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17話 届いた想い

戦場で起きた出来事は、一瞬だった。


 聖騎士団と連携し、厄介な砂魔術を退けていたその最中、不覚にも軍馬が激しい砂嵐に巻き込まれ、方向感覚を失い、足を取られて倒れ込む。その隙を突くように、敵の放った無数の矢が降り注いだ。


 味方へ向かう矢を見たカイルは、咄嗟に剣術を振るい、その身を盾にして仲間を守る。しかし、運悪く一本の矢が太腿を貫いた。


「グッ……!」


 矢を引き抜く暇もなく意識が遠のき、気が付けばカイルは天幕の中で横たわっていた。傷口から回った毒は急速に全身へ広がり、太腿の皮膚は紫色へと変色していく。神聖イカロス国の神官たちは懸命に神聖魔法を施したものの、毒の進行は止まらず、カイルは生死の境を彷徨うこととなった。意識を失った闇の中で、不思議な夢を見る。

 

 そこは、ローラと初めて出会った池のほとりだった。バシャバシャと水飛沫を上げ、必死にもがく小さな手。あの日、自分が救出しなければ出会うことのなかった、幼さの残るローラがそこにいた。


(まだ、あどけない表情をしている)


あの日、出会わなければ、誰かを深く愛したいなどという感情を知ることなどなかっただろう。あの小さな手がいつも自分を癒してくれていた。ローラの笑顔がどんなに辛い戦場であっても、挫けずにいられる勇気を与えてくれる。


不器用な自分を、愛してくれる温もり。それは、ローラだった。


(会いたい、ローラ)


 伴侶と呼べる女性に巡り会えず生きてきたカイルにとって、ローラは唯一、自らの手で幸せにしたいと願った女性だった。朦朧とした意識の中でさえ、求めているのはたった一人の愛する妻だった。


(もう、王都へ帰れないのだろうか。ただの毒であれば神官が治療してくれるだろう。矢なんか、どうってことないはずなのに…)


それでも、胸の奥から込み上げる渇くような想いだけは抑えられなかった。現実のカイルは全身を包帯で巻かれ、一進一退の容態を繰り返していた。


 そんな中、第一騎士団の天幕へ一本の報せが届く。ローラとセドリックが密かに研究を重ねていた万能薬、プレミアムエリクサーが届けられた。それは錬金術と科学、そして魔法と魔力研究、それぞれの英知を結集して生み出された奇跡の秘薬である。毒の解毒はもちろん、戦闘で腕や脚を失った重傷者であっても、早期治療なら失われた四肢さえ再生させるという驚異的な効能を秘めていた。


 副団長フットは、届けられたばかりのプレミアムエリクサーを慎重にスプーンで掬い、意識を失ったままのカイルへと飲ませる。


 すると紫色に変色していた皮膚はみるみる本来の色を取り戻し、止まりかけていた血流が全身へ巡り始めた。やがてカイルはゆっくりと瞼を開く。


「……カイル。目が覚めたか」


安堵と涙が入り混じった表情でフッドが笑う。


「お前の奥さんのお陰だ。俺たち第一騎士団の全員が感謝してる」


「……心配を掛けたな」


かすれた声でそう返したカイルは、自分が救われた理由を知る。自らの命を救ったのは、愛する妻ローラだった。静かに目を閉じると、瞼の裏へ浮かぶのは、優しく微笑む愛しい妻の姿だった。ローラはトリアント王国唯一の錬金術兼科学者として、ポーションやエリクサーの研究開発を積極的に行っていた。トリアント王国の池で溺れるきっかけとなった、息吹の鏡池で収集した夢見野草こそ、ローラがリュックサックに入れていた瓶に入ったまま枯れずにいた貴重な薬草だった。


 以前、ローラの身元を調べるために、侯爵領の領地で調査を行っていたアンドレが池で発見したリュックの中にその瓶は入っていた。それは、まだローラとカイルが言語でのコミュニケーションが取れない頃の話であり、当時、ローラを幼い子供だと勘違いしていたカイルは植物を愛するローラの姿に深い感銘を受けた出来事でもあった。


 今では、ローラが生み出した傷薬や回復薬が王国中の騎士たちから絶大な信頼を集め、多くの命を救い続けている。


(ローラ。お前は、こんな時でさえ誰かを救うために力を尽くしているんだな)


プレミアムエリクサーによって毒は完全に消え去り、カイルは無事に一命を取り留めた。その後、この薬は戦場における毒への切り札として各部隊へ配備され、多くの兵士の命を救うことになる。


 カイルは静かに薬指で光るお揃いの結婚指輪へと触れた。遠く離れた王都で、今もローラは自分の帰りを信じて待ち続けている。その想いが、一瓶の薬となって戦場まで届き、自分の命を救ってくれたのだ。


「……ありがとう、ローラ」


誰にも届かないほど小さなその呟きには、これまで以上に深い感謝と愛情が込められていた。それから、数日後、連合軍の総攻撃を受けたアルカロド帝国軍は各地で敗走を始め、ついに撤退を決定する。


 いつの間にか士気が高まり、殲滅戦を覚悟したトリアント王国騎士団と神聖イカロス国の連合軍は強かった。先陣を魔力の高い第一騎士団が駆け抜け、中継ぎを連携を得意とする第二騎士団が切り開き、防御が固い第三騎士団が逃走してくる敵兵を討ち取る。


 神官達による神聖魔法で神聖力を増した聖騎士団が広囲魔法で陣形を取るアルカロド帝国軍へと雷を落とす。空が青く光る程の猛攻撃に、砂魔術を繰り出していた魔術師達も焼け焦げた。


 見事な戦術を繰り出した連合軍は、圧勝をもぎ取り、トリアント王国の騎士団も、神聖イカロス国の聖騎士団も互いの功績を称えた。


 港湾都市を守り抜いた神聖イカロス国と、トリアント王国王立騎士団の奮戦により、半年以上続いた戦争はついに終結を迎える。夜明けを告げる角笛が、静寂を破った。


「団長。出発のお時間です」


副官フッドの声に、カイルは静かに頷く。


「ああ、行こう」


ローラのプレミアムエリクサーのお陰で回復した太腿を眺めると、彼はゆっくりと立ち上がった。その口元には僅かな笑みが浮かぶ。


 勝利を手に帰還を告げる角笛が戦場へ高らかに響き渡り、兵士たちの歓声が大地を震わせる。歓喜に包まれる戦場の中で、カイルが思い浮かべていたのは、ただ一人、王都で帰りを待つ愛しいローラの笑顔だった。


「もう直ぐ、王都に着く」


その一言には、騎士団長としてではなく、一人の夫としての願いが込められていた。長く続いた戦いは終わった。カイルが今、何よりも望むものは勝利でも栄誉でもない。愛するローラの待つ、トリアント王国へ一刻も早く到着すること、その想いだけを胸に、カイルは仲間たちと共に故郷への帰路を急ぐのだった。



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