第十九話 不穏
翌日。
騎士学校に登校したカムイは、昨日の怪我が嘘のように回復していた。
教室に入ると、すぐにリディアが駆け寄ってくる。
「カムイ!大丈夫なの!?無理してない?」
「大丈夫だよ。ほら、ピンピンしてるでしょ?」
彼が軽く腕を回して見せると、周囲の生徒たちからも安堵の声が上がる。
「よかった……」
「本当に元気そう。」
そんな中、教室の隅からマールロイドが取り巻きを従えて近づいてきた。
いつものキザな態度は消え、明らかに申し訳なさそうな顔をしている。
「……カムイくん。昨日のことが、パパにバレた。
家に帰ったらすごい叱られて、きちんと謝ってこいって。……本当に、ごめんなさい。」
「へー。素直に謝れるんだね。」
カムイが少し意外そうに言うと、マールロイドは顔をしかめた。
「ば、馬鹿にするな。間違ってることは認めるし、負けも認める。それに……実力の差は、昨日ではっきりわかったよ。」
取り巻きの一人が恐る恐る口を添える。
「僕たちも……反省してます。もう、因縁つけるようなことはしません。」
カムイはニヤリと笑い、腕を組んだ。
「じゃあさ、僕の勝ちってことでいいよね?約束、覚えてる?」
マールロイドが短く頷いた瞬間、彼とその取り巻きたちが自然とカムイの周囲に整列するような形になった。
絶対服従の賭けが、正式に成立したのだ。
「カムイ様、これからは何でも言ってください!」
崇めるような声が飛び交う中、少し離れた場所でリディアが呆れた声を上げる。
「全くもう!神様にでもなったつもりかしら!」
アリルがくすっと笑いながら、リディアに囁いた。
「でもリディアちゃん、カムイ君って、どことなく神様感あるよね。なんか……普通の人じゃない感じがする。」
「何言ってるのよ!ただのお調子者でしょ!」
カムイが教室でちょっとした勝利感に浸っていると、扉が開いて上等部の先輩が入ってきた。
「カムイ・ヴァルハート君はいるかい?」
「はい!僕です!」
カムイがすぐに席を立って駆け寄る。
その先輩は、昨日カムイがグリフォンを借りた(勝手に乗った)相手だった。
先輩は少し困ったように頭を掻く。
「あ〜……ええっとね。君が昨日乗り回したグリフォンなんだけど。」
「はい。」
「あれね。生徒が許可なく乗ると校則違反になるんだよ。
それに君、変に躾けちゃっただろ?飼育担当の先生も躾直しに困ってて、怒ってるんだよね。」
「えっ……」
カムイの顔が青ざめる。
先輩は後ろに控えていた別の上級生と共にドサッと机の上に大量の紙を置いた。
「だからこれ!反省文!今日中に記入してくれ!」
山積みの反省文。
「君もだよ!」と事の発端のマールロイドを見る先輩。
カムイの心が、音を立てて崩れ落ちる。マールロイドも青ざめる。
カムイは即座に振り返り、マールロイドに向かって叫んだ。
「や、やるよ!」
「はい!」
カムイとマールロイドは慌てて反省文に必死にペンを走らせ始めた。
「ひぃ……こんなに量が...」
「手がつります...」
上等部の先輩たちが腕を組んで見張る中、カムイとマールロイドは悲鳴を上げながら反省文を処理していく。
「はい、頑張って〜」
先輩が意地悪く声をかけるたびに、2人の動きがさらに速くなる。
教室の一角が、急遽反省文記入会場と化していた。
リディアが遠くから呆れた声を上げる。
「自業自得ね。」
アリルも小さく笑いその光景を見守っていた。
反省文がようやく終わり、授業も終了した。
疲れ果てたカムイだったが、リーラとの下校タイムが待っていると思うと、自然と足取りが軽くなる。
ウキウキした気持ちで校門を出ると、すぐに彼女の姿を見つけた。
「いたいた♡」
喜んで駆け寄る。
だが、近づいてみると、リーラの表情がどこか曇っているのがわかった。
「リーラ?」
声をかけると、彼女はハッとしたように顔を上げ、いつもの穏やかな笑顔を作る。
「おかえりなさいませ。カムイおぼっちゃま。」
「う、うん……」
カムイは違和感を覚えた。
笑顔なのに、目が笑っていない。
二人で馬車に乗り込む。
揺れる車内で、リーラは窓の外を見つめたまま、上の空だった。
(何かあったのか?)
カムイは心配そうに彼女の顔を伺う。
普段なら軽く会話が弾む時間なのに、今日は沈黙が長い。
彼はリーラの袖を、そっと掴んでみた。
「リーラ?何かあった?」と。
彼女は「い、いえ。なんでもないです。」と動揺しながら答え、それ以上何も言わなかった。
屋敷に到着し、玄関を開けて中に入ったカムイ。
居間へ向かうと、珍しくレオンハルトがすでに帰宅していた。
テーブルに座り、向かいにはアリアがいる。
二人の間には、明らかに険悪な空気が流れていた。
(えっ?なにこれ?)
困惑するカムイを見て、アリアはすぐに笑顔を作る。
「おかえりなさい、カムイ。」
優しく声をかけてくれるが、目元にはまだ険しさが残っているように見えた。
後ろからリーラも入ってくる。
アリアがリーラに向かって言った。
「リーラ。ちょっとカムイを部屋に連れて行ってくれる?」
「はい。」
リーラは即座に答える。
「さ、おぼっちゃま。お部屋に行きましょう。」
「え、あ……うん。」
促されるままに、彼は二階の自室へと誘導される。
階段を上がりながら、心の中で必死に状況を把握しようとする。
(なんだ!?何があったんだ!?)
居間に残された両親の険悪な空気が、背中に重くのしかかる。
部屋に連れて行かれたカムイ。
リーラは扉の前で短く言った。
「おぼっちゃま。少しお待ちくださいね。」
それだけを残して、彼女は静かに去ってしまう。
一人残されたカムイはベッドに横になり、天井を見上げた。
「なんなんだ、いったい……?」
不安が募る中、彼はふとひらめく。
「そうだ!」
ベッドから起き上がり、引き出しを漁った。
以前、遊び半分で作っていた小型の土人形が出てくる。
魔力を込めて移動できるように改造し、視覚と聴覚も共有できる優れもの。
「よーし!」
土人形は廊下を進み、居間の近くまで到達した。
すると、アリアの怒った声がはっきりと聞こえてきた。
「わかってるの!?」
「……!」
カムイは思わずビクッとする。土人形をこっそりと居間に侵入させる。目に映る居間の光景。
そこにはレオンハルトとアリア、そしてリーラの三人がいた。
アリアの表情は、明らかに激昂している。
土人形は、影に隠れながら三人の会話を拾い始めた。
聞こえてくる会話に、カムイは耳を疑った。
アリアの怒声が、はっきりと届く。
「わかってるのあなた!若い子を妊娠させたのよ!?」
レオンハルトが低く、申し訳なさそうに答える。
「……すまない。つい、魔がさして……」
「魔がさしてで済むと思ってるの!?」
アリアの声がさらに大きくなる。
リーラが間に入るように、静かに何か言っているのが聞こえた。
カムイはその光景を見て、完全に凍りついた。
(な、なに言ってんだ……?)
なんと、父親のレオンハルトが、ヴァルハート家の若い侍女を妊娠させていたのだ。
つい魔がさして行為に及び、避妊すらしなかったという、完全なクズっぷり。
アリアは昨日の晩、リーラと共にその若い侍女から直接話を聞いた。
だからこそ、あの冷たい表情と険悪な空気だったのだ。
アリアの怒りの声と、レオンハルトの弁明が続く。
カムイはベッドの上で、ただ呆然とそれを聞いていた。
(あの男……マジかよ……)
家庭内に、とんでもない爆弾が落ちていた。
昨日の晩。
アリアがカムイの騎士学校での一件を、リーラから聞いていた時だった。
扉が小さくノックされ、若い侍女が入ってくる。
「奥様、リーラ様。少しお話が……」
アリアが優しく顔を向ける。
「どうしたの?」
リーラも彼女の顔を見て、思い出したように言った。
「あなたは……確か少し前に入ってきた...」
「はい。メーデルと申します。」
メーデルは申し訳なさそうに俯き、声を絞り出した。
「すみません。実は……お腹に赤ちゃんができまして。」
その瞬間、アリアの顔がパッと明るくなる。
「あら〜!よかったじゃない!おめでたいわね!」
リーラも笑顔で穏やかに頷いた。
「そうですか。それはそれは。」
アリアが続けて心配そうに声をかける。
「でも……入ってきたばかりなのに大変ね。」とリーラの方を向く。リーラは
「そうですね...ですが大丈夫です。こちらもできる限りのフォローはします。もし金銭面等に困るようでしたら。私や奥様、それに旦那様にも相談して……」
リーラがそう言った瞬間、メーデルの肩がビクッと震えた。
アリアが首を傾げる。
「ん?どうしたの?」
メーデルは長い沈黙のあと、重い口を開いた。
「じ、実は……お腹の子は……旦那様の子です……」
旦那様。つまりはレオンハルト。
空気が、凍りついた。
アリアの笑顔が完全に消える。
リーラも目を見開き、言葉を失う。
二人はただ呆然とメーデルを見つめ、長い沈黙が居間に落ちた。
時計の音だけが、やけに大きく聞こえる。
そしてその日の夜。
私室でカムイと話を終えたレオンハルトのもとにアリアが訪れた。
「入れ。」
アリアの表情は冷たく、目は明らかに軽蔑の色を帯びている。
「どうした?」
「あなた……少し、お話が。」
「?」
アリアは静かに切り出した。
「あなた……メーデルさんは、ご存知?」
メーデルという名前を聞いて、レオンハルトの顔がわずかに曇る。
「あ、ああ。うちの侍女だろ?」
「妊娠されたそうよ。……あなたの子を。」
その言葉に、レオンハルトの顔は真っ青になった。
何も言い返せない。
アリアはそれ以上責め立てることもなく、静かに告げた。
「少し考える時間をいただきたいです。
明日……またお話ししましょう。」
それだけを残し、彼女は部屋を出ていく。
扉が静かに閉まる音が、ひどく大きく響いた。
一人残されたレオンハルトは、机に肘をつき、頭を抱えた。




