13話 遠征へ
「頼んだぞ、カイル・ルクシオン騎士団団長」
「畏まりました」
いつものように王宮の騎士団詰所でカイルが執務を行っていると、突如、国王から謁見の間への呼び出しが掛かった。 急報が届いたとの知らせを受け、カイルが緊張の面持ちで謁見の間に到着すると、すでに主席魔法師であるセドリックが国王の前に膝をついていた。
「カイル・ルクシオン騎士団団長、セドリック・スタンフォード主席魔法師、急に呼び立ててすまない。我が国の同盟国から緊急の支援要請が入った。蛮族から激しい攻撃を受けているとのことだ。最西端にある国であるが故に、軍の移動だけで数日を要する距離にある。急ぎ、遠征隊を編成し援護に向かってくれ。セドリック主席魔法師は騎士団が不在の間、王都の防衛を担当してくれ」
「「御意」」
国王は重々しく王命を伝えると、厳しい戦況に苦渋の表情を浮かべた。力と数で同盟国に襲いかかる蛮族を抑えることができるのは、鍛え抜かれた王立騎士団の精鋭たち、そしてカイルの統率力しかない。国王は、必ず同盟国を救うようにとカイルへと命じた。
頭を下げながら、カイルの脳裏に最愛の婚約者の顔が浮かぶ。やっと手に入れた穏やかな日々。しかし、国を守る騎士団長としての責務を果たす義務が彼にはあった。 カイルは即座に騎士団の部隊編成へと取りかかり、一時帰宅をしてローラに状況を説明することにした。
つい先ほどまで甘く幸せな空気に包まれていた侯爵家は一変し、張り詰めた慌ただしい空気へと変わっていくのだった。カイルが帰宅したとき、玄関でいつものように出迎えたローラは、その表情を一目見ただけで異変を悟った。
「……カイル様、何かあったのですか?」
普段なら「ただいま」と穏やかに微笑む彼が、その日はどこか張り詰めた面持ちをしていたからだ。
「ああ……少し、部屋で話そう」
その短い返事だけで十分だった。ローラは何も問い返さず、小さく頷く。応接室へ移ると、カイルは国王から下された王命を静かに語り始めた。同盟国が蛮族の襲撃を受け、王都まで危機が迫っていること。王立騎士団第一部隊を率いて、自ら遠征へ赴くこと。一つ一つの言葉を聞くたびに、ローラの表情は青ざめていく。それでも彼女は泣き言を口にしなかった。
騎士団長として国を守ることが、彼の誇りであり使命なのだと誰よりも理解していたからだ。だからこそ、胸が張り裂けそうなほど苦しくても、ただ静かに微笑みながら頷くしかなかった。その健気な笑顔を見た瞬間、カイルは思わず拳を強く握り締める。守りたい。国も、民も、そして何よりも、この笑顔だけは絶対に失いたくなかった。それから時は瞬く間に過ぎ、出兵を翌日に控えた夜、カイルはローラへ一枚の書類を差し出した。
「カイル様…?」
婚姻契約書と書かれた文書には、カイルとローラが正式に伴侶となる婚姻契約についての内容が記載されていた。
「……ローラ。俺は、お前を一人屋敷に残していくことがこんなにも不安なものだとは思わなかった。だからこそ、万が一に備えてこれにサインしてほしい。この婚姻契約書があれば、俺に何かあったとしても、ローラ、お前は侯爵夫人でいられるから」
「……どうして、そんなことを…っ…」
涙を溢れさせるローラの頬へ、軽いキスが落ちる。
「明日、俺はここを立たなければならない。万全を期してはいるが、何が起こるか分からないのが戦争だ。万が一への備えがあるだけでも、俺が剣に集中することができる。俺のために、正式な妻となり帰りを待っていてくれないか…」
黙ったまま涙を溢れさせるローラを抱き締めると、カイルは懇願するように囁いた。
「……ッ…っ…ふ…」
ローラを抱き締めるカイルの表情も険しいもので、騎士として団長として任務を遂行する覚悟は常にできているものの、初めてできた愛しい存在であるローラを一人屋敷に残してしまうことが、どうしても心配だった。
「必ず、無事に帰って来るから。どうか、待っていてくれ」
「……絶対、無傷で帰って来て下さい…っ…」
ローラはカイルの腕の中でひとしきり涙を零すと、婚姻契約書にサインをした。その夜、二人は言葉少なに寄り添って過ごした。互いに眠ろうとしても、瞼を閉じることができない。離れたくない、その想いだけが胸いっぱいに溢れていた。やがて窓の外が白み始める頃、カイルはそっとローラへ口づけを落とした。
「行ってくる」
「……はい」
ローラは涙を堪えながら、小さく微笑む。泣いてしまえば、きっと彼を困らせてしまう。
だから最後だけは笑顔で送り出そうと決めていた。
「必ず帰って来ると信じています。だから、約束してください」
「約束…?」
「帰って来たら……また、一緒に温室でお茶を飲みましょう」
その何気ない約束が、ローラには何よりも大切だった。
「ああ、約束する」
カイルは優しく微笑むと、小指を差し出す。ローラも震える小指を絡め、小さく指切りを交わした。
たとえ戦場がどれほど過酷であろうと、この約束だけは必ず守る。そう心に誓いながら、カイルは愛しい伴侶を最後にもう一度だけ強く抱き締めた。
翌朝、王立騎士団第一部隊を率いたカイルが先頭に立ち、同盟国の支援に向けて騎士団が出発した。




