第三十六話 師匠と弟子
そして翌日。
ギルドの掲示板を見ているシュバイン。
荒くれ者のハンターたちが、酒を片手に話している。
「シュバインのやつ……今日はコソコソしてねぇんだな」
「バンッ!」と扉が開いた。
カムイが現れる。
いつものように笑う声が上がる。
カムイは掲示板にいるシュバインを見つけ、少し首を傾げた。
(あれ?今日は普通にいる……)
疑問に思いながらも、彼はいつも通り真っ直ぐに近づき、頭を下げる。
「シュバインさん!僕を弟子にしてください!」
ハンターたちがコソコソと笑う中、シュバインは彼をじっと見つめた。
メロンの言っていた「女の勘」。それを信じるわけではない。だが、目の前のこの子供の強さには興味がある。
彼は覚悟を決めるように、短く言った。
「……ついてこい」
歩き出してギルドを出ていく。
ギルド中のハンターが完全に沈黙した。
酒を注いでいた者は、グラスから溢れている事に気づかない。
カムイは「ついにやった」という表情になり、大きく声を上げた。
「はい!!」
急いで彼の後を追って出ていく。
シュバインとカムイがギルドを出た瞬間、店内は一気に騒ぎ始めた。
「あのシュバインが……!?」
「子供を弟子に取るだと!?」
「嘘だろ!信じられねぇ!」
無口で人との関わりを避けていた男が、事もあろうに子供を弟子にする。
とんでもない光景を目の当たりにしたハンターたちが驚愕の声を上げている。
受付のメロンはふふッと小さく笑い、心の中で思う。
(シュバインさん……少し変わったかも)
少年の粘り強さが、無口なハンターの殻に、小さな亀裂を入れたのかもしれない。
カムイはシュバインの後ろを黙って歩く。
会話はなく、ただついていくだけだった。
街を出て森の中に入り、やがてひらけた草原に出る。
シュバインはそこで足を止め振り返った。
カムイもすぐに止まり緊張感が走る。
シュバインは彼の手にある槍を見て、短く尋ねる。
「お前……槍を使うのか?」
「うん!」
彼は続けて言った。
「俺は槍の専門ではない。
技術的な面は教えられないが、いいのか?」
カムイはすぐに首を縦に振る。
「僕は……もっとスピードや機動力のある動きを学びたいんだ!」
シュバインは無表情のまま低く呟く。
「騎士の子供のくせに変わってるな。」
草原に風が吹き、草を揺らす。
二人は向かい合ったまま、しばらく沈黙した。
シュバインはゆっくりと構えを取る。
「まずはお前の実力を知りたい。かかってこい!」
「うん!」
弟子入りを認めた無口なハンターと、それを待っていた少年の最初の稽古が始まろうとしていた。
シュバインは戦いながら指導を行う。その指導はとても丁寧。
無愛想ではあるが、とても面倒見が良い。
足の運び、重心の移動、瞬発的な加速の仕方。
一つ一つをカムイに繰り返させる。
「そこは膝を使え。力を逃がすな」
「はい!」
「次は横への回避だ!止まると死ぬぞ!」
「はい!」
カムイはどんどんと、シュバインの動きの技術を吸収していく。
人間の体でありながら、これまで感じたことのない軽やかさと速さが生まれ始めていた。
彼は心の中で素直に喜ぶ。
人間の肉体そのものを極限まで使い切る動きができて純粋に楽しい。
槍と体術を組み合わせた戦い方なら、シュバインにも教えることができた。
初めての稽古は、予想以上に実り多いものになっていた。
初日から夢中になって訓練をしたカムイ。
日が傾き始めた頃、シュバインが短く告げる。
「そろそろ終わるぞ」
カムイは息を切らしながらも、顔は笑顔だった。
その無邪気で、満足しきった笑顔を見て、シュバインは静かに思う。
(こいつ……)
可能性の塊だと理解する。
ただの騎士の子供ではない。
教えれば教えるほど吸収し、しかも心から楽しんでいる。
彼は無表情のまま話す。
「明日も来れるか?」
「はい!!」
カムイが大きく返事をする。
無口なハンターは初めて弟子を取った初日に、その少年の無限の可能性を感じ始めていた。
ヴァルハート家の屋敷に帰るカムイ。
泥だらけの姿で玄関に現れた彼を見て、リーラが目を丸くする。
「お、おぼっちゃま!?どこに行ってたのですか!」
「ごめん、リーラ。
走り回ってたらこんなんになっちゃった!」
もっともらしい嘘をつくと、アリアもやって来る。
「あらあら、カムイ。こんなに汚れちゃって〜」
彼女は手を叩き、明るく提案する。
「じゃあ、お風呂に入りましょうか!」
さらにリーラの方を向き、続けた。
「リーラも一緒にね!」
「はい!?」
リーラが驚愕の声を上げる。
「ア、アリア様……私は……」
遠慮しようとするが、アリアは優しく押し切る。
「今日はお仕事大変だったでしょ?
たまには一緒に温まりましょう」
リーラは観念したように小さく頷いた。
「か、かしこまりました……」
最近、アリアが元気になってきた気がする。
レオンハルトとの関係が良好になってきたからだろうか。
その一方で、三人でお風呂に入るというご褒美タイム。心の中で大歓喜。
(うおお……リーラとアリアと一緒に……♡)
泥だらけの少年を挟んで、母親と侍女長がお風呂の準備を始めようとしている。
屋敷の夕方に、カムイの期待が膨らんでいた。
ヴァルハート家の大浴場。
湯船に浸かる三人。
真ん中にカムイ、両サイドにアリアとリーラ。
彼は心の中で喜んでいた。
両サイドに存在する母親と侍女長の胸。
豊かな膨らみがすぐそこにあり、少し動くだけで『ぽよん♡』と揺れる。
アリアが気持ちよさそうに息を吐く。
「気持ちいいわね……」
「はい」
リーラも短く同意する。
カムイは必死に前方へ視線を固定し、心の中で踏ん張る。
(や、やばい……)
熱い湯に浸かりながら、すぐ隣に二人がいることにどうにも落ち着かない。
平静を保つのが、かなり難しい状況だった。
すると、アリアが突然カムイに強く抱きついた。
「あ〜♡もうカムイ可愛い♡」
久しぶりの超親バカを炸裂させる。
カムイは限界を感じる。
(や、やばいぃぃ〜)
彼は急いで体を離しリーラに寄り添った。
アリアは少ししょぼんとする。
「も〜、カムイ〜。何でいつもリーラなの?」
リーラが慌ててフォローする。
「ア、アリア様。カムイおぼっちゃまもお年頃なのです」
するとアリアは目を輝かせ、今度は二人まとめて抱きしめた。
「じゃ、みんなで♡」
「ちょ、アリア様!」
カムイはとんでもなく幸せな状態になった。
リーラだけがカムイの異変に気づいた。
(お、おぼっちゃま!流石に無理もありません)
幸い、アリアにはカムイの限界は気づかれていない。
リーラは素早く体勢を調整する。
湯船の中で、三人の密着が続く。
カムイは必死に呼吸を整えていた。
母親の無邪気な愛情と、侍女長の機転と、少年の限界が、同時に存在している大浴場だった。
自分の部屋に戻るカムイ。
少しだけのぼせていた。
彼はベッドに横になり、天井を見つめながら小さく呟く。
「まったく……お母様ときたら……」
元気になったのは嬉しいことだ。
だが、あの親バカぶりはどうにかならないものかと思う。
しかし、幸せすぎるのは事実なので何とも言えない。
彼は大きく息を吐き目を閉じた。
明日もシュバインとの本格的な稽古。
槍と体術を組み合わせた、実戦的な動きの鍛錬。
部屋に夜の静けさが落ちる中、少年は徐々に眠りへと落ちていった。
それから毎日、草原でシュバインとの訓練が行われた。
学校終わり、休みの日は一日中。
ひたすら訓練に明け暮れる日々が続く。
時には実戦訓練として、シュバインの仕事を手伝うこともあった。
決して本格的にやるわけではないが、カムイにとっては新鮮な経験だ。
森を駆け、気配を消し、素早く動く。
槍を使った体術が、徐々に体に染み込んでいく。
ある日、二人がギルドで待ち合わせる光景を見たハンターたちがざわめく。
「本当に弟子にしてるのか……」
異様な光景に、皆が驚いている。
無口で人を寄せ付けなかった男が、毎日のように少年と行動を共にしているのだ。
受付のメロンは、その様子を見て小さく微笑む。
ギルドの日常に、新しい風景が定着しつつある。
ある日の休み。
この日も訓練のため、屋敷を出ていくカムイ。
その光景を、ふとレオンハルトが見ていた。
近くにいたリーラに、彼は静かに声をかける。
「最近カムイのやつ、休みの日は朝から出ていくな」
「はい。この間お聞きしたら、騎士学校の上級生の方に指導をしていただいてるみたいです」
リーラは答える。
実際は嘘だったが、カムイにそう聞かされていたのだ。
レオンハルトは短く頷いた。
「なるほど……」
彼自身も、自分の指導に違和感を感じていた。
槍の扱いは専門外で、息子に十分なものを教えられていないという自覚がある。
悔しくはあったが、カムイなりに色々考えたんだなと理解する。
息子が自分以外の指導者を求めたことは悪くない。しかし、悔しさや情けなさがある。
レオンハルトは小さく息を吐く。
リーラは静かに彼の横に控えたまま何も言わなかった。
屋敷の朝に、父親の複雑な気持ちが流れていた。
数日後。
騎士学校の授業が終わりすぐに出ていくカムイ。
リディアが慌てて呼び止める。
「カムイ!」
「ごめん、リディア!今日も急いでてさ!」
彼はさっさと手を振って走って行ってしまう。
リディアは残されたまま小さく唇を尖らせた。
そこへ友達のアリルが近づいてくる。
「最近カムイ君、授業終わったらすぐ帰っちゃうよね?」
「……うん」
リディアは一緒に過ごせる時間が減って寂しく思っていた。
以前は放課後も話したり、一緒に帰ったりしていたのに。
アリルが心配そうに覗き込む。
「何かあったの?喧嘩とか?」
「ううん、そういうんじゃないけど……ちょっと寂しいな」
彼女は鞄を抱きしめる。
カムイの急な多忙が、彼女の日常に小さな寂しさを落としていた。
ある日の夜。
カムイはリーラと寝室で一緒に寝ていた。
日中は外でしっかり訓練をしているが、家では甘えん坊になる。
レオンハルトとアリアの関係がよくなってきたおかげか、リーラとの時間を作りやすくなっていた。
二人は誰にも邪魔されない時間を過ごす。
数時間過ごした二人。
カムイがふと、リーラを強く抱きしめた。
「リーラ……」
「はい?」
彼は珍しく真剣な声音で続ける。
「僕が...守るからね。」
リーラは優しく微笑む。
カムイはさらに穏やかに言った。
「これからも、ずっと一緒だよ♡」
リーラは笑顔で応える。
「はい。おぼっちゃま……」
だが、彼女の心の中には、わずかなくもりがあった。
カムイはそれに気づくことができなかった。




