7話 優秀な主席魔法師からの贈り物
デビュタント当日、侯爵家の使用人たちは、朝からある種の緊張感に包まれていた。
この屋敷の主人であり、次期侯爵家当主でもあるカイルが、騎士団長として重要な式典に出席した日よりも、漂う空気はどこかピリついていて、浮足立っているような雰囲気を醸し出していた。
ある日突然、カイルが屋敷に連れてきた小さな少女。そんなローラがやって来てから一年が経った。最初は言葉も通じない異国から来たというローラは控えめな印象だった。それでも、日々、屋敷で過ごしていくうちにローラの優しさや素直さに侯爵家の人々はいつの間にか好意を持っていた。
男所帯の侯爵家にやって来た可愛らしいローラを今ではみんなが自然と家族として受け入れている。そのローラが本日、デビュタントを迎える。
つい、先月カイルとアンドレによってローラのドレスのデザインが迷宮に入りかけていたところを、懇意にしている優秀な魔法師のお陰で、何とか当日までにローラのドレスが届けられた。朝早くからローラにとって最高の一日を演出するため、侯爵家の使用人たちは一丸となってローラの準備に取り掛かった。
『ねぇ、ローラ嬢。僕はね、この国の主席魔法師だよ。このトリアント王国の魔法師たちは人々を笑顔にするためにいるって話し、信じてくれるかな』
セドリックの声がメッセージカードから流れて来る。
『ローラ嬢、 デビュタント、おめでとう!』
セドリックから届いた透明の箱に入っていたのは、プリンセスラインのシンプルなドレスだった。幾重にも重なって作られた多層オーガンジー素材のミントグリーンのドレスには、無数のクリスタルが散りばめられており、ドレスの裾が揺れる度に光を浴びて爽やかな若葉の朝露のように煌めいている。デコルテを見せるデザインのオフショルダーの襟元には繊細な銀糸で刺繍が施されている。
光の角度によってミントグリーンからシルバーの光が反射するデザインだ。アップスタイルのヘアスタイルを飾る装飾は王都の一流職人が作った銀細工とダイヤモンドで造ったティアラを模した髪飾りだった。緩く編み上げられたブラウンの髪に繊細な光を集める仕様になっている。白いオペラグローブを嵌めて完成となった。
オーロラを纏ったように七色に輝くシルバーのハイヒールを履けば、デビュタント・ボールに参加する令嬢の支度が整った。
元々色素が薄いローラの白い肌の透明感を生かすために、あえてメイクは薄めに施し、デコルテラインが綺麗に見えるようにパール入りパウダーで鎖骨からうなじにかけて仕上げている。
ーーーコツ、とヒールの踵が鳴る音と共に、さらりとドレスの裾が流れるように揺れる。小柄ながら、すっきりとした上品な装いで纏めたローラを包む空気は高貴そのものだった。屋敷の階段を優雅に降りてくる姿を視界に捉えたカイルとアンドレは揃って目の前で華麗な変身を遂げたローラを呆然と見つめていた。
数日前、ローラのドレスを大手商団へオーダーしたセドリックから、ペアの衣装のカラーをミントグリーンと聞いていたカイルとアンドレは長年侯爵家のオーダーメイドを扱っている衣装店へとデビュタント用の正装を依頼していた。
武家として有名な侯爵家にとって、最大限華やかな装いで揃えたつもりだった兄弟はローラが放つ宝石のような美しさに魅入るばかりだった。
カイルもアンドレも、ローラが階段を下りて玄関ホールに辿り着くまで驚きのあまり声を発する事が出来なかった。
カイルは、ゆっくりと階段を降りてくるローラを見つめながら、胸の奥に込み上げる複雑な感情を持て余している。
一年ほど前、初めて出会った時のローラは、薄暗い森の中で震えていた小さな少女だった。自分の言葉も届かず、何も分からない世界に突然放り出された恐怖を、その小さな体いっぱいに抱えていた。
あの日、頼りない姿で助けを必要としていた小さな少女が、今では侯爵家の令嬢として堂々と自分の前に立っている。
「……綺麗だな」
無意識に零れた言葉に、隣にいたアンドレがすぐさま反応する。
「兄さん、今、何て?……まさか、あの兄さんが素直に褒めるなんて」
「……うるさい」
からかうような弟の言葉に、カイルは視線を逸らした。しかし、否定することはできなかった。ローラは確かに美しく成長していた。
けれど、カイルが何より嬉しかったのは、外見の変化ではない。以前のローラは、誰かに迷惑をかけないようにと常に遠慮していた。何かを望むことも、主張することも苦手だった。
そんな少女が、今では侯爵家の使用人たちに笑顔を向け、セドリックと楽しそうに研究の話をし、自分の気持ちを少しずつ伝えられるようになっている。その変化こそが、カイルにとって何より大切なものだった。
「お兄様……」
玄関ホールまで降りたローラは、不安そうにカイルを見上げた。
「私……本当に大丈夫でしょうか…?」
いつもの穏やかな表情とは違う、僅かに揺れる瞳。カイルはすぐにその不安を察した。きっとローラは、今日集まる初めて対面することになる貴族たちの視線に緊張している様だった。
「ローラ」
カイルは優しく名前を呼ぶ。
「今日、会場にいる誰が何を言おうと関係ない。お前は一人じゃない」
そう告げると、カイルは騎士としてではなく、兄としてローラへ手を差し伸べた。
「俺が必ず隣にいる」
その言葉に、ローラは少しだけ目を潤ませる。
そして、小さく微笑んだ。
「……はい。お兄様」
それは、辛い記憶を隠しているローラにとって最大の慰めだった。そう、祖国メテオリア王国で一人寂しく過ごした舞踏会とは違い、ローラ専用のドレスを仕立ててくれた魔法師のセドリック、侯爵家の後継者として共にデビュタントにパートナーとして参加してくれる頼もしいカイル、ローラを傍でサポートしてくれる優しいアンドレが居てくれるのだ。兄二人が見守る中でのデビュタント・ボール、それこそが新たな人生の一歩となる。
ローラは、カイルのエスコートに身を任せると侯爵家の家門が入った馬車へと乗り込んだ。




