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第八十七話 残酷

 その日の夜。

 カムイは夢を見ていた。

 夢の中は真っ暗で、声だけが聞こえた。


「カムイおぼっちゃま......」


 リーラに名前を呼ばれるような声。

 まるで助けを求めているようだった。

 あまりの悪夢に、バサッと起きたカムイ。

 凄まじい汗。

 嫌な予感がした。




 リーラに何かあったに違いない。

 すぐさま着替えて部屋を出る。

 家を出ようとした瞬間、声をかけられる。


「カムイ?」


 アリアだった。

 流石に起きたのだろう。

 彼女は心配そうに尋ねる。


「こんな時間にどこ行くの?」


 当然の疑問だった。

 カムイは心の中で強く思う。


(……アリアに心配をかけさせるわけにはいかない……)


 そして嘘をつく。


「リディアのところに……少し話があって」

「こんな時間に?」


 アリアは眉をひそめる。

 カムイは苦し紛れに続ける。


「今日のことを...すぐにグリルさん達に相談したいんだ。

 眠れなくて……」


 アリアは母親として気づいていた。

 カムイは嘘をついている。

 しかし彼の表情。

 ただ事ではない。

 彼女は静かに告げる。


「そう。 気をつけてね」


 見送ることしかできなかった。

 扉の閉まる音が、夜の家に小さく響く。

 アリアは一人、リビングに立ち尽くしていた。




 カムイは家を出て走り出す。

 すると、パラディンが察知してくれたのか、カムイの横を並走する。


「乗れってこと?」


 パラディンは低く唸る。

 彼は短く礼を言う。


「悪いな!」


 そう言ってパラディンに跨る。

 パラディンは凄まじいスピードで街の方へ進んでいく。




 カムイは心臓が押し潰されそうな感覚にあった。

 とてつもない嫌な予感。

 それと同時に、後悔もしていた。

 アリアとヴァルハートの屋敷を出て行った日。

 リーラも誘ったが、断られてしまった。

 《自分には一緒にいる資格はない》と涙ながらに。

 その時、アリアに手を引かれてしまったが、強引にでもリーラの手を引くべきだった。

 もっと必死に説得するべきだった。

 この数年間。

 ずっとその後悔を感じていた。

 彼は強く思う。


(頼む! 無事でいてくれ!)


 夜の闇の中を、パラディンはひたすら走り続ける。




 ヴァルハートの屋敷付近に着いたカムイ。

 高い門は閉まっていたが、パラディンの驚異的な跳躍で飛び越える。

 屋敷の前につき、パラディンから降りる。

 カムイは短く指示する。


「パラディン! ここで待っててくれ!」


 パラディンは低く唸るように返事をする。

 屋敷に突入するカムイ。

 驚く数人の侍女達。

 侍女達は彼を見るなり、声を上げる。


「カムイおぼっちゃま!?」


 皆、覚えていてくれた。

 しかし、再会に感動している暇はない。

 彼はすぐに尋ねる。


「リーラは!?」


 侍女のみんなは俯き、黙り込む。

 カムイは怒りを抑えきれず、声を荒げる。


「どこなんだ!!!」


 すると、一人の若い侍女が重い口を開く。


「……リーラ様は……旦那様の寝室に……」


 青ざめるカムイ。

 最悪な事態が頭をよぎる。

 すぐに駆け出す。

 廊下を走り、階段を駆け上がる。

 息を切らしながら、寝室の扉の前にたどり着く。

 彼の心臓が、激しく鳴っていた。




 彼は躊躇せず扉を開ける。

 中の空気が一気に流れ出る。

 重い空気が漂っていた。

 思わずカムイは手で顔を塞ぐ。

 香のキツイ匂いが鼻の奥まで突き刺さってくる。

 甘く、濃く、頭をぼんやりとさせるような香り。


(な、なんだこれは!?)


 彼は咳き込みながら部屋を見渡す。

 薄暗い中、ベッドに目をやる。

 そこに、裸で一人横たわっていた。

 すぐにリーラだと気づいた。


「リーラ!!!」


 叫びながら駆け寄る。


(頼む! 頼む!)


 彼はリーラの体を優しく仰向けにし、顔を確認する。

 息はしている。どうやら気絶しているだけだった。


「よかった……」


 最悪な事態は避けられた。




 落ち着いたのも束の間、カムイはふとリーラの体を見て気づく。


「なんだこれ!?」


 リーラの体には、いくつもの魔術痕が刻まれていた。

 首筋、鎖骨の下、腹部、腰の横、太もも。

 全てが巧妙に隠されている。

 普通の人間なら見逃すような薄い線。

 しかし、カムイにはハッキリと見えた。




 彼は痕を調べる。

 指で優しく触れ、魔力の残滓を感じ取る。


(なんだこれは!? まさか、洗脳系?)


 最初はそう予想していた。

 よくある強制的な契約や、意志を奪う類の魔法。

 しかし、顕になった痕を詳しく見た瞬間、血の気が引く。


(う、嘘だ……)


 神のルミエルとして何年も生きていた時ですら、こんな絶望感、恐怖感を感じたことはなかった。

 痕の構造。

 魔力の流れ。

 刻まれた紋様の意味。

 それは単なる服従や洗脳ではなかった。


(嘘だ......こんなの......嘘だ嘘だ嘘だ!!)


 手が震える。

 リーラに刻まれた魔術痕。それは、強い『避妊』『堕胎』効果のある魔法だった。

 この魔法は、フラスタリア王国の優秀な医師でも、厳しい教育を受けた数名の者のみが使用を許可された魔法。

 一般人が使っていいものではない。

 知識のないものが使うと、相手の体は衰弱し、後遺症も残る。最悪の場合は死に至る。

 レオンハルトに医術の心得はもちろん無い。

 リーラの体がここまで衰弱していた理由は、おそらくこの魔法のせいだろう。


「なんで……こんな……」


 リーラの無防備な姿を見下ろしながら、拳を強く握りしめる。




 すると、数人の侍女が部屋にやって来る。


「カムイ様……」


 恐る恐る声をかける。

 カムイは顔を上げず、低い声で尋ねる。


「……僕たちがいなくなってから……この屋敷で何があった?」


 一人の侍女が、重い口を開き話してくれる。


 アリアとカムイが屋敷を出て行ってから、レオンハルト様は荒れに荒れた。

 毎晩のように帰りは遅く、屋敷の侍女を呼びつけることも。

 侍女達が次々と辞めていく中、残った侍女達は、次に自分が呼ばれるのではないかと毎日怯えていた。

 特に、帰る宛のない侍女は、逃げようにも逃げる場所がなかった。


 若い侍女が話す。


「リーラ様は私達に『何とかします』とおっしゃって、旦那様と接する時間を増やされたのです」


 カムイは息を飲み、リーラの顔を見つめる。


「そんな……リーラ……」


 彼女の優しさを痛切に感じた。

 侍女が涙をこらえきれず続ける。


「それで、リーラ様は毎日旦那様に呼ばれるようになって、日々疲労で衰弱していきました。時には悲鳴も聞こえました。

 私たちは何もできず、リーラ様が疲弊していく姿を……見ていることしかできませんでした。本当に申し訳ありませんでした」


 全ての侍女が泣きながら、深く頭を下げる。

 部屋にすすり泣きの声が広がる。

 カムイはゆっくりとリーラの手を握る。




 すると、リーラが目を覚ます。


「リーラ!」


 慌てて声をかけるカムイ。

 リーラはうつろな目で、ゆっくりと彼の方を向く。

 掠れた声で名前を呼ぶ。


「……カムイ……おぼっちゃま?」


 カムイは必死に謝る。


「リーラ! ごめん! ごめんよ!

 僕が……君を置いていったせいで!」


 リーラは少しだけ唇を緩め、涙を流しながら申し訳なさそうに答える。


「おぼっちゃま……こんな姿で……申し訳ありません……」


 カムイは涙が溢れ出し、止まらなくなった。


「……どうして、どうしてリーラが謝るんだよ!!

 何も悪いことなんてしてないじゃないか!

 全部僕のせいだ……! 僕が君を連れて行けばよかったんだ……!」


 リーラは弱々しく笑い、掠れた声で続ける。


「カムイおぼっちゃま……ありがとうございます」


 そう言って、再び意識を失う。

 カムイは彼女の手を強く握る。

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