弱気
「殿様、どうされました?」
初瀬が気になったのは、職員室で出会った咲楽の表情が、やや硬かったことだ。確かに、咲楽は、普段からニコニコしているようなタイプではない。しかし、真面目ながらも、沈んだ表情を見せるタイプでもない。ここ数日、初瀬と一緒にいるときには見せなかった表情である。だから初瀬は、質問に質問を返してしまった。
「会長こそ、どうされたのです?」
「私……ですか、少し、職員室に所要がございまして。」
咲楽は、あいまいに少し微笑んだ。あくまで、具体的なことは何も答えないつもりのようだ。
「じゃあ、俺もこれから所要がありましてね。」
それじゃ、と言いながら職員室に入ろうとしたところで、
(少し大人気なかったかな)
と思ったが、言ってしまったものは取り返しがつかない。しかし、咲楽の横を通り過ぎようとしたら、咲楽が、初瀬の腕を軽くつかんだ。
「殿様、申し訳……ございません。」
視線を落とし、力なげに、首を振る。
初瀬は、困惑した。こんなに気落ちした会長は、初めて見る。一体、職員室で、この放課後の間に何があったというのか。初瀬は腕時計をちらりと確認した。時計は3時40分を指していた。まだ少しなら時間に余裕はある。
「分かりました、会長。少し外に出ましょう。」
幸い、職員室は閑散としており、初瀬と咲楽との会話を聞いている者はいなかった。初瀬は、咲楽を、職員室に近い階段の踊り場まで誘導した。
初瀬は、周りを見回し、人がいないことを確認して口火を切った。
「ここなら、あまり人は通らないと思います。」
「殿様、ありがとうございます。でも、人気のないところで、何をなされるおつもりです?」
初瀬の胸に左手の平を当てて、咲楽はいたずらっぽく微笑んだ。初瀬はどきりとしたが、そんな内心を表情に出さず、
「会長、真面目に話してください。」
咲楽の手をそっと右手で持って外す。咲楽の腕が予想以上に細く柔らかいことで、また心臓が跳ね上がったが。
「殿様……。やはり、殿様は、頼りになる御方ですね。」
向かい合って立つと、背はわずかに初瀬の方が高い。咲楽は少しうるんだ目で、初瀬を見上げた。顔が、とても近かった。
「か、会長?」
「いえ、申し訳ありません。私が、会長になったときに公約した件なのですが。」
咲楽は、再び真面目な表情を取り戻すと、
「私は、生徒会予算の引き締めを公約しました。それが何故だか、お分かりになられますか?」
「いや、クラブの乱立が問題だ、としか。」
初瀬が、初めて咲楽とあったときに、聞かされた話である。
「おっしゃるとおりなのですが、それは遠因です。もともと、学校側から、生徒会予算の削減を突き付けられていたのです。」
初瀬にしてみれば、どこが重要な話なのか、まだ理解できなかった。
「そして、それに対して私たちは……」
咲楽が、初瀬の方に上半身を傾けて熱弁をふるいだしたところで、
「殿様、ときに、その書類は?」
と、初瀬が手に持つ書類に目を止めた。職員室に持って行こうしたときに咲楽に遭遇したため、まだ持っていたのである。
「副会長にお遣いを頼まれましてね。職員室に届けるところだったんです。」
「ふむ……。殿様、ちょっと失礼してもよろしいでしょうか?」
「あ、はい。どうぞ。」
初瀬は、会長に請われるがまま、書類を渡した。
「ふむ……。いや、これは……。」
咲楽は、ぶつぶつとつぶやきながら書類をめくっていたが、最後までさっと目を通すと、初瀬にそっと書類を返した。
「殿様。これは、副会長が?」
初瀬が首肯する。最前まで力を失っていた咲楽のまなざしは、徐々に輝きを取り戻しつつあった。
(っていうかこれ、会長が書いた書類じゃないの?)
初瀬の脳裏には疑問が浮かんだが、それを口に出すよりも早く、
「殿様、生徒会室に戻りましょうか。」
咲楽が、初瀬の腕を引いて歩き始めていた。
「ちょ、ちょっと、会長!」
「ご無礼をお許しください。生徒会室で、すべてお話しますゆえ。」
「というか、職員室に書類を届ける用事が。」
「後ほどでも差支えございません。」
初瀬の前を歩く咲楽の表情はやや硬かった。
「でも、副会長が……。」
初瀬の言葉に、咲楽は足を止めて、振り返った。長い黒髪が、ふわりと翻る。そして、毅然とした口調で、告げた。
「問題ございません。生徒会長権限ですから。」
次回以降、色々と衝突する予定です。




