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8話 秘密の第三王女様と騎士団団長のファーストダンス

 あまりにも華麗な変身を遂げた美しいローラの姿に魅入っていたカイルは、数秒間、次の動作を取ることが出来ずに玄関ホールでただ、ローラに見惚れていた。


 ローラの華やかな装いに見惚れてしまい、すっかり気の利いた台詞も言えずに固まってしまっている不甲斐ない兄のカイルに代わり、驚きを隠せないながらもローラを正面から見つめ、笑顔で先に感想を述べたのは意外にも弟のアンドレだった。


「……チビ姫。今日は随分と美しくなったなぁ」


いつもの呼び方に、ローラは緊張しながらも嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう、アンドレ兄様…」


はにかんだように柔らかな笑みを向けるローラに、知らずアンドレの頬が赤くなる。カイルの反応を窺うようにローラが見上げると、視線を合わせたカイルが、はっとしたように表情を引き締め、綺麗だ、と告げた。

 似合わなかったら、どうしようかと内心不安だらけだったローラは、素直に褒めてくれたカイルとアンドレの台詞にようやく、安堵した表情へと変わる。


「足元、段差に気をつけろよ?」


「はい」


 騎士の礼法そのままに、ローラを完璧にエスコートしながらカイルが侯爵家の馬車へと乗り込む。二人の後に続き、アンドレも頑丈な造りをしている馬車へと乗り込み、デビュタント・ボールが行われる王宮へと向かった。


 長い並木道には、既に入宮待ちの馬車で列ができておりデビュタントが行われるホールへ入場するのは身分の低い順からであるが、王宮に入る順は高位貴族からというルールのため、高位貴族の中でも公爵家に次ぐ爵位のため比較的スムーズに高位貴族用の道を通り、会場へと到着した。


 各家門のマークが入った馬車からデビュタント・ボールに参加する令嬢とそのパートナーが下りて来る。

 ローラにとって、久し振りとなる公式の場所での舞踏会に、心臓はドキドキしっ放しだった。そんな、落ち着かない様子のローラを見つめてカイルとアンドレは穏やかに微笑んで見せた。


「…チビ姫。いや、ローラ。今日のお前はとても綺麗だから何も心配はいらない。多少の緊張はあるかもしれないけど、俺と兄さん、それから後で父さんも来るから怖い物なんてないだろ?」


そう言って胸を張って見せるアンドレの仕草に、ローラの表情が緩む。


「今日は騎士の俺がお前のために完璧にエスコートするから安心してデビュタントを楽しむと良い」


冗談めかして笑うカイルの気遣いに、ローラは柔らかい笑みへと変わる。普段から、王族の護衛も担当しているカイルにとって、ローラをエスコートするのは難しいことではない。

 

 しかも、本来はメテオリア王国第三王女であるローラにとって舞踏会は緊張してしまうものの、凡そどのような場であるかというのは理解していた。落ち着いてさえいれば、何とか大きな失敗は避けられる筈だとローラは深呼吸をした。


 そんな、三人三様複雑な立場と感覚が絡み合ったまま、デビュタント・ボールの幕が上がる。ローラはカイルのエスコートで馬車から降りると、ふわりとオーガンジー素材のドレスの裾を靡かせて舞踏会場へと向かった。


 ローラの可憐でいて上品な装いに目を奪われた人々がじっと見つめる度に、ギラリとカイル、アンドレが鋭い眼光を向ける。高位貴族であり、武家の名門である侯爵家が後ろ盾となっていることを見せつけるカイルとアンドレに不埒な視線を向けていた者達はあっさりと身を引いた。


『ローラ・ハサウェイ様とパートナー、カイル・ルクシオン小侯爵様の入場です!』


ホールから声が掛かると、カイルがローラをエスコートする。


「行くぞ、ローラ」


「はい、お兄様」


仲睦まじく寄り添う兄と妹、二人の関係が大きく動き出すデビュタント・ボールへと二人が足を踏み入れた。トリアント王国の最高峰と言われるオーケストラの音楽に合わせて、高貴な空気を纏った可憐なご令嬢と凛々しい顔立ちをした逞しい騎士が華麗にステップを踏み、流れるような動きでダンスを楽しんでいる。


 ローラがターンしたタイミングで、カイルがホールドすると、華奢な体がふわりと宙を舞い、着地するタイミングで軽やかにドレスの裾が広がる。その洗練された動作の一つ、一つに気品が漂っており、自然とパートナーとダンスをしている者達の視線を奪う。


「…ローラ、ダンスが上手だな。初めて知った」


眩い光の中で、いつもとは違う表情を見せるローラの姿にカイルも目を離す事が出来ない。


「そうですか…、良かった。お兄様のステップが慣れていて、合わせられるか心配でした」


二人の距離が近づく度に、お互いの距離感が掴めなくなるような気がして、カイルとローラは、照れたように見せる笑顔の奥にそれぞれが複雑な想いを抱いていた。一曲目を無事、踊り終えたところでカイルに代わり、アンドレがローラの手を取る。


「さ、ローラ。お手をどうぞ」


アンドレがカイルの手からローラを奪うようにポーズを決めると、悪戯っぽく笑い、ゆったりとステップを踏み出す。カイル同様、高位貴族として幼い頃からダンスの授業を受けていたアンドレのステップも安定していてブレが無い。ローラのダンスを上手くリードしながら、無理のない動きでホールを巡る。


 二人のダンスは対照的でありながら、安定しており、どちらもローラが踊りやすいように次のステップへと繋ぐものだった。ローラは二曲目のダンスパートナーになってくれたアンドレと笑顔を交わし、いつの間にか、令嬢達に囲まれているカイルから離れた場所へと落ち着いた。


「ローラ、二曲も踊って疲れただろう?俺が軽い食べ物とアルコールを持って来るから、ここで休んでろよ」


ローラをホール端に設置されたソファへ座るように案内すると、アンドレは軽食とワインを取りにオードブルのコーナーへと向かう。


 以前のローラであれば、ダンスで二曲も踊る事はなかった。それに、ダンスパートナーに触れたいとも思っていなかったのだ。トリアント王国に来てからというもの、カイルという存在の大きさを感じる度に、ローラは知らないうちに自分が変化しているのだと実感する。


 ローラは自分が初めて舞踏会でステップを間違えずに二曲続けて踊り切った興奮と、胸の高鳴りが抑え切れずに、華やかな令嬢達に囲まれているカイルへと視線を向けた。

 すると、そこにはいつもの穏やかで優しい表情を見せる兄のカイルでは無く、高位貴族として、侯爵家の次期当主としての威厳を持つキリッと引き締まった表情のカイルの姿があった。


  このトリスタン王国は、魔法省、国軍省の二大派閥が国土全ての防衛を担っている。その中でも歴代の猛将を据える王立騎士団は第一部隊から第三部隊まで編成されている大組織であり、モンスター討伐から近隣国との領土戦、地方遠征など幅広く活躍している謂わば国のエリート軍人達だった。


 そんな王立騎士団において、戦時には前線に立ち剣技を振う第一部隊を率いる騎士団団長こそ、カイル・ルクシオンだった。武家の名門として名を馳せる侯爵家の後継者でもあるカイルは、今夜のデビュタント・ボールでは小侯爵の立場でローラのパートナーとして参加していた。


 普段は、王立騎士団団長として舞踏会などの公式な行事では護衛任務についているためカイルが公の場でダンスのパートナーを務めるのは異例だった。屋敷の中でのカイルはいつも気さくであり、穏やかな話し方と落ち着いた雰囲気で使用人たちから慕われている。しかし、高位貴族としてのカイルの立場には威厳が必要であり、騎士団団長という肩書きもあるため普段よりも意識して威圧感のある空気を纏っていた。

 漆黒のテールコートに騎士らしい細身のスラックス、深味のあるグリーンのベストを着込み上質なシルバーグレーのクラバットを結ぶと侯爵家の後継者の証である濃緑色のサッシュを身につけているカイルは、普段の騎士団団長の正装よりも高位貴族らしい品格が映える。


 男らしく整った顔立ちに、短く整えすっきりとした印象の黒髪から滲む精悍な男盛りの色気に誘われるように、カイルの周りには、何とか親しくなるためのきっかけを掴もうとする未婚の令嬢達が並んでいた。

 カイルを取り囲む令嬢達を複雑な気持ちで見つめていたローラは、ここで祖国での舞踏会を思い出してしまう。

 いつだって、華やかな装いの令嬢達はその美しさを競っていて、スタイルの良さや愛らしい笑顔を武器に高貴な男性たちからの賛辞を待っている。

 高級なドレスや貴重な宝石を身に纏い、自分自身の価値を高めようと優雅に振る舞っている。そこにあるのは、明確な男女の駆け引きだ。貴族階級の男達は自身のプライドと権力を誇示するために、名家の令嬢達は家門と自身の美しさを認めさせるために。

 

 そうやって、高位貴族達は血を繋いで来たのだ。自分達こそが、優秀な血筋だと主張したいがために。

社交界で花と呼ばれるためには、話術が優れていなければならず、また、美しさも際立つ必要がある。政治、経済、文化、芸術といった特権階級の者達が力を発揮する場所に、自分だけの居場所を作るために。そうでなければ、足元を掬われ、狡猾な悪人達の餌食になってしまう。それが、国の権力中枢を牛耳っている者達が巣食う場所だった。


 ローラにとって社交界とはあまりにも、残酷な現実を突きつける場所であり、自身のアイデンティティを揺るがす場所であった。


 いくら、祖国の民を想ってみても、どれだけ錬金術の勉強をしても、科学者として研究をしたとしても、高位貴族や王家が示す価値とは狭い世界の中で自身の存在意義を認めさせる事だった。そんな息苦しい世界で、ローラが唯一自分の身を守るためにできた事は、ひっそりと目立たずにいることだけだった。


「……ッ…、」


ポツッとローラの瞳から一粒の涙が零れる。けれど、その小さな変化に気付く者はまだいなかった。カイルも、アンドレも。彼女を守りたいと願う二人でさえ、ローラが今、誰にも言えない孤独の中にいることには気付いていなかった。

 

 どれだけ華やかなドレスを纏ってみても、美しいメイクを施したとしても、光輝く宮殿の舞踏会に、ローラの存在を受け入れる場所などない。


コツ、と鋭くヒールの踵を鳴らして、ローラは一人、足早に舞踏会のホールから逃げ出した。


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