6話 デビュタント・ボールへの誘い
王都に春の訪れを告げる暖かな風が吹き始めた頃――。
ローラがトリアント王国へ迷い込んでから、一年の月日が流れていた。 最初は言葉も通じず、見知らぬ土地に怯えていた少女だったが、今ではカイルと侯爵家の人々に囲まれ、穏やかな日々を過ごしている。 一年という時間は、カイルと少女の生活をすっかり馴染ませていた。
セドリックからの申し出を受けたローラは、定期的に王立魔法研究院へ通うようになり、セドリックの見立て通り、その天才的な学問の習熟度と勤勉さから、あっという間にトリアントの公用語を習得した。今では日常会話だけでなく、魔法書を読み解けるほどの知識を身につけている。
何度かセドリックの魔力水晶を使い、ローラの記憶の断片を読み解いたおかげで、少女の名前がローラ・ハサウェイであること、高位貴族の出自であること、科学と錬金術という文明が発達した国から何らかの事故でこのトリアント王国の池に落ちてしまったこと、実年齢が十五歳だったことが判明した。
「やっぱり、お前……ただの子どもじゃなかったんだな……」
ローラを単なるお子様としか見ていなかったカイルはそう言って困ったように笑うと、艶やかなブラウンの髪をそっと撫でた。
「お兄様?」
後見人がカイルの父親である侯爵だったため、ローラはカイルのことを兄と呼んでいた。カイルもまた、未婚の男女が同じ屋根の下で暮らすことに外野からいらぬ邪推をされては困るため、対外的にローラを妹として扱っていた。
「……何だか、今日は元気がないみたいだけど。どうかした?」
ローラの問いに、カイルは緩く首を振ってみせる。そして、一通の招待状をローラへと差し出した。金色の封蝋がしてあるところからして、王家からの招待状だということがわかる。
「ローラ。俺がお前と出会ってから、早くも一年が経っていたんだな。俺はうっかりその事を忘れていた……」
どこか寂しそうに呟くカイルの声に、ローラは招待状を取り出して内容に目を通すと、そこにはデビュタント・ボールと書かれていた。
「……まさか、お兄様。私にデビュタントに出ろということですか?」
驚きを隠せずにいるローラを見つめて、カイルが困ったように微笑む。
「……ああ。お前が十六歳になるなら、トリアント王国ではデビュタントに出る資格がある。それに、まだ元の国に帰る方法が分からない状態で、今のように侯爵家を後ろ盾として考えるなら、俺たち家族としてもお前をただ屋敷に匿っているわけにはいかない。貴族令嬢として、高位貴族連中に顔見せはしないとな……。正直、俺だってお前がもっと幼いなら家から出すつもりはなかったが、十六歳となれば立派な淑女の仲間入りだろ。これからの将来を考えても、デビュタントは出るべきなんだよ……分かってくれ、ローラ……」
カイルは不安気な表情へと変わるローラの肩をそっと撫でると、ローラの部屋を後にした。王都では本格的な社交シーズンが始まる。
一年前、このトリアント王国の池に偶然落ちてしまったローラは、常に自分に対して献身的なカイルと優秀な魔法師セドリックのサポートにより、何とかこの見知らぬ土地で暮らしていた。未だに自分がいる場所にどうやって来たのか分からない上、他国の第三王女という身分を隠している素性の知れないローラを、トリアント王国の高位貴族である侯爵家の家族たちは全面的にバックアップしていた。
それは、カイルが偶然ローラを救助したということもあるが、根が優しく素直なローラを侯爵家の人たちが好いているという理由があった。カイルの母は病弱だったため、カイルが騎士団に入団した年に亡くなってしまった。それから男所帯だった侯爵家に、突如ローラという可愛らしい花が咲いたのだ。
それはもう、父も弟も巻き込んで、カイルはローラを溺愛していた。出会ったばかりの頃はその小柄で童顔な容姿から実年齢よりかなり幼い印象だったローラも、セドリックの魔法補助により少しづつトリアント王国の言語に触れていくうちに、本来のローラらしい聡明さが戻りいつの間にか守りたくなる幼い妹から支えてやりたくなる年頃の女性へと変貌を遂げようとしていた。
日々、可愛らしさと美しさを増していくローラの姿に、カイルは少女から女性へと変化していく姿を見せつけられていた。表向きは妹でありながら、ふとローラが見せる眩しい笑顔や、カイルにだけ見せる無防備な寝顔を見る度、不器用な男は胸の内がきゅうと苦しくなることがあった。
そんな時、実にタイミング良く王宮でデビュタント・ボールの案内状を受け取ったのだ。トリアント王国でのデビュタントではパートナーとなる婚約者がいない場合、ファーストダンスのパートナーを親族が務めることとなっており、高位貴族として社交界で活動する資格が認められるお披露目の場で、カイルはローラをエスコートすることを決めていた。
実際はもう少し兄と妹として過ごしてからデビュタントに参加させるつもりだったが、実年齢が今年で十六歳となるため、ちょうど良いタイミングでのデビュタント参加となったのだ。
思いがけずぎくしゃくしてしまったローラとカイルだったが、カイルの休日、屋敷へとデビュタントのドレスを作るために仕立て屋を呼んでいた。
ローラはいつものように落ち着いたデザインのおしとやかなドレスを着ている。休日のカイルは普段の騎士団の制服よりもカジュアルな装いで、スラックスにシンプルなデザインのシャツにクラバット、同系色のジャケットといった装いだ。
武家の名門である侯爵家の応接室には、妹のデビュタントのドレスを仕立てると張り切っているカイルと、わざわざ王都まで様子を見に来たアンドレが、ローラを挟んでデザイン画を眺めていた。
「デビュタントだぞ! 何でまだ十六歳になったばかりの女の子相手に、こんなに肌の露出が多いんだ! この訳の分からない透ける素材も駄目だ!」
ローラの滑らかな白い肌が人の目に晒されるのが耐えられないのか、自信満々でデザイン画を持ってきたデザイナーに、鬼のような形相で駄目出しを続けるカイルを横目に、アンドレもまたスカートの丈が短いだの長いだのと文句をつけていた。
「あのさ、うちの妹の大事なデビュタントなんだから、もっと清楚で可憐なドレスってないの? 足だの腕だの、見せ過ぎるのは目に毒ってものだ……ねぇ、聞いてる? デザイナーさん」
ギロリと睨みをきかせる兄弟二人に、デザイナーは縮み上がっていた。
「お嬢様は、いかがでしょうか? 着てみたいお色やデザインはございましたか?」
顔を引きつらせながら必死に笑顔を作るデザイナーの台詞に、ローラは小さなため息を吐いた。
「カイル兄様、アンドレ兄様……ごめんなさい。私、おしゃれじゃないから突然ドレスって言われても分からないの……」
しゅんと肩を落としたローラの様子に、カイルとアンドレの目に炎が宿る。
「気にするな、ローラ! 俺がお前に似合う最高のドレスを選んでやるから!」
「そうだぞ! 侯爵家の力を持ってすれば、お前のドレスに最高のデザインを採用させてやるからな!」
ドレスに特にこだわりなどないローラをよそに、兄二人は愛しの妹のためにドレスのデザイン探しに闘志を燃やすのだった。
ローラにとって舞踏会とは、正直あまり良い思い出がなかった。メテオリア国にいた時は、第一王女が派手な色合いにスタイルの良さをアピールするため露出の高いドレス姿で、第二王女は愛らしさを強調するためパステルカラーの明るいドレスにレースと刺繍がこれでもかというほど施されたドレスを着ていた。そんな二人が舞踏会の注目を集める中、ローラといえば地味な顔と小柄な体型からアースカラーのシンプルなドレスを着ていた。
姉二人と同じように凝ったデザインのドレスを着たところで、お子様体型と揶揄されるだけで、小柄で華奢なローラに着こなせるデザインは見つからなかった。
貴族たちからの好奇な視線も、ひそひそと囁く皮肉めいた台詞も、ローラにとってはどれもが苦手なものだった。
そんな、危うくトラウマにもなりかけていた第三王女として参加していた舞踏会の記憶に、ローラの気分は沈んでしまっていた。
ローラが自分の国では高位貴族であったと思っているカイルとアンドレは、ローラが王女として寂しい思いをしていた過去など知るはずもない。ただ純粋に優しい兄二人は、ローラのデビュタントを祝って最高に楽しい思い出にしてやろうとしているだけだった。ローラは二人の思いやりを感じ取っており、さらに複雑な心境になっていた。
そんな、微妙に思惑がすれ違ったままででも、刻々と時は過ぎていく。忙しさが増して屋敷に帰る時間が遅くなり、深夜の帰宅になることも増えたカイルは、気遣いからローラに自分の帰りを待たずに先に寝ていていいと告げた。
「お兄様……」
騎士団の任務で忙しいカイルにわがままなど言うことができないローラは、カイルの優しい笑顔を見ることもなく一人でベッドに入って眠る日が続いた。
日に日に萎れていく花のように元気をなくしていくローラの姿に、屋敷の使用人たちはひっそりと心を痛めていた。
カイルとの擦れ違いの日々に、いつの間にか笑顔が消えてしまったローラのいつもと違う様子に、新しい回復ポーションを共同開発しているセドリックが不思議そうな視線を向ける。
「ローラ嬢……どうしたの? 何か元気ないんじゃない?」
大好きな薬草を前に、時折小さなため息を吐くローラの姿に、セドリックは穏やかな口調で問いかけた。
「……あ……」
セドリックの問いにどう答えて良いか分からず、ローラは目を伏せる。
「いつも楽しそうに研究に没頭しているローラ嬢が元気ないと、僕も気になっちゃうよ。誰にも言わないから、困ってることがあれば教えてくれる?」
ローラに寄り添うようにそう問い掛けるセドリックに、ローラは自分の記憶の断片を調べてくれている優秀な魔法師を悲しそうに見上げると、祖国メテオリア王国での出来事を少しずつ話し始めた。
王宮で家族の愛情に恵まれなかったローラが、トリアント王国で出会った侯爵家の人々から与えられる家族の温もりに癒され、兄二人の好意からデビュタントの準備をしてくれていること。それでも、自分は過去の舞踏会の経験から、デビュタントで高位貴族たちの前でダンスを披露することが怖いことを告げた。
「……なるほどねぇ……。あの派手な王女様たちは、ローラ嬢のお姉さんだったんだ……確かに、ローラ嬢の雰囲気とは違うかもしれないねぇ……」
セドリックはしばらくうーんと考えると、パチリと指先を鳴らした。
「じゃあさ、ローラ嬢。このセドリック魔法師に、デビュタントで着るドレスのデザインを任せてみない? 僕たち王立魔法師は王都にある大きな商団とも魔道具での取引があるから、上品で目立たなく、ローラ嬢が着てもぴったりのドレスを用意できるかもしれないよ」
ポンと軽く背を叩くセドリックに、ローラは静かに頷いてみせる。
「……んーと、デビュタントのパートナーはカイル騎士団長でしょう? パートナー同士はペアで衣装のカラーを揃えるからね。ドレスのデザインと色合いが決まったらローラ嬢に連絡するから、カイル騎士団長にも伝えておいてね」
「はい。ありがとうございます、セドリック様……」
錬金術と科学の国メテオリア王国の第三王女ローラのデビュタント準備は、あれよあれよと言う間に、優秀な主席魔法師セドリックによって着々と整えられていくのだった。




