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20話 祝福の朝

 挙式を迎える朝、ルクシオン侯爵邸には、いつもとは違う静かな緊張感が漂っていた。使用人たちは朝早くから準備に追われ、屋敷の至る所に純白の花々が飾られている。今日という日は、二人が永遠の愛を誓い合う特別な日だった。


「若奥様、そろそろお支度のお時間でございます」


静かに扉を開いたのは、長年ルクシオン侯爵家を支えてきた執事ハドソンだった。


「ハドソン……」


振り返ったローラは、少し照れたように微笑む。


「今日、私は本当にカイル様と式を挙げるのね」


その言葉を聞いたハドソンは、穏やかに目を細めた。


「はい。ですが、私にとって若奥様は、今日この日を迎える前から、すでにこの屋敷に欠かせない大切な存在でございました」


その言葉に、ローラの瞳が優しく揺れる。この屋敷へ来たばかりの頃、異国から来た何も知らない少女だった自分を、誰より温かく迎えてくれたのは、この屋敷に仕える人々だった。


「ありがとうございます……ハドソン」


「礼を申し上げるのはこちらでございます」


ハドソンは深く頭を下げる。


「旦那様が、あれほど幸せそうな表情を見せるようになったのは、若奥様と出会われてからでございます」


その言葉に、ローラは思わず頬を赤らめた。戦場では誰よりも強く、王国最強の騎士と呼ばれるカイル。けれど、ローラだけが知っている。彼が本当は誰よりも優しく、温かな心を持つ人だということを。


「ローラ嬢」


そこへ聞き慣れた声が響いた。振り向くと、そこにはセドリックが立っていた。


「セドリック……」


「おめでとう」


いつもの研究者としての冷静な表情ではなく、今日の彼は友人として柔らかな笑みを浮かべていた。


「まさか、あのローラ嬢がカイル小侯爵と挙式を上げる日を見られるとは思わなかったな」


「……セドリック様」


ローラが幸せそうに微笑む。


「でも、あなたがいたからこそ、私はこの国で生きていくことができました」


「それは、違うよ」


セドリックは首を横に振る。


「ローラ嬢自身が、努力して築き上げたものだよ。錬金術師としても、一人の女性としてもね」


その言葉に、ローラは胸が温かくなるのを感じた。かつて王女として生きていた頃には知らなかった温もり。肩書きや外見ではなく、自分自身を見てくれる人たち。それが、今のローラにとって何より大切な宝物だった。


「さあ、若奥様。皆様がお待ちしております」


ハドソンの声に促され、ローラは鏡の前へ座る。使用人たちは丁寧に髪を整え、純白の婚礼衣装を慎重に身に纏わせていく。真珠をあしらった髪飾り。繊細な刺繍が施された純白のドレス。鏡に映る自分の姿を見つめ、ローラは静かに微笑む。もう、逃げる必要はない。第三王女だった自分も。錬金術師として生きてきた自分も。カイルに愛される一人の女性としての自分も。全てが、本当の自分なのだから。


「若奥様……とてもお美しいです!」


使用人たちの感嘆の声に、ローラは少し恥ずかしそうに笑った。


「ありがとう」


そして、小さく息を吸う。今日、この扉の先には愛する人が待っている。もう二度と離れることのない未来へ向かうために。ローラはゆっくりと立ち上がった。


「行きましょう」


その声には、もう迷いはなかった。


その頃、ルクシオン侯爵邸の別室では、純白の礼装に身を包んだカイルが静かに窓の外を眺めていた。いつもなら戦場へ向かう前のように、冷静に状況を分析し、何一つ揺らぐことのない彼の瞳。しかし、今日だけは違った。何度も経験してきた戦場よりも、神聖イカロス国と共に戦った帝国との決戦よりも、なぜか今の方が緊張している自分に、カイルは小さく苦笑する。


「……まさか、挙式の日にこんな気持ちになるとはな」


誰に聞かせるでもなく、静かに呟く。これまで、命を懸けて守ってきたものは数え切れないほどあった。

王国。騎士団の仲間たち。そして、民の未来。けれど、戦場から帰還したあの日、腕の中で涙を流すローラを抱き締めた瞬間、初めて気付いた。自分が本当に守りたいものは、たった一人の女性なのだと。身分でもない、名誉でもない、英雄という称号でもない。ただ、ローラが笑顔でいられる未来。それだけだった。


扉の外では、第一騎士団の部下たちが静かに待機している。


「カイル」


声を掛けたのは、副団長のテッドだった。


「本当におめでとう!」


カイルは振り返り、穏やかに微笑む。


「ああ。ありがとう」


普段なら感情を表に出さない団長の姿に、騎士たちは少し驚いたように顔を見合わせる。しかし、それも当然だった。彼らが知るカイル・ルクシオンは、王国最強の騎士。どんな強敵を前にしても揺らぐことがなく、常に仲間の先頭に立つ男だった。そんな彼が、今は一人の女性を想う夫として、柔らかな表情を浮かべている。


「団長がここまで幸せそうな顔をされるとは思いませんでした」


部下の一人が微笑む。カイルは少し照れたように視線を逸らした。


「……俺も、そう思う」


ローラと出会うまで、自分が愛する人と人生を共にする日が来るなど考えたこともなかった。騎士として生き、王国へ忠誠を誓い、剣を握り続ける。必要であれば、政略結婚をする。それが自分の運命だと思っていた。だが、ローラはそんな彼の世界を変えた。


異国から来た不思議な存在。錬金術という未知の力を操りながらも、誰より優しく、人の痛みに寄り添える女性。そして何より、自分の前では穏やかに微笑んでくれる人。


今日、そのたった一人、生涯愛する女性と挙式を上げる。その事実を噛み締めるだけで、胸の奥が温かく満たされる。


「……早く会いたい」


小さく漏れた本音に、騎士たちは照れたように笑う。やがて、扉の向こうから使用人の声が響く。


「カイル様。ローラ様のお支度が整いました」


その瞬間、カイルの表情が変わる。戦場で敵を見据える時とは違う。愛しい人を待つ、一人の男の顔だった。


「わかった」


静かに扉へ向かう。今日、彼が歩み出すのは王国の英雄としてではない。ただ一人の女性を、生涯守り抜くと誓う夫としてだった。

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