二話 逃走劇と私の剣
焚火から火の粉が夜空へと舞い散り、溶けるように消えていく。
パチパチと、枯れ木が爆ぜる音の中、ほーほーと鳥の声が響いて。木々を揺らす優しい風が、私の髪を優しく撫でる。
追われているとは思えないほど、穏やかな夜だった。
「すまんな、こんな用意しかなくて」
ジールが小さなテーブルにコーヒーを置く。
「いえ、文句なんてそんな……。ありがとうございます」
感謝の笑みを浮かべてからカップを受け取り、口に付ける。
強い苦みの裏には、確かな香ばしさが感じられる。
いかにもジールらしい、実直な味だった。
そう――文句なんてあるわけがない。
人ひとりを抱えながらパーティー会場の護衛となる精鋭兵から逃げおおせ、こんな平穏な夜を過ごせている。
こんなの、ジール以外の誰にも出来ない。
感謝こそすれど文句など。
それよりも問題は――。
「やっぱり、おかしい」
「やっぱりコーヒーじゃ駄目だった?」
困った顔のジールに、私は思わず笑ってしまいそうになった。
「いえ、そうではなくてですね……こうして私たちが平穏でいられることがです」
「……どういうこと?」
「クリフィード王国希代の名将、ジール・アルスター」
「おいおい突然どうした? あんま褒められても照れることしかできないぞ?」
「事実です。王子の護衛でありながら、戦場に呼ばれるほどの実力者。そして――『野戦の天才』」
「……悪いが、俺は頭はあんたらと違ってからっきしなんだ。結論を言ってくれ」
「私がウィルの立場なら、最初の一手は近隣への山狩りとします」
私の一言に、ジールは顔を顰めた。
確かにジールはこの国きっての名将である。
けれど、その能力と性格から、行動そのものは非常にわかりやすい。
本気で逃げるつもりなら、ウィルの予想をずらすため二つ、三つ遠い山へ行くか、いっそ山を避けるべきだった。
だから、見つかっていないことがおかしかった。
私が考え付く程度のことを、彼が考えてないわけがないのに。
「……おっかね。やっぱり俺にゃ上は無理だ。現場指揮官が精々だな」
「為政者の立場から見れば、貴方のような方がもっとも頼もしく恐ろしいですがね」
「ほんで、アリアは何を言いたいんだ?」
「はい。ウィルは本気じゃない。何か事情が――」
ジールの表情が露骨に変わった。
怒りを堪えるような、そんな表情に。
「あんたがあいつを庇いたい気持ちはわかる。けど、それは楽観視し過ぎだ。あいつはあんたを裏切った。あんたを奴隷にまで落とそうとしたんだぞ?」
「それだって、きっと本意では――」
「本意だろうとどうだろうと、やっちゃいけないラインをあいつは越えたんだよ!」
ジールの拳が固く握られる。
「どうして……あいつは……」
私は何も言えなかった。
ジールは、そういう人だ。
曲がったことが大嫌いで、一度信じた相手を疑わない。
彼の裏切りに対し、ジールは私以上に苦しんでいた。
(だから、ジールの分まで私が考えないと……)
既に、ヒントは多く出ている。
裏で手を回せば済むはずなのに、わざわざ公衆の面前で婚約破棄なんて、どこかの創作話みたいなことを実行した。
巻き込む必要のないジールまで、故意に巻き込んだ。
そして、ジールの性格を知っているなら、真っ先に警戒するはずの最寄りの山を放置している。
ヒントは多い。
怪しむ点も多々見つかる。
それでも……。
(……駄目だ。考えてもわからない)
誰かに仲たがいを見せたいような気もするが、それなら事前に相談してくれる。
私にまで秘密にする理由が想像つかなかった。
もともと、こういった推理が得意なのはウィルの方。
そもそも私は企みごと自体があまり得意ではない。
私がウィルやジールの手助けになれるのは、精々社交や外交くらいのもの。
そんな私が、彼を出し抜けるはずがなかった。
「……ジール。すいませんが、今後の予定について教えていただけても?」
「お、おう。とりあえず俺の一門……アルスター家で保護を受ける予定だ。これでも武門の一族。国と敵対しても、すぐには潰れん」
「あの、お家を巻き込んでも……よろしいのですか?」
「逆だ。うちの教えは『正しきことをせよ』だぞ? この状況であっちに肩入れしたら、俺はアルスターの名を捨てることになる」
「なかなかに……こう……強烈な教えですわね……」
「そうか? んで、その後なんだが、アリア。あんたの家はどうする? 巻き込みたくないなら無視するし、そっちに返してと言うのなら送り届けるが?」
「……いえ。申し訳ありませんが、実家の方は……」
「わかった。なら、当面の方向性としてはアルスター家での保護ということで」
ジールは、敢えて何も聞かずにいてくれた。
『俺は実家を使うのに、お前は随分と勝手なんだな』
そのくらい言ってもいいはずなのに。
けれど、今はそれがありがたかった。
もうこの状況では実家さえも疑わしい。
けれど、それを政治に関心の薄いジールにうまく説明出来る自信はなかった。
むしろ私の現状で心の底から信頼出来るジールのような存在の方がおかしいと言えるだろう。
「……ほんと、人気の理由がわかりますね」
誰にでも分け隔てなく優しく、裏がまったくなく、それでいて愚直で誠実。
だからこそ、ジールは『英雄ジール』と皆に慕われていた。
「ん? 何か言ったか?」
「いえ。何でもありません。ありませんが……」
「思ったことがあれば何でも言ってくれ。今だけは、俺は国じゃなく、あんたの剣だ」
「……なら、相当に無茶な命令を下しても構いませんか? 多分に私たちの命を脅かすような内容なのですが……」
ジールは顔を顰めた。
そして、盛大に、心底嫌そうに溜息を吐いて。
「――あんたの盾って言えば良かった……」
「ごめんなさい。迷惑をかけるので、やっぱり一人で――」
「その選択肢はない。ただ……一個だけ約束してくれ」
「何でしょうか?」
「何があっても、絶対に、俺より後に死んでくれ。それさえ約束してくれるなら、まあしゃあないと受け入れてやる」
「……ええ、約束しましょう。為すべきことを為すまで、最後まで足掻くと」
ジールは再び盛大に溜息を吐て……私の横に、どかっと座った。
ありがとうございました。




