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第二十話 決意

 現在。

 カムイは両親達の話の続きを聞く。

 レオンハルトが沈んだ声で提案した。

「メーデルにはお腹の子を諦めてもらい、故郷に帰ってもらう。

 もちろん費用や見舞金は、俺が全額支払う。」

 その言葉に、アリアが激しく反応した。

「そういう問題じゃありません!

 女性をなんだと思っているの!諦めて!?そんな簡単に!?命をなんだと思ってるの!」

 激昂する声が居間に響く。

 リーラは「奥様...」と宥めている。



 アリアはさらに言葉を続ける。

「メーデルはね!とても苦しんでたわ!

 産むかどうか本気で悩んで、私達に申し訳ないと思って、勇気を出して打ち明けてくれたのよ!」

 レオンハルトは何も言い返せない。

 ただ黙って、妻の怒りを受け止めている。

 リーラが静かに口を開いた。

「アリア様。メーデルの故郷へは、私が付き添ってお送りします。何かあっては危険ですので。」

 アリアは顔を上げ、感謝の色を浮かべた。

「ありがとう、リーラ。あなたなら安心だわ。」

 そしてレオンハルトを睨む。

「本当はこの人に行かせるべきなんだけど……変な気を起こしてほしくないから。」

 リーラは一礼する。

「では、メーデルに話してきます。」

 カムイはベッドの上で、ただ呆然とその一部始終を聞いていた。

 ヴァルハート家に、大きな亀裂が走っている。



 カムイは土人形に「戻る」指示を出した。

 土人形が静かに部屋に戻ってくるのを確認すると、彼はベッドに大きく寝転がり、天井を見上げた。

「なんか……とんでもないことになってきたな……」

 カムイ——いや、ルミエルにとっては、まったく目新しい光景だった。

 夫の不倫がここまで大事になることを、彼は無知なほど知らなかった。

 天界では、許嫁が三人もいる状況で、数多くの女神や天使と関係を築いていた。

 誰もが自分の美貌に惹かれ、何でも許してくれた。

 怒られることはあっても、関係が壊れるような事態にはなったことはなかった。

 アリアのあんなに激しく怒った姿。

 あの優しい母親が、あれほどまで声を荒げていた。

 人間の世界での「結婚」と「責任」の重みを、彼は初めて肌で感じ始めていた。



 次の日。

 屋敷の空気は、もちろん重い。

 特にレオンハルトがいる時間帯は、誰も言葉を発しなかった。

 彼自身も気まずそうに、早朝から騎士団の本拠地へ出て行ってしまった。

 カムイもいつも通り学校に登校する。

 教室ではマールロイドたちが相変わらず親衛隊のように付き従っていたが、彼の心はどこか上の空だった。



 学校が終わり、いつものようにリーラが迎えに来る。

 馬車に乗り込んでも、車内は沈黙に包まれていた。

 カムイは窓の外を見ながら、心の中で決意する。

(俺が...なんとかしないとな。)

 彼はそっと手を伸ばし、リーラの手に自分の手を重ねた。

 リーラがふと顔を上げ、彼を見る。

 カムイはできるだけ優しく、真っ直ぐに言った。

「リーラ……何があったかは知らないけど、僕がそばにいるよ。」

 事実は知っている。

 だが、あえて知らないふりをして、精一杯のフォローをした。

 リーラの目が、わずかに潤む。

「おぼっちゃま……」

 小さな声でそう返すと、彼女はそっと手を握り返してきた。



 夜中。

 カムイは自分の部屋を出た。

 夫婦別で寝ているため、アリアが使っている部屋を静かにノックをする。

「はい?」

 中に入ると、アリアがベッドに座ってこちらを見た。

 少し驚いた表情になる。

「カムイ?」

「お母様。一緒に寝てもいいですか?」

 アリアの顔が、すぐに柔らかくほころぶ。

「まあ!いいわよ、カムイ。」

 嬉しそうに布団を空けてくれる。

 カムイは隣に入り、並んで横になった。



 アリアがふふっと小さく笑う。

「なんだか...こうして寝るのも、久しぶりね。」

「そうですね。」

 彼女は少しイタズラっぽく続けた。

「カムイったら、ここ最近はず〜っとリーラとばっかり寝て。お母様、寂しかったな〜」

 その言葉に、カムイは心配そうに母親の顔を見つめる。

(……無理してるな。)

 彼はアリアにそっと抱きついた。

「お母様。これからはお母様と一緒に寝るよ。

 僕の部屋にも...来てね。」

 その真っ直ぐな言葉に、アリアの目がわずかに潤む。

 涙は見せまいと努めているのに、少しだけ溢れてしまった。

 彼女は息子を強く抱きしめ、小さく呟く。

「……ありがとう。本当優しいのね。カムイ。」

 親子の静かな温もりが満ちていた。

 アリアはカムイの頭を優しく撫でながら、しばらくそのままでいた。



 屋敷の重い空気が続いたある日の夜。

 この日はアリアがカムイの部屋に来てくれた。

 二人は一緒に眠りにつく。

 ふと、少し時間が経って目が覚めたカムイ。

 隣を見ると、アリアの姿がなかった。

「あれ……?」

 彼は部屋を出て、母親を探し始める。

 廊下を歩いているうちに、いつの間にかレオンハルトの寝室付近まで来てしまっていた。

 中が、わずかに明るい。

 そして、男女の穏やかな声が聞こえる。

 レオンハルトとアリアが話していると思ったカムイ。

(な〜んだ。仲直りしたんじゃないか。)

 ホッとした気持ちで、興味本位に中を覗き込む。



 しかし、次の瞬間、頭を殴られたような衝撃が全身を走った。

 中ではレオンハルトと、なんとリーラが、ベッドの上で熱いキスをしていた。

「おいおい!マジかよ!?!?」

 思わず声に出しかけて、慌てて口を押さえる。

 目の前の光景に、頭の中が真っ白になる。

(あんなことがあって……あのクソ親父!

 しかもよりにもよって、リーラと!?!?)

 妊娠させた侍女の件で家がこんな状態なのに。

 自分が毎日のように一緒に過ごしていた女性が、父親と寄り添っている。

 扉の隙間から見えるリーラの表情は、どこか虚しそうでもあった。

 カムイは拳を強く握りしめ、その場に立ち尽くした。



 部屋の中から声が聞こえてきた。

 リーラの、いつになく厳しい声音。

「旦那様。やはりダメです!」

 レオンハルトが懇願するように返す。

「頼む、リーラ!今日だけ...今日だけでいいんだ!」

「そう言って、ここ何日かずっとじゃないですか!」

 少し言い争いの空気が流れる。

 だが、結局優しいリーラは彼を完全に突き放すことができなかった。

 彼を仕方なく受け入れる。

 その様子を扉の向こうで聞いていたカムイは、拳を握ったまま思った。

(リーラ……無理してないよな?)

 怒りだけではない感情が、胸に広がる。

 彼女が本当に望んでいるのか、それとも、ただ断れないだけなのか。



 カムイが落ち込んだ気持ちのまま、自分の部屋へ戻ろうとしたそのときだった。

「カムイ?」

 後ろから声をかけられる。

 振り返ると、アリアが立っていた。

「お母様!どこに行ってたんですか!」

 彼が少し強い口調で尋ねると、アリアは穏やかに微笑んだ。

「ごめんなさいね。喉が渇いちゃって、キッチンに行ってたの。」

 その言葉に、カムイは心の底からホッとした。

 母親を見つけられた安堵もあったが、それ以上に、レオンハルトとリーラの現場が、彼女にバレていなさそうだったことが大きかった。

 もし見てしまっていたら、どれだけ傷つくか。

 想像するだけで胸が痛む。

「……そうなんだ。よかった。」

 彼はアリアと並んで自室の方へ歩き出した。

 唇を噛みしめ、何も言わずに母親のそばにいた。



 アリアと並んでベッドに横になりながら、カムイは静かに天井を見つめていた。

 今、胸を満たしているのは、はっきりとした憤りだった。

 レオンハルトの異常さ。家がこれほどまでに重い空気に包まれているのに、リーラを求めるなど。

(あいつは……今後、注意したほうがいいかもな。)

 息子として、というより、一人の男としてそう思う。

 このまま放っておけば、アリアがさらに傷つく可能性が高い。

 リーラだって、いつまでも耐えられるはずがない。

 母親の体温を感じながら、カムイは小さく息を吐いた。



 レオンハルトの寝室。

 寝室には静かな息遣いだけが残っていた。

 レオンハルトはベッドの端に腰を下ろし、少し乱れた髪を手で梳く。

 隣で横になるリーラは、天井を見つめていた。

(私は……)

 心の中で、静かに後悔が広がる。

 アリア様がどれほど傷つくか。カムイおぼっちゃまが知ったら、どう思うか。

 わかっているのに、断れなかった自分が情けない。

 レオンハルトがリーラに話しかける。

「いつも...すまないな。」

 低い声。どこか申し訳なさそうでもある。



 リーラは目を伏せたまま、小さく首を横に振る。

「い、いいえ。旦那様。」

 いつもの丁寧な呼びかけ。

 するとレオンハルトは、少しだけ声を落として続けた。

「……昔みたいには、もう呼んでくれないか?」

 その言葉に、リーラはビクッとする。

 かつて、共に冒険をしていた頃。

「リーラ!」「レオン!」と、名前で呼び合う仲だった。

 彼女も、当時は個人的に彼へ好意を寄せていた。

 だが、彼が第一部隊の隊長になり、アリアと結婚してからは、完全な主従関係に変わった。

 自分の気持ちを、ずっと押さえつけて生きてきた。

(昔みたいに……)

 胸の奥で、小さく揺れるものがある。

 理性が止めようとする前に、唇が動いてしまった。

「……レオン」

 その一声に、レオンハルトがわずかに目を見開く。

 次の瞬間、彼は小さく笑い、リーラを優しく抱きしめた。

「……久しぶりだな。そう呼ばれるのは。」

 腕の中で、リーラは目を閉じる。

 後悔と、どこか懐かしい温もりが、同時に胸を満たしていた。

 夜の寝室に、複雑な沈黙が落ちる。

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