第七十話 帰還
エレーナはアリアと一緒に、持ち帰った薬草を丁寧に処理する。
アリアは初めて見る薬草に目を丸くする。
「こんな薬草があるのね。」
「はい。これを煎じて、薬にします」
二人で作業を進め、やがて完成した薬をレーゼの部屋へ運ぶ。
レーゼはベッドで眠っており、息づかいがかなり苦しそうだった。
カムイとアリアが静かに見守る中、エレーナは妹の上体を起こし、ゆっくりと薬を口に含ませる。
すると、少しずつではあるがレーゼの息が穏やかになっていく。
苦しげだった表情も、徐々に和らいでいくのがわかる。
カムイが感嘆の声を漏らす。
「すげぇ……」
エレーナは安堵の表情で頷く。
「これで大丈夫だと思います。
数日すれば、元気になります。
「よかった〜!」
カムイが声を上げると、アリアも胸を撫で下ろすように息を吐く。
「本当に……よかったわ」
部屋の中に、静かな安心感が満ちていく。
パラディンも窓の外から中を覗き込み、小さく鼻を鳴らした。
リビングで、カムイはこの長い旅の話をアリアに語る。
アリアは静かに耳を傾け、時折優しく微笑む。
「たくさんの人に巡り会えて、助けてもらって……よかったわね」
「うん。
本当に、いい旅だったよ」
そのとき、突然カムイとエレーナの腹が同時に大きく鳴る。
『ぐぅぅぅ……』
カムイが慌てて笑う。
「あっ……笑」
エレーナは無言のまま、顔を真っ赤にして視線を逸らす。
アリアはそれを見て、柔らかく微笑む。
「ふふ。
じゃあ、ご飯にしましょうね」
彼女は立ち上がり、キッチンへと向かう。
久しぶりの家の中に、温かい日常の気配が戻ってくる。
三人で食卓を囲む。
久しぶりのアリアの料理は格別だった。
カムイは目を輝かせながら美味しそうに食べる。
「やっぱりお母様のご飯は最高だ!」
エレーナはその食い意地の張り方を見て呆れる。
「まったくも〜」
アリアはそんな二人の様子を眺め、久しぶりの賑やかな食卓に心から嬉しそうな表情を浮かべる。
エレーナが静かに口を開く。
「……こんなふうに、家族みたいに過ごせるのって、やっぱりいいですね」
するとアリアは優しく首を傾げ、彼女を見つめる。
「何言ってるの?
『みたい』じゃなくて、私たちはもう家族よ」
カムイもすぐに続ける。
「そうだよ!
エレーナも、レーゼも!
僕と同じ家族だよ!」
その言葉に、エレーナの目が一気に潤む。
彼女は顔を俯せ、抑えきれないように涙をこぼし始める。
「……ありがとう。」
アリアが優しく彼女の頭を撫で、カムイも穏やかに笑う。
温かいご飯の湯気が立ち上る食卓で、三人は静かに、しかし確かに「家族」としての時間を過ごしていた。
その日の夜。
エレーナとレーゼの部屋。
ベッドに横になるエレーナは、隣で穏やかに眠る妹の顔を見つめる。
息づかいはもう苦しげではなく、薬草の効果が早くも出始めているのがわかる。
「よかった……」
彼女は静かに安堵の息を吐く。
自分一人では、決して成し遂げられなかったことだ。
カムイと出会って。
アリアの看病があってこそ、安心してギラル山脈へ向かうことができた。
ゼノヴィア、ルージュ、シュバイン。
亡くなったニコフ。
たくさんの人たちに支えられてここまで来られた。
エレーナは改めて、人の優しさを胸に感じる。
そして同時に、カムイへの恋心も、よりはっきりと意識する。
歳に見合わないだらしなさはある。
でも、いざという時には頼りになる。
誰かのために本気で怒り、本気で心配できる。
そんな彼に見合うような、
隣にいても恥ずかしくないくらい、強くて魅力的な女性になろう——。
彼女は静かに目を閉じ、その決意を心に刻む。
部屋の外では、夜の風が丘を優しく吹き抜けていた。
一方、カムイとアリアの部屋。
ベッド上では、アリアは久しぶりのカムイを溺愛しまくっていた。
「カムイ〜♡」
「ちょ、ちょっと♡」
彼がニヤニヤしながら応じると、アリアは甘えるような声で続ける。
「だって〜ずっと一人だったのよ♡」
この数日、彼女はずっと寂しかったらしい。
毎日レーゼの看病を行い、夜もひとりぼっち。
カムイはイタズラっぽく笑う。
「全く〜お母様だって甘えん坊じゃないですか。」
「も〜♡ カムイの意地悪〜♡」
アリアは乙女のように可愛く拗ねてみせる。
それから少し真面目な表情になり、彼の胸に顔を埋める。
「それに……あなたにもしものことがあったらと思うと、心配で……」
カムイは彼女を優しく抱きしめる。
「大丈夫だよ、お母様。
僕は絶対にお母様を悲しませないよ。」
その言葉に、アリアは年甲斐もなくときめいてしまう。
「カムイったら〜♡
いつからそんなこと言うようになったの〜♡
お母様、ときめいちゃうじゃない♡」
息子の成長にうっとりとした声を上げるアリア。
部屋の中に、微笑ましい親子愛が満ちていく。
二人は手を重ね、言葉はそれ以上続かず、ただ互いの体温だけが残る。
そんなとき——
トントン、と寝室の扉がノックされる。
ビクッと肩を震わせる二人。
「カムイ? 起きてる?」
エレーナの声だった。
「エ、エレーナ!? どうしたの?」
扉が開き、枕をギュッと抱きしめたエレーナが入ってくる。
彼女は少し視線を逸らしながら、照れくさそうに口を開く。
「い、いや……その……
あ、あんたが寂しがってるんじゃないかと思って……」
どうやらこの数日間、カムイと一緒にいたせいで、一緒に寝ることに慣れてしまっていたらしい。
今日からまた別の部屋になり、なかなか眠れなかったようだ。
それでも彼女は、見栄を張るように続ける。
「わ、私は別に大丈夫なんだけどね!」
そんなこと、カムイにはバレバレだった。
彼はアリアと目を合わせる。
アリアは、カムイを独り占めできなくなったことに少しだけ頬を膨らませたが、すぐに穏やかな表情に戻る。
(今日くらいは...いいわね)
彼女は優しく提案する。
「それじゃあ……三人で寝ましょうか」
エレーナが少し驚いたように目を見開く。
「え?」
「今日は特別よ♡」
カムイも笑みを浮かべながら、ベッドの端を開ける。
部屋の中に、少し気まずいながらも温かい空気が流れる。
翌朝。
薬草の効果が強かったのか、それともレーゼ自身の体質が素晴らしかったのか。
たった一日で、彼女は驚くほど元気になっていた。
四人で囲むテーブル。
レーゼは嬉しそうに食事をする。
そしてエレーナの方を向き、満面の笑みで言う。
「お姉ちゃん! ありがとう!」
エレーナも優しく微笑み返す。
「どういたしまして」
次にレーゼはカムイの方を向く。
「カムイお兄ちゃんも、お姉ちゃんと一緒に行ってくれたんだよね?」
彼が頷くと、レーゼは明るく笑う。
「ありがとう! カムイお兄ちゃん!」
食事が終わると、レーゼはすぐに外へと飛び出す。
久しぶりにパラディンと遊びたかったらしい。
「パラディン〜!」
エレーナが慌てて後を追う。
「こら、レーゼ!
病み上がりなんだから無理しないの!」
家の中から、その様子を見つめるカムイとアリア。
アリアが穏やかに呟く。
「ほんと、元気になってよかったわね」
カムイも隣で頷く。
「そうだね」
朝の光が差し込むリビングで、二人は穏やかな表情を交わす。
テーブルで話すカムイとアリア。
アリアはふと彼の隣に腰を下ろし、イタズラっぽい声で切り出す。
「それにしてもカムイ。
昨日はちょっと男らしかったわね♡」
ギクッと肩を震わせる彼。
アリアはさらに続けて、楽しそうに勘繰る。
「どこであんなこと覚えたのかしら?」
カムイが苦笑いを浮かべて誤魔化そうとすると、彼女はさらに踏み込む。
「まさか……他の女性に何かしたのかしら♡」
図星を突かれた彼は言葉に詰まる。
アリアはそれを見てくすくすと笑う。
実は昨日の夜。カムイが一番に眠ってしまった。アリアはエレーナからすべてを聞いていた。
エレーナはアリアとカムイの関係を知らないまま、素直に話していた。
自分がカムイのことを好きなこと。
旅で出会った二人のお姉さん——ゼノヴィアというダークエルフの女性と、女賊長のルージュさんという女性のこと。
アリアは最初こそ驚いたが、すぐに冷静を装っていた。
今はその情報を武器に、息子を優しく、しかし容赦なくいじっている。
「ふふ……どうなのかしら?カムイ?」
彼女の目が、優しく、しかし鋭く彼を射抜く。
リビングに、気まずい空気がゆっくりと広がっていく。
アリアはカムイに密着し、優しく微笑みながら囁く。
「まったく♡
なんて節操のない子なんでしょう♡」
「いや……その〜」
たじたじになる彼に、彼女は決して怒りは見せない。
静かに、しかしはっきりと続ける。
「いい? カムイ。
人を愛することは、素敵なことよ。
でも……その愛で、女性を傷つけることだけは絶対にしないでね?」
「う、うん」
アリアは心の中で強く願っていた。
この子には、絶対にレオンハルトみたいになってほしくない。
女性を人として扱わず、自分の思うがままにしてしまうような男には。
それでも彼女は確信していた。
(この子なら大丈夫。
だって……誰にでも優しくできる心を持ってるもの)
カムイの優しさに、絶大な信頼を置いている。
彼女は彼の頭を優しく撫で、静かに微笑む。
アリアはカムイにさらに密着し、甘い声で切り出す。
「と・こ・ろ・で♡
その旅で出会った女性のこと……教えてもらおうかしらね♡」
カムイは一気にあわあわする。
「い、いや、その……」
逃げようと身をよじるが、アリアは素早く彼の腕を掴む。
「ダメよ、カムイ♡」
声のトーンは優しいままなのに、どこか別の感情も感じる。
「お、お母様……」
彼がたじたじと呼びかけると、アリアはふふっと笑う。
(これから凄まじいことになる……)
リビングに、甘くて少し重い空気が漂う。
外では、エレーナとレーゼとパラディンの楽しげな声が聞こえていた。




