若い衆
午後5時半。9月に入り、日も短くなった。もうかなり、日も傾いている。初瀬は、咲楽と連れ立って、帰途についていた。学校で生徒会の仕事をしていたら、少し遅くなってしまったのだ。
初瀬は、自宅前の路上で足を止めた。いや、止めざるをえなかったのである。
「トラック?」
頭の中に浮かんだ感想が、ひとりでに口から出た。いかにも、自宅を兼ねる喫茶店「平岩亭」の前には、トラックが横付けされていて、簡単には入れそうにない。
初瀬の両親が経営している喫茶店「平岩亭」は、午後7時まで営業している。そのため、この時間は普通に営業中のはずだから、妙な話である。そして、そのトラックは、ただの宅急便などではない。トラックの後部から、ガタイのいいお兄さん数名が、大きな荷物を、次々と平岩亭の中に運び込んでいたからである。
(とうとう夜逃げか?)
と一瞬、初瀬の頭をよぎったことは秘密である。なにせ、平岩店は、どうやって稼ぎを得ていないのか分からないくらい、人が入らない店であったから。
ただ、夜逃げにしては平穏だし、荷物を出すのではなく、むしろ荷物を入れているのだから、そおうではないのだろう。何が起きたかわからず、とりあえず、初瀬はトラックの横の隙間から、平岩亭の入口をくぐった。
お兄さんたちは、特に初瀬の動きを遮ることもなかった。むしろ、
「お嬢、お疲れ様です‼」
「おつかれさまっす!」
と、初瀬に付き従っていた咲楽に、次々と頭を下げる。咲楽は涼しい顔で、
「ご苦労様。大体終わった?」
「へい。あと2、3点だけです。」
「じゃあ、残りもよろしくね。」
指示を出した後、初瀬を紹介する。
「殿様、紹介します。うちの若い衆です。」
「あ、どうも。」
全く脈絡が分からなかったが、初瀬は、とりあえず頭を下げる。
「こちらのお方こそが、春島藩の藩主である。皆の者、失礼のないよう、よくご挨拶するように。」
咲楽は、少し芝居がかったしぐさで、手のひらを上にして、初瀬の方に左手を出す。
「おおっ、この御方が!」
「次期社長ですか‼」
「バカ、殿様と社長を一緒にするな。」
お兄さんたちは、大盛り上がりであった。
ひとしきり騒いだあと、ガタイのいいお兄さんたちは、「じゃあ、あっしらは、まだ作業が残ってますんで」と、ふたたび、荷物を持って家の中に入っていった。
「なんだ、ありゃ。」
初瀬のつぶやきに、咲楽が律義に答える。
「先ほど、紹介したとおり、我が社の若手社員です。」
「社員さん?」
「ええ。その中でも、現場を担当する部署です。」
「あ、そういうことでしたか……」
若い衆とか言うから、危ない人達かと思った、ということは、怖くて口に出せなかった。
初瀬は、とりあえず家に入ろうとして、全然問題が解決していないことに気づいた。
「いや、社員さんだとして、どうして、うちに荷物を運んでるんです?」
「失礼、殿様には申し上げておりませんでしたか。御前様には、昨夕ご説明いたしましたが。殿様に世話に必要な荷物や、私の私物などを少々、運び込む必要がございまして。」
(それにしては、ずいぶんと大きなトラックだが。)
いずれにしても、中の様子を見た方が早いと判断し、初瀬は自宅に入った。
平岩亭の中は、いたって平和だった。相変わらず、客もいない。咲楽の父が経営する会社、桜間建設の「若い衆」とやらが何やら作業しており、初瀬の母・相子もそれを手伝っていたくらいであった。
「あ、おろちゃん、咲楽ちゃん、お帰りー。2階の搬入はだいたい終わってるわよー」
「御前様、有難うございます。殿様、様子を見に行ってみてもいいでしょうか。」
「あ、もちろん。」
というより、初瀬も荷物の様子が見たかったのである。
「な、なんじゃ、こりゃー!」
叫んでも何も解決しないと分かっていながらも、言わざるをえなかった。2階の一番奥まった部屋。初瀬家の2階は、階段を上がって一直線に伸びる廊下に沿って、3つのドアがある。階段から一番近い部屋が初瀬の両親の部屋である。初瀬の部屋は、その隣の、真ん中の部屋。そして、問題はその奥の部屋であった。もともとは空き部屋で、物置代わりになっていたところを、昨夜、咲楽が寝泊まりできるように、片づけた部屋である。
まず、その部屋には、ドアが「なかった」。比喩的な表現ではなく、今朝まで存在していた木製のドアが、本当に存在しなかったのである。
「ドアが…」
「殿様、お気に触りましたでしょうか?」
咲楽は、初瀬の方を気遣うように見た。
「いや、別に、フスマが嫌いというわけではないですが……」
そう、ドアがいつの間にか、和室によくある襖に変わっていたのである。
「それでは、中も確認させていただきます。」
(まさか。)
「うむ、しっかり片付けも終わっていますね。短時間でこれだけできれば、十分でしょう。」
咲楽は、満足げにうなずいた。
「な、何で和室に変わってるんだー!」
少なくとも、昨夜までは、何の変哲もないフローリングの洋室だった部屋が、帰ってみるとあら不思議、全面畳張りの和室に変わっていたのである。さらに、窓も和風に変わり、床の間まで作られている。ちなみに、床の間の掛け軸には、大きく「忠義」と書いてあった。
「和室は、私の趣味です。」
咲楽は少しドヤ顔をした。
「いや、そういうことを聞いているんじゃなくて……」
「殿様にも、大殿様にも、この部屋を使っていいと、お許しいただきました。まこと、有難いことです。」
「いや、確かに、この部屋に寝ることは認めましたが、それだけですからね。」
初瀬のつぶやきも、恍惚として語る咲楽には届かない。
「これから、長い暮らしになるのです。ですので、実家の私の部屋をできる限り再現したのです。その方が、ご奉仕もしやすくなると考えまして。」
薄々、分かっていた。そんなにあっさり、咲楽が諦めるはずはない、と。しかし――
(いつか、はっきりさせなきゃ。)
初瀬の中で、その思いだけは、どんどん強まっていくのだった。
「あ、ところで、殿様」
「何でしょう?」
「うちの若い衆も、泊まり込ませましょうか? 力仕事も必要なことがありましょうから。」
「いや、全力でお断りします!」
「そうですか? 殿様がそうおっしゃるのでしたら。」
咲楽は不思議そうに首を傾げた。
いよいよ、咲楽が本格的に住み始めましたね。これから、初めての日曜日編となります。




