たく聞いていた。
(まったく……何が人間のバランスだよ。
こういう奴ほど、消しとかなきゃいけないだろうが!)
かつて神ルミエルとして下界を見下ろしていた頃の感覚が、自然と浮かぶ。
祖父に叱られたあの言葉を思い出しつつも、目の前の下劣さには呆れるしかなかった。
飲み会は終盤を迎えていた。
酒に酔った盗賊たちが次々とテーブルに突っ伏し、大きないびきをかき始める。
リーダーも含め、誰もが深く眠りに落ちていた。
カムイは小さく目を細めた。
「よし!」
彼は静かに指を動かし、自分の手足を縛っていた紐を魔法で解いていく。
薄い光が走り、紐がほどけていった。
「えっ!?」
リディアが目を見開く。
カムイは余裕の表情で肩をすくめた。
「これくらいなら解けるよ。」
リディアはただ唖然とするばかりだった。
カムイは続けて彼女の拘束の紐を解き、さらに檻の鉄格子に手をかざす。
小さな腐食の魔法が鉄を脆く変え、格子の一部が音もなく崩れた。
二人はこそこそと檻から抜け出す。
リディアが息を殺しながら呟く。
「すごいね、カムイ……」
「まあね。」
実のところ、拘束に関する知識も、屋敷での魔法訓練でお遊び半分に覚えたものだった。
派遣されてきた魔法使いのお姉さんたちは、カムイの魔法の練習相手になってくれていた。
「も〜カムイくん♡またそんな変な魔法を覚えたの?」
「へへ♡ちゃんと練習しておかないとね!」
「ちょっと、これ結構きついわよ〜!」
「えっ、本当?じゃあ少し弱くするね♡」
そんな具合に、拘束魔法の強さを調整したり、解除する練習をしたり。
時にはわざと難しい課題を出してもらい、どうすれば相手を傷つけずに動きを封じられるのかを、遊びながら覚えていった。
「カムイくん、今のは上手だったわよ♡」
「本当?やった!」
「でも、まだまだね。次はもっと複雑な拘束に挑戦してみましょうか♡」
「望むところだよ!」
そんな日々の積み重ねが、いつの間にかカムイの中に確かな知識として残っていた。
まさか、そのとき覚えた魔法がこんなところで役立つとは。
カムイは心の中で、改めてあの魔法使いのお姉さんたちに感謝した。
カムイは足音を殺して、ゆっくりと爆睡中の盗賊のそばを通りながら出口へと向かう。
リディアもその後ろに続き、息を潜めている。
あと少しで部屋から出れる。そのときだった。
小さなネズミが、リディアの足元を横切った。
「キャッ!!」
思わず大きくなってしまった声。
次の瞬間、壁際で眠っていた一人の盗賊が、むくりと上体を起こす。
「あれ〜?」
虚ろな目で周囲を見回し、すぐに状況を理解した。
「げっ!お前ら!なんで外にいるんだ!?」
「ヤバい!」
カムイは即座にリディアの手を掴み、全力で走り出した。
盗賊が大声で叫ぶ。
「人質が逃げたぞぉぉぉ!!」
ぞろぞろと盗賊たちが起き上がり、リーダーも跳ね起きて状況を一瞬で把握した。
「なっ!?てめぇら、追え!!」
怒号が飛び、複数の足音が夜のアジトに響く。
カムイとリディアは、部屋を飛び出しアジトの洞窟を走る。
洞窟を利用したアジト内は複雑な構造だった。
カムイはリディアの手を引き、薄暗い通路を駆け回る。
しかし道が入り組んでおり、すぐに方向感覚を失った。
「な、なんだここは!?」
何度か角を曲がり、また戻ってしまう。
追手がやってきた。しかし、彼らは酔っているため判断が鈍い。
「えっ!?どっちだ!?」
「こっちだ!」
混乱する盗賊の前を、カムイがすまして通り過ぎる。
「あ、こんばんは。ご苦労様です。」
「ああ……どうも。」
スタスタと歩いていく二人。
数秒後、盗賊が気づいて叫ぶ。
「って違う!待て!!」
「やっぱダメか!」
カムイは再度走り出す。
さらに、落ちていた兜を被った2人。マネキンの横に立つ。案外うまくいった。盗賊たちは通り過ぎていく。
散々逃げ回った末に、二人は上の方まで来てしまっていた。
行き止まりの通路。穴から外の景色が見える。
どうやら丘の中腹より高い位置まで来てしまったらしい。
「カムイ!どうしよう!?」
リディアが焦った声を上げる。
後ろから盗賊の声が迫る。
「いたぞ!こっちだ!」
絶対絶命。
カムイは一瞬だけ考え、リディアに向かって言った。
「ちょっといい?」
次の瞬間、彼はリディアをお姫様抱っこで抱き上げる。
「ちょ、ちょっとカムイ!?」
恥ずかしさで顔を赤くするリディアを抱えたまま、カムイは勢いよく穴から飛び降りた。子供が通れるくらいの大きさだったため、簡単に出れた。
外は急な斜面の丘。
二人は滑り台のように、土の上を一気に滑り落ちていく。
「きゃあああああ〜〜!!!」
リディアの悲鳴が夜の丘に響く。
シルバレイン家の令嬢として、こんなヤンチャな経験などしたことがない。
カムイの奇想天外な行動は、恐怖と同時に、どこか新鮮に感じられた。
丘の下の方で、二人はようやく減速し、停止した。
リディアの恥ずかしさは限界。
「も〜!おろして!」
「ごめんごめん!」
リディアは着地すると、すぐにドレスについた砂を払い始めた。
銀色の髪も少し乱れ、頬が赤い。
「カムイ!めちゃくちゃよあなた!」
彼女が抗議すると、カムイはへへっと悪戯っぽく笑った。
そのとき、アジト入り口の洞窟から盗賊たちの怒声と足音が近づいてくるのが聞こえた。
「リディア!逃げよう!」
「う、うん!」
二人は再び手を取り合い、夜の森の中へと駆け出す。




