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これは、まだミスティアが王都では無く、一地方都市に過ぎなかった頃の話だ。
衛兵をやめたファロウの祖父は、ある時上官が気まぐれに分けてくれた珈琲の味が忘れられず、故郷のミスティアに戻って喫茶店を始めた。
その頃、ミスティアには珈琲を出す店はほとんど無く、大多数の人にとっては得体の知れない異国の苦い飲み物でしか無かった。
当然、珈琲だけを出す店を出しても中々流行らなかった。地元の顔馴染みが時々やって来ては「紅茶も出せば良いのに。」と善意で助言してくれても、頑固者の祖父は聞き入れず、頑なに珈琲にこだわった。おかげで当時の店内はいつも閑古鳥が鳴いていた。
そんなある日、一人の客がやって来て、珈琲を一杯注文した。上から下まで真っ黒な格好のその男は、祖父曰く「澄ました顔のいけすかない野郎だった。」という。男は、一杯をゆっくりと味わい、飲み干すと、よく通る声でこう言い切った。
「不味い。」
そして、呆気に取られている祖父には目もくれず、 さっさと金を置いて出て行こうとする。
「ちょっと待ちやがれっ!!」
やっと我に返った祖父は、その背中に向かって叫んだ。怒りで全身を震わせて、祖父はその客の男に詰め寄った。
「誰の珈琲が不味いだと!?」
「不味い物を不味いと言って何が悪い。」
そう悪びれもせず言い切る慇懃無礼なその客に、祖父は男が置いた金を粗雑に掴むと、相手の胸に押し付けた。
「『不味い。』と言われて金なんか受け取れるか!!とっとと持って帰れ!!」
「人をたかり屋扱いか?とんでもない店だな。」
その時、綺麗に整った顔に苛立ちが浮かんだ。
「こっちもたかり屋扱いされて受け取れるか。素直に貰っておけ。どうせ流行ってないんだろう?」
「ああぁん!?」
男は断固として受け取らず、祖父もまた譲らなかった。「受け取れ!」「受け取らない。」の攻防がしばらく続いた。
「これじゃあ埒が明かねぇ。」
さすがに疲れてきた祖父は、折れるかと思いきや、男が思いもよらないことを言い出した。
「決闘だ!」
「はあ?」
「明日また来い!今度こそ最高の珈琲でもてなして、てめえの度肝抜いてやる!!」
「こちらの予定を勝手に決めるな。何でそんな阿呆らしいことに付き合わんといかんのだ。」
「あ!?逃げる気かテメエ!!そうは問屋が卸さねぇぞ!」
「とんでもない店だな。」
男は苦々しくそう吐き捨て、扉に手を掛ける。しかし出ていく直前、「来週また来る。」と言い残した。
それから祖父と男の決闘が、週に一度行われることになった。
祖父が渾身の出来の珈琲を振る舞っては、男はこれでもかと扱き下ろす。祖父が「来週も来い!」と言えば、「だから勝手に決めるな。」と文句を言いつつも男はまた来週もやって来る。
そんなことが続いて一年経った頃、それは前触れも無く起こった。
「・・・・・・・・・。」
「どうだ?」
いつもなら即座に「不味い。」と言う男が、今日は黙っている。こんなことは今まで無かった。
祖父が緊張しながら息を殺して待っていると、「美味しい。」という声が聞こえた。
しかし、その声は祖父が切望した男の物では無かった。
見れば、カウンターの端にちょこんと座る女が、手にしたカップをキラキラした目で見つめていた。見覚えがある女だった。半年くらい前から一人で週に一度やってくる珍しい客だ。
女はこちらの視線に気づき、思わず声を出してしまったことを恥じるように顔を赤らめた。
「ああ!そうだ!美味い!これで満足か!」
男は美しい顔を醜く歪め、心底悔しそうにそう叫んだ。その姿を呆然と見つめ、祖父は男の言葉をゆっくりと咀嚼する。
そして、負け続けた己の初めての勝利に喝采を上げ、思わず敵であるはずの男に思いっきり抱き着いていた。
男は迷惑そうに祖父を押し退け、これでもかと文句を垂れたが、その時の祖父はまったく気にならなかった。
この一年の辛苦を想い、涙を流しながら喜んだ。そんな祖父の姿を見て、先程の女まで釣られて泣いている。
「良かったですね!店長さん!」
「おう!!ありがとうよ!!」
「この珈琲、本当に美味しいです!」
そう喜びを分かち合い盛り上がる二人を置いて、男はいつの間にか店を出ていった。
しかしその翌週、男はまた同じ時間にやって来た。ただ黙って珈琲を味わい、何も言わずにまた出ていった。その翌週も。そのまた翌週も。
同じく、女も毎週やって来ては珈琲を一口飲み、幸せそうに顔をほころばせた。
「こっちが知らん間に、俺と奴との決闘には観戦者がいたんだ。それが婆さん。」
頑固な祖父がその時は照れ臭そうに、祖母との馴れ初めを語った。ファロウが四歳の頃の話だ。
魂が抜けてしまったかのようなハウディと、どうして良いか判らない周囲を余所に、ファロウは一人落ち着いていた。
「よかったら、ウチの店で少し休まれていかれませんか?珈琲一杯分だけ。」
ハウディ達に微笑みながらそう提案するファロウ。この青年の胆力はどうなっているのだろう。
どう見ても使い物にならないハウディと、その付き添いとしてボーダンとレスタも珈琲を一杯ご馳走になることにした。
上司に後始末を押しつけられたはずの部下達は、喜んで送り出してくれた。あの惨劇に気を使ったのだろう。
喫茶“ディアロア”に戻り、ハウディはカウンター、ボーダンとレスタはテーブル席に座った。ファロウがサイフォンに火をかけている中、ハウディはずっとカウンターに突っ伏していた。
「大丈夫っすかね?ディー先輩。」
「大丈夫では無いだろ。何であそこで求婚するかなあの阿呆は。」
「失礼しますウホ。」
重厚感のある声が、向かい合う二人の間にすっと入ってくる。
「こちら、マスターからのサービスですウホ。」
ボーダンの前にエスプレッソ入りの珈琲カップ、レスタの前には牛乳入りのグラスが置かれる。前回の注文と同じ物である。置いたのは初対面で面食らってしまったがそろそろ見慣れてきた大柄で筋肉質の店員バーバラだ。しかし今二人は、今度はまったく聞き慣れない言葉に面食らっていた。
「お客さん。」
「あ、はい。」
バーバラが彫りの深いその顔をボーダンに向けた。何故か敬語になるボーダン。
「今まで失礼な態度を取って申し訳ないウホ。」
そう言って頭を下げる。確かに、バーバラからの当たりがきついとは感じていたが、いつの間に態度が軟化したのか。
「お客さんのこと、別れ話が拗れている二股男とずっと勘違いしていたウホ。」
「は?」
一瞬、頭が理解を拒んだが、ゆっくりと咀嚼する。つまり、ボーダンとハウディとレスタの三角関係だと思われていたのか。何故そうなった。
「お揃いのピアスをしている人が恋人で、新しい恋人を紹介して別れ話を切り出したから、殴られたりカレー顔面に押し付けられたりしているのかと思ったウホ。」
「いやこの耳飾りは実家の伝統であって、そういうのでは無いんだけど・・・。」
初めてこの店に来た日を思い返す。言われて見れば、そんな状況に見えなくも無いかもしれない。ボーダン本人からしたら言いがかりも甚だしいが。
「酷いっす先輩!私のことは遊びだったんすね!」
「面白がんな!そのわっくわくのニヤけ面やめろ!」
レスタが嬉々として、ありもしない三角関係に参戦してくる。勘弁してほしい。
「『ゴリラなんてお世辞言ってくるチャラ男が。マスターまで狙いやがって。』とか疑ってすまないウホ。」
「いや、それはもう構わないんだが・・・。」
二十年以上それなりに真面目に生きてきた自負があるボーダンは、まさかチャラ男呼びされる日が来ようとは夢にも思ってなかった。しかもマスターまで巻き込んだ四角関係形成を企んでいたと思われていたとは。しかし、ハウディの求婚の一部始終を見たバーバラはこの四角関係の正しい関係性を察し、己の勘違いを悟ったそうだ。
「私はマスターの珈琲に対する姿勢や情熱を尊敬してるウホ。だからマスターに不埒な真似をする輩は許せないウホ。」
どうやら勘違いをしていたのはこちらもだったらしい。ハウディとバーバラによるファロウ争奪戦というのは元から存在しなかったようだ。
バーバラはきっちりとした謝罪をし、カウンターに戻って行った。誤解が解けて何よりだが、正直今はそれよりも気になってしょうがない事柄がある。
「とりあえず、あの語尾何事?」
確かに聞いたがどういう意味なのか。「ウホ。」とは何か。
「確か、プーカ地方のモンカイ島辺りであんな方言があったような?」
バーバラと同郷のレスタが、フィンケット・シーのある島の名を上げる。ボーダンは隣国の地理の記憶を辿るが、モンカイ島とやらがどの辺にあるのか思い出せない。
「モンカイ島じゃゴリラって褒め言葉なのか・・・。」
「命拾いしたっすね先輩。」
所変われば常識も変わるが、モンカイ島ではゴリラっぽい方がモテたりするのだろうか。
行ったことも無い島に思いを馳せていると、ファロウが淹れた珈琲をハウディの前に置いた。ハウディはノロノロと起き上がると、またカップを呷り、一気に飲み干す。
「だからもう少し味わえや!」
思わずツッコんでしまうボーダン。苦笑するファロウは「ハウディさん。」と呼び掛けた。
「ちょっとこちらに来て貰えますか?」
そう言ってファロウはカウンターを出る。疑問に思いながらもまたノロノロと立ち上がりついて行くハウディ。いつものきびきびとした挙動が見る影も無い。ボーダンとレスタも席に座りながら、二人の動向を伺う。
カウンター横、本日の祝いの為に客達が持ってきた花が並べてある一角だ。その中にはハウディからと称してボーダンが運んできた胡蝶蘭の鉢植えもある。
だが、その胡蝶蘭は午前中とは様相が異なっていた。元は白い花弁がうっすらと青色に変化していた。
花屋の店員の説明を思い出す。花と妖精の国フィンケット・シーからの輸入品で、昼間は白色、午後から夜にかけて青色に変化する珍しい種であると勧められたのだ。
夜になれば鮮やかな青色になるのだろうが、今はまだ白っぽい青色くらいだ。
「何だか、ハウディさんの髪色みたいですね。綺麗だなあ・・・。」
件の胡蝶蘭を見つめながら、ファロウがそう呟く。言われてみればハウディの灰がかった青髪に色合いが似ているように見える。
「この胡蝶蘭の品種、“ブルームーン”って言うんですってね。花言葉は“奇跡”。今日、花に詳しいお客様に教えて頂きました。」
そういえば花屋の店員からそう聞いたかもしれない。すっかり忘れていたボーダンは同じく覚えていなかったレスタと共に「へぇ~。」と感心した。
しかし、まさかその花に詳しい客とはあの暴食花の老紳士ではあるまいな。
「僕、実は祖父母の出会った時の話が好きなんです。先代店主の祖父が、決闘にようやく勝利したら祖母と出会ったそうで。」
何故、喫茶店の店主が決闘をすることになったのか。そして何故それで生涯の伴侶に出会うことになるのか。いろいろと疑問は尽きないが、黙って続きを聴く。
「子供心に『人の出会いって奇跡みたいだなぁ。』と思ったんです。でも『奇跡って大きかったり小さかったり、すぐに気づけたり、ずっと後になってから気づいたりするのかな。』って。だから、もし僕が“奇跡”に出会ったら、ちゃんと気づいて、大事にしたいと思うんです。」
「はあ・・・?」
何の話をされているのか皆目見当がついていないハウディは困惑を露わに吐息のような相槌を打つ。
そんなハウディと打って変わってファロウはとても穏やかに微笑み、視線を胡蝶蘭からハウディに転じた。
「ハウディさんって、珈琲そんなお好きでは無いですよね?」
「はっ!?いや!そんなことは無いが!?」
「でも少なくとも、僕の珈琲、特に美味しいとか好みって訳では無いですよね?」
「いや!その!」
ハウディが慌てて否定しようとも、もうファロウは全部察しているのだろう。まあ、まったく味わって飲んでいないのはあの飲み方を見れば誰でも判る。
「いいんです。食や味の好みは千差万別だし、僕は祖父に比べればまだまだ半人前です。でも・・・。」
そこでファロウは言葉を切って、今度はしっかりとハウディに向き直り、真っ直ぐに見つめる。
「僕も祖父のように、大事な人に僕が淹れた珈琲を『美味しい。』と言って貰いたいんです。」
ファロウは、ぐいっとハウディとの距離を詰めていく。
「ハウディさん。一度断っておいて虫の良い話とは思います。ですが、これは僕が僕に課した決闘です。」
ファロウの瞳の力強さに、圧倒されるハウディ。あの小鹿はどこへ行ったのか。
「僕は絶対、貴女に『美味しい。』と言わせる珈琲を淹れられるようになります。その時、貴女に今度は僕から気持ちを伝えます。それまで待って貰えますか?」
ファロウの熱烈な言葉を聴いている間、ハウディは無表情だった。しかしその瞳はキラキラと輝いていた。心なしか頬も紅潮しているように見える。ハウディは広場でやって見せたように、ファロウの手を取り、その場に跪く
「もちろん・・・!いくらでも待つとも!」
ハウディは熱い眼差しでファロウを見つめ、ファロウも微笑んでハウディを見つめ返す。正に、騎士物語で使い古された定番の場面、姫に愛と忠誠を誓う騎士の姿である。役割が逆ではとは言えない程、絵になっていた。
「誰だ?あいつを小鹿って言った奴。」
「先輩っすねえ。」
「滅茶苦茶男前じゃねえか。」
怒濤の急展開に置いてけぼりを食らっているボーダンとレスタ。カウンター内では、目の端に光る物を宿したバーバラが爆音のような拍手を叩いている。
「しかし、大丈夫か?あいつの舌は紅茶と珈琲の違いがギリ判る程度だぞ?」
「いや、それは誰でも判るでしょ。豆と茶葉っすよ?」
「ウチの祖父さんが若い頃、自分が飲むついでにハウディの祖父さんにも珈琲入れてやってたんだがな。新しく豆を変えた時、味の感想を訊いたら、『豆?茶葉だろう?』とほざいたらしい。」
「お祖父さん味覚まで封印しちゃったんすか?」
この珈琲を紅茶と勘違いしてずっと飲み続けていたという不名誉な伝説は、ボーダンの祖父によってそこそこ広まったが、あまりにもありえないだろうと、信じる者は少ない。
「その伝説の舌を持つ男の孫が奴だ。」
「これ何年かかるんすかねぇ。」
ファロウがハウディにプロポーズし返したのは、それからニ年半後のことである。
ハウディ=アステリオンにとって、恋とは惚れた方が負けである。だが、存外負けるのも悪くは無い。




