第三十九話 新居
屋敷を出て行く宛のない二人は夜の城下町を歩いていた。
アリアは元々捨て子であり、両親はおろか親族もいない。
捨てられていた赤子の彼女を街の花屋の老夫婦が拾って育ててくれた。
老夫婦が亡くなってからは花屋を継ぎ一人で暮らしていた。
レオンハルトとの結婚を機に花屋は閉店して、その家も今はない。
途方に暮れる母を見てカムイは静かに寄り添う。
アリアは涙を堪えながら小さく謝った。
「ごめんね。カムイ。
お母様が...もっとしっかりしてれば……」
彼はすぐに首を横に振り、はっきりと言った。
「そんなことないよ!
お母様は僕にとって、たった一人の大切な人です!
一緒にいれるだけで、僕は幸せだよ!」
その言葉に、アリアは堪えきれず彼を抱きしめる。
「……ありがとう」
夜の街灯の下で、母子が強く抱き合っていた。
アリアに抱きしめられるカムイ。
彼は心の中で強く決心した。
(俺が……この人を守らないと!)
ふと、あることを思いつく。
「そうだ!お母様!ギルドに行ってみようよ!」
「ギルド……?」
アリアは疑問に思うが、息子に言われるがまま、一緒に行くことにした。
ギルドに到着する。
閉店間近のようで、中にはハンターは一人もいなかった。
受付にはメロンさんが一人残っていた。
入ってくるカムイを見て、彼女は目を丸くした。
「あら!カムイ君。どうしたの?こんな夜中に。」
カムイは元気に挨拶。後ろにいたアリアが丁寧に頭を下げる。
メロンが首を傾げる。
「そちらの方は……?」
「僕のお母様だよ!」
アリアが自己紹介をする。
「初めまして。カムイの母のアリア・ヴァルハートと申します」
メロンはさらに大きく目を見開いた。
「えっ!カムイ君のお母様!?
ビックリです!とても若くて綺麗な方だったので、てっきりお姉様なのかと!」
「いえいえ、そんな!」
アリアが謙遜して手を振る。
夜のギルドに、意外な親子の来訪が明るい空気を運んできた。
ギルドを閉めて、メロンは二人にお茶を出した。
カムイとアリアは事情をすべて話す。
屋敷から出てきたこと。
行く宛も帰る家もないこと。
メロンは優しく頷き、同情の声をかける。
「大変でしたね……」
そして、突然目を輝かせた。
「なら!いいところがありますよ!」
カムイとアリアは首を傾げる。
メロンに連れられ三人は馬車で街を出た。
街から離れた丘の上。とてものどかな場所にポツンと一軒の家がある。
かなり大きく、いいつくりの平屋の木造の家だった。
カムイが感嘆の声を上げる。
アリアも驚いた様子だ。
メロンが説明を始める。
この家は、数十年前のギルド長の別荘。
ギルド長が急病で亡くなり、受け継ぐ家族もいなかったので、ギルドで管理をしていた。
街までのアクセスが悪くて、引き取り手も今までいなかった。
メロンは二人にこの家での暮らしを提案。
「この家なら街からも遠いですし、騎士団の人に見られることもないですよ!」
カムイは素直に喜ぶ。
しかし、アリアはすぐに心配そうに口を開いた。
「で、でもメロンさん。
こんないいお家……私たち、お金が……」
丘の上の家を前に、母親の現実的な不安が顔を出す。
メロンは微笑んだまま、次の言葉を用意しているようだった。
お金の心配をするアリアに、メロンが穏やかに切り出した。
「そのことなんですけど」
彼女はカムイに近づき、しゃがんで目線を合わせる。
「カムイ君。ハンターやってみない?」
「えっ……」
カムイが目を丸くする。
アリアも驚いて息子の方を見た。
メロンは優しく説明する。
カムイがシュバインとの修行の一貫で、ギルドの仕事を手伝ったことがあった。
その時の依頼人の人たちが、『できた子だね』『あの子ハンターじゃないの?』と褒めてくれていたようだ。
ギルドのハンターの人たちも、彼を絶賛していた。
『あの小僧、おぼっちゃまにしとくのはもったいないな!』『おお!あと10年ここで働いたら伝説になるぜ』
みな口を揃えて言っていたそう。
シュバインですら、カムイのハンターの資質を認めてたらしい。
カムイは初めて知る事実に、素直に驚く。
丘の上の家を背景に、メロンの提案が静かに落ちる。
アリアは息子の横顔を見つめ、複雑な表情を浮かべていた。
メロンは話を続ける。
「生活に必要な物資はギルドで調達します!
カムイ君の働き次第では、追加でサービスもしちゃいます!」
さらに、別居となると騎士学校に通うのも難しくなる点について。彼女は面白い規定を教えてくれた。
「実はね、ギルドにはある規定があるんです。
ある一定期間の任務を行うと、騎士学校の下等部の課程を免除できる制度があるの。」
驚くカムイ。メロンは騎士学校について詳しく教えてくれた。
今でこそ、騎士学校は敷居が高くなってしまったが、できた当初はどんな家庭の子も入れる学校だった。
お金のない子はギルドで手伝いという名の実践経験を積んで、下等部を免除していた。
カムイが大きく目を輝かせる。
「じゃ、じゃあ!また学校に通えるの!?」
「ええ!」
メロンが明るく笑顔で頷く。
行き場を失っていた母子に、現実的な道が示された瞬間だった。
しかし、アリアはすぐに心配そうに口を開いた。
「でも……ギルドの仕事って危なくないのでしょうか?」
メロンは明るく手を振って否定する。
「大丈夫です!比較的安全な仕事を私が選びます!
討伐任務は避けて、素材の収集や一般家庭のお手伝いを中心に!
それに、面倒見のいいハンターの人たちを同伴させます!」
少し不安ではあるが、メロンさんなら信頼できると思ったアリアは、息子の方を見た。
「カムイ……やれる?」
彼は迷わず答える。
「もちろん!僕がお母様を支えるよ!」
その真っ直ぐな言葉に、アリアは小さく息を吸い、決心した。
メロンに向かって、丁寧に頭を下げる。
「メロンさん……息子のことを、お願いできますか?」
「はい!任せてください!」
三人の間に新しい約束が交わされた。
行く宛のなかった母子に、住まいと、息子の新しい道が同時に与えられた夜だった。
メロンとの話が終わり、彼女は馬車で去っていく。カムイは手を振り、アリアは頭を下げる。
二人は家の中に入った。
ギルドの人たちが定期的に手入れをしてくれていたらしく、内装はとても綺麗だった。
少し傷んでいる箇所や、屋根が少し壊れている部分はあったが、後日メロンさんが業者を呼んでくれるとのこと。
カムイは目を輝かせてリビングを見回す。
「すごいよお母様!広い!」
とても広いリビングとキッチン。
部屋もたくさんあり、二人で住むには十分過ぎるほどだ。
アリアは少し不安そうに呟く。
「よかったのかしら……本当にこの家に住んで...」
カムイはすぐに彼女の手を握って答えた。
「大丈夫だよ、お母様!
メロンさんがぜひって言ってくれたし!
それに僕も頑張るから!」
その言葉に、アリアは優しく微笑む。
「そうね。カムイ、ありがとう」
お風呂に入る二人。
広さは十分で、とても風情のある造りだった。
カムイが湯気の中で感嘆する。
「亡くなったギルド長さん、いい趣味してるね!」
「ふふ。カムイったら」
アリアが優しく笑う。
ヴァルハートの屋敷ほどではないが、とても家庭的なお風呂だ。
湯船に浸かり二人はしばらく沈黙して落ち着いていた。
ふと、カムイが母親に甘えるように体を寄せて抱きついた。
アリアは息子の頭を撫でる。
「ふふ。カムイ、甘えん坊さんね♡」
熱い湯と、母親の温かさ。
新しい家での初めての夜に、母子の距離が自然と縮まっていた。
アリアは彼を拒まず、優しく抱き返してくれる。
風情のあるお風呂に二人の穏やかな時間が過ぎていく。
お風呂から上がり寝る準備をする二人。
寝室をいくつか見て回ったあと、カムイが一番広い部屋で足を止めた。
「ここがいい!」
ベッドも大きめで、二人十分に一緒に寝られるサイズだ。
アリアは優しく頷く。
「そうね。ここにしましょうか」
内心では息子が進んで一緒に寝てくれることを静かに嬉しく思っていた。
新しい家での初めての夜に母子が同じベッドを選ぶ。
彼女はシーツを整えながら小さく微笑む。
カムイはベッドに横になりながら、アリアに向かって小さく笑った。
「へへ。なんだか幸せだな〜。
お母様と二人で生活できるの」
「ありがとう、カムイ」
アリアは優しく返事をしたあと、真剣な顔になる。
「ごめんなさい。
私の勝手で、生活が変わってしまって……」
彼はすぐに首を横に振った。
「そんなことないよ!」
そして真剣な顔になり
「だって……あそこにいたって、お母様が辛い目にあうだけだから...」
その言葉に、アリアは胸が熱くなった。
彼女は息子を強く抱きしめる。
「本当に……あなたは優しい子ね」
今日は何度も、息子の優しさに涙を流してしまった。
そんな自分が情けないとも思う。
だが、この子がいれば、辛くないとも思える。
アリアは彼の頭を優しく撫でながら、小さく呟いた。
「……ありがとう、カムイ」
彼も母親の背中に腕を回し、静かに目を閉じる。
カムイはアリアに抱きしめられたまま、心の中で静かに思う。
(アリア……本当に辛い思いをしたよな……
信じてた男が、とんでもないことをしていたんだから……)
それと同時に、久しぶりに母親のぬくもりを思い出していた。
ルミエルの母、愛の女神ラディ。
(母上……元気にしてるかな……)
ルミエルは子供の頃、ラディにべったりだった。
ラディも甘えてくる彼を溺愛していた。
しかし、愛の女神としての仕事が多忙になり、なかなか構ってあげられなくなった時期があった。
そんな時にアミリアル、メル、そしてフロリスと出会い、おかげで寂しい思いはしなかった。
母親にここまで本気で甘えるのは幼い頃以来だった。
アリアの腕の中で、彼は小さく体を沈める。
人間の母親の体温が、心を優しく満たしていくようだった。
転生した美の神は、久しぶりに「母親」という存在に心から寄りかかっていた。




