三話 泡沫の願い
びくびくと小動物のように震えながら跪く兵たちを、ウィルは静かに見下ろす。
(怯えられる王に、どれだけの価値があることか)
怯えられている自分のあまりの情けなさに、笑いを堪えるのが大変だった。
「で、ですから、力及ばず、両名の発見は――」
「構わない」
「……えっ?」
「この結果に貴公らの非は一切ない。そもそも、かの『かの英雄ジール』を追っているのだ。万事うまくいくと思う方がおかしい。急いて無駄に犠牲者を増やすより、丁寧に時間をかけ進めてくれ」
ウィルは少しわざとらしく考え込むような動作をしてから、そっと言葉を付け足した。
「……とりわけ、リリィフロスト家の方を重く見てくれると助かる。あそこに逃げ込まれたら少々厄介だ」
兵たちは安堵したように目を輝かせ、背筋を伸ばし敬礼をし、命令を受諾する。
そう――ゆっくりで良い。
そうでないと、彼女が逃げられないから。
兵たちが去り、一人になってからウィルは小さく溜息を吐いた。
「本当に、これで良かったのだろうか……」
今更悩んでも仕方がない。
それはわかっているのだが、悩まずにはいられなかった。
あいつなら、彼女を託すに値する。
きっと彼女を幸せに――。
気づけば、拳を握りしめすぎて血が出ていた。
「もし、俺があいつみたいに出来たら……」
自分が企んだ通りだというのに、嫉妬の心を抑えられない。
わかっている。
この後悔は、単なる弱さだ。
国と、彼女。
自分はその二つを天秤にかけ、そのどちらも選べなかった。
完全なる自業自得で、誰かを恨めるような立場ではない。
それでも、恨まずにはいられなかった。
彼女と結婚するという幸せな未来が、すぐそこまで迫っていたのだから。
事件の始まりは、ウィルが一枚の書類を手にしたことから始まった。
その書類に書かれていたのは、『アリアが遠縁を通じて外国と手を組み、情報を売っていた』という内容とその証拠について。
当然の話だが、ウィルは信じなかった。
こんな与太話と一蹴出来る程度に、ありえない。
そも、彼女は社交界の花である。
社交界という口先の戦場で、時に隣接する貴族と、時に外国からの使者と戦い抜いてきた。
そんな彼女がもし本気で売国を目指したなら、こんな下劣で下らない下策に手は伸ばさない。
もっとスマートに事を為す。
けれど……。
ノックの音でウィルは我に返り、"かつて見た捏造証拠"から"今"に意識を戻した。
ウィルの返事を待つことなく扉は開かれ、目つきの悪い老人と若い男が中に入る。
ウィルが彼らが大臣とその護衛であると気づき、頭を垂れた。
「失礼する。姫に……おっと再び失礼。アリア嬢に逃げられたと」
ウィルは燃え狂いそうな内心を押し殺し、微笑んだ。
「ええ。流石は英雄ジール。敵に回ると、こうも面倒な男とは……」
「うむ……。自国の英雄を殺すことは許されず、かといって捕縛することも難しい。個の戦力でここまで厄介なのは、彼くらいでしょう」
「まったくもって、その通りです」
「ですが……信じられませんなぁ。あの純白のような子が、スパイに密売や横流しと、ここまでの悪事を働くとは……」
(どの口が……)
そう叫びぶん殴りたくなる気持ちを、ウィルは必死に飲み込んだ。
「……事実ならば、仕方のない話です。証拠の方は、ご確認なさいましたか?」
「もちろん。確かに、あの証拠は本物でした。なら……そうなんでしょう。……惜しいことです」
うんうんと頷く大臣を、いますぐに殺してしまいたい。
けれど、ここでこいつを殺せば、すべてが台無しになる。
だから、腸が煮えくりかえりながらもただただ耐えるしかなく、大臣たちが帰るまで、ウィルは偽りの笑みを浮かべ続けた。
頭の中で何度も彼らを殺しながら。
アリアが行ったとされる悪事。
その証拠は当然、すべて嘘。
記載された悪事はすべて、先の大臣の所業である。
けれど……証拠の真偽など、今の状況にはさほど意味を為さない。
これが先の捏造証拠を大臣が用意したのなら、話は単純に終わる。
証拠をぶちまけ大臣の首を落とせば良い。
けれど、その証拠を用意したのはもっと上の立場。
――言うならば、国そのものなのだった。
彼女、アリア・リリィフロストは『ミッド南方帝国』の血を継いでいる。
それは祖の一人がそうだという程度の話であり、アリア自身はかの帝国と何の接点もない。
この程度の混血なら、正直さほど珍しいものではないだろう。
けれど、それが次期国王の正妻となるなら、話は変わって来る。
例え薄くても他国の血が混じってしまう。
その事実は、国として大いに利用出来た。
『外国人の血を持つくせに、正妻になった恥知らず』
クリフィード王国はアリアに対しそんなレッテルを貼り付け、次期国王を引き立てる置物にしようと画策した。
国内に蔓延る不満の矛先を彼女へ向け、その先にいるミッド南方帝国へ怒りを反らす。
最終的には彼女を大罪人として処刑し、すべての罪を彼女に押し付けなかったことにする。
国民をまとめるのに、なんと都合の良い筋書きだろうことか。
そして更に性質の悪いことは、その仮想敵国であるはずのミッド南方帝国さえ、この計画に一枚嚙んでいる。
ミッド南方帝国はアリアへの扱いを理由として『クリフィード王国こそが悪である』と断じ、国内の不満を押し付けるつもりだった。
つまるところこれは、為政者が国民を騙すためだけのプロパガンダ。
二国による盛大なマッチポンプであった。
ウィルだって王子である。
情勢の不安定が続く状況で、それを行う必要性もその意義も理解できる。
けれど、そのためにアリアを犠牲にする。その一点だけは、どうあっても許容出来なかった。
国と大臣による思惑を知り、ウィルはどうすれば彼女を救えるかと考えた。
もっとも容易いのは、捏造された証拠を持ち、国民や外国に訴えること。
けれど、それは選べない。
次期国王である自分がそれを行えば国を割り、クリフィード王国そのものが崩壊する。
王国が崩壊したとき、最初に犠牲となるのは王族ではない。
国民だ。
力なき民が犠牲になるというその選択だけは、ウィルには選べなかった。
誰かに頼れたら、もっと違う選択肢があったかもしれない。
だけど……アリアに、国が君の敵だと伝える勇気がなかった。
直情的なジールに話せば、後先考えず暴れることが目に見えていた。
じゃあ、どうすれば良い?
最愛の国家が敵であり、放置すればアリアに悲劇が及ぶこの状況をどうすれば改められる。
必死に、必死に考えて……。
それでも、捏造された証拠を先回りして利用することしかウィルには思いつかなかった。
どうあっても、クリフィード王の妻としてアリアが幸せになる道はない。
だから、別の場所へ逃がす。
国内外問わず、どのような場所でも、アリアが幸せになればそれで良い。
アリアが自分から離れ、幸せに生きられるよう、ここから支援する。
それだけが、ウィルが彼女に送れる精いっぱいの愛だった。
それでも、願わずにはいられなかった。
自分の隣で、彼女が微笑む未来を。
あと一歩。
そう……夢はあと一歩のところで、泡と消えた。
ウィルが溜息を吐いた、その瞬間――破れんばかりの勢いで扉が開かれた。
「き、緊急ゆえ失礼します! 敵襲です!」
「――は? ここにか?」
今ウィルがいるのは、王城から数百メートル離れた屋敷の中。
王城ほどではないが、盗賊だって近づかない程度には厳重な警備網が敷かれている。
ここに攻め込むなんてのは、とてもじゃないが正気の沙汰じゃなかった。
「は、はい! ここにです!」
「……信じられんな。それで、敵の数は何百だ?」
「敵は一人。英雄ジールです!」
その瞬間、ウィルは怒りのあまり目の前が真っ赤になった。
「……なんだよ、それ……ふざけるなよ……」
苦渋の決断をして、彼女を託した。
お前なら、彼女を幸せにできる。
そう思って、すべてを託しのに――。
「なんで一人で、こんな場所に来た。あの馬鹿……」
単純で、考えていることの分かりやすい奴だった。
けれど、今だけは。ジールが何を考えているのか、まるで分からなかった。
ありがとうございました。




