19話 打ち明けた真実
カイルが王都へ無事帰還し、神聖イカロス国との戦いを勝利へ導いたトリアント王国王立騎士団は、盛大な凱旋パレードを執り行った。
長きに渡る戦争を終結へ導いた英雄たちの帰還に、王都の民は歓喜に沸いていた。戦時需要による好景気で活気づいた街並みには多くの人々が集まり、沿道からは騎士たちへ惜しみない歓声と祝福の声が送られる。第一から第三までの騎士団の正装に身を包んだ騎士たちが、堂々と軍馬に跨り隊列を組んで進む姿は、まさに王国の勝利を象徴する光景だった。
その先頭を進むのは、トリアント王国王立第一騎士団団長カイル・ルクシオン。半年以上に及ぶ戦場で仲間を率い、国を守り抜いた英雄の姿に、国民の視線は自然と集まる。凛々しい表情、揺るぎない眼差し。戦場で多くの命を守り抜いた騎士団長の姿は、ローラが愛してやまない人そのものだった。
その日、ローラは久しぶりに研究者用の白衣を脱ぎ、美しいドレスへ袖を通していた。侯爵夫人として、そして愛する人の帰還を祝う一人の女性として。沿道から優しく手を振るローラの姿を見つけた瞬間、普段は決して表情を崩さないカイルの顔がわずかに緩む。戦場では決して見せることのなかった、穏やかで幸せそうな微笑み。それは、ただ一人ローラだけに向けられる特別な表情だった。ようやく、二人は失われていた時間を取り戻し始めていた。
凱旋パレードを終えたカイルには、久しぶりの休暇が与えられることになった。
そして、二人は正式な挙式の日を迎えようとしていた。カイルが遠征へ向かっている間も、ローラは研究を続けていた。高濃度ポーション、プレミアムエリクサー、傷を癒やす万能軟膏。ローラとセドリックが生み出した薬剤は商団を通じて各地へ広まり、その功績によってルクシオン侯爵家の財政にも大きな恩恵をもたらしていた。
しかし、ローラにとってそれ以上に嬉しいことは、愛する人が無事に帰ってきたことだった。休暇を利用し、二人は初めての旅行を計画していた。
「領地の外れに別荘があるんだ。そこで二人でゆっくり過ごそう」
久しぶりに同じベッドで目覚めた朝。カイルの優しい声に、ローラは幸せそうに微笑んだ。
「はい……楽しみです」
互いの存在を確かめるように見つめ合い、二人は自然と唇を重ねる。長い不安と孤独を乗り越えた二人にとって、それは何よりも温かな時間だった。
しかし、そんな幸せに包まれた日々の中で、ローラは一つの決意を胸に秘めていた。カイルが無事に帰還したら、必ず伝えると決めていたこと。それは、彼女がずっと隠し続けてきた本当の身分だった。
今夜、休暇に入ったカイルが屋敷へ戻ってきたその時、ローラはすべてを打ち明けるつもりだった。二人はすでに夫婦として結ばれている。けれど、これから先の未来を共に歩むためには、もう何一つ隠し事をしたくなかった。自分がどこから来たのか、どうやってこのトリアント王国の池に落ちたのかまでは分からない。それでも、自分が実は他国の王女であることをカイルには知っていてほしかった。
「カイル様なら……きっと受け止めてくださる」
そう信じながらも、同時に初めて抱いた不安が胸の奥で小さく震えていた。もし、この秘密を知った時、カイルは今までと同じように自分を愛してくれるのだろうか。ローラは答えの分からない未来を前に、静かに夜を待つ。
その夜、ローラは一人、静まり返った自室で空になった瓶を見つめていた。それはメテオリア王国の息吹の鏡池で採取した夢見野草が入っていた瓶であり、もう二度と戻りたくはないと思っている祖国の痕跡だった。
この国でカイルと出会い、本当の自分を見つめ、愛してくれたカイルの手を取った瞬間から、自分はただの一人の女性として生きることを選んだ。王女という身分も、過去も捨てたつもりだった。けれど、カイルだけには本当の自分を知ってほしい。彼が愛してくれたのは第三王女という肩書きではない。錬金術師として研究に向き合う姿でもない。弱く、不安で、時には涙を流してしまうただのローラという一人の女性を、彼は愛してくれたのだ。だからこそ、もう隠し続けることはできなかった。
「カイル様……」
小さく名前を呼ぶ。戦場から帰ってきた彼は、自分を抱き締めながら何度も「待っていてくれてありがとう」と言ってくれた。その言葉がどれほど嬉しかったことか。だから今度は、自分が彼へ誠実になる番だった。例え驚かせてしまったとしても、例えすぐには受け入れられなかったとしても。それでも、これから先の人生を共に歩む相手に、偽りのない自分を見せたかった。
窓の外では、冬の夜空に星が静かに輝いている。ローラは深く息を吐き、決意を固めた。
今夜、二人だけの寝室でカイル様にすべてを話そう。王女としてではなく、ローラとして愛してくれた彼の隣に立つために。
ローラはカイルとの夕食を済ませ、いつものように湯浴みを済ませると、ワインを飲んでいるカイルの隣へ寄り添い、意を決してその精悍な顔を見つめた。
「カイル様、実は、お話ししたいことがあります……」
いつになく緊張感が漂う表情でそう切り出したローラを、カイルは穏やかな表情で見つめると、うん、と続きを促すように頷きを返した。
ローラは緊張感でいっぱいの胸元へそっと手を添える。そこには、カイルから贈られた結婚指輪が静かに輝いていた。初めてこの指輪を受け取った日のことを、今でも鮮明に覚えている。あの頃は、何一つ持っていない自分のことを一人の女性として愛してくれる人に巡り合い、結婚してもらえるなんて思っていなかった。カイルと共に暮らし始めた頃は、いらぬスキャンダルを避ける形で兄妹という関係だったからだ。それでも、カイルは出会った時からずっと自分を大切に扱ってくれていて、兄である間も、こうして生涯を共にすると決めた伴侶になってからも、ずっと大きな愛情で包み込んでくれていた。そんなカイルだからこそ、ローラは共に暮らしてからも自然と楽に呼吸ができていたのだ。
メテオリア王国では、ローラは第三王女だった。王族として生まれ、姉二人よりは影が薄いながらも何不自由ない生活を送っていた。けれど、その立場が災いしたのか、誰も本当の自分を見てはくれなかった。周囲が見ていたのは「第三王女」という肩書きで、外見を華やかに保つ姉二人が社交場で権力を握る度に、それを王族としての責務を果たす姿だと賞賛した。そして、国の為に錬金術と科学の研究に没頭している自分のことを、風変わりな第三王女として蔑んだ。
そこには、一人の少女としての悩みや弱さを打ち明ける場所などなかった。だからこそ、見知らぬ異国の地でカイルに出会い、ローラは初めて自分自身として生きられると思った。錬金術と科学を学び、研究に没頭し、いつか誰かの役に立つ薬を作る。その目標が、初めて役立つ場所を与えてくれたのだ。外見や肩書きではなく、自分の努力と能力で認めてもらう。それがローラが望んだ人生だった。
そんな彼女の隣にいつも寄り添ってくれる相手が、カイルだった。池で溺れた自分を助けてくれた騎士。初めて会った時から、彼はローラにただ優しかった。困っている一人の女の子として手を差し伸べ、いつも見守ってくれていた。言葉が通じない時間も、カイルと過ごしているだけでローラは幸せだった。それから、有能な主席魔法師セドリックの協力でトリアント王国の言語を身につけた後も、カイルは変わらなかった。研究に夢中になりすぎれば心配し、無理をすれば叱ってくれる。嬉しい時には共に喜び、悲しい時には何も言わず傍にいてくれる。カイルの前だけでは、ローラは何者でもないただの自分でいられた。
だからこそ、怖かった。もし真実を知った時、彼の瞳に今までとは違う感情が浮かんだら。もし「第三王女」という存在として見られてしまったら。トリアント王国を守る王立騎士団の団長であるカイルは、責任感がとても強い。現状、王家に仕えている身分である以上、王族という立場には敏感のはずだ。もしかしたら、身分の差を理由に受け入れてもらえないかもしれない。今まで大切に積み重ねてきた時間がすべて変わってしまうような気がして、ローラはそのことを思い出す度に底知れぬ不安に駆られていた。
けれど、戦場から帰還したカイルは何も変わっていなかった。輝かしい功績を残した戦争の英雄であるというのに、自分の胸で泣き崩れるローラを強く抱き締め、「待っていてくれてありがとう」と言ってくれた。命を懸けて戦いながらも、最後まで自分を想い続けてくれた。
その姿を見た時、ローラはもう決めていた。この人にはすべてを伝えたい。王女としてではなく、錬金術師としてでもなく、ただ一人の女性、ローラとして愛する人の隣に立ち続けるために。だからこそ、もう隠したままではいられなかった。
「カイル様……私、あなたにずっと隠していたことがあります」
カイルの表情が少しだけ変わる。けれど、問い詰めることはしなかった。ただ静かにローラの言葉に耳を傾けている。
「……話してくれ。お前がどんなことを抱えていたとしても、俺はお前の味方だ」
その言葉に、ローラの瞳が揺れる。やはり、この人は変わらない。戦場から帰ってきたあの日も、自分が泣き崩れた時も、いつだってカイルはローラを真っ直ぐ見てくれていた。ローラは深く息を吸い、震える声で告げる。
「私は……メテオリア王国の第三王女なんです……」
一瞬、部屋の中に静寂が落ちる。カイルは驚いたように目を見開いた。しかし、そこにあったのは拒絶でも戸惑いでもなかった。ただ、大切な人を見つめる優しい眼差しだった。
「……そうか」
短い返事に、ローラの胸が不安で締め付けられる。
「驚かれましたよね……。私は、本当の身分を隠したままカイル様の傍にいました」
「ローラ」
名前を呼ばれる。その声に導かれるように顔を上げると、カイルは穏やかに微笑んでいた。
「俺が愛した女性は、メテオリア王国の第三王女だからではない。俺は、初めからお前がどこか別の国から来た存在だということを知っていた。その時から、どんな状況になったとしても受け止める覚悟を決めていた。お前と過ごすうちに、身分が高いことには気付いていた……まぁ、さすがに異国の姫君とは思っていなかったが……それでも、俺の気持ちは変わらない。ずっと悩んでいたんだろう?」
大きな手が、ローラの頬へ優しく触れる。カイルは静かにローラを見つめていた。突然告げられた事実に、驚きがなかったと言えば嘘になる。
メテオリア王国。その名を聞いても、残念ながらその国がどこにあるのか、どんな国なのか、カイルが知る術はない。以前、ローラの身元調査の一環で、魔法師セドリックに記憶の断片を見せられた時に知った、見たこともない文明。それがローラの過ごしてきた国であり、今現在ローラが熱心に研究している錬金術と科学という学問を生んだ場所なのだろう。魔法と剣術が国を支えているトリアント王国とは異なる未知の国から来た第三王女。カイルが予想していた以上に、ローラは大きな秘密を抱えていた。
王立第一騎士団団長という立場にある以上、国と国との関係、王族という存在の重さを理解している。本来ならばもっと早く知っておくべきことだったのかもしれない。もし他の誰かから聞かされていたなら、戸惑いもあっただろう。
しかし、目の前で不安そうに瞳を揺らしているローラを見た瞬間、カイルの胸に浮かんだのは驚きでも疑念でもなかった。ただ、彼女がどれほど一人で苦しんできたのかという想いだった。ローラはいつも一生懸命だった。新しい薬を生み出すために夜遅くまで研究を続ける姿。誰かの命を救うため、危険を顧みず知識を求める意志の強さ。周囲が困っていれば迷わず手を差し伸べる優しさ。けれど、その強さの奥に、誰にも見せない孤独を抱えていたことをカイルは知っていた。
戦場で剣を握りながら、何度も思い出していた。研究室で真剣な表情を浮かべるローラ。自分の話を聞きながら嬉しそうに笑うローラ。そして、別れの日に必死に涙を堪えていた小さな姿。そのすべてがカイルにとってかけがえのないものだった。可愛らしい外見に惹かれたから愛したのではない。彼女が作る薬が素晴らしいから好きになった訳でもない。初めて出会った時から、ローラという存在そのものに心を奪われたのだ。カイルはゆっくりと口を開いた。
「ローラ」
優しく名前を呼ぶ。それだけで、ローラの瞳から再び涙が溢れそうになる。
「なぜ、俺に言えなかったのか……少し分かった気がする」
ローラは小さく息を呑む。
「きっとお前は、怖かったんだろう」
その言葉に、ローラの肩がわずかに震える。
「王女だと知られた瞬間、今まで見ていたものが変わってしまうのではないかと」
カイルはそっとローラを抱き寄せた。
「だが、俺が愛する存在は変わらない。ローラ……例えお前が異国の姫君であったとしても、俺の妻はお前だけだ。それだけは、この命が尽きるまで変わらない……」
大きな手が、優しく髪を撫でる。
「誰よりも人の命を大切にするところも、研究に夢中になって時々周りが見えなくなるところも、嬉しい時に子供のように笑うところも、不安な時に一人で抱え込もうとするところも、全部、愛している……」
その深い想いを込めるように、カイルは静かに告げる。
「だから、もう一人で背負わなくていい」
その言葉に、ローラの張り詰めていた心がゆっくりとほどけていく。長い間隠してきた秘密。失うことを恐れていた大切なもの。それは、決して失われることなどなかった。カイルの言葉を聞いたローラの瞳からは、とめどなく涙が溢れていた。
「カイル様……」
「君がどんな過去を持っていても、どんな身分であっても変わらない。俺にとって君は、守りたい唯一の存在だ」
ローラは堪えきれず、カイルの胸へ顔を埋める。戦場で命を懸けて帰ってきてくれた人。そして今、自分のすべてを受け止めてくれる人。
「ありがとうございます……」
小さく呟くローラを、カイルは優しく抱き締めた。
「今日、改めて君に誓う」
耳元で囁かれる声。
「これからもずっと、俺の隣にいてほしい」
ローラは涙を流しながらカイルの腕の中で静かに頷いて見せた。
ローラがカイルへすべてを打ち明け、互いの想いを確かめ合った後、屋敷には再び穏やかな時間が流れていた。
そしていよいよ、ルクシオン侯爵家の後継者であるカイルと、今や王国を代表する研究者となったローラの結婚式が執り行われるのだった。




