第四話 ヴァルハート家
本来神ならば、下界についてある程度把握しているはず。
しかしルミエルは、天界で自由奔放に過ごしすぎていて、まともに下界のことを知らなかった。
数日の間、書物を読んだり、メイドたちと世間話をしたりするうちに、ようやく状況が掴めてきた。
この世界の中心には、大国・フラスタリア王国がある。
フラスタリア王国には多くの騎士団が存在する。その中でもレオンハルトの所属するロイヤルフォース騎士団は、王国に選ばれた直属の組織。
ロイヤルフォース騎士団は六つの部隊に分かれている。レオンハルト・ヴァルハートは、その中でも最高位である第一部隊の部隊長だった。
(へ〜。あの男、そんな有名なやつなのか。こりゃ、とんでもない名家に転生したもんだな。)
ただの貴族ではなかった。
王国を支える最強の騎士団を率いる家の後継ぎ。
それが今の自分——カムイ・ヴァルハートの立場だった。
この世界にも、しっかりと魔法の概念があった。
ヴァルハート家には、騎士団から派遣されてきた数人の女性魔法使いが定期的に訪れ、カムイに魔法の基礎を教えることになっている。
広い書斎を臨時の教室にして、本や魔導具を広げての授業だ。
だが——実際のところ、授業らしい授業にはほとんどならなかった。
「今日の授業はやめよっか♡」
「そうよそうよ。カムイ坊ちゃま、こっち来て♡」
「ほら、髪が少し乱れてるわ。直してあげる♡」
女性魔法使いたちは、教科書を閉じたままカムイの周りに群がる。
誰かが彼の頭を撫で、誰かが頬に手を当て、誰かが「かわいい♡」と声を上げる。
「将来はイケメンね。今でも十分可愛いけど。」
「これはモテるわよ〜。第一部隊の後継ぎですもの。」
「カムイ坊ちゃま。お茶にしましょっか♡」
カムイは彼女たちに囲まれながら、心の中で大きく頷いていた。
(こりゃいいな〜♡)
美しい女性たちに可愛がられ、触れられ、ちやほやされる。
神だった頃と、何も変わらない。
彼はにこやかに微笑む。
「うん!今日はみんなでお茶にしよう!」
完全に、ルミエル時代と変わらない人生を満喫し始めていた。
人間の身体に、少しずつ慣れてきたある日。
カムイは屋敷の外に広がる大庭園を、まるで風のように走り回っていた。
草を蹴って跳躍し、花壇を飛び越え、石畳の上を滑るように移動する。
「おぼっちゃま、待ってください!!」
「危ないですよ!!」
「スピードを落としてください!」
三人の侍女が必死に追いかけるが、全く追いつけない。
ルミエルはさらに加速した。
(な〜んだ!人間の子供の体も軽いもんだな!
羽がなくても、ある程度ジャンプできるし!)
実際、彼の跳躍力は常人離れしていた。
数メートルの距離を軽々と跳び、着地もほぼ無音。
神だった頃の身体能力が、人間の器におさまっているかのよう。
そのまま彼は、庭にそびえる大きな木へと向かった。
太い幹に手をかけ、あっという間に登っていく。
「おぼっちゃま、木に登るのはおやめ下さい!」
侍女たちが下から叫ぶが、カムイはさらに上へ。
やがて木の頂上近くの枝に腰を下ろした。
目の前に広がる景色が、あまりにも綺麗だった。
広がる人間の街並み、遠くの森、緩やかに続く丘。
雲の上から見下ろしていた天界とはまた違う。決して味わえなかった、地に足のついた美しさ。
(いいな!この景色...)
見惚れているうちに、枝が小さくきしんだ。
次の瞬間、折れた。
「ま、まずい!!」
体が真っ逆さまに落ちる。
風が耳を切り、侍女たちの悲鳴が飛び交う。
そのときだった。
屋敷の方から、出てきた一つの影。
凄まじい速さ。まるで地面を蹴る音すら残さないような動き。
「ッ……!」
リーラ・アルフェントが、正確にカムイの体を受け止めた。
衝撃を殺すように膝を緩め、彼を胸の前でしっかりと抱える。
「リ、リーラ……」
カムイは目を丸くした。
侍女長が、こんな身体能力を隠していたとは。
リーラは彼を下ろすと、きつい声で叱った。
「カムイおぼっちゃま! 危ないではないですか!
木に登るのはやめてください!」
流石に、カムイも反省した。
「……ごめんなさい。」
するとリーラの表情が、すっと和らいだ。
「怪我がなくて良かったです。」
その言葉に、カムイは少しだけ胸が熱くなった。
リーラは他の侍女たちに振り返り、静かに指示を出す。
「カムイおぼっちゃまを、しっかりと見ていてくださいね!」
「は、はい!」
侍女たちが返事をする中、カムイはリーラの横顔を見上げた。
(この人……ただ者じゃねぇな)
その日の夜。
カムイは母親のアリアと同じ寝室で、大きなベッドに並んで寝ていた。
アリアは嬉しそうに彼の頭を撫で、抱き寄せ、何度も頰をすり寄せてくる。
「カムイ……今日も元気でよかったわ。
お母さんの宝物なんだから、無茶しちゃだめよ?」
声は甘く、完全に親バカだった。
カムイは少しだけ困惑した表情を浮かべる。
(この人は、なんというか……親バカというか……子離れできるのか?)
正直、少し心配になるほどの溺愛ぶりだった。
しかし、
アリアが彼を強く抱きしめた瞬間、優しい感触が全身に押し寄せてきた。
母親の温かさと愛情がダイレクトに伝わる。
カムイの思考は、即座に切り替わった。
(……やっぱりいつまでも溺愛されてたい♡)
親としての愛情も、その温かさも、両方とも拒む理由などなかった。
「うん。気をつけるよ、お母様。」
アリアは満足そうに微笑む。
ふと、カムイはリーラのことを思い出した。
昼間のあの動き。木から落ちた自分を正確に受け止めた速さ。
ただの侍女とは、到底思えない。
「お母様。リーラって、何者なんですか?」
カムイは今日の出来事を簡単に話しアリアに尋ねた。
アリアはふふッと小さく笑った。
「あら、気になったの?そうね...カムイにはそろそろ話してもいいかもね。」
彼女は少し昔を懐かしむように、視線を遠くへやった。
「まずは、お父様の話からよ。お父様は元々田舎の村出身の、ただの冒険者だったの。当時から強い人だったけど、最初のうちは地位も名誉も何もない、普通の冒険者。
一緒に旅をしていたのがリーラだったの。
リーラは今でこそ侍女長だけど、れっきとした元冒険者なの。お父様の相棒で、とても頼りになる人だったみたいよ。」
アリアは続けた。
「お父様は努力を重ねて、魔王のしもべの一角の魔炎竜を倒したの。
その功績で騎士団にスカウトされて、あっという間に第一部隊の隊長まで上り詰めた。本当に、すごい人なのよ。」
「それから、お父様は国から少し離れた小さな街で、花屋をしていた私と出会ったの。何度も通ってくれて……歳は少し離れてたけど、彼の根気に負けて結婚したわ。
リーラも、お父様が結婚するのを機に、この家の侍女として迎え入れたの。
『私はあなた方をそばでずっと見守っていきたいです』って、自分から言ってくれたのよ。」
アリアは優しく微笑み、カムイの髪を撫でた。
リーラのあの身体能力も、あの落ち着きぶりも、元冒険者なら納得がいく。
(……やっぱり、ただ者じゃなかったか)
話を続けていたアリアの表情が、ふと少し曇った。
「……実はね。お父様との結婚は、かなり悩んだの。当時のリーラが、お父様に好意を寄せていたこと……私にはわかってたの。長年一緒に旅をしてきた大切な人を、私が奪ってしまう。」
アリアは視線を下ろし、静かに続けた。
「それでも結婚を決めたの。理由はね、リーラが直接私に言ってくれたの。
『レオンハルトを、よろしくお願いします。』あの言葉を聞いて……私、決めたの。
でもね、今でも時々思ってしまうの。
リーラは、本心で言っていたのかしらね?」
アリアの瞳が、少しだけ揺れた。
カムイは心配そうに、彼女に声をかける。
「お母様……」
その声に、アリアはハッとしたように顔を上げた。
すぐに優しく微笑み直し、カムイの頭をそっと撫でる。
「ごめんなさいね、カムイ。
子供にする話じゃなかったわね。」
彼女は自分を取り戻すように、明るく言い直した。
だが、その目の奥には、まだわずかな影が残っているように見えた。
母親の過去に、思わぬ複雑さが隠れていることを、彼は初めて知った。
そんな母親を元気つけようと、「お母様!」と声を出すカムイ。
目を見開いて驚くアリア。
「お父様とお母様が結婚してくれたおかげで、今の僕がいます!僕は...お母様の息子に産まれて、とても嬉しいです!」と。内心(まあ...いつまでも過去を引きずってても仕方ないからな...)とルミエルとして思う。
そんな優しい言葉をかけてもらい、アリアは嬉しさが溢れカムイを抱きしめる。「も〜♡♡♡カムイ♡なんでそんなに優しいの♡本当に誰に似たんでしょう♡」と親バカ爆発。カムイは抱きしめられて(おお♡)とアリアの温かみを感じ幸せそう。
しかし、同時に考えてもいた。リーラもひょっとしたら、複雑に思っているかもしれない。ここは一つ...彼女にも幸せに楽しく過ごしてもらわなくては。と思う。




