第18話 新住居と初対面
「お腹がすいたにゃあ」
チェリちゃんが空腹を訴えてポケットからにじり出てくる。
「ごめんなさい、すっかり遅くなってしまったわね」
「イリュもヴァリも話が長いのにゃ。早くご飯にするにゃ」
大きくて長めの音がチェリちゃんのお腹から響き渡る。ぷんぷんと怒るその様子が可哀想なような可愛いような……何とも言えない気持ちになるわ。
(というか、王妃様や陛下を呼び捨てにするのね)
さすがにゃんこ、そういう所も自由なのね。
「チェリ、すまなかったね。君やエストレア嬢を長い時間引き留めてしまって。ディフェクト、イティルラ、今日のところはこれで解散だ。また今度ゆっくりと皆で話をしよう」
「私からもお願い。エストレアさん、今日の埋め合わせをしたいからぜひまたいらしてね。今日は入学式で疲れたでしょうし、明日から授業も始まるからこの後はぜひゆっくりしてね」
陛下と王妃様に見送られ、私達は執務室を後にする。
「エストレア、慌ただしくてごめんね。本当は夜に会食をと考えていたのだけれど、父上も母上も立て込んでいてね。この時間に話すしか出来なかったんだ」
「それはいいのですが……あんなに忙しいと体を壊さないか心配ですわ」
陛下の机にあった書類の量や、宰相様との話し合いなどを考えるとまだまだ休めないのではないかと心配になる。
「まぁ普段からあれくらい働いているのではなく、この時期だからというのもあるかな。春は色々な事が始まるから」
そうね、暖かくなると様々な仕事が増えるものね。
今回の様な入学式や、冬の間は控えていた交易の再開など、国内外で色々としなくてはならない事が出て来るわ。シルバーニュ領でも本格的に農作業や商取引が始まるし、どこも余裕はないわよね。
「そのうちに食事やお茶会などに誘われると思うから、それまで少し王都の雰囲気になれていこう。シルバーニュ領とはまた少し文化が違うと思うから」
「頑張ります」
ディフェクト様の隣にいても恥ずかしくないようにしないと。
(ベリンダ様にも負けていられないし)
まだ彼女とは対面はしていないけれど、ベリンダ様の方は私の事を見かけたと言っていたわ。
どのような方かは知らないけれど、これだけディフェクト様達に言われるのだから、警戒するべき人物だろう。
私は大した事のない人間だ。だからと言って、ディフェクト様とイティルラ様を渡したくはない。
(それにチェリちゃんも渡したくはない)
再びポケットに収まったチェリちゃんに手を添えながらそう誓う。
この場所を渡したくはない。
◇◇◇
「お帰りなさいませ。ディフェクト様とイティルラ様、そしてエストレア様」
陛下たちのいる王宮から少し歩いたところに離宮はあった。
本当に私はここで暮らすの? というような大きくて立派なところで、尻込みしてしまう。
思わず後ずさってしまったけれど、イティルラ様も一緒だし、何よりチェリちゃんの「これからはエストレアも一緒で嬉しいにゃ」の言葉に負け、勇気を出して中に入る事にした。
最初に迎えてくれた執事のドレイヴさんに連れられて、建物に奥へと進んでいく。
「後ほど中の案内をなさいますので、まずはお召し物のお着替えを。その後は食堂にいらしてください、昼食の準備は整っております」
恭しい礼の後、ドレイヴさんは仕事があるとどこかに行ってしまった。
「じゃあそれぞれの部屋に行こうか」
ディフェクト様に案内してもらい、部屋へと向かった。
途中でディフェクト様と別れることになる。イティルラ様とは方向が同じだけれど、ディフェクト様だけ部屋が離れるらしい。
「ここからは男性禁止となりますので、ディフェクトは近寄れませんの。では行きましょう、エストレア」
イティルラ様が私の手を握った為かディフェクト様はなんだか悔しそう。
「ディフェクト様、すみませんがまた後で」
「寂しいけれど……またねエストレア」
寂しそうに手を振るディフェクト様にちょっぴり同情してしまう。
こちらには本当に女性しかいないようで、すれ違う人たちは女性ばかりだ。
「お父様に頼んで、こちらに入れる使用人は女性のみにしてもらいましたの。騎士も女性ですわよ。その方が安心ですからね」
「安心ですけど、こんなにも好待遇で申し訳ないですわ」
女性の騎士はなり手が少ないと聞く。それなのにここに配属してもらってよいのかと心配になった。
「何をおっしゃいますの? わたくし達の身分を考えるとこれでも足りないくらいよ」
イティルラ様は堂々となさっているけれど、私はまだそんな風に受け入れる事が出来ない。
「そうそう、わたくしにもですが、エストレアにも専属の護衛がつきますからね。ディフェクトの婚約者ですから、守りを強固にしないといけませんから」
「そ、そこまでするのですね」
「当然ですわ。あなたに何かありましたらシルバーニュ伯爵にも申し訳が立ちませんし、王家の沽券にも関わりますもの」
そう言われると大人しく受け入れざるを得ないわね。
今まで誰かがずっと一緒ってなかったけれど……いずれは慣れるかしら。
「わたくしの部屋はここですわね。それではエストレア、また後で」
私の部屋は廊下を挟みすぐであった。部屋に入っていくイティルラ様を見送ってから、私も部屋に入る。
部屋に入ると荷ほどきをしていたリーレンがいた。リーレンは私を見るや否や目を輝かして近づいてくる。
「遅いですよお嬢様! もうあたし、生きた心地がしなくて……」
おいおいと泣き出すリーレンに慌ててしまう。
「ごめんなさい、色々あって遅くなってしまって。何かあったの?」
こんなにも動揺しているリーレンを見るのは珍しいわ、緊急事態でもあったのかしら。
「何があったというか、予想外の事だらけですよ。あたしはてっきり学園の寮に行くのかと思っていたんです。それがまさかこんな立派なところに通されて、ここに住むように言われて。他の使用人の方とも会ったんですが、皆凄く仕事出来るし、綺麗だし。生きる世界が違い過ぎます」
泣いて縋るリーレンの言葉に私は頷いてしまう。
「それはわかるわ……でも私も先程知ったの。まさかこんな豪華なところで過ごすなんて、夢にも思ってなかったわ」
こんな豪奢なところに馴染みはないし、使用人のレベルも桁違いだ。自分たちが浮いているのを嫌でも感じてしまう。
「私達、これからここで三年は過ごすのよね……」
「うぅ、早くシルバーニュ領に戻りたいです」
「私もよ」
何を言ったとしても戻れるわけがないとは知っているけれど、考えない事は出来ない。もう既にホームシック気味だわ。
「でもこうして嘆いてばかりはいられないわ。私たちが来たのはシルバーニュ領の為だもの。その故郷に胸を張って帰れるように、頑張りましょう」
「そうですね……お嬢様、共に生き抜きましょう」
頷き合い、私達は誓い合う。無事に王都での生活を終えて一緒にシルバーニュ領に戻るのだと。
「さて、そろそろ着替えをしないと。ディフェクト様達を待たせてしまうわ。食堂で待っていると言ってたし」
「そうですね。ではあたし、服を用意します」
そう言ってリーレンが開けたクローゼットにはたくさんの服があった。
見覚えのないものが見えたので確認しに行くと、ウォークインクローゼットの中には何着ものドレスやらワンピースやらが見える。
「こんなにいっぱい……どうして?」
「王家からのプレゼントだそうです、足りないものがあったらいつでも言って欲しいと執事のドレイヴさんから言われてますね」
これもまたディフェクト様の婚約者になった恩恵なのね……でもこんなにいっぱいなんて、驚いたわ。
「とりあえず動きやすくて、でも失礼がない服をお願い」
「はい! 実は待っている間に良さそうなのを見つけてたんですよ」
リーレンは迷いなく選んで持ってくる。
手にしていたのはのラベンダー色のワンピースだ。胸元にはリボンがあしらわれており、袖や裾には控えめながらもレースが付いている。
「可愛い、春らしい色でいいわね」
「えぇ、他にもエストレア様に似合いそうな洋服がありましたので、これからも楽しみです」
リーレンが浮き浮きと嬉しそうにし始めてくれて、ホッとするわ。
こうして付いて来てくれたんだもの、なるべく楽しく、そして不自由のないようにしてあげたい。
「ではではエストレア様、制服をお預かりしますね」
そうしてリーレンが私の制服に手を掛けると、揺れた拍子かチェリちゃんが飛び出してくる。
「びっくりしたにゃあ。あたちは仕舞っちゃだめにゃよ」
「しゃ、しゃべった!? ウールドールなのに!」
リーレンの大声が室内に響く。
(そういえばリーレンにチェリちゃんの事話してなかったわね)
すっかり忘れていた為大騒ぎになってしまったわ。




